第4話 死んだほうがマシってやつです

「きゃー!」


 走り回る。


「きゃー!」


 飛び跳ねる。


「ひっ、ひいいいいいいいいい!」


 目に涙を溜め、髪を振り乱して田中安優たなかあゆは逃げ惑った。その速度、機敏な立ち回りは、予選で暴徒から逃げていた時を上回る。


 ――聞いてない。聞いてないよ!

 女子高生は心の中で訴えた。

 ――こんなのが出てくるなんて、聞いてない!


 相手は無軌道だが俊敏である。目で追う事すら困難な動きで安優を翻弄し、いなくなったかと思えばすぐ傍にいる。そのたびに、安優は背をのけぞらせて恐怖の叫び声をあげる。

 わたわたと左右へ動き回りながら後退し、背中に物理的な感触を感じて安優はいよいよ絶望した。無慈悲なコンクリートの壁が背後への道を閉ざしていた。


 唇を固く結び、両手で自らの肩を抱く。

 内股の両脚が震え、自分の意志で動く事もできない。

 もはやこれまでか、と思われた。その時。

 こちらへつかつかと歩み寄ってくる影があった。小さな影が。


 多田唯ただゆいは無表情に据わった目で安優を睨み、一切の恐れを感じさせず、自販機に飲み物でも買いに行くかのようにただ真っ直ぐ近づいてきた。

 そして安優の目の前でかがみこむと、恐怖の元凶たるそれを素手で掴み取った。

 安優は絶叫した。


「ぎゃああああああああああああ! ちょっ、それ、はやく!」

「うるさい」


 唯は光のない瞳で軽蔑するように一瞥し、立ち上がる。

 そのまま彼女らのいる部屋の窓を軽く開けると、一人の女子高生を絶望の縁に追いやったおそるべき小蜘蛛を投げ捨てた。その大きさ、およそ一センチ。


「バカじゃないの。ゴキブリ出たわけでもないんだしさあ」

「ひっぎゃああああああああ! ゴ!? ゴキ!?」


 名前を聞いただけで何を勘違いしたのか、安優は飛び上がって唯の背後に回り込み、華奢な女子小学生の肩を掴んで影に隠れガクガクと震えた。

 重症である。


「おいおい、そんなんで本当に大丈夫なのか」


 あまりの惨状にピアノ使いの大男、アンドリュー・甲斐が口を挟む。筋骨隆々の巨体に西洋系の顔立ち。スキンヘッドで髪の色はわからないが、金色の眉と青い瞳が外国の血を思わせる。


「死をも恐れない。もう通り過ぎてきたから――。アフター・スーサイドってのは、そういう意味じゃなかったっけか」

「死ぬのは怖くないですよ」


 男の問いに安優は、唯の肩越しににゅっと顔を出し、平然と唇を尖らせた。

 唯は心底うざったそうに顔をしかめている。


「死んだほうがマシ、ってやつです」

「なるほど、筋は通ってる」

「ちゃんと命はかけますよ」


 アンドリューはピアノの調律に余念がないらしく、そちらを見ずに会話する。

 彼らにとって、自分が死ぬ、という結末は織り込み済み。既知のものである。


「いいから離してよ」

っ」


 耐え切れなくなった唯が、両手で安優の顔をぐいと押しのけた。


「命がけなんて、当たり前じゃない。生きてる時間を削ってやってる事なんだから」


 唯が瞳を濁らせたまま言い切った。その瞬間。


「……ほう」

「あっ」


 アンドリューは作業の手を止め、安優は慌ててテーブルに向かい、二人して手元のノートにメモをした。

 アンドリューは文字を。安優はコード進行と、いくつかの音符を。

 彼らの曲はこうして作られる。次の試合には新曲も間に合うかもしれない。

 ジモトソニック本戦トーナメント、その第一試合には。


「静かにしてよ。少し寝るから」


 唯はそんな彼らを特に気にも留めず冷淡に言い、その場に座り込むと小さな背中を壁に預けて目を閉じた。彼女はスタミナに難があるため、ライブ前はこうして体力を温存している事が多い。


 第一試合直前の、楽屋での様子であった。

 すでにステージでは準備が進行し、徐々に客も入っている事だろう。

 本戦ライブ開始まで、あと三十分。



 * * *



「さあ、晴天に恵まれました本日の富士山麓特設ステージ。『ジモトソニック2016』本戦……その開始を今か今かと待ち焦がれる客席より中継です」

「私などは楽しみのあまり、物販でこのようなものまで仕入れてきてしまいました」


「そっ……それはジャスミン・サカキバラ1st写真集『実験体』! さっき休憩で席を外したと思ったらそんなものを!」

「フフフ……最後の一冊でした。マジで危ないところだった」


「ず……ずるい! そんな公式らしからぬ卑怯な放送席から、本日もお届けして参ります。頼むからそれ後でちょっと貸してね」

「えー」


 放送席の会話がスピーカーから響き渡る。客席は既に盛況。その人数は予選で個々のバンドについていた数の比ではない。予選では四十七のブースに散っていた観客たちが一堂に会しているのである。


 彼らは期待に目を輝かせ、勝ち残り予想や贔屓のバンドの見所を話し、あるいは物販で写真集を取り合い、将軍に殴られたい派とジャスミンに殴られたい派に分かれて殴り合い、お前らに殴られるより俺は女の子に殴られたいんだと、最終的には肩を組んで泣きながら頷き合うなどしながら、試合開始を待っていた。そのくらい盛り上がっていた。


 そして、その時がきた。


 会場でBGMとして流れていた、予選ライブのダイジェスト音源が止んだ。

 客席が静まり返ってゆく。


「ふざけんなお前、一ページくらい見せてくれたって…………失礼いたしました。この静けさ、期待と緊張で高まる雰囲気……どうやらお時間です」

「いよいよですね。二つのステージから目を離せない時間が始まります」


 客席を挟むように、二つのステージがあった。ジモトソニック、本戦用ライブステージ。対戦者は向かい合う両ステージでライブを行い、観客を取り合うのだ。この大会で求められるもの……本質は、予選から変わらない。もちろん、何でもアリのルールも。


「さあ! 両選手入場です。まずは……イースト・コーナー!」


 場内の巨大ディスプレイに、ジャスミン・サカキバラが大写しにされる。そのままカメラは彼女の肢体を舐めるようにアングルを徐々に下へ。「分かっている」玄人の動き。この大会は関わるスタッフもすべて一流である。


「客席を科学で魅了する妖艶なる魔術師! 富山県代表――ハイパー! エリート! Q・E・Dーーーーーーー!!」


 東側ステージに白衣を着た三人が現れた。楽器も持たず、歩いてくる姿はバンドとしては異様である。必要な機材は、既にステージ上に準備されていた。彼らに必要なのはエンターキーのみ、であるはずだ。


「……いいか貴様ら」


 サカキバラはメンバーの方を見やり、低い声で伝える。彼女はあまり機嫌が良くないようだった。


「予選の観客どもにはスピーカーを持たせていた。だがそこから感染の拡大は発生しなかった。……負けたのだ。奴らのライブにな。何か足りないものがあったのかもしれん」


 彼女は親指を口元にやり、形の良い爪を噛んだ。


「星座か? 血液型か? 動物か? 姓名か? 前世の徳ってやつか? ……まったく、理論ひとつ証明するのも楽じゃない」


 ステージ中央に向け歩く。客席の全貌が目に入る。予選の、何倍もの観客モルモットたちの顔が。こいつらで、今度こそ。

 ――実際のところ。ジャスミン・サカキバラの学者としての地位は比較的危ういところまできていた。元々敵が多い上に、やはり「スイーツ別腹事件」の汚名が効いているのだ。今回の学説が全国的に認知されなくては、研究者を続けられるかもわからない。


 富山の学会で全員を力ずくでねじ伏せたのはまずかったかもしれない。学説を承認し、他県へ発信する者の頭部を吹き飛ばしてしまっては本末転倒だ。一人くらいは生かしておくべきだった。


「私たちはまだ何も証明できちゃいない。あの程度で満足するなど、ありえん。科学は絶対でなければならない。つまり、全員だ。だから――」


 ワァッ、と声を揃えた歓声が上がった。向かいのステージでも動きがあったようだ。次は――奴らを、科学の贄として捧げる必要があるだろう。

 サカキバラは、遠い西側ステージに入場する二人を睨んだ。


「続きましてウェスト・コーナー! 予選終盤を沸かせた違法スレスレのパフォーマーが、自らを処したステージに再び上がる! 山梨県代表……あれ?」


 西のステージに入場したのは女子高生と大男の二人。女子高生のほうは、もう既にかわいそうなくらい慌てている。


「ゆっ、唯ちゃんは!? あれ? ついさっきまで……」


 右往左往するも、彼女らの中心である女子小学生の姿はない。見つける事が出来ない。

 いや、それは無理からぬ事であろう。唯は彼女からは見えない場所にいた。例によって、発見したのは放送席が先だった。


「あっ……失礼しました、いた、いました! 山梨県代表、アフター・スーサイド!! 本当に、自らを処した処刑台の上からの登場だ!」


 唯は、安優たちの真上。予選で飛び降りた屋根の上にいた。シュシュで留めたポニーテールと、ひらひらとしたピンク色のミニスカートが風に揺れる。

 そして口を開いた。


「あたしは!」

「私は」


 同時。サカキバラも口を開いた。


「「予選あのときの結果じゃ、全然納得できない!」」


 その時、二人の女性は等しく、飢えた獣の目を持つ挑戦者だった。

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