第7話:あの子といれば
降り出した雨は、日が落ちたはずの時間になっても止む気配が無かった。黒を多めに注いだ灰色の雲を、とっくりとかき混ぜる。そうして出来上がった空の上から、丁寧に水を垂らす。多すぎず、少なすぎず。どしゃ降りの手前から、小降りの少し先を行ったり来たり。
「もしかして俺、ちょっとミスった?」
「だいぶ」
「ダイブかあ」
「なにコソコソしてるんですか? せっかく、雨でカナ先輩の予定が無くなったのに」
この空模様は、まだしばらく続きそうだ。僕は週末以来となる溜め息を作り出して、丁寧にそっと手放す。
大学の近くにあるファミリーレストランは、ガヤガヤとした喧騒に包まれている。諦めにも似た雨宿りであったり、夕食にやってきたご近所さんであったり、そこを勉強場所もしくは溜まり場と決めている学生であったり。
その中で、最もこの空模様とシンクロしているであろうテーブルが、何を隠そうここである。正確には、このテーブルの、僕一人だけかもしれないけど。
「全然やまないですね、どうしましょうか!」
「嬉しそうに言うなよ。もう諦めてコンビニまで走ろうか」
「まあまあ。晩飯くらいはゆっくりしようぜ」
ここにいるのは僕とシンジ、そしてイマミヤだけだ。元々、予定があると言っていたミホノちゃんは早々に退場。腑に落ちない様子だったアイも、雨と時間を気にして帰ってしまったから、何か用事があったのだろう。
僕もその波に是非とも乗りたかったのに、気が付けばずるずると、窓際のテーブルでドリアを注文している。先週末からの僕は、何とも地に足が着いていないようで歯がゆくなる。
「聞いてますか? カナ先輩ってば」
「ああごめん、なんだっけ」
「今週末ですよ。どこか遊びに行きませんか?」
「残念。先約ありだよな、カナト」
イマミヤが眼光鋭くシンジを威嚇する。よし、頼むぞシンジ。元はと言えばお前が、とりあえず飯でも食って考えようぜ、なんて言い出したからいけないのだ。援護射撃はあって然るべきだろう。早めに、出来れば穏便に、それぞれの帰路に着く展開に持っていってくれると嬉しい。
「週末は合コンだもんな」
「え! そんなのより私と遊んでくださいよ!」
「そんなの、行くって言ってないぞ」
「二人してそんなそんなって言うけどな。今回の面子はすげえ苦労して……」
「はいはい。じゃあカナ先輩は空いてるって事ですよね?」
「いや、空いてる訳でもないんだけど」
「だろ? カナトはトモダチオモイだもんな?」
「ええ、結局そっちに行くんですか? じゃあ私も行きます!」
「いやいやメイちゃん、流石にそれは」
期待するんじゃなかった。まさかここで、行くとも言っていないお食事会の話が出てくるとは。こじれていく一方じゃないか。
僕は二人の会話を意識の外に置くよう心がけて、窓の外を眺める事にした。結局、ミホノちゃんとの相性……危険度はわからず終いだ。一時間近く、平穏無事に会話を出来たのだから大丈夫なのかもしれない。でも、このイマミヤが登場した事で、結局はどうなのか、わからなくなってしまった。
「私と先輩には、運命的な何かがあるんですから!」
「ナニカってなんすか、相変わらずぶっとんでんね」
「うるさいなあ。一人でコンビニでも合コンでも行けばいいじゃないですか」
眺めているだけなら、雨も嫌いじゃないのにな。と、くつろいでいる場合でも無さそうだ。そろそろ止めた方が良いかもしれない。
シンジは後輩をからかって遊んでいるつもりらしいのだけど、イマミヤは本気だ。一人でコンビニでも合コンでも、にしろ、運命的なナニカ、にしろ。
「あんな何年も前の偶然、もう忘れちゃっていいよ」
「いいえ! 今、こうして私が生きているのは先輩のおかげです!」
高校二年生の秋、僕はイマミヤの命を救った事がある。学校帰りの僕と、忘れ物を取りに戻る途中だったイマミヤは、工事現場の前でたまたますれ違った。そこで立ち止まって電話を始めたイマミヤに、たまたま倒れてきた資材。それに間一髪で気付いた僕が、ギリギリのところで彼女を救出した。非常に良く出来た、ギリギリとたまたまのオンパレードだ。
「あの時、先輩が身を挺してかばってくれなかったら……」
「本当に大した事してないよ」
イマミヤからすれば確かに、命を救ってくれた、となるのだろうけど、この言い方は正しくない。僕の死に様の上で運悪く彼女が電話を始め、それに気付いた僕が飛び込んだ、が正解。つまり、彼女を危険に晒したのはそもそも僕が原因というわけ。命を救ってやったぞ、なんて尊大な態度でふんぞり返るのは、アタリ屋のようなものだ。
その頃、ちょうど例の転校生の件で、僕は自暴自棄になっていた。ちょっとした死に様であれば……なんて言って良いものかはわからないけど、慎重に避ける事すらしなくなっていた程だ。
だから、工事現場の資材に潰されたであろう自分を見ても、僕はその脇をすり抜ける道を選んだ。倒れてくるなら倒れてくれば良い、とさえ考えていた。そうして僕がやさぐれている間に、資材が倒れるところまで、未来は確定してしまった。素通りした僕をほったらかしに、かわりに他人を巻き込んで。
無視しても良いよ。まあとりあえず、これは倒しとくね? 振り向いた僕は、意地悪な誰かの声を聞いたような気分で、走り出していた。
迷いはあまり無かった。例え倒れてくる資材に飛び込もうとも、僕自身に重ならなければ死ぬ事は無い、というおかしな確信があったからだ。
近付けば近付く程、引力のようなものは増すので、危険だった事に変わりはない。無事だったのは、まさしくたまたまだ。イマミヤは無傷。僕は骨折と打撲で全治しばらくの大怪我。まあ死ぬよりマシ、というやつだった。
「あんなドラマみたいな経験、普通は出来ないですって」
運命ですよ、運命。と息巻くイマミヤ。本当は僕の油断と慢心が招いた、とんだ自作自演だと言うのに。そんな訳で、妙な後ろめたさもあって、僕はこの強引な後輩を邪険にしきれずにいる。何から何まで、後手後手である。
「いやあ本当、天敵って感じだよな」
「笑えないって」
結局、更に一時間ほど時間を潰したところで、三人でコンビニまで走る羽目になってしまった。傘を手に入れた時点で既に全身ずぶ濡れ。イマミヤを最寄り駅まで送り届けた頃には、僕の顔はすっかり疲労の色に染まっていた。
似たような顔で、隣をのしのし歩くシンジの迫力もあって、僕達はきっとよろしくない絵面になっている事だろう。空模様とは裏腹に、晴れて立派な、ガラの悪い不審者の仲間入りだ。
「でもよ、実際のとこ、メイちゃんも悪くはねえ気がするけど?」
「よせよ」
「いやいや、これはガチな話でさ」
本当に本気の話なら、ガチとか言うな。
こう返すと、お前は何時代から来たんだよ? と笑われるので、心の中で悪態をついておく。それに、遠回しな冗談半分の言い方ではあるけど、シンジの言わんとするところもわからなくはない。
実はイマミヤの話には続きがあるのだ。その一件があって以来、僕はイマミヤと一緒にいる時に、自分の死に様を見た事が無い。一緒に命の危機を乗り越えたからなのか、理屈はわからない。とにかくイマミヤは、僕の安全地帯に認定されたらしかった。
だから、危険度を確かめたいと思っていたところに彼女が現れた事は、よりにもよって、と言わざるを得ない。
「あの子といれば、お前は毎日スプラッタを見なくてすむ」
「かもしれない」
「強引だし、しつけえし、空気は読まねえけど、悪い子じゃないと思うわけよ。何よりかわいいし」
「それ、ちゃんと褒めてる?」
「ダイサンジだろ。どうよ、いっぺんちゃんと向き合ってみるとか」
「大……賛辞? それ、止めた方がいいぞ。アホっぽい」
「うるせ。んでどうよ?」
「う~ん……」
あ~あ、脈無しかよ。変なとこで頑固だからな、仙人様は。あからさまに渋い顔をする僕に、シンジは傘ごと、うんと伸びをして唸る。
ミホノちゃんを積極的に紹介してきたかと思ったら、今度はイマミヤの肩を持つ。こいつは、僕を誰かとくっつけるとご褒美でももらえるのだろうか。その内、もうめんどくせえからアイちゃんとくっついちまえよ、とか言い出すのかもしれない。
「とりあえずさ、週末は来いよな」
「週末か……」
「おいおい。お前が来ねえと、メイちゃんも友達連れて帰っちまうだろうが」
「人をダシにしておいて」
「しょうがねえだろ。それとも、あそこで一晩明かす気だったのかよ?」
雨が止まない事を喜んですらいたイマミヤを、すんなりと帰らせた方法。それは週末のお食事会の開催である。ちょうどご飯を食べ終わったところで、シンジの元に一通のメッセージが入った。それは、本来予定されていたお食事会のキャンセル連絡であり、同時にシンジとイマミヤがタッグを組んだ瞬間でもあった。
「先輩、このままじゃいつになっても帰れませんよ。困りましたね」
「そうだぜ、無事に帰って家でゆっくりしたくねえのかよ?」
はたから聞いたら事件のにおいがしてきそうな殺し文句だ。しかしこれに、僕は大した抵抗もせずに降参した。こんな強引な話は無効に決まっている。後から断れば良いだろうと、帰宅を優先したつもりだった。
それなのに、である。シンジと別れた後も、二人は華麗な連携プレーで、包囲網を狭めてきた。僕は逃げ場を探し、あれこれと言い訳を繰り返し、そして空振りを続けた。
そんな事をぐるぐるとやっていたせいなのかどうなのか、僕はこの翌日、高熱を出して寝込んだ。言い訳の出来ない、完璧な風邪である。
その間、転がしておいたスマートフォンには、少しばかりのお見舞いのメッセージと、細部まできっちりと詰められた土曜日の詳細が送りつけられる事になる。
人生は、そう簡単には思う通りにならないもの、らしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます