第10話:みんなで行けば怖くない

 土曜日。平日に降り続いていた雨が嘘のような、梅雨の隙間の貴重な晴れ間。

 多少の湿気を含んではいるものの、頬を撫でる風は心地よく、絶好の行楽日和である。原宿の駅前は、その恩恵を享受しようという人で溢れ返っていた。


「なにこれ」

「どうよ、パラダイスだろ」

「あのなあ」


 僕は、満足げに腕を組むシンジにだけ聞こえるボリュームで不満を述べる。パラダイス等という返事のセンスに物申すべきか、全く聞きたい内容にかすってもいない事を問い詰めるべきか。尊大な態度の悪友から目をそらすと、自然と竹下通りが視界に入る。

 隙間無く敷き詰められ、不規則に揺れる人の波。ここをキレイに通るには最低でも五年の訓練が必要です。そう言われたら、嘘だろうとは返しつつも、少しだけ信じてしまいそうだった。


「だって見ろよ、すげえだろ?」

「ああ。本当にあの中を歩くのか……」

「はあ? 何言ってんだ。ミホノちゃんとデートだぞ」

「デートねえ……」


 僕とシンジの二、三歩前には、アイ、ミホノちゃん、そしてイマミヤが並んでいる。どこそこのお店は絶対に見たいであるとか、スマートフォンで入念にチェックしながら盛り上がっているようだ。

 犬猿の仲であるはずのアイとイマミヤが、和やかなトークに花を咲かせている。確かにこれは、ある意味「すげえ」と叫ぶべきなのかもしれない。

 アイの方は先日の事があるのでまだわかる。というより頭が下がる思いだ。問題はイマミヤ。いつの間にアイと休戦協定を結んだのやら、検討もつかない。じっと眺めてみても、屈託無く笑うその表情から何かの企みを読み取る事は、少なくとも僕には出来なかった。


「今週、友達みんな都合つかなくなっちゃったみたいなんです。ごめんなさい! せっかく予定も空けてもらってますし、二人で遊びませんか?」


 手のひらはこのようにして返します、というお手本のような、イマミヤからのメッセージだ。これが届いたのは僕が熱を出した翌日、つまりは水曜日。人が寝込んでいる間に散々、シンジと共に予定の詳細を波状攻撃してきたにも関わらず、である。


「それは残念、じゃあ中止だね。シンジにも伝えておくよ」

「おい、本気かよ? メイちゃんとデートすんの?」


 入れ違いに飛び込んできた文字列に、僕はスマートフォンの電源を切って放置したい衝動に駆られる。イマミヤのやつ、僕の返事を聞く前から、同時進行でシンジにも連絡していたのか。強引に押せば何とかなる事ばかりでは無いのに。


「誤解だから。友達の都合が悪いとかで中止だって」

「なんだ、おかしいと思った。ちなみに週末、まだ暇してんだろ?」


 片方をお断りしておいて遊びに行くのは気が引ける。少し迷ったが、僕は筋を通そうと試みる。


「いや、バイト入れるか聞いてみてるから多分きびしい」

「それ、キャンセルな。こっちが先約だろ」

「イマミヤ断ってるし、ややこしくなりそうで嫌なんだって」

「やっぱり空いてるんじゃねえか」


 僕のまわりには、強引に押せば何とかなると思っている人間が、少なくとも二人はいるらしい。長々と文字を飛ばし合うのも億劫で、着信履歴からシンジの名前を探す。


「原宿駅前に十一時、遅れんなよ」

「あのなあ。大体、二人だけなら原宿とか行かなくてもいいだろ」

「人混みは苦手~! かよ」

「知ってるだろ」


 人が多い場所は、それだけ色々なが上がる。どうしてもでなければ、足を運びたくなかった。最初にこの話をした時、シンジは珍しく眉を八の字にして「カナト、お前、将来どうすんだよ」と言った。余計なお世話だ。


「十三時ならいいのかよ」

「ご飯を食べてからいくかどうか、じゃなくて」

「じゃあ十一時」

「場所を変えてくれ」

「行きたい店があるんだって。そこさえ寄ってくれれば、後は巣鴨でも、浅草でも」

「お年寄りに人気の街ばっかりじゃないか」

「偏見だな、浅草と巣鴨に謝れ。それとも何か思うところでもあんのかよ」


 合コンが中止になった憂さを、この場を借りて晴らされている気がしてならない。先のお返しに問答無用で電話を切ってやろうか。


「切るなよ」

「どこから見てるんだ」

「本気で切ろうとしてたのかよ、とんでもねえな。ま、後の行き先はともかく原宿に十一時でいいだろ? ヤクソクだ」

「約束ってのはもっと、お互いに納得してするものだと思うんだけど」

「あーあ、そうかよ。昨日は連絡のつかない親友を心配して、一日駆け回ったっつうのに。アイちゃんにも迷惑かけたな。なんか俺も悲しくて寝込みそう」


 俺が寝込んでもお前は来てくれねえんだろうな。あーあ、としきりに繰り返すシンジに脱力してくる。僕が引け目を感じるであろう事を見越した演技だ。駆け回ったのはお前じゃなくて、お前のスマートフォンから飛ばされた働き者の電波とか文字列のデータだろう。そんな見え透いた手に乗ってやる訳にはいかない。それとこれとは、別問題なのだから。


「わかったよ……状況によっては遅れるかも」

「おけおけ、そしたらなんかおごれよ」

「ひどい話だ」

「そう言わずに楽しくやろうぜ、じゃな」


 内心の断固たる決意を無視して、言う事をきかない口が真逆の文言を吐き出した。一呼吸あけて入ってきた「わかりました……残念です」とのイマミヤからのメッセージに、罪悪感がチクリと胸を刺す。まあ、仕方ない。押し売りに近い借りだとしても、早めに返しておくに越した事はない。これでフラットに戻ったのだ。そう自分に言い聞かせた。

 ここまでで、いくらか僕の内面が削れはしたものの、週末の話は終わりになったはずだった。木曜日、金曜日にもさしたる問題は起こらなかったし、大学でイマミヤと顔を合わせる機会も無かった。

 強いて問題らしきものを挙げるなら、金曜日の一限を欠席した事くらいだ。理由は例によって僕の事情による。どうやらこの授業が、僕とミホノちゃんが唯一まともにカブっている講義だったからだ。つまり最悪の場合でも、僕が単位を一つ諦めれば、今年の問題は概ね解決する。

 一応の落とし所まで見つけて、僕は油断していた、という事になるのかもしれない。


「もう少し、俺に感謝しても良いくらいだぞ」

「ちゃんと教えといてくれたら、そういう気にもなったんだろうけど」


 土曜日、原宿駅前に十一時。何事もなく到着したかと思えば、これである。昨日の一限いなかったよね、と心配そうなミホノちゃん。今日は頑張りましょうね、と謎の決意を口にするイマミヤ。本当に言ってなかったんだ、とやや同情の色を見せるアイ。いつも以上に、したり顔のシンジ。

 顔ぶれとアイの一言から、僕はシンジにはめられたのだとわかった。つまり、水面下でイマミヤをなだめ、アイとミホノちゃんに声をかけ、僕をおびき出した。原宿にやたらと拘っていたのもその為だ。


「男二人で反省会って聞いてきたんだけど」

「男女五人でお食事会の方が、どう考えても有意義だろ」

「意義あり」

「な? 有意義だろ?」


 変な言葉遊びをするな、と詰め寄る途中で、三人から声がかかる。大体のプランが決まったらしく、早く行こうとの仰せだ。


「もしかしてまだ本調子じゃなかった? 大丈夫?」

「ありがと。もう本当に大丈夫」

「そっか、ちょっと元気なさそうに見えたから」

「ああ、えーと。今日ってどういうあれなのかな、と思って」


 我ながら、何も知らずに来ました、とプラカードを掲げるような聞き方で恥ずかしくなる。よりによってどうして、この残念な質問をミホノちゃんにぶつけているのだ。

 シンジは僕の質問をスルーして、チラチラとこちらを気にするイマミヤにあの手この手で話しかけている。反対側からアイも加勢し、猛獣をどうにか手懐けようとしている風に見えなくもない。

 二人のおかげで、こうしてミホノちゃんと話す時間が出来ているのだし、感謝するべきなのかもしれない。しかし、自身も定期的に振り向いては、ぎこちない様子の俺に笑いを堪えるシンジを見ると、そんな気持ちは吹き飛んでしまう。面白い玩具の一つにされるのはごめんだ。


「え! じゃあ本当に、何も知らずに待ち合わせだったの?」

「そうなんだよ、流石にひどくない?」

「あはは。それはひどいねえ」

「ちょっと説教してやらないと」

「よし、私も応援する」


 ミホノちゃんとの会話は、純粋に楽しかった。午前中に彼女から聞いたのは、都内の出身である事、姉と妹がいる事、映画が好きでよく見るが、ホラーはあまり得意で無い事。それくらいだ。

 驚きのネタが飛び出した訳ではないのに、テンポとノリがちょうど良くて、会話が弾む。本当に、話し上手の聞き上手というやつだ。


「思ってたより、全然いけそうですね」

「朝も頑張りましょうとか言ってたけど、それどういう意味?」


 いきなり竹下通りは難易度が高い、とのよくわからない理由で表参道を歩き、竹下通りを抜けた辺りで左に折れる。いくつかのショップを覗き、服や小物をぼんやりと眺めて回った。手近なカフェでランチを注文したところで、イマミヤのこの発言である。

 僕は結局、今日の経緯をざっくりとしか把握出来ていないままだ。シンジがどのようにして僕をダシに使ったのかであるとか、イマミヤが大人しくしている理由であるとか。


「だって克服したいんですよね?」

「何を? っていうか、僕が?」

「そんな事より午後は渋谷もいくんだろ? 楽しみだよな」

「シンジ、ちょっとうるさい」


 話の矛先を掴んで放り投げようとするシンジを制して、イマミヤに先を促す。


「カナ先輩、こういうお店とか、人混みとか、苦手だって聞きました。本当は凄く行きたいのに緊張しちゃうから、力を貸してほしいって」

「なるほど、本当は凄く行きたいのに。それをこいつが」

「はい。本人には、プレッシャーになるから、楽しみとか、あんまり当日まで言わないであげてほしいって」

「そうそう。私が聞いたのもそんな感じ。ね、シンジくんどういう事かな?」


 ミホノちゃんがすかさず、先の宣言通り、援護射撃に回ってくれる。みんなの注目を浴びたシンジは、へらりと笑った。これは、大して悪いと思っていない顔だ。


「二人より、みんなの方が楽しいと思ってさ。カナトも心強いだろうし」

「みんなで行けば怖くない、みたいな?」


 それな、それ言いたかった! ミホノちゃんの言葉にはしゃぐシンジを見て、僕は溜め息をつく。我が意を得たり、とシンジは更に声を大きくして、自慢げにこう続けた。


「行きはよいよい、帰りはこわいってやつ?」


 多分、それは別の、駄目なやつだと思う。僕は、シンジにしっかりと冷たい視線が集まったのを確認すると、登場したカルボナーラに意識を集中させた。

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