常春鬼灯(とこはるほおずき)

 一也の家は寒かった。

 この田舎町に越してきてから初めて迎えた冬で、一也はそのことに気づいたのだった。

前に住んでいた、都市部にあったマンションの部屋とは全然違う、この家が、こんなにも寒い理由としては。

 一、家屋が古いこと。

 二、家屋がボロいこと。

 三、暖房器具が不足していること。

 と、そんなところが挙げられるだろう。


 この家は、築何年だか正確には知らないが、祖父母が若い頃から住んでいた家を、一也と父がこっちに引っ越してくる際に譲り受けたものだ。最近の家とは異なり、断熱材とかは、おそらく使われていないのだろう。冬場に屋内の温かさが逃げないような工夫がなされている建物には、とうてい思えない。

 しかも、造り自体が古い上に、あまり手入れもされることのなかったのであろう建物は、今やあちこち傷んでいるらしい。梅雨や台風の時期には雨漏りに悩まされたけれど、寒い季節になってからは、家の中にいてなお隙間風に凍える日々である。

 そして、この家には、エアコンも、電気カーペットもない。だからといって床暖房なんか付いているはずもなく、床暖房付きの家に移り住んだ祖父母がこの家に残していったのは、いくつかの古い石油ストーブだけだ。けれど、点火のときにマッチを使わなければならなかったり、はた目にもわかりやすく炎が見えたり、消すときにボッと音がしたり、ストーブの上で湯を沸かせたり餅を焼いたりできるそれらのストーブが、一也はなんだか怖くて、できれば使いたくないのである。前の家にいたときは、そんな種類のストーブ使ったことはなかったし。


 そんなわけで、一也は冬になってから、一つ安物の小さな電気ストーブを買った。でも、はっきりいってほとんど役には立たなかった。ないよりはまし、という程度のものだ。

 どうしたものか。この冬は、これ以上新しい暖房器具を買うお金もないし……。

 部屋の中でどてらを羽織り、その上からさらに毛布で体をくるんで、一也は溜め息をつく。

 その溜め息の白さが、さらにまた次の溜め息を生むのだった。




 そんなことを、先輩に話したところでどうなるものでもないと思っていた。だから、相談というより、今回のそれはただの愚痴のつもりだったのだ。

「なんか、お金のかからない防寒対策ってないもんですかねえ。部屋全体を快適な温度にしたい、なんて贅沢は言わない……。せめて、自分の周りの半径一メートルくらいの空間をあっためる方法、とかあればいいんですが……」

 それを聞いて、先輩は、何か考え込むように「ふーむ」と目を細めた。


 その、翌日。

 再び一也の前に現れた先輩は、みやげだと言って、一也にある物を手渡した。

 掌の上に乗せられたのは、先が尖った袋状の、赤い草の実、ひとつだけ。不思議なことに、その赤い実はとても温かかった。実を持った先輩が近くに来たときから、なんだか周りの空気がほんわり温かくなったのを感じていたのだが、赤い実を手にしてみるまで、それが実のせいだとはわからなかった。草の実が温かいなんて、思いもしなかったからだ。

 そっと実をつまみ上げ、目の高さまで持ち上げて、一也はそれを見つめる。

「これ……ホオズキ、ですよね」

「ああ」

 先輩は、うなずいて言った。

常春灯とこはるのともりって神様を祀ってるお社があってな。そのそばに生えてた、鬼灯ほおずきの実だ。どうだ? あったけーだろ」

 先輩は笑いながら、ホオズキをつんと指でつついた。一也の鼻先で、温かい空気がほわんと揺らぐ。

「そいつで寒さをしのぎな。たぶん、ひと冬は持つと思うぜ」

「先輩……」

 一也は潤んだ目で先輩の顔を見上げた。ホオズキの実を、そっと両手に包み込んで。本当にもう、先輩に抱きつきたくなるくらい、それはうれしいみやげだった。




 家に帰った一也は、ホオズキを傍らに置いて、夕食の準備に取りかかった。

 母がいなくなってから、食事やそのほかの家事は、全部一也が一人でやっている。料理そのものにはもう慣れたけれど、冬になると、この家の台所はやっぱり寒く、火を使う工程にたどり着くまでが、今まですごくつらかったのだ。室温の低さもだが、それに加えて、この家の台所の水道からは、お湯が出ない。湯は沸かさなければ手に入らない。おかげで手を洗うたび、その氷水ばりの水道水の冷たさで頭がキーンとなっていた。なんだって、かき氷を食べたとき以外でこんな脳天まで突き抜ける冷たさを味わわなきゃならんのか。冬になってからは、そんなことばかり思いながら料理や洗い物をするのが常であった。


 それがどうだろう。

 このホオズキの実は、今が冬だということさえ忘れさせてしまう。


 流しのそばに置いて料理していると、手も足も、体の隅々までぬくもった空気に包まれて、全然冷たくならない。昨日までは、あんなに手足の先がかじかんでいたのに。しかも、部屋の空気だけじゃなく、凍りそうだった水道の水までも、ホオズキの力でいくらかぬるまっているようだ。お湯とまではいかないが、これなら頭もキーンとならなくてすむ。


 不思議なホオズキだなあ、と、一也はそれを掌に乗せて、あらためて眺めてみた。

 こうして触っていても、ホオズキの実は温かいだけで、熱いというほどではない。それなのに、手足の先までの空気や、水道の水までも温める力があるなんて。どうなっているのだろう? 

 それに、さっきホオズキを持って、用を足しに行ったとき。暗い廊下で、ホオズキは、その実の内からぼんやりと光を放っていた。闇の中で光る植物はあるのだろうけど、そういう冷たい光ではない。熱と共にある、温かい、緋色の光だった。


 その光を見て、一也は、ふと思ったのだ。

 このホオズキの中身は、なんなのだろう。

 赤い袋に包まれた、その中にあるものは。

 もし、この袋を開けてみたら、中にはどんなものが見えるのか。普通のホオズキと同じように、ただ赤色の丸い実が入っているだけなのだろうか。それとも……。


 いったん気になりだすと、いてもたってもいられなくなってしまった。

(すこーしだけ……。ほんのちょっとだけなら……)

 好奇心を抑えることはできなかった。

 一也は、ホオズキの袋の尖ったほうを上に向けて持ち、袋を左右から指でつまんで、慎重に、少しだけ力を入れて引っぱった。

 ぴりっ。

 赤い袋の先が、わずかに裂けて、小さく口を開けた。

 その瞬間。

 一也の手元で、緋色の光が弾け飛んだ。

「……!」

 一瞬のことに、声を上げる暇もなかった。ホオズキを両手の指でつまんだ姿勢のまま、一也は固まった。

 一体、何が起こったのか。その疑問を頭に浮かべる余裕が生まれた頃に、ようやく心臓が、どきどきと大きく脈を打ち始めた。

 とりあえず、深く息をついて、肩の力を抜く。

 それから、一也は、袋に開いた小さな隙間に目を近づけて、おそるおそるホオズキの中を覗き込んだ。


 何も、ない。

 赤い袋の中は、空っぽだった。


 袋をさらに裂いて、みかんの皮を剥くみたいに開いてみたけれど、やっぱり、中にはなんにも入っていない。いや、残っていない、のか。ホオズキの中に入っていたものは、さっきので、全部袋の外に飛び散ってしまったのだ。

 中身がなくなってしまったホオズキは、触ってみても、もう温かくもなんともなかった。

 一也は「ああ……」とうなだれた。ホオズキの袋は、ほんのちょっとでも、破いちゃいけないものだったらしい。もったいないことしてしまった。

 これで今日もまた、いつもと同じ、凍えるような夜を過ごさなければならなくなった――。

 かと、思いきや。


 飛び散って、すっかり消えてしまったかのように見えたホオズキの中身は、そのじつ、台所のあちこちに、ちょっとずつその不思議な力を残していったようなのであった。


 まず、湯呑みの中に入れていたお茶。それがいつまでたっても熱々のまま、冷めることがないのに気づいた。たぶん、飛び散ったホオズキの中身の欠片が、湯呑みの中に入ってお茶に溶け込んだのだろう。


 それから、食器棚の中のスプーンが温まっていた。金属のスプーンだから、熱い飲み物の入ったカップに浸けておくとか、ガスコンロの火のそばに置いておくとかしたとき、熱がスプーン全体に行き渡って「熱っ」となることがある。そんな感じになっているスプーンが、食器棚の引き出しの中に何本もあったのだ。素手で持てないほどではなかったけれど、そのスプーンに乗せると、食べ物はあっという間に温まった。冷えたみそ汁も、冷たいじゃがいもの煮物も、そのスプーンですくって食べると、口に運ぶ頃にはホカホカになっているのだ。生卵なんかは、器に割り入れたのをそのスプーンで食べてみたら、すくうそばから半熟卵になっておいしかった。不思議なホオズキの力が宿ったスプーン。けっこう便利である。ただ、このスプーンでアイスクリームは食べられない。ホットプリンがおいしいとは初めて知った。


 ちょっと困ったこともあった。机の上に置いていた、未開封のチョコフレークの袋。その中にちょうどホオズキの中身の欠片が入り込んでしまったらしく、チョコレートでコーティングされたフレークは、肝心のチョコが全部溶けたようで、袋を揺すってみると、何やらタポタポした感触になっていた。これ、もう一回冷やして固めたら、すべてのフレークが余すことなくひと塊りになってしまうだろう。たぶんすごく食べにくい。いや、もしかしたら、そのくらいまとまったら、逆に食べやすくなるのだろうか?


 そんな疑問を浮かべつつ、熱々のお茶を飲み、スプーンで温めた食事を食べた。

 そうしていると、寒い部屋の中でも、どんどん体が温まってきた。

 すべてたいらげる頃には、体中がぽかぽかになっていた。

 そして、その日は一晩中、全身どこもかしこもぬくぬくとしたままだった。


 次の日の朝になっても、少しも寒さを感じなかった。学校に行くときも、手袋もマフラーもいらなかった。授業中は、教室の暖房が暑いくらいだった。授業が終わって、学校から帰る時間になって、ようやく北風の中、手袋もしていない指の先が冷えてきた。


 その帰り道で、一也はまた先輩に会った。

 そこで、ぺしゃんこになったホオズキの皮を見せると、先輩は呆れた顔をして言った。

「あ? おまえ、ホオズキ破いちまったのかよ。たった一日でか。アホだなー」

「すいません……結果的には思いのほかポッカポカになりましたが……。ああなるとは知らなかったもんで」

「ったく。いいか、よーく覚えとけ。あの手の袋やら箱やら座敷やらは、中が気になってもやたらと開けたりするもんじゃねえんだよ。暗黙のルールだ。もし何か危険なモノが入ってたらどうすんだよ」

「き……危険なモノを、事前の注意もなしに渡したりしませんよね? 先輩」

「さあ、どうだかな」

 先輩は、いたずらっぽくにやりと笑ってみせた。

 せっかくもらったホオズキを、たった一日で駄目にしてしまったこと、先輩は、別に怒っている様子ではない。

 だったら、と一也は切り出した。

「そ、それでですね、先輩」

「んー?」

 立ち去ろうとして背を向けかけた先輩は、振り返り、一也を見た。

 一也は肩をすくめ、うつむいて、おずおずとそれを口にする。

「あのー、もう、二度と袋を破いたりしませんから……。昨日のホオズキ……できれば、もう一個だけ、あの……」

 歯切れ悪く言葉を濁らせ、一也は、上目で先輩の顔をちらっと見上げた。

 先輩は溜め息をつき、眉を寄せながらも、

「しょうがねえな」

 と答えた。


 次の日。先輩は約束どおり、ちゃんとまたホオズキを持って来てくれた。

 そして、それを一也に渡すとき、先輩はこんなことを尋ねた。

「一也。一つ聞くが、おまえ、ホオズキはどこに置いとくつもりなんだ?」

「え? どこって……持ち運べるものですから、家にいるときは、だいたい自分のそばに置いとこうと思いますけど」

「そうか。……ちなみにおまえ、台所で寝たりはするのか?」

「寝るときは、普通に自分の部屋ですよ。……それが何か」

「ああ、いや」

 ならいいんだ、と、先輩は意味ありげな笑みを浮かべた。




 その日の夜は、もう余計なことはせず、ただホオズキを傍らに置いて過ごした。


 翌朝。一也は、ホオズキを家に残して登校した。

 ホオズキを鞄やポケットに入れて持ち歩いたら、潰れたり破けたりしてしまいそうだ、というのもあったが、それよりも、こんなものを持っていたら、きっと周りに怪しまれてしまうだろうからだ。なにせこのホオズキは、携帯カイロなんかとは違って、半径一メートルくらいの空気を春のそれのようにしてしまうのだから。学校にはとても持って行けなかった。

 家を出る直前まで台所にいたので、ホオズキはそのままそこに置いて、家を出た。ホオズキのせいで火事になることなんかはないだろう……とは思ったが、それでもちょっとだけ心配だったので、木のテーブルの上には置かず、陶器の小皿に実を乗っけて、それを、火の気も燃える物もそばにない流し台の上に置いた。


 家を出てから、一也は、昨日の先輩との会話をふと思い出した。

 あのとき、台所がどうとか、先輩が言っていたけど。あれは一体なんだったのだろう。気になったが、でも、先輩に答えたとおり、自分は台所で寝たりはしないし、関係ないか。そう思って、一也はすぐにそのことを忘れてしまった。

 そうして、小さな疑問は忘れたまま放課後まで過ごし、授業が終わると、一也はまっすぐ家路に着いた。


 寒い外から帰ってきた一也は、さっそくホオズキで暖を取ろうとして、台所へ向かった。

 台所のドアを開けると、中はいやに薄暗かった。昼から空が曇ったせいだ。晴れていれば、西向きの窓から陽が射し込むので、この台所は夕方明るいことも多いのだが。

 電気を点けようと、一也は壁のスイッチに指を伸ばした。

 そのとき。

 台所の奥から、なんだか嫌な気配を感じた。

 流し台のところ。ちょうど、あのホオズキを置いた辺りに、妙なものがある。薄暗い中で目にしたそれは、黒くて、表面がやけにごわごわした、座布団か何かのようだった。黒い座布団が、流し台からはみ出して、だらりと垂れ下がっているように見えたのだ。しかしもちろん、そんなところに座布団を置いて家を出た記憶は、一也にはない。


 意識の中を、警告が走り抜けた。

 まずい。だめだ。あれは。

 ――見てはいけない!


 だが、電気のスイッチに触れた指は、その警告が届くより先に、いつもどおりスイッチを押してしまっていた。

 天井の蛍光灯が、短く点滅し、そして、部屋の中を、台所の奥まで照らし出す。

 そこに現れたのは。

 台所にはつきものの、あの黒い虫。それが、座布団かと見まがうほど大量に集まって、隙間なくびっしりとホオズキの周りを囲み、わさわさ、わさわさとうごめいている光景だった。

 一也は声にならない悲鳴を上げた。


 石のように固まった一也の目線の先で、黒い塊が、ぶわりと四方へ広がる。夏場よりもいくらか鈍い動きのそいつらは、蛍光灯の光を避けるべく、散りぢりになって逃げ出し、流しの下や、冷蔵庫の裏や、ほかのありとあらゆる狭い暗がりの中へと、鳥肌の立つ足音だけを残して、その姿を残らず消した。




 次の日、先輩に会ってそのことを話すと、先輩はからからと笑って言った。

「あー、やっぱりな。このホオズキ採りに行ったとき、ホオズキの周りに、冬越し中のいろんな虫がめちゃくちゃ集まってたからな。冬場とはいえ、暗い台所に置いといたらそうなるだろうと思ったんだ!」

 腹が立つほど楽しそうな先輩の顔を、一也は涙目で睨む。

 言いたいことはいろいろあったが、昨日の衝撃がまだ抜けきらず、あの光景を思い出すたびまた放心状態になりそうな一也は、

「……それを先に言ってくれ」

 と、一言呟くのが精いっぱいだった。




 -終-

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