第8話 音楽は人を洗脳できるか

「お前も、天才だったかあ」


 そう言った、直後。

 唯の顔色が瞬時に様変わりするのを、サカキバラは目の当たりにした。


 眉を歪め、目は吊り上がり、瞳が収縮する。この歳の幼女がこんな表情をするのは初めて見た。

 感情に任せて激昂するでもない。もっと根源的な、その人間の筋、芯、信念。そういったものを攻撃された者が見せるような。

 あまりにも冷めきった、怒りの表情だった。


「あ た し が   天    才」


 サカキバラは寒気を感じた。両の腕に鳥肌が立つ。

 それは初めて妖気を肌で感じた時の感覚にも似ていた。


「な  ワ  ケ  が  な  い  だ  ろ  う  が」


 反射的に、サカキバラはムチを振り上げていた。相手は服の一枚すら身にまとっていない小学生の女の子である。にも関わらず、手心を加える余裕はなかった。

 ムチが振り下ろされる。

 だがその一撃は、ギターの女子高生が引き受けた。


「なっ……! クソッ、邪魔を」

「唯ちゃん……ッあ……!」


 跳び降りを受け止め、暴徒からは逃げ……唯を痛みから遠ざけるべく彼女は動く。そのために自らが傷つくのは厭わない。高所から落下した唯を、この大会だけでも二度、受け止めている。当然彼女の細腕も無事で済んではいない。


 気絶できない程度の電流が身を焦がす。全身を痛みが走る。でも、耐えられる。

 『アフター・スーサイド』――死を通り過ぎてきた者達。

 彼女にとって自らの命は軽いものである。


 安優は歯を食いしばった。ギターの演奏を止めるわけにはいかない。

 止めれば敗北である。とはいえダメージは無視できない。

 長くは続かないだろう。ならば。


「唯っ、ちゃん……! 歌って! 歌って……!」


 安優はムチを掴み取り自らの腕に巻き付け、その状態で激しいフレーズを弾いた。

 サカキバラは持ち手を引くが、戻らない。彼女は歯ぎしりした。


 形のない焦燥感がサカキバラの背を撫でる。

 決着を急がなければならないように思えた。

 彼女はその予感に従うことにした。手にしていたラッキーアイテムを、捨てた。


「う  あ  あ  あ  あ  !!!」


 唯はマイクを構え叫び、ギターのフレーズに合わせて息を吸い込んだ。そして先ほど途中で止められた曲の、サビから先に入ろうとした。

 そこにサカキバラが割って入った。


「ふっ……ざけるな!」


 容赦のないビンタが小さな頬を捉えた。物理的に抗いようがなく、細い身体が地面に倒れこむ。だがすぐに起き上がる!


「――あああああッ!!」

「貴様も、洗脳されるんだよ! 私は天才! 天才なのだ!」


 逆の手でのビンタ。唯は再び倒れる。だが間髪入れず起き上がる!


「科学に……貢献しろ……ッ! 証明するんだよ! 私は、私は……」


 サカキバラは形振なりふり構わず唯の頭を掴み、地面へ振り落とした。鈍い音がした。どう考えてもやり過ぎである。

 だが、それでも……唯はマイクを手放していなかった。何人もの人間を洗脳してきたサカキバラ女史の攻撃が、通じていない! 唯はアリガトウゴザイマスの礼を言うどころか、今にもサカキバラを射殺いころしそうな怒りに満ちた視線を向けてきている。


 そして不屈の少女は起き上がろうとし、今度は上手くいかず、よろめきながら地を這った状態で、朦朧としながら息を吸い込んだ。

 歌に入る! 起き上がるのを待とうとしたサカキバラはそこで反応が遅れた。


 唯が歌うのを止める事はできなかった。曲がサビを迎える。

 それは、こんな歌詞だった。


「天  才  に! 生まれたかったなァーーーーーー!」



 * * *



 『YUI-GONE 第一章』


 海が青かった それが許せなかった

 木々が緑だった それも許せなかった

 波が静かで 空気は澄んでて 月は丸くて

 最高だ 最高の景色だった だから

 全部許せなかった!


 あたしにはなんにもない

 あたしにはひとつもない


 なのにどうして海は綺麗なんだ

 ああ ああ


 天才に生まれたかったな

 天才に生まれたかったな

 海より大きな力を持って生まれていれば


 天才に生まれたかったな

 天才に生まれたかったな

 月より輝く自分に生まれていれば


 こんなに息苦しくなかったはずなのに



 * * *



 音楽は、人を洗脳できるか?


 大会閉幕後、ジャスミン・サカキバラは再びこのテーマで論文を発表している。

 そこには「洗脳が成功する条件」として、いくつかの項目が示されていた。


 一つ、歌い手が天才である事。

 一つ、聴く側の運勢が最高潮である事。


 そして最後の一つ。

 聴く側が歌い手と同じ思想を持ち、完全に共感している事――。


「こっこれは、いったい何が起きたというのかーっ!? ジャスミン・サカキバラ、動きを止めました! その表情はここから窺い知れません!」

「裸の子のほうも動きませんね。あるいは既に決着がついてしまったのか……」


 サカキバラは立ち尽くしていた。


 歌い終えた唯は、苦しげな息を吐きながら地面に横たわっている。

 ギターを投げ捨て、電気ムチを振りほどいた安優がすぐに駆け付け、抱き起こした。今日これ以上歌う事はできないだろう。敵の追撃があれば負けになる。

 しかし、それは無かった。


「ふ……ざけ……やが……って……」


 サカキバラの口の端からこぼれた言葉を、安優は聞いた。

 喉の奥から絞り出すような、哀しみを含んだ声だった。

 そのまま、自称天才科学者は地面にへたり込む。


「そうだよ……その通りだよ……! 私、だって、なあ…………!」


 己が天才であるという確信など、初めからなかった。それでも天才であると言い切る必要があった。学者たちの前に立つというのは、自らが正しいと確信して初めて成り立つものだからだ。しかしそれは当然、決して楽ではない。


 本当は言いたかった。

 自分は天才だ、ではなく、天才だったら良かったのに、と。

 そう叫びたかったのだ。


 目の前の少女のバカ正直な叫びを見て、それに気が付いた。

 気付かされた。とてもスカッとした。

 共感を、ピタリと当てられてしまった。そうしたら。

 そんな事をされてしまったら。


「クソッ…………」


 いい歌だ。そう思ってしまうじゃないか。


 サカキバラは眼鏡を外し、目元をぬぐった。立ち上がり白衣の汚れを払う。

 そして、アンドリューから解放された二人の助手に向かって、言った。


「帰るぞ」

「……先生?」

「証拠を掴んだ……証明されたんだよ」


 今、サカキバラはこう思ってしまっている。

 唯の歌を、また聞きたい。

 生がいいが、録音でもいい。

 とにかくまた聞きたい。何度でも繰り返し、聞きたい。頭から離れない。


 その気持ちは、あるいはこう言えるのではないだろうか。


「――音楽は、人を洗脳できる」



 * * *



 ステージに帰った『ハイパーエリートQED』が自らの音源を止めたことで、試合は終了した。会場を立ち去るジャスミン・サカキバラは、朝の占いの内容を再び思い返していた。


『本日の一位は~~~? ……ジャン! 双子座~~~~~!! 最高にスカッとする日! 運命の出会いがあるかも! ラッキーアイテムは、電気ムチ!』


 スカッとした出会いとともに、学説の証拠まで掴むことができた。

 なるほどこれは一位だろう。


 やはり、科学に占いは欠かせないもののようだ。

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