第11話:一つのおしまい
午後は女子チームのプラン通り、原宿から渋谷にやってきた。駅を出てすぐに出迎えてくれるスクランブル交差点は、何度渡っても慣れそうにない。僕はここで信号を待つ時、歴史アクションかファンタジーものの映画にでも迷い込んだ気分になる。
戦端が開かれるのを、武器を手に待つ兵士達。指揮官が馬に乗り、味方を鼓舞する檄を飛ばす。そうしている間にも、兵士はどんどん増え、整列していく。
気が付けば、僕は最前線に押しやられ、号令を待っている。合図がなされれば、やることは単純だ。全速力で駆け、敵の先頭にぶつかる。これだけ。
信号が青に変わり、塊となった人の群れが、縦横無尽に動き出す。前へ出ろ。行け。行ってしまえ。
「映画、ファンタジーとかアクションとかも観る?」
「ん? うん、カナトくんはアクションとか好きなんだ?」
「そうだね、結構好き」
変な事を考えていたせいで、つい聞いてしまってから、はっとする。僕は中学以降、ほぼ映画館に行っていない。自分から話を振っておいて、掘り下げられたら答えられない話題だった。
ちなみに、同じ理由で遊園地やテーマパークなんかも、あまり足を運んだ事がない。なるほど確かに、不本意ながら世捨て人に片足を踏み込んでいる気がする。
「もしかして、恋愛映画は寝ちゃうタイプとか?」
「そんな事はないけど」
「今度、映画に行ってみるのも楽しいかもね!」
ミホノちゃんは嬉しそうに、公開中の話題作のタイトルをいくつか口にして、この中ならどれが良いだとか、あれは面白そうだとか、話を広げてくれる。僕はそれに相づちを打ちながら、そんな日は来るのだろうかと考えていた。
この事情が一生ものなのか、ある日突然消えてくれるのかはわからない。でも少なくとも、今のままでは駄目だろう。途端に、人混みの真ん中に取り残されたような気分が忍び寄ってくる。
「大丈夫?」
「えっ」
「なんとなく、溜め息とか多めだから心配かなって」
「大丈夫だよ、ごめん」
「そんな謝る事じゃないよ」
そうだ。いくらなんでも、今このタイミングでこんな事を考えなくても良いではないか。隣を歩いてくれているミホノちゃんにも失礼になる。僕は意識して笑顔を作り直した。
渋谷では、原宿と同じようにいくつかの店を見て回り、カラオケに行った。僕は、以前の約束通りアップテンポなナンバーを披露し、やはり同じ歌詞に差し掛かったところで、シンジに盛大に笑われた。もう、あの曲はレパートリーから外して、聴いて楽しむだけにしよう。
個人的な決意はともかく、普通の大学生が過ごす、それなりに楽しい休日。それをざっくりとなぞったような、和やかな土曜日である。
「さて、どうすっか。お茶して帰る? 帰ってからお茶する?」
「帰ってからにしない? 最寄り駅が良いとは言わないけど、ちょっと疲れたかも」
「はあ。おじいちゃんもこう言ってるし、そうするか」
街がオレンジに染まり始めた十七時。誰がおじいちゃんだ、と言い返す気力も危ういくらい、僕の口数は少なくなっていた。慣れない場所に長時間いたせいで、ふとした瞬間にどっと疲れが襲ってくる。
一刻も早く、人混みから脱出して、のんびりと一息つきたい。こんな事を言い出すからおじいちゃんなのだろうけど、気が抜けてしまったものは仕方ない。
渋谷駅までの帰り道は、夜に向けて更に人が増えていくようだった。あるいは、選んだ道がまずかっただろうか。度々ぶつかりそうになる僕を、すっかり本日の定位置となった隣のミホノちゃんが気遣ってくれる。喜ぶべきなのか、それとも男として情けないと嘆くべきなのか。
「前の三人、朝からずっとあのテンションとか、凄いよね」
「本当に同じ人間なのかな」
「あはは、それは言い過ぎだけど。でもカナトくんも凄いよね」
「こんなに体力がないなんて?」
「もう、ネガティブすぎ! 違うよ! 今はともかく、全然、人混み苦手な感じには見えないし」
「見えないし?」
「自然に車道側を歩いてくれたりしてる。優しいよね」
本当にごめん、たまたまだよ。とは言わないでおいた。これからは意識してそうするという事で、許してもらおう。一応は好印象で渋谷を出られそうな事に、僕は安堵する。
「あれ?」
「どうしたの?」
「前の三人、どこいった?」
「本当だ。見失っちゃったかも」
気が付くと、人波に飲まれて、僕達は取り残されていた。隣にいるミホノちゃんと顔を見合わせる。駅に向かっているのだから、そこで落ち合えば良いのかもしれない。普通であれば。
「ちょっと電話してみる」
「駅に着いてからでも大丈夫じゃない?」
「いや。とりあえずちょっと」
「そう? じゃあ私はアイちゃんに」
「おけ、シンジにかける」
二人してスマートフォンを耳にあて、コール音を聞く。繋がらない。念の為、もう一度。駄目だ。どうやら、ミホノちゃんも結果は同じだったらしく、こちらを向いて首を横に振る。
「とりあえず、駅まで行けばなんとかなるよね?」
「まあ多分」
言った矢先に、僕の視線は正面の道に釘付けになる。
あそこに倒れているのは、まさか。
まずい事になった。心の中に生まれた苦々しい思いを、順番に噛み潰す。この人の多い渋谷のど真ん中で、前を行く三人とはぐれた。電話は繋がらず、二人きり。これが、意中の相手であるのだから、本来は喜ぶべきなのかもしれない。
しかし、僕にとってこの子は、意中の相手であると同時に、二人きりだと大変よろしくない相手なのだ。今日は一緒にイマミヤもいたので、忘れかけていた。
いや、本当は考えないようにしていただけだ。ちょっとくらい楽しんでも良いじゃないかと、タカをくくっていた。これはまた、僕の油断で、防げたはずの人為的なミスだ。
「まずい事になった」
「どうしたの?」
今度は口に出してみた。それで何が変わる訳でもないが、当然、ミホノちゃんが心配そうな顔で覗き込んでくる。僕はどう話したものかと考えを巡らせる。あまり時間は無い。
「説明が難しいんだけど。この道、まっすぐ行くのは、なんていうか」
「なんていうか?」
「そうだ」
「今度はどうしたの?」
「忘れ物!」
「わ、びっくりした」
人波の一部が一斉にこちらを向く。思ったより大きな声が出てしまったらしい。
「カラオケに置いてきちゃったのかな。先に行ってて、ごめんね」
早口で言うと、僕は曲がれ右をして走り出す。いったん距離を取り、ミホノちゃんと三人が合流したのを確認してから落ち合う。
きっとこれが最善だ。僕が先に三人を見つけるのも手の一つではあるが、ミホノちゃんに先行する手が思い付かなかった。
ひとまず、人通りの少ない方を選んで、いくつかの角を曲がる。どれくらい離れれば、あの死に様は消えてくれるのか。万が一にも知らない人を巻き込む訳にはいかない。その間にも、シンジ達に繰り返し連絡する。
焦る気持ちを上から押さえつけ、後にしろ、と言い聞かせて足を動かす。結局、こんなのばっかりか。僕は今日ここまでの時間を、自分で思っていたよりもずっと、楽しんでいたらしい。落差のあった分だけ気持ちが大きく揺れ、涙が出そうになる。
「アイか……良かった、繋がって。三人とも一緒にいる?」
足を動かし、手を動かし、何度目かの電話にアイが出た。
「うん、今は一人で。そっか、ミホノちゃん合流したんだ」
ミホノちゃんは僕を追いかけるかどうか、かなり迷ったらしいのだけど、結局は見失い、駅で三人と落ち合ったとの事だった。
「ここ? うーん、駅からちょっと、かなり離れちゃってさ」
辺りを見回す。現在地を確認するというよりは、新たな脅威を警戒する為に。読み間違えない、その為に。
「なるべく早く戻るよ。うん、ありがとう。あ、先に帰っちゃって大丈夫だから」
電話を切って、ようやく大きく息を吐き出す。僕は、そこかしこに紛れ込んだ可能性を避けて、駅からどんどん離れていた。丸一日待ったからには、そう簡単には逃がさないぞ。そう言われているような気がした。
奥まった道を覗き込む。こっちは駄目。反対側へ渡り、大通りを避けた裏道を確かめる。こっちも……アウト。何かに追い立てられるように、ジグザグに移動させられる。
夕焼けのオレンジは役目を終え、辺りは薄暗くなってきていた。
焦らなければ大丈夫、帰れる道を探そう、と冷静に思考を働かせる。その後ろから、もう諦めろ、と自暴自棄になる僕が付いてくるようで、嫌な汗がにじむ。
その時、ポケットから着信を告げる振動が響いた。出るか出ないか、この選択にさえ、命がかかっているような気がして、びくりとしてしまう。
「忘れ物、見つかった?」
「……それがどうにも。ごめんねいきなり。みんな、先に帰ってくれた?」
「そう思ったんだけど、気になったから何となく。今どこ?」
ミホノちゃんだった。勝手に引き返して、それっきり。普通に考えれば帰ってしまって当たり前だし、僕としてもそうしていて欲しかったのに。申し訳ないけど、特にこの子には。
「忘れ物……っていうかもう落とし物かな。お財布とかだったら交番とか、早めに届けた方が良いよ。それから、一緒に探してみようよ」
「いや、大丈夫だから先に帰っちゃってて良いよ。今日は楽しかったし、また今度、改めて」
「せっかく楽しかったのに、最後によくわかんないまま先に帰るとか、嫌だなって」
未だに出現を止めてくれない新たな可能性。これらが、まだミホノちゃんが近くにいるからなのだとしたら。
僕は、最低に近い考え方をしている事に舌打ちをする。それなのに、それを頭から追い出す事は出来ず、それこそが正しい気がしてくる。
僕の中で、溜め込んでいたナニカが、疲れと苛立ちを養分にして、育っていく。ミホノちゃんの優しさを、真上から踏み潰そうとする、そんなナニカだ。
「いいから先に帰って。待ってられると困るんだよ」
「困るってそんな。あ、わかった。もしかして落とし物って、私に見つけられるとまずいものとか?」
「違う」
「じゃあどうして? 私、何かしちゃったのかな?」
「そんな事ないって」
「あ、いた! 待ってて、そっちに渡るね」
弾むような声に、僕は目を見開いた。通りの向こう、赤信号の前でミホノちゃんが手を振っている。待っているどころか、探してくれていたなんて。
しかし、僕にはそれを喜ぶ事など、許されてはいない。ミホノちゃんの出現とほぼ同時。早速、横断歩道の真ん中にうつ伏せの僕がぼんやりと見え始める。このタイミングで横断歩道を渡ってこられたら、本当にまずい。
その笑顔がどんなに眩しくても、君がどれだけ優しくても、僕には一人で近付く事も出来ない。胸がずきりとする。よく知っている痛みだ。それなら、いっそ。
「こっち来んなよ」
「え」
「面倒臭いんだよ。一人で良いっつってんのにさ」
「そんな、言い方しなくても」
「うるせえな」
「……!」
「今日だって、シンジのやつに騙されたようなもんなんだ。あーあ、一日ムダにした」
「でも」
「いいから帰れよ、邪魔なんだって」
スマートフォンを握る手に力がこもる。彼女を斜めに睨み付け、何か言おうとした上から、罵声を重ねる。
僕は泣いたりしていないか。言葉通りの、ムカつくやつを演じられているだろうか。
まだ切るな。最後だ。彼女の言葉で終わらせるんだ。引き結んだ唇は、錆びた鉄の味がする。雑踏の中で沈黙を噛み締めて、答えを待った。
「そっか。わかった……無理させてごめんね」
電話口から、優しい声がした。あの子は僕の事情は知らないはずだ。それなのに、そんな声で無理させてごめんなんて言われたら。
どっちの意味なのか、わからなくなるじゃないか。僕は熱くなる目頭を何とか黙らせようと、ギリギリと奥歯を擦り合わせる。
「それじゃあ、ね」
そうして彼女は、電話を切って、ゆっくりと後ろを向いて歩き出した。それを見届けて、僕も反対方向へ走り出す。あの可能性を消さなければいけない。
肺が悲鳴を上げ、ふらふらと立ち止まったところで、空を見上げた。街の灯は明るくて、星は、見えなかった。
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