第15話 生きている音
「……おい、クソ社畜野郎」
「はい、何でしょう」
デス沢が空中に話しかけると、三途岸はそれが自らの事であると正確に理解した。
スーツ姿で浮かぶ女営業の霊。死してなお社畜、と言われれば確かにそうである。
「霊ってのは、アレだ、祟りだとかポルダーガイストだとか、なんかそういう攻撃的な機能はねえのか」
「本人の恨みや未練の度合いにもよりますが、多くの霊はそういった技能は備えておりません」
「技能ときたか」
「特にあなたの喚んだ彼らは、死んで日も浅いですし」
デス沢は舌打ちをした。汗が額を流れる。
目の前では、バンドメンバーが現在進行形で次々と熊に捕食されている。
あの熊には、自分たちの音楽が全く通じなかった。
何か対抗する手段はないのか。思いつく限り、探っていくしかない。
「なら、何か使えそうな霊はいねえのか。この際追加料金だって出す! 熊に対抗できそうな……ハンターとか」
「マタギならございますが」
「それそれ! そういうのだよ。喚んでくれ! すぐ!」
「承知しました」
言うが早いか、流暢な手つきで三途岸はガラケーを取り出した。二つ折りのカメラつき。彼女の没年近くに製造されたものだろうか、カメラが搭載されて間もない頃のモデルである。
素早く電話帳から特定の名前を呼び出し、発信する。
「……あ、お世話になっております。メイフスタッフの三途岸です。いえいえ、ご無沙汰してます。急で申し訳ないのですが、今から入れます? 場所は富士のあたりで……すぐ座標お送りしますね。ハイ、ハイ。ではよろしくお願いします」
「今ので喚べたのか!? 早くしねえと……」
「すぐ来ると思いますよ」
座標データをメール送信しながら、三途岸は答えた。
霊ですら食われているというのに、この女には恐怖がないのだろうか。
熊は、太ったシルエットから順に襲っているようだった。そういう意味では、デス沢も三途岸も最後に回されそうな体型をしていた。
やがて空の彼方から流れ星のような光が落ち、三途岸の隣に着光すると、すぐに人のような形をかたどった。ぼやけた輪郭が、徐々に明確になっていく。
「あ、あの~~~~……来ましたけど……」
「はい、お久しぶりです……」
幽霊の姿が露わになる。冴えない雰囲気の男だった。ご多聞に漏れず全身は半透明で両足がなく、あと左腕の肘から先がなく、頭部の左半分も欠けていた。
「おい」
デス沢ができたリアクションはその二文字だけだった。
三途岸は後方へ水平移動した。
初対面ではないようだが、流石に引いているのがデス沢にも伝わった。半透明のはずなのに、三途岸の顔色は普段よりいっそう青白く見えた。
複数回見たからといって見慣れるようなものでもないだろう。ビジネスパーソンとしての意地なのか、我慢して喚び出したところは評価に値するのかもしれない。
『反射的な感情の動きは……生前のままなのです』
三途岸本人の言葉が思い出される。幽霊にも恐怖の感情はあるのだ。
「グガ?」
新たな気配を察知したのか、ジョゼフィーヌがこちらを振り向いた。
デス沢は身構えた。三途岸は引き続き水平移動した。
パーツの欠けた男は片方しかない目を剥いて、叫んだ。
「く、く……くくく熊だァあああああああああああ~~~~~~~!!!」
男は飛んできたのと同じくらいの速さで飛び去っていった。
三途岸は水平移動して元の位置へ戻ってきた。なかなか良い根性をしている。
「……以上、狩りに失敗して捕食されたマタギの
「……地獄に落ちるぜ、お前」
「
「ケッ」
マタギの黒井さんとやらが去ったとたんに不遜な表情に戻った三途岸。
彼女の浮かぶ空中に、デス沢は当たる事のないツバを吐いた。
このくらいしか、今できる抵抗がない。
「……クソッ。詰んでるじゃねえか」
イースト・ステージの奥へ奥へと、ジョゼフィーヌは食い進んでゆく。
恐山のメンバーはあと何人残っているだろう。その生き残り(生きてはいないが)も、いつ自分も食われるかと恐怖に取りつかれ、生気のない顔をしていた(生きてはいないが)。もはや演奏が続けられるかもわからない。
デス沢はさらに振り返り、ステージの下を見た。そこは巨大熊の進撃の跡が残る客席である。
満員だった客席は、いくらか人数が減っているように見受けられた。逃げ出したか、はたまた幽霊の仲間入りをしたか。
ジモトソニックはチケットの裏面が誓約書になっており、生半可な覚悟ではオーディエンスとなる事すらできない。観客たちはそれでも本物を求める、覚悟を決めた異常者の集まりなのだ。
客にまでロックを求める。
だからこそ、高純度な空間が作られる。
彼らは己が身を省みず安易にノり、洗脳され、暴徒となり騒ぐこともある。
しかし、そんな彼らでも熊は怖いのだ。
人々は座り込み、涙を流して震えていた。
無論これはこれで「本物」を味わった結果だ。とはいえ悲惨である。無残である。少なくともそこに快や楽はないように見えた。
そこに、デス沢はピンときた。
今一度、指揮棒を掴む。
「お前らアァ!!」
指揮者は叫んだ。二戸が、八戸が、千戸が、五億三万七千百六十五戸が反応してデス沢を見た。
だが指揮者は、彼らに背を向けていた。
「いつまで震えてやがる! 皆さんここに何しに来た! 動物園に来たワケじゃねぇよな!? ビックリどうぶつショーが見たきゃサーカス行け! そうじゃないだろ!」
呼びかける相手は、観客たち。熊が今や見向きもしていない人々。
「だから!」
デス沢が指揮棒を掲げた。バンドメンバーたちはそれで悟った。曲が、始まる。指揮者が棒を構えたならば、自分たちは、楽器を構えなければならない。
「俺たちの、次の曲を聴いていけ!」
そして、指揮棒が、振り下ろされた。
バンドが躍動した。
その音は欠けていた。メンバーは今まさに減り続けている。パートが足りておらず、虫食いのような交響曲になっていた。音程も本来の正確さからは程遠い。
だが、勢いが違う。心のままに暴れるパンクロックのように粗く、しかし生命力に溢れた音だった。
演奏者の大半が死んでいるとは思えないほどに、生きた音だった!
その勇ましい音は、光を失った目をしていた観客たちの瞳に、輝きを戻した。
圧倒的な「死」の恐怖を味わった者達だからこそ、それに抗う音が、より力強く聞こえた。気が付くと彼らは立ち上がっていた。拳を握っていた。
会場が蘇った。
「これは……不屈……! 人間の意地というものを見せるか青森代表!」
「信じられません……人が、熊に抗っている。奇跡の光景です」
無論、あと何分続けられるかはわからない。こうしている間にも音は減っているのだ。それでいい。音楽を届けられるだけ届ける。「ここに何しに来た!」。自分たちへの問いでもあった。熊を恐れに来たわけではない。だから、力尽きるまで――
「さあしかし、熊も止まっているわけではありません。人間を食い尽くすのが先か……っとぉ? こ、これは!」
その時だった。ステージで暴れていたジョゼフィーヌが、動きを止めたのは。
「……ッ、ガァ?」
巨大熊はその太い腕で頭部を押さえた。頭を振って苦痛を訴える。
恐山の音楽に当てられ、己の間違いに気が付いたのだろうか?
はたまた死霊たちが今になって呪いに目覚め、何らかの祟りを与えたか?
……当然そのような事はない。
背後に霊が近づいた際、「ヒヤリとした」という表現を使う事がある。
鳥肌が立ったとか、冷気を感じたという証言もある。それらは全て事実である。
霊とは、温度が低いものなのである。熊はそれを一度に、多量に摂取した。
だからこれは、かき氷食べたときに頭がキーンとなるやつ。
「グ……ガァ……アァァァァ……!」
ジョゼフィーヌはそれで苦しんでいた。自業自得! 悪食は身を滅ぼすのだ!
熊は屈みこみ、ついには下腹部を押さえだした。
お腹が冷えたのだ。皆さんも夏にはアイスの食べ過ぎに注意した方が良い。
「ど、どうした事でしょう! ジョゼフィーヌ、動きません! 完全に止まりました!!」
こうして捕食は止み、演奏が続いた。
* * *
「ハァ、ハァ……どうなった……?」
遅れて会場に到着した数人の者らは、両ステージを見渡した。
彼らは北海道代表、『モリノクマサン』のバックバンドである。
本来であれば彼らの演奏の元、ボーカルとして熊が叫ぶのが彼らのスタイルだ。
だが予選の後もジョゼフィーヌの食欲は収まらず、彼らは熊を繋ぎとめておく事ができなかった。
この試合は、始まった時から熊一匹しかいなかったのだ!
制御を失ったジョゼフィーヌは危険である。会場すべてを食い尽くしてしまう危険もあった。場合によっては、麻酔銃などで処置するしかないのかもしれない――そう思い、急ぎ駆け付けた。
そこで彼らは見た。
人が熊を完全に屈服させ、ライブを成功させる姿を。
「バ、カな……こんな……事が……?」
信じられなかった。だが目の前には景色があった。
自分たちが制御できなかった熊を押さえ、音楽で勝利する人間たちの景色が。
「負け……か」
そう絞り出すのがやっとだった。
確かに、こうして結果を見せつけられてみると、熊だけでは勝てる筈もなかったのかもしれない。そう思えてくる。
聴衆なくして、ライブは成立しないのだ。
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