第17話:ちょっと付き合ってもらえませんか

 週末、土曜日のお昼前。竹下通りにひしめく無数の人の頭を眺めて溜め息をつく。性懲りもなく、僕は何をやっているんだか、本当に。


 先日、カフェのテラス席で雷雨を強制的に堪能させられた僕達は、結局コーヒーをおかわりして、店内でやり過ごした。

 とは言え、テラス席で感じたような居心地の悪さはない。言いたい事をある程度まで言い合ったら、あっさりカウントをリセットして別の話題へ移る。それでも、どうしても気になったら、またの機会に言い返す。僕達の間にはいつからか、そんな不思議な距離感が出来上がっていた。

 だからこの時も、いつの間にか話題は前の日のドラマやバラエティーであるとか、ネットで人気の動画に傾き、雨が通り過ぎるのを待つばかりだった。

 男は結論を付ける為に会話し、女は会話をする為に会話する。だからお前らの会話はない、なんて言われた事もあるのだけど、そんなものはどこ吹く風だ。らしさ、なんていう曖昧なものは、いつどうなるかわからないのだし。

 しかし残念ながら、今回は自分で思っていたよりも、心に残るものがあったようだ。翌日の朝、目が覚めても、顔を洗っても、僕はどんよりとした気持ちから抜け出せないままでいた。

 こういう時こそ、他の事を考える余裕が無いくらい、とびきり難しい講義でもやるべきなのに。夏休みだなんてどういう事だ。

 理不尽な悪態をエネルギーに変換して、ふらりと出掛けてみた。結果、何をするでもなく、だらだらと歩いて不要な汗をかいただけだった。

 また、腹が減っては何も出来ぬ、と思い立ち、夕方に特盛りの牛丼を胃袋に放り込んでみた。普段の夕食には早い時間に押し込んだ大量のカロリーは、その場限りの満足感を与えてくれたが、そのせいで生活リズムが乱れてしまった。

 駄目なお休みの過ごし方、とでもタイトルしたマニュアルが出来上がりそうな時間の使い方である。つまり僕は、悪い意味で、物凄く時間を持て余していた。


「もしかして今週、暇してません? 土曜日とか」


 そこに飛び込んできたのが、イマミヤからのメッセージだった。この子はたまに、本当にどこかで見ているのでは、と心配になるタイミングで連絡をくれる。かと言って、ストレートにそれをぶつける勇気は無い。「それはもちろん、運命ですから!」と、真顔で返されたら困る。


「シンジがお食事会がどうとか言ってたけど、それ以外は暇だよ」

「なんかそれ、毎週言ってますよね。断れるなら、ちょっと付き合ってもらえませんか?」

「ほぼ毎週、ちゃんと断ってるよ。何かあるの?」

「あれ、ほぼって事は全部じゃないんだ。カナ先輩でもたまにはそういうの行くんですか? こないだ迷ってたのがあって、やっぱり買っちゃおうかなって」

「どうしてもの時に、形だけ。こないだのって事は原宿?」


 僕は合コンのくだりで答えを間違えたらしい。地味に責められながら、同時進行でお誘いの文句が入ってくる。

 土曜日に二人きり、しかも原宿で買い物。いつもなら、丁重にやんわりとスルーしておくところだが、僕は今回、その誘いに乗った。

 ちゃんとしろよ、失礼だろ、という誰かの台詞に胸を打たれたからでは、決してない。ないはずだ。


「すごい! 先輩、本当に一人で来たんですか!」

「これでも、一人で原宿まで来れたりするんだ。びっくりした?」

「いえいえ、ごめんなさい! そういう皮肉みたいなあれじゃないんです!」

「わかってるよ」

「あんまりあっさりOKしてもらえたから、また鉢坂先輩とか伏見先輩がついてくるんだと思ってたので」


 我ながらトゲのある返し方だったのに、嫌な顔一つせず、大げさなリアクションが返ってくる。この勢いになんとなく気圧されて、いつもするりと避けてしまっていたのは間違いない。

 そしてイマミヤの言うように、彼女が声をかけてくる時には大体、シンジかアイが一緒にいた。二人が、必要以上に角が立たないよう、上手に切り抜けさせてくれていたのだ。一人でなんとかしてきたつもりだったけど、本当にそうじゃなかったんだな。

 こんな時ばかり、妙に考えが巡るなんて。胸の奥がちくりとした。


「じゃあ行きましょうか! とりあえず、表参道方面?」

「あれ、そっち? っていうかとりあえずって、買いたいのが決まってたんじゃなかったの?」

「だっていきなり竹下通りを突っ切ったら、先輩、帰っちゃいそうですし」


 そんな勿体ない事、する訳ないじゃないですか、と両拳に力を込めるイマミヤは真剣そのものだ。ふんわりとしたワンピースに、握りこんだ拳はなかなかのギャップがある。


「時間も時間ですし、ひとまわりしたら先にご飯にしちゃいません?」

「至れり尽くせりだね、人混みに慣れたところで食事休憩つきとか。気を遣わせてごめん」

「あ、流石にわかっちゃいました?」


 にっこりと口元を緩めて歩き出したイマミヤに続く。天気は晴れ。そういえばもう九月だったね、じゃあこれで満足? と言われているような、少しだけ熱気の和らいだ陽気である。

 歩けば汗ばんではくるけど、気持ちの悪い暑さではなかった。真夏の間も、出来ればこの感じをキープしてほしいものだ。


「あの……こないだ、大丈夫でした?」

「ん? ああ、大丈夫だよ」

「なら良いんですけど、あれからすごい元気無さそうだったから」

「そんなにだった?」

「そんなにでした」


 流されるままにウインドウショッピングをして、ランチを済ませたところで、イマミヤが切り出す。夏休みがもう残り半分を切っているなんて信じられないとか、先週あったオモシロイ話とか。とりとめの無い話題に花を咲かせていたところから、急ハンドルだ。

 多分、買い物は口実でこっちが本命だろうな、と気が付いて話を合わせる。


「でも、あんな言い方しなくても、って思いません?」

「あえてはっきり言ってくれたのは、優しさだと思うよ」

「甘いんですね。ミホ先輩の事、まだ好きなんですか?」


 イマミヤのハンドル捌きは絶妙だった。何の構えも取れない内に、間合いに入られている。シンジやアイとはまた別の強引さだ。


「イマミヤも、どっちかって言うとはっきりしてる方じゃない?」

「時と場合によりますよ」

「本当に?」

「なんかすごい失礼な事とか、考えてませんか?」

「いやいや。えーと、結構どこでも、さらっとしてそうな感じだからさ」

「私の場合は、ここまでなら言っても多分大丈夫そう、っていう時と場合なので」

「相手が怒らないように、って事?」

「う~ん。ちょっと違うかも。別に怒られてもいいんですよ」

「難しい」

「まあとにかく。言いたい事を我慢するのって、嫌じゃないですか」

「それはそうかも」

「だから加減を考えるんです」

「時と場合によって?」

「そうそう。だから、話題を変えようとしても駄目ですよ」


 たまらず、本日二度目の溜め息をついてしまう。僕にしては、スムーズに曲がれたと思ったのに。イマミヤは今日、ある程度のところまで話をつけにきている。そんな気がした。

 まあ、僕の勘はあんまり、ほとんど、当たらないようだから、着地してみるまではわからない。鬼が出るか、蛇が出るか。はたまた、シンジかアイでも飛び出してくるのか。


「また溜め息ついてる」

「あ、ごめん」

「いえいえ。私は嬉しいですよ、わかりやすくて」

「あんまり褒められてないよね」

「そんな事ないですよ! ほら、何を考えてるのか全然わかんない人とか、たまにいるじゃないですか」

「まあ、そうだね」


 僕としては、何を考えているかわからない人の方が圧倒的に多いよ、とは言えなかった。こちらをじっと見つめるイマミヤから「そうやって、言いたい事を我慢するのって、嫌じゃないですか?」と聞かれそうで、大して渇いていない喉に水を流し込む。


「そういう人に比べたら、全然」

「そういうもんかな」

「ですよ」


 で、とイマミヤが一つ区切りをつける。このしゃべり口は知っている。誰かさんよろしく、「どうなんだよ?」とくるに違いない。出てきてほしくない時にばかり、やたらとあいつが連想されるのはどうしてなのだ。


「どうなんですか?」

「うわ、やっぱり」

「なんですか、やっぱりって」

「イマミヤ。案外、シンジと気が合うかも」

「どうしてそこで鉢坂先輩が出てくるんですか? やっぱり今日のこれって、二人で相談してたりしました?」


 たっぷりクリームの乗ったアイスココアをぐっとストローで飲み込んで、イマミヤが頬を膨らませた。僕は早速、話の着地点が見えなくなる。

 この間のカフェで一方的に色々と言われはしたけど、相談をした覚えは無い。それどころか、ドタキャンはひどいじゃねえか、と、不参加を表明したはずのお食事会の件で詰め寄られたくらいだ。


「それこそ、どうしてそこでシンジと相談になるの?」

「あれ。本当に違うんですか?」

「よくわかんないけど違うと思う」

「鉢坂先輩から連絡があったんですよ」

「なんて?」

「今がチャンスだよ、みたいな」

「なにそれ」

「そしたら本当に、あっさりOKの返事がくるじゃないですか」

「なるほど、それで」

「はい。絶対、一緒に来てて、ヘラヘラしながら付いてくるんだと思ってました。そしたらどうやってかなって、考えてたんですけど」

「あはは。ひどい言われよう」

「まあでも、鉢坂先輩には感謝ですね」


 みるみる内にアイスココアのカサが減っていく。氷の上にぷるりとしたクリームを残して、あっという間にグラスが空になる。

 よし、と一言つぶやいて、イマミヤは一つ深呼吸をしてみせた。


「せっかくだから、ちゃんとお話してもいいですか? ミホ先輩がどうとか、回りくどいのは無しにして」


 満面の笑顔ではっきりと言い切ったイマミヤは、有無を言わせぬ迫力を纏っていた。僕だって、多少はそのつもりで来たはずなのに、「うん」だか「んん」だかの全く気迫に欠ける返事を、なんとか返すのが精一杯だ。

 時刻は午後十三時半。過ごしやすいと思っていた陽気は、その範疇をあっさり飛び越えていた。エアコンは効いているはずなのに、窓際のこの席は、座っているだけでもじりじりと焼けるようだ。

 しょうがねえからお膳立てしてやったんだ。さあ、ちゃんとしろよ。

 頭の奥で、どこかの誰かが薄い笑みを浮かべてふんぞり返った、ような気がした。

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