第12話:夏の隙間に

 大学生の夏休みは長い。人や学部によっては違うのかもしれないけど、少なくとも僕のところはそうだ。七月末に試験が終われば、九月下旬まで、ほとんど休みのようなもの。思い思いに、そして自由に過ごせる貴重な時間だ。

 僕はそれを利用して、実家に向かっていた。大宮駅から東北新幹線で二時間弱。東京や上野を使わないのは、悪い事の起きるが高いからだ。盛岡で降りて十分程歩けば、実家のマンションが見えてくる。


「意外と早かったね。お父さん、まだ仕事だから適当にしてて」

「うん、ありがと」


 両親は元々、神奈川の人間なので方言には無縁だ。また、父は会社務めであるから、里帰りをしても、家業の手伝いが待ち構えている事は無い。洗い物や掃除を手伝ったりはするけど、昔は全然やらなかったのに、と気味悪がられる始末である。


「アイちゃんとシンジくんは元気? 同じ大学なんでしょ?」

「ああ、元気にやってんじゃないかな。たまに顔を合わせたりはするけど」


 そんなには、と曖昧に答えた僕に、母は「あらそ」と素っ気なく答えて、いそいそと家事に戻っていった。

 あれから、二人とはすっかり疎遠になっていた。大学で顔を合わせれば、二言三言の挨拶は交わす。ただし、それで終わり。じゃあ、とか、うん、とか曖昧に言葉を投げあって、通り過ぎるだけ。暗黙の了解で、お互いに距離を取っているのは明らかだった。


「はぐれたのは悪かったよ。けど、あれはねえって」

「ミホノちゃん泣いてたんだよ。すごいひどい事も言ったんでしょ」


 あの日の夜。へとへとになって帰ってきた僕は、すぐには寝かせてもらえずにいた。これでもかと言う位に、シンジとアイからお叱りを受けていたからだ。

 僕だって申し訳なく思っていた。少なくとも、涙がいくらかこぼれる程度には、傷付いていたつもりだ。そのせいか、申し訳ないと思う反面、反発する気持ちも強かった。

 あのまま二人でいれば、大きな事故に繋がっていたかもしれない。それならいっそ、断ち切ってしまう方が、お互いの為ではないか。ミホノちゃんにぶつけた心無い言葉を棚にあげて、自分を正当化した。

 意固地になった屁理屈を、待ってましたとばかりに、疲労と罪悪感が後押しする。顛末を話して頭を下げるという選択肢は、どこかに消えて戻ってこなかった。


「悪かったとは思うけど、これで良かったんだよ。実際、危うくどうにかなるとこだった」

「そうだとしても、言い方ってあるよね」

「お前は優しさが足りねえんだ」


 二人は真剣に怒ってくれた。そんな事は、無機質な記号の羅列をフィルターにしても、ひしひしと伝わってくる。

 あの場にしても、実際はミホノちゃんだけではなく、全員で待っていてくれたのだという。そればかりか、手分けして僕を探してくれていたのだ、と。たまたま、運悪く電話が繋がり、僕を見つけたのがミホノちゃんだっただけだ。

 そう聞かされても、僕は態度を変えられなかった。たまたま、運悪く、偶然にも。そういうフレーズにはうんざりしていた。素直になれなくて、なんて言えば耳障りが良くなるのかもしれない。実際はそんなに、可愛げのあるものではなかったけど。

 とにかく、その日を境に、僕達は顔を合わせる度に、ゼンマイの切れかけた人形のようなやり取りを繰り返した。

 一言、あの時はごめんと僕が謝れば、ミホノちゃんはともかく、他の二人はきっと笑って済ませてくれる。代償を払ったとしても、カフェのランチか、お好み焼きか、一週間分の学食……その程度のはずだ。

 それなのに。気が付けばテストを終え、休みに突入し、実家に戻ってきてまで、煮え切らない生返事を肉親に投げ返している。僕は一体、何をやっているのか。

 そうしてうだうだと考えている内に、父が帰宅し、キッチンから良い匂いがしてくる。悩んでいようが、迷っていようが、お腹はすく。僕は、二人が見ていないのを確認して、大きな溜め息を吐き出した。余計に、お腹が空になった気がした。


「勉強はどうだ」

「まあまあかな」

「そうか」


 父は、寡黙で口数の少ない人だ。しゃべる時はそれなりにしゃべるのだけど、食事中と運転中はほぼ無言。食後に母がお茶を淹れてきても、置物のようになっている事がざらである。

 テレビは付けない。カチャカチャと食器を動かす小さな音が、我が家の食卓の主役だ。かと言って、別に空気が重い訳ではない。食べ終わるのが妙に速い母が、途中からラジオのようにしゃべり出し、父は黙々と箸を動かす。それが清水家のペースであり、我が家の原風景なのだ。

 

「バイトとか、遊びは程々にしなさいよ」

「最低限だよ」

「本当かしら」

「まあ、社会経験は必要だ。お前は昔から」

「ぼおっとしたところがあるから、でしょ。わかってるよ」


 久しぶりの実家は、少々、様子が変わっていた。饒舌ではないものの、ところどころで父が会話に参加してくる。僕は少しだけ嬉しくなって、つい、いつも大学でシンジにしていたように、先を読んで答えていた。


「わかってんなら、しっかりしろっつうの」


 もちろん、そんな答えが返ってくる訳もなく、「そうか」との一言で父は静かになる。そうか、じゃあないわよお父さん、こういう時にびしっと言ってくれないと。母の小言は止まらないが、不思議と嫌な感じはしなかった。


「週末、少し付き合え」


 夕食の終わりに、父は自室に向かう途中で僕を誘った。こんな父ではあるが、これ自体はそう珍しくはない。突然「少し遠出するか」と言い出して、僕を男同士の散歩やドライブに連れ出すのは、昔から良くある事だった。

 そこには、本人なりの父親像とも言うべき何かが、確立されているらしかった。だから、僕の返事も待たずに父が自室に消えていっても、まあ断る理由も無いか、としか思わなかった。

 特に示し合わせた訳ではないのだけど、日曜日の朝にどちらともなく準備を始め、家を出た。運転席には父。僕は、助手席に乗り込む前に父の愛車をぐるりと一周して、入念にチェックする。指さし確認。目の前の道も視界は良好。大丈夫そうだ。


「変わらないな」

「気にしないで。少しでも安心したいだけだから」


 僕は、車に乗るのが凄く苦手という事になっている。逃げ場の少ない車や電車に、極力乗りたくないと思っているのは事実だ。新幹線にしても、フォルムは好きだが、中でじっと座っているのは苦手だ。

 いざ発車してみたら、後部座席や道の先に僕が転がっていました。そんな事にならないように、チェックは怠らない。もっとも、これは両親と出かける時だけで、普段はそれとなく視線を走らせているだけなのだけど。


「もういいか」

「もういいよ」


 かくれんぼのようなやり取りにくすりとするが、父には伝わらなかったようだ。よし、と呟いて、ハンドルの握り心地を確かめている。シートベルトを締め、それを横目で眺める。父は行き先を言わなかったし、僕も特に聞かなかった。ちょっとしたドライブだと思っていたからだ。

 だから、一直線に有名な牧場にやってきた時は、父の顔をまじまじと覗き込んでしまった。本当にここであってる? と聞いて良いものか。

 ここには、小さい頃に何度か来た記憶があるし、嫌いな場所ではない。しかし、大学生になって父と二人で、というのは不思議な気分だった。


「この辺りで良いか」


 父は芝生にごろりと横になると、僕を手招きした。今日って、どういうコンセプトなの? と聞こうとしたが、間が悪い気がして、黙って横になっておく。

 二人して、空を眺める。空の青と雲の白。一面に広がったツートーンカラーの下を、鳥が飛んでいく。景色が暖かい。東京とは、時間の流れ方が違う気がした。


「カナト。お前、大丈夫か」

「えっ?」


 あまりに唐突に、そして自然に投げ掛けられた鋭い質問に、どきりとする。父は寝転がって空を見上げたままだ。違う誰かに話しかけられたのでは、と錯覚してしまうくらい、微動だにしない。


「何かあったんだろう」

「何かって?」

「あのなあ。それを聞いているんだ」


 あのなあ。と間延びした言い方に、ああ、これは父の口癖だったのか、と気付く。風は無く、穏やかな陽気だ。


「……色々あるよね、人生って」

「そんな事を言うのは、二十年早い」

「二十年経っても同じ事言われそう」

「そういうもんだ」


 親にとって、子供はいつまでも子供、なのかもしれない。改めて父を見る。相変わらず真上を向いて、目を閉じていた。このまま寝てしまいやしないか、と心配になってきたところで、口が動く。


「お前が悪いなら、潔く謝ってしまえ」

「なんで」


 それを知ってるのさ。たまらず上半身を起こす。


「別に」

「どうでもいいか」

「そうじゃないけど」

「なら、そうしろ」

「……ていうか、なんだよいきなり」

「友達と喧嘩して、上手く謝れずに逃げ帰ってきた」

「ちょっと」

「そんな顔をしている。あながち間違ってもいないだろう」

「どうしてそう思うわけ」

「何年、お前の父親をしていると思ってる」

「それはそれは」


 それきり、父は何も言わなかった。説教らしい説教もなければ、結局、何があったのかも聞いてこない。

 ただ、ごろごろして、遠くから羊を眺め、オムライスとソフトクリームを食べただけだ。名物はジンギスカンだったのだけど、のんびりとした羊に癒された後ではどうにも気分が乗らなかった。会話が圧倒的に少ない事を除けば、どこにでもいる親子の夏休みだ。


「お前も大きくなったな」

「なにそれ」

「昔とは違う」

「そりゃあそうだよ」


 言いたい事がわからず、憮然とした態度になってしまう。それを見た父は、むしろ楽しそうにしていた。なんだか、僕が小さい頃より、よく笑うようになった気がする。そういえば昨日も、母の演じるラジオを肴に笑っていた。


「小さい頃はな。何があっても、ここに来ればお前はごきげんだった」

「そうだっけ? あんまり覚えてないや」

「だから今日も、もしかしてと思ったんだがな」


 なんだ、僕を元気付けてくれようとしていたのか。自然と顔がほころぶのを感じるが、あえて正反対の言葉を口にしてみる事にした。絶対にバレるだろうな、と思いながら。


「そんな単純じゃないってば。残念だったね」

「そんな事はない」


 一呼吸置いて「そんな事はないさ」と、もう一度、力強く頷く。父の背中は、まだまだ大きく見えた。

 それから数日をのんびりと過ごした僕は、帰りの新幹線でメッセージアプリを開いていた。シンジとアイの名前を探し、親指の先で文章を弾き出す。


「色々ごめん。会って話がしたい」


 たった十四文字の、遅すぎる謝罪の言葉。

 こんな一言で、二人に許してもらえるだろうか。そんな単純じゃないってば、残念だったね。自分の吐き出した言葉に思わず苦笑する。


「そんな事はないさ」


 その上から降ってきた力強い一言に、僕は親指をぐっと押し込んだ。

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