第19話:生きてるのか死んでるのかわかんない、って感じ?

 秋めいた日が増えてきたのを良い事に、僕はトレーニングらしきものをやったりしていた。残り少ない休みに何が出来るのかを考えて、いざという時に動けないとまずいよな、とふと思ったのだ。

 一大決心をした割には、やっているのはちょっとした筋トレとジョギングだなんて。何とも考えが浅いようで悲しくなってくる。しかし、他にする事と言えばアルバイトくらいしかないのだから仕方ない。

 それに元々、部活だとかはやってこなかったけど、身体を動かすのは嫌いではない。

 夏の終わり、秋との境目の夕暮れ。沈んでいく景色に身を委ねて走る。この時間は、今の僕に必要な事のようにも思えた。

 シンジやアイとも、それなりに連絡を取り合って、現状を伝えてある。次の揺り戻し……可能性の波がやってきた時が勝負になるであろう事。その時期は全く不明である事。それまでは待っているしかない事、といった具合だ。


「その波が戻ってきた時、勝手に動かないでよね。本当に怒るから」

「アイちゃんよく言った。こいつ、絶対そういうつもりだったぜ。急だったんだからしょうがないだろ、とか言ってよ。事後報告するに決まってる」


 相変わらず勘の良い二人に釘を刺されて、つまり僕は、本当に大人しくしているというわけ。

 九月に入ってからというもの、何やら忙しそうなアイと、おそらく水面下で合コンだの何だのに忙しいはずのシンジ。二人に直接会う機会も、今のところはぐっと減っている。

 最後に会ったのは、イマミヤとの件を話し、状況を説明して、釘を刺された時だ。


「なんだよそれ。お前は最低だな」

「ミホノちゃんの時も思ったけど、カナトはもう少し色々考えた方が良いと思う」

「……自分でもそう思ってるよ」


 イマミヤとの事の顛末――もちろん、どんなところが好きで、だとかの個人的なエピソードは割愛した――を話した僕への反応は、実に辛辣だった。今回ばかりは、言い訳も何も浮かんでこない。


「コクられた上に、発破かけてもらってるとか、どうしようもねえ」

「しかも結局、返事は保留にしちゃったんでしょ?」

「だから、本当に何とかしようと思って、こうやってちゃんと考えてるんじゃないか」

「あっそ、じゃあ諸々が終わったらどうすんのか言ってみろよ」

「そりゃあ、ちゃんと、返事するよ」

「返事だけ保留して、大した事も言えずに、メイちゃんを呆然と見送ったくせにか?」


 こいつ、本当にどこかで見ていたんじゃないだろうな。例えばあのカフェの、僕達の後ろ、こちらからは死角になっていた向こうの席とか。

 最後に何とか呼び止めて一言、決意らしきものを吐き出したとは言え、あれもタイミングが良いとは言えなかった。ぐっと押し黙ってしまった僕に「しょうがねえな」とシンジが呟く。


「えっと、ちゃんと返事するって、今宮さんと付き合うって事?」

「それはわかんないけど」

「わかんないんだ……」

「あ~あ、やっぱり煮え切らねえのな」


 二人がかりで責められた僕は、なかなか減らないアイスコーヒーを持て余していた。とは言え、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 どうしても話しておかなければならない事があって、二人を呼んだのだ。会話が落ち着いたのを見計らって、僕は口を開いた。


「ちょっとごめん、二人とも」

「なによ」

「言いたい事がまだまだあるのはわかる。けど、こっちの話もさせてほしい」

「もう大体聞いたじゃねえか。今は例のヤツが休憩中なんだろ?」

「で、何も出来ないから適当に走ったりしてるんでしょ。はい、カナトの話はおしまい」

「あのなあ」

「あのなあ、はこっちの台詞だ。他に何かあんのかよ?」

「そうそう。こっちはまだお説教したい事が山ほど残ってるんだからね」


 こっちは、というのはアイとシンジの事か。いつの間に二人はタッグを組んでいたのだ。今日も今日とて、何とも歩が悪い。

 六月のあの日から、僕はずっと劣勢のまま踏ん張っている気がする。こんな事を考えていると、「ほらね、またその事情のせいにしちゃうんですよ」とイマミヤに怒られそうではある。


「二人には本当に、協力してもらえたら嬉しいと思ってる」

「なんだよ急に」

「誤魔化されないからね」

「いや、だから。ちゃんと話させてくれってば」

「多分な、お前の話の順番が悪いんだって。まあいいや、なんだよ?」

「もし僕に何かあったら」

「おい、ふざけんなよ」

「そんなの聞きたくない。悪い冗談にも程があるよ」


 僕だってこんな事は話したくない。それこそ悪い冗談、ふざけんなよ、だ。だけど、これを話しておけるのはこの二人しかいないのだし、重要な事でもある。僕は、二人に構わず口を開いた。


「悪い冗談に聞こえるかもしれないけど、大事な事なんだって」

「……わかった、ちゃんと聞く」

「まあ乗りかかった船だしな、言ってみろよ」


 シンジの場合は、どちらかというと勝手に乗り込んできた、が正しい気もするが、キリが無いので黙っていた。色々と口先まで持ってきて飲み込むのは、僕の性分なのかもしれない。思わず苦笑いがこぼれる。


「イマミヤの時は、少しくらいでまあ、ちょっと入院したりとか」

「高校の時の?」

「そう。だから正直、それくらいは覚悟してる」

「おいおい。本当に洒落にならねえ話かよ」

「それこそさ、九死に一生を得る勢いじゃないと、終わらない気がするっていうか。だから、その場に行くのは僕一人だけど、場所とかはちゃんと教えるから」

「教えるから、なんなの。もし自棄になってるのなら」

「骨なら拾わねえぞ、肉をよこせ」


 全部終わったら焼肉でもおごれ、と言いたいのはわかるのだけど、シンジのそれはとんでもなく物騒な響きになっている。タッグを組んだはずのアイが表情を歪めた隙に、僕は続きをねじこんだ。


「後ろ向きな話じゃないんだ。むしろ無事に戻ってこられる確率を上げる為に、お願いしたいんだから」

「縁起でもねえ。もう何年も回避特化でやってんだろ? 華麗にかわしてみせろよ」

「僕がそういうタイプに見えるわけ?」

「あ……確かに」

「どうしよう、やっぱり中止にしない……?」


 この殺し文句で納得されたり心配されてしまうのは、自分の残念感が浮き彫りになるようでがっくりとくる。

 がっくりとはくるが、この認識は持っておいてもらわないといけない。「無傷で済むっつったじゃねえか、どうなってんだ」と、後で文句を言われても困る。本当に何かあった時に負い目をもたれても、もちろん困る。


「中止にはしない」

「どうして? ちょっと工夫すればさ、このままでも別に困らないでしょ?」

「そうだな。ちゃんとしろとか散々言っといてあれだけど、このままってのもアリじゃね?」

「そういう訳にはいかないよ」

「ここで頑固が出るのかよ、落ち着けって」

「ミホノちゃんと今宮さんの事で、難しく考えすぎちゃってない? 私達も……煽るような事ばっかり言っちゃったし」

「二人のせいでも、ミホノちゃんとかイマミヤのせいでもないよ。むしろ、きっかけをもらって感謝してるくらいだし」


 結局、僕の決意は漠然としたもので、確固たるナニカを言葉で説明出来るものでは無さそうだった。

 二人の言うように、危ない曲がり角は必ず曲がって、行き止まりが見えた時点で引き返して、高い壁は脇をすり抜ける。そうしていけば、何とかなるのかもしれない。

 でも、それでは駄目だ。


「逃げ続けるとさ、癖になるんだ」

「クセ?」

「そう。こうだから仕方ない、ああなったらまずいなって、そういう事ばっかり考えてしまうようになる」

「まあ、やらないで後悔するより、やって後悔する方が良いのは間違いねえよな」

「うん。だから、やらなくちゃ」

「でも、将来の夢とか、何かやりたい事とか、そういうのとは違うでしょ。だって……命に関わるかもしれない事だよ?」

「えっと、そこが難しいところでさ」


 一口、アイスコーヒーを飲み込む。今日のアイスコーヒーは、これの為に取ってあったのかもしれないと思える程、ひんやりとした苦味が喉を潤してくれた。


「そういう天秤にかけた時に、ウエイトが大きすぎると思うんだよ」

「なんだそれ。わかるように言えよ」

「やりたい事があります。でもそれをやったら死ぬかもしれません、ってなったらどっち取る?」

「それは、死ぬかもしれません、は取りたくないよね」

「今の僕は、それが普段から付きまとってるわけ。何をするにも、どこに行くにも」

「うーん……」


 アイが腕組みをして、唸る。シンジは足を組み替えて、まあ厄介だよな、ともそもそと口を動かしている。真剣に悩んでくれている二人に、気持ちが暖かくなる。僕は本当に、恵まれているな。


「何を笑ってんだよ、気持ちわりい」

「そうだよ、ひどい。続きあるんでしょ?」

「ごめんごめん。まあ最初に戻るんだけど、癖になっちゃうんだよ。っていうかもうなってると思う」

「カナトがよく言ってる、平穏に暮らしたい、っていうのも悪くないと思うけど」

「まあ、それは変わらないんだけど。僕が言おうとしてるそれと、癖になっちゃってるソレは違う気がするんだよね」

「どう違うの?」

「平穏な中にも、本気になれる何か、とかがあってさ」

「やりたい事が見つからねえ、なんて結構よく聞く話だけどな。全員が全員、夢いっぱいで生きてますって訳にはいかねえだろ。悩みが贅沢なんだって」


 アクティブに見えたアイの作戦中止宣言も、急にドライな事を言うシンジも、僕には凄く新鮮に映っていた。

 新たな一面を発見した気がする、なんて言ったら、きっとまた二人は怒り出すな。その場面を想像して、自分の口元がまた緩んでいる事に気付く。


「ね、本当に大丈夫? 今日のカナト、なんか心配だよ」

「だよな。笑いどころがおかしいだろ。もし何かあったら、とか言い出すし」

「大丈夫だってば。まあとにかく、そんな感じ」

「いやいや、全然まとまってねえから」

「なんだろ。このままだと、生きてるのか死んでるのかわかんない、って感じ?」

「私に聞かないでよ」

「あはは、二人とも冷たい」

「うるせえ。お前、本当に大丈夫かよ」

「私、なんだか胸騒ぎがしてきた」


 こうして、心配半分、呆れ半分でこの日は二人に別れを告げた。案の定というべきか、一人で動くな、と散々に釘は刺されてしまった訳だけど。僕としては、言いたい事を久しぶりに全部言えたという満足感があった。

 出来る限りの準備をして、なるべく上手な状況で、でも逃げずにやってやろう。僕は自分の事情を把握したつもりで、こんな事を考えていた。

 そんなに甘いものでは無い事は、何度も、身をもって体験してきていたくせに。 

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