第17話 俺たちの幕府(2)

「……む、これは」


 日本史の資料集に目を通していた芦加賀あしかがはページを捲る手を止め、低い声を漏らした。


 まずは情報収集。それが水元みなもとの方針だった。

 「幕府を開く」という彼らの夢は、現時点では、言葉の響きに魅せられただけの形のない絵空事だ。それを現実にしようと思うなら、夢を形のないままにしておいてはいけない。

 よく言われる事ではあるが、彼らは「夢」を具体的な「目標」に落とし込まなければならかなかった。


 すなわち第一に、幕府というものについて知る必要があるという事だ。


 そうして芦加賀はまず資料集を読む事から始めた。

 新年度の初めに教科書と一緒に配られたこの副読本も、教師によっては授業で一切使わない、などという事も珍しくはない。存在すら忘れている生徒も多いのではないだろうか。


 既に教科書程度の内容は把握していた芦加賀は、より詳細な情報を求めこの本に手を伸ばした。そこで、気になる記述を見つけたのだ。

 隣で調べものをしていた水元が声をかける。


「どうした? 老中よ」

「老中なのか」


「実務上の最高責任者だからな。安心しろ、江戸時代の老中の定員は四、五名だった。俺とお前はまず確定だ」

「え、お前将軍じゃないの」

「俺が将軍? バカを言うな。それよりどうした?」

「ああ、いや、ここの記述なんだが」


 芦加賀は自らが手を止めたページを示した。


「将軍ってのは、源氏の血を引いてないとなれないらしいぞ」

「ああ、それか。俺の読んだ本によれば単なる俗説だそうだが」

「そうなのか?」

「ただ、俗説って事は世間に知られてるって事だ。もし本当に俺たちが源氏の末裔だったら、世間に宣伝するためのネタにはなったかもしれんな」

「……そうか」


 水元の目は静かに光り、あの日宿した狂気と熱を保ち続けている。芦加賀は唸った。この男は既に、世間に幕府を認めさせる事までを想定しているのだ。


「あ、あとそういえば、もう一つ」

「何だ」


 芦加賀は思い出したように加えた。資料集の別のページを指す。


「『征夷大将軍の官職は、明治時代に廃止された』。これは流石にマズイんじゃないか?」

「む……そうか。正式な将軍への道は絶たれたか……」


 悪い知らせを聞き、水元は少しだけ寂しそうに目を伏せた。自分の魅せられた夢が、今の世の中には存在していないという事実。その苦みを味わうかのように。

 しかし神童はすぐに顔を上げ、


「……だがな芦加賀。そもそも公式に将軍となるのは現実的とはいえない。宮内庁を口説き落とすのか? それでは遅すぎる」

「まあ、確かにな……。あまり時間もないわけだし」

「そうだ。可能なら今年中が良かったが、流石にそれは無理がある。俺たちに与えられた次のチャンスは、二年後だ。だから――」


 水元はつい立ち上がった。演説モードに入っている。やはりこいつは政治家向きなんじゃないか、と芦加賀は思った。彼は手ぶりを交えながら、


「『将軍』の名は、強引に名乗るしかない。称号なんてものは、言った者勝ちだ。ナポレオンに正式な皇帝の血筋があったか? だが彼は後の歴史でも皇帝と呼ばれている。俺たちに必要なのは、力づくで将軍の名を勝ち取れる人材なんだ」


「……やっぱりどう考えてもお前が将軍だと思うんだけど」

「だからそれは駄目だと――ッ」

「……!?」


 水元は今一度否定しようとした。だがそれは遮られた。同時、芦加賀も絶句していた。視界の端で質量が揺れていた。


 ここは教室である。彼らの席の横を、一人の女子生徒が通りかかったのだ。


 水元、芦加賀ともに中学二年生。女子生徒もクラスメイト、ゆえに中二である。だがおお、その驚くべき胸部質量は、本当に中学二年生の持ちうる質量だろうか? なんという質量。見事な質量。おお質量。質量!


 その暴力的なまでの質量を前にしてはさしもの水元も会話を中断せざるをえなかった。何が神童だ。圧倒的にして物理的な「力」を前に彼は無力だった。

 だが彼らの真の驚きはその後にあった。質量は通り過ぎず立ち止まり、口を開いたのだ。


「アシカガぁ~~、宿題みせてくれぇ~~。ころされる~~」


 質量とのコミュニケーション!!


「……あ、あぁ」


 あまりの事に、芦加賀は反応が遅れた。

 なお繰り返すが彼らはクラスメイトである。初めて目にする質量ではない。毎日見ている。会話も何日かに一度くらいは、ある。


 だがそれでもこれは「あまりの事」だ。それほどの衝撃なのだ。

 彼らは、中学二年生なのだから!


「ありがてぇありがてぇ」


 芦加賀がもたつきながらノートを渡すと、少女はだらけた顔で礼を言った。ありがてぇのはこちらだ、と芦加賀は思った。


 質量の名は得川とくがわやすえ。全体に細い肢体に見合わぬ胸部質量で有名な生徒だが、そのぶん頭脳が壊滅的である事でも知られており、未だに分数という概念を理解していないという噂もある。


「いや~~それにしても、なんか最近ふたりともテンション高いよね?」

「ああ、それは……」


 芦加賀は言いよどんだ。なんとなく、説明するのもはばかられる。まともな人間であれば彼らを不審に思うだろう。水元の反応をうかがう。

 だが神童は、一転して真剣な眼差しに戻っていた。


「……得川」

「はいな」


「得川って、源氏の血を引いてたりしないか?」

「へ? あー、よくわかったねー」

「!?」


 芦加賀は驚いた。突然そんな話題を振る水元にも、平然と答える得川にも、その答えの内容にも驚いた。


「おばあちゃん家で家系図見せてもらったら、あったねぇ、源」

「マジか」


 実際のところ、源氏の血を引いている事自体はそう珍しい話でもない。平安の昔から栄えた血筋であり、探せば日本中に末裔はいるだろう。得川の家系図にも、鎌倉時代を生きた源氏のひとり「みなもとの頼三郎よりさぶろう・ハーン」の名があった。


「……得川」

「はいな」


「国をろう」

「へ?」

「将軍になってみる気はないか?」


「水元!?」


 芦加賀は血相を変えて水元を得川から引きはがした。水元の表情は鬼気迫るものがあり、告白するにしても行き過ぎじゃないかと思えるほどの熱さだった。


「どうした芦加賀、邪魔するなよ」

「い、いやホラ、いきなり過ぎやしないかってな。内容も突飛だし……」


「時間は限られてるんだ、躊躇ためらっている暇はないだろ。得川は将軍に相応しいと思っていたが、まさか源氏でもあるとはな。もはや運命だ」

「目をつけていたのか? 得川に?」


「いいか。いいか芦加賀、言うまでもない事だろう。自明だろう。当然の帰結だろう。俺は初めから思っていたんだよ」

「何がだ、何だというんだ水元」


 水元は燃える瞳で相棒を正面から見据え、決断的に告げた。


「女体幕府の将軍ちょうてんは、女体であるべきだと!!」


 瞬間、芦加賀は脳裏に稲妻を見た。

 そして崩れ落ちる。


「……理解したか、友よ」

「水元……。俺は、自分が恥ずかしい。俺はなんて愚かだったんだ……。許されるなら今すぐに腹を切りたい」

「そうはいくか。お前にはまだまだ働いて貰わねばならない」

「……すまない」


 許され、芦加賀はすっくと立ちあがった。

 そして水元と揃って振り返り、再び質量と向き合った。


「「将軍に、なってくれないか」」

「……何やっとんじゃあんたら」


 得川はついていけないという顔でじっと二人を見た。


「なってくれないのか」

「うんやだ」


 質量は即答した。

 芦加賀は食い下がる。


「そっ、そこをどうか。いつも宿題だって見せてやってるじゃないか」

「う~ん、なんかわからんけど、将軍ってカワイくないじゃん。姫とかがいいな~」


「……ん?」


 否定された箇所が想定と違うことを、水元は聞き逃さなかった。

 神童は瞬間的に判断した。


「……なら姫将軍という事で」

「ならオッケー。なんかわからんけど」


「「よオし!」」


 二人の男は手を打ち鳴らし、向き合って互いの腕を打ち付けあった。

 少女は呆けた顔で、楽しそうだなあとそれを見ていた。


 これが三人の出発点。

 後の史家に「2-Eの誓い」と呼ばれる出来事である。

 質量の質量も、この時ちょうどEであったと伝えられている。

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