第18話:やるしかないと思います
「流石に気付いてるかもしれませんけど」
「うん」
「私、先輩の事、好きなんです」
浮かべた笑顔はそのままに、宣戦布告のような台詞を言い放った先の迫力を完璧に消した、イマミヤの告白だった。
隣の席のカップルが、身を寄せてひそひそと話し始める。気にしてなんていられない状況ではあるものの、明らかに挙動がおかしくて、視界の端にちらちらと映る。
「知ってますか?」
「え?」
「私、いま告白してるんですけど」
「え、ああ。それはもちろん」
「予想はしてましたけど……リアクションうっすいですねえ」
落ち込んだような、それでいて、ほっとしたような。そんな吐息を一つこぼして、イマミヤが椅子の背もたれに身を預ける。僕もつられそうになるが、何とか踏みとどまって姿勢を正した。僕はまだ、休んで良いような事は何一つ出来ていない。
「なんていうか、面と向かって言われると、やっぱりびっくりしたっていうか」
「……先輩。そのリアクションじゃ、相手次第では逆にフラれてると思いますよ」
「あはは、そっか」
「そっか、じゃないですってば。ずるいなあ本当に」
休憩終わり、といった体で改めて身を乗り出したイマミヤが「この際ですから、全部聞いてもらいますからね」と前置きして、話し始める。僕は、ただ首肯で返すしかない。
高校時代に命を助けた体になっている、という事以外に、どうして好きになってもらえているのか、やはりわからない。「お前には勿体無いくらいだぞ」と、再びシンジの声が頭の中に木霊した。
「きっかけはやっぱりあの時、助けてくれたからなんです。本当に格好良かったんですから」
「夢中だったし、ひどい顔してたと思うよ」
特に、時期も時期でまいってたから。という個人的な事情は飲み込んでおく。
もうずっと前から、僕はそこかしこで色々な言葉を飲み込んでいる気がする。いつか、言わないのではなくて本当に何も言えなくなるのでは、とぞっとした。
「いいえ。誰が何と言おうと、あの時のカナ先輩は格好良かったです。でも、それだけじゃないですよ」
「それ以外の心当たりが、残念ながら全然ない」
「だと思います。私って、好みがマニアックですから」
「うわ、それはそれでひどい」
「こないだ、先輩の秘密を聞いて物凄く納得したんですけど」
「うん」
「たまに、この人はこのままここで消えちゃうんじゃないか、って思うような顔してるんですよね」
「それの心当たりなら、残念ながらあるかも」
「かと思ったら、凄く力強い目をしてたりとか」
「そんな事あったっけ」
「ありますあります。そういうギャップが、ずるいんです」
「助けに入って意識させて、後はギャップを見せて……ってなんか、うーん」
「あはは、まだありますからご心配なく。っていうか、ここで私がフォローしてるとか、絶対おかしくないですか?」
「だよね、ごめん」
「こんな言いがかりみたいな感じでも、すぐ謝っちゃうし。大丈夫かなって思うくらい優しいですよね」
「……そんな事は無いと思う」
自覚が無いっていうのがまた、とイマミヤは一瞬だけ窓の外に視線を移す。今度はつられた僕も、雑踏の中に何かを見つけようとした。外は更に暑そうだな、というくらいしかわからなくて、目のやり場に困ってしまう。
「時と場合によって、みたいな話、したじゃないですか」
「ああ、さっきの」
「あれは嘘です」
「そうなの?」
「言いたい事を我慢しない、は本当ですけど。時と場合によって加減を、っていうのが微妙に嘘です」
「微妙に?」
「結構、間違えちゃうんですよね。そうするとまあ、相手は怒るじゃないですか」
「怒っても良いんです、は?」
「それを完全に信じちゃうのは、どうかと思います」
「ですよね」
「ですよ。でもほら、こうやって軽く返してくれるじゃないですか」
「ごめん全然わかんない」
「私、もうかなり間違えてきてるんですよ」
人付き合い、下手くそだし苦手なんですよね。そんな風には見えないって言われたりもしますけど。
イマミヤは、飲み干したココアにのっていたクリームをストローの先でいじくる。この子だって、色々と考えて、頑張っているんだな。当たり前だけど、そう思った。
「カナ先輩にも、何度も間違えてると思うんです」
「そんな事はないよ」
「何度かは、こいつ面倒くさい! って思いませんでした? 本当に正直に言っちゃって大丈夫ですよ。むしろ、ここで誤魔化されたらショックです」
「え、うーんそれじゃあ……そういう事も無い事はなかった、かも?」
「ひどい。傷つきました。責任とってください」
「あのなあ」
「ね、こんな感じでも、怒らずさらさら~っと。あのなあって。凄くないですか?」
「いや、本当にごめん全然わかんない」
「天然ならまあ、それでもいいです」
「あのなあ」
「まあ簡単に言うと、すっごく話しやすいというか」
「……おお」
「ちょっと。本当に今、ようやく気がつきましたみたいな」
「だって、そんなの言われた事ないよ」
「誰が、面と向かって、こんな恥ずかしい話を普段からするんですか」
「確かに」
「はあ。で、話しやすいな、今日も声かけてみようかな、ってしている内に」
「うん」
「もっと話したいな、どうしてるかな、に変わってました」
「なるほど」
「その他人事な感じは、本当に傷つきます」
「ごめん」
「とにかく、そういう感じです」
イマミヤは、それっきり唇を引き結んで、こちらを窺っている。僕はこんがらがった考えを整理する為、アイスコーヒーを軽く揺らして、口をつける。程よい苦味と酸味が、ちゃんとしろ、と呼びかけてきているようだった。
「あの」
「はい」
「はいって、もう本当にこの人は。一応、私の告白、終わったんですけど」
「いや、ちょっと色々、考えてて」
「大丈夫ですよ。答えは何となくわかってますし」
「えっ」
イマミヤがどんどん先に進んでいく気がして、僕は面食らう。僕自身がよくわかっていない内に、いつの間にか自分の取扱説明書が人の手に渡っているところを想像した。
必死に考えを整理して、答えの欠片をまとめているところに「まだやってるんですか? これ、見た方が早いですよ」と、薄っぺらい冊子を差し出されるのだ。
「……考えてるんだけど、よくわからなくてさ」
「えっ」
「とか、ちょっと困った顔して言うんじゃないですか?」
当たっていた。この子は本当に、僕のトリセツを持っているらしい。あ~あ、やっぱりそうなんだ、とイマミヤが苦笑する。
もしかしなくても僕は、鳩が豆鉄砲を何発もくらったような顔をしているのだろう。
「ごめん。実際、本当によくわからなくて」
「はい。だから先輩は、やるしかないと思います」
「やるしかない?」
「言ってたじゃないですか、この間」
「正面から、対決するってやつか」
「そうです。今は全部、それのせいにしちゃうと思うので」
何も言い返せないとはこの事だ。恋愛、友達付き合い、大学、将来の事……全部そうだ。
平穏に暮らしていければ良い。そんな言い方で理由をつけたつもりで、僕はひととおり、自分の事情のせいにして、人生に線を引いている。
「本当は、今日は普通に遊ぼうと思ってたんです」
イマミヤは、泣きそうな顔の上に笑顔を張り付けていた。
「普通に遊んで、対決するとか言ってたのを応援して。仲良くなって。それからの方が、絶対いいじゃないですか」
今にも剥がれて飛んでいきそうな明るい表情を、必死に押さえつけている。そんな感じだ。胸の奥が、ちりちりと痛む。
「でもそれは、違うなって」
泣きそうになりながら、視線を逸らさずに言葉を紡ぐイマミヤを、僕はただ見つめていた。
「だから、やるしかないと思います」
「うん」
「その後で、ちゃんとお返事もらえますか」
「わかった」
「それじゃあ、私、もう行きます」
「……うん」
「なんだか色々、付き合わせてばっかりですみませんでした」
「そんな事ないよ」
「ありがとうございます、それじゃあ」
「あのさ」
「はい?」
振り向いたイマミヤは、ふいをつかれたのか、完全に泣いていた。どうしてこのタイミングで呼び止めたりするんですか。光を強くした瞳がそう言っているようで、躊躇しそうになる。でも僕は、これだけは言わなくてはいけない。
「約束する」
「約束……」
「ちゃんとするよ。それから、しっかり返事するから」
「はい」
「今日はありがとう」
彼女は一生懸命に口の端を持ち上げて、どういたしまして、と言った。
どうやらシンジの言う通りだ。
この子は、僕には勿体無いくらいの、いい子だった。
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