第6話 納得できない女たち(2)
運命というものは、存在するだろうか。
運勢とかいうものは、信用に値するのだろうか。
それらは不確定な未来について語っている、という時点であやふやなものだ。
だが、実際に「言い当てられている!」と感じてしまえば、有無を言わさず信じるしかなくなる。
少なくとも、今……この場の景色を見て「占いなどくだらない」「的外れだ」などという人間は、存在しないのではないだろうか。
「さて一方こちらはイースト・ステージですが、おお……これは、我々は夢でも見ているのでしょうか?」
ジャスミン・サカキバラはステージを降り、客席の最前列へ進み出た。
白衣の裾をひるがえし、一歩一歩長い脚をクロスさせながら、ハイヒールの
光沢が波打つ長い黒髪はサラリと流れ、眼鏡の奥では鋭い目が光る。口元には不敵な笑み。艶のある唇を、軽く舐める。ちろりと覗いた舌に歓声が上がる。
「この絵に描いたような美女科学者! あるべき姿……我々は今、一種のイデアを目にしているのかもしれません。このような武器を持ち出すなど……富山県代表、とんだ秘密兵器を隠し持っていた!」
細くくびれた胴。身体のラインに沿ったつくりのシャツ。わずかに透けている濃い色の下着。はだけた胸元からわかる形の良いバスト。見事なプロポーションである。あらゆる要素がかみ合った完璧な出で立ちである。
「ご覧ください。もしこの景色が、私の願望が見せる幻覚であるのなら指摘してほしい! しかしこれは現実……紛れもなく現実なのです! 彼女の手にあるのは、あれは……あれは!」
タイトスカートから伸びる脚にはストッキング。手袋。そしてその手に握られた、本日のラッキーアイテム。それを見た実況者と解説者は目を輝かせ、声を揃えて叫んだ。
「「ムチだーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」」
これを運命と言わずしてなんと言おう。この日の朝の占いコーナーは、最高の仕事をした!
サカキバラは占いの言葉を思い返す。
『本日の一位は~~~? ……ジャン! 双子座~~~~~!! 最高にスカッとする日! 運命の出会いがあるかも! ラッキーアイテムは、電気ムチ!』
美しき女科学者は通電防止の手袋で握っていたムチで地面を打った。パチリと微弱な破裂音が鳴る。人を嬲るのに適した電圧だ。本物の、電気ムチ。無茶を言う占いだと思ったが、探してみるものだ。
まさか実家の押し入れにこんな品が眠っているとは思わなかった。「母さんの昔のでよければあるわよ」と煎餅を齧りながら言った母は嬉しそうだった。「あんたも、こんなものを使う歳になったのねえ」と。
持ってて良かった電気ムチ!
「相変わらず素直に洗脳されない愚民どもめ……。科学の力を思い知れ!」
サカキバラは叫んだ。ついに最前列の一人へ、電流迸るムチが打ち振られる!
「ギャアアアアアアアアアリガトウゴザイマス!!」
被害者は絶叫! 全身を歓喜の電撃が走り抜ける。洗脳完了!
観客たちはボルテージを上げ、我先にと前へ前へ!
ただトランスミュージックを流していただけの時よりも、明らかにトランスしている!
これが……これが科学の力だ!
「そうだ! 見ろ! 音楽は人を洗脳できる!」
「ギャアアリガトウゴザイマス!」「ギャガッ!」「ギャガーーーーーーッス!」
続いてムチを一撃! 蛇のようにのたうつムチは、拳や蹴りよりも、遥かに多くの人間を一度に洗脳可能である。利便性の向上。これぞ科学が人類にもたらす恩恵!
「これが天才科学者の力だ。この天才の研究の被験体となれる事を誇りに思え! 敗北などありえん!」
瞬く間に洗脳者は増えていった。その数は予選の比ではない。母数が違うのだ。
音楽を流した状態で美女がムチを打ったら、洗脳者が増加した。これは先日の実験だけでは得られなかったデータである。もはや来年あたりにはノーベル賞などを受賞してしまうのではないだろうか?
「さあ、もう十分だろう……。証明してこい。そこで喚いてる、科学のカの字も知らなさそうな低能のガキにもな」
「「「ウオオオオオオオオーーーーーーーーーッ」」」
美女が煽り、暴徒とした観衆がそれに答える。この軍勢を、たった三人にけしかけるつもりだ。予選とは違い、敵はたった一組。それも、彼らはわざわざ観客席の只中で歌ってくれている。
倒さねばならない。必ず、勝たねばならない。
本戦進出を果たしながらも予選の結果に納得できなかった、二人の女がいた。
一人は多田唯、九歳。
そしてもう一人はジャスミン・サカキバラ、二十二歳である。
科学は絶対でなくてはならない。それが彼女の信念だ。科学者が学説として口に出した事象は、「事実」だ。そうあるべきだ。力づくでも事実にしなくてはならない。それが実験であり、証明ということだ。
だから、予選のような中途半端な真似は許されない。
最低でも全員。
この場の、全員だ。100%の人間が、音楽で洗脳される。
それ以下の結果は、「天才科学者」ジャスミン・サカキバラの論文には必要ない!
「私は天才……天才なんだ」
彼女は低い声でブツブツと呟いた。天才――この言葉を彼女が好んで使うのは、自らを鼓舞するためでもある。
「科学者は絶対だ。100%を司る存在だ。だがそれが『天才科学者』となれば? その程度では済まない。天才とは、200%だ。500%だ。1000%だ……!」
涼しげな美人の顔立ちの形相が歪む。必死さをたたえた表情。眼光は鋭く、目は充血している。あまり寝ていないのだ。
彼女を援護するように、献身的な二人の助手が声をかける。
「……先生」「試算の結果が出ました」
「そうか。……どうだ?」
彼らは独自のアルゴリズムを用い、この学説の信憑性について試算を行っていた。
助手らは無言で手持ちのタブレット端末の画面を見せる。
黒背景に蛍光グリーンのデジタル数字が記された、目に悪そうなその画面に書かれていた数字は!
『99999%』
禍々しきほどの確率! もはや勝利は約束されたも同然である!
「ク……クク……ハハハハハ……!」
サカキバラは肩を震わせて笑った。この数字に抗うような人間がいるのだとすれば、哀れですらある。
巨大な人の波がうねり、会場の西側へなだれこんでいく。
科学の理に背く者の末路は決まっている。
* * *
『YUI-GONE 第一章』
海が青かった それが許せなかった
木々が緑だった それも許せなかった
波が静かで 空気は澄んでて 月は丸くて
最高だ 最高の景色だった だから
全部許せなかった!
あたしにはなんにもない
あたしにはひとつもない
なのにどうして海は綺麗なんだ
ああ ああ
「海の……バカヤローーーーーーーーーーーーーーーッ!」
――唯はマイクにかぶりつき、サビ前のシャウトを決めた。
一糸まとわぬ姿。全ての肌を晒して、裸の言葉を叩きつける。
それが彼女のやり方だ。
質や技術などというものは無くほとんど叫んでいるだけに近い歌い方ではあったが、あらゆるものを脱ぎ捨てた一個の獣の咆哮は、刺激的である事だけは間違いがなく。本能を呼び起こされた者達は呼応するように叫び、周囲のオーディエンスも盛り上がりを見せていた。
ライブはうまくいっている。安優もアンドリューも相応の手ごたえを感じ、演奏に集中していた。
だから、気づくのが遅れた。観客たちの歓声に、悲鳴と怒号が混じり始めた事に。
三人をドーナツ状に囲んでいた群集の一角が崩れた。彼らは今、ステージの上にいるわけではない。観客と完全に同じ目線に立っていたことがある意味で災いした。何が起きているのか理解したのは、人の壁を突破した招かれざる刺客が、彼らの目の前にまで突っ込んできた時だった。
「……なるほど。まあ、そうなるな」
アンドリューはすぐに取り乱しはしなかった。彼の強みは、演奏体制からでも瞬時にピアノを鈍器に変えられる対応力の高さにこそある。
予選でも見せたようにグランドピアノを横薙ぎに振り払い、暴徒の第一陣を黙らせるのは簡単な事だった。遠心力で鍵盤が上下し、拒絶の和音を奏でる。容赦ない暴力的な音楽。やはりライブの場においてピアノは強い。
が、完璧ではない。
確かにピアノの攻撃範囲はギター等と比して遥かに広いが、角度は限られる。例えば、背後を攻撃できるグランドピアノは存在しない。死角に対して無力。それがピアノの限界なのだ。
だから、第二陣に対する対応が遅れた。背後からキーの高い悲鳴が聞こえた。
「っひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
安優が歌うのをやめようとしない唯を両手で抱えて跳びのいた。小蜘蛛から逃げるように俊敏である。彼女は可能な限り暴徒をかわす。その間にグランドピアノで殲滅する。それが彼らの、妨害戦術に対する戦い方である。しかし。
多勢に無勢、それは予選と同じではある。が、やはり相手取る規模が違った。第二陣をいなす頃には三陣、四陣が迫り、彼らを守ってくれる筈の最初のオーディエンスの群れもすっかり崩壊し逃げ惑っている。場内は大混乱の様相を呈していた。
四面楚歌。気がつけば360度が敵の旗色に染まっている。暴徒らは焦点の定まらぬ目で歩みを止めず迫り、安優の逃げられる範囲は狭まり、相手が少し手を伸ばせば掴まれてしまいそうだ。
安優は急激に不安にかられた。臆病な彼女は目に涙をため、小脇に抱えている、よりによって彼女よりも腕力のない女子小学生を縋るように見た。
「ゆっ、唯ちゃあ……ん?」
そこに少女はいなかった。
混乱の中、安優の腕を払って脱出していた裸の少女は暴徒の目と鼻の先にいた。安優は彼女を止めようと手を伸ばす。それよりも先に暴徒が腕を振り上げる。
それよりも先に、唯は手持ちのマイクに自らの頭部を打ち付ける。
暴徒の動きが止まる。
先頭が止まったのを訝しみ、別の暴徒が前に出る。腕を振り上げる。唯は手持ちのマイクに自らの頭部を打ち付ける。
暴徒の動きが止まる。
打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。頭部を打ち付ける。
群集全体の動きが止まる。
唯は顔を上げ、血走った目で視界すべてを睨みつけた。
叫ぶ。
「痛いなああーーーーーーーーーーーーッ! もおーーーーーーーーーーッ!!」
大砲のような声がこだまし、あたりには静寂が残った。
その場に満ちていた狂気は霧散し、暴徒はただの群衆へと戻っていった。
……その様子を、サカキバラは場内の巨大スクリーンで見ていた。彼女は爪を噛んだ。そして会場西側へ、歩き出す。
「あ、の、クソガキめ……! 科学をナメやがって……!」
科学は絶対でなくてはならない。それが彼女の信念だ。
科学者が学説として口に出した事象は、「事実」だ。そうあるべきだ。
力づくでも事実にしなくてはならない。
自らの手を汚してでも。
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