第6話:やっぱり駄目かも
「とりあえず、掲示板のとこに三時な」
「駄目だと思ったら、本当に無理しないで逃げてよ? 後はなんとかするから」
「慌てて逃げようとして滑って転んでそれっきりとか」
「笑えない。馬鹿な事、言わないで」
「ごめん」
お好み焼き屋での決意表明から、週が明けて月曜日。僕達は、朝から作戦会議に余念が無かった。段取りはいたってシンプル。アイがミホノさんに声をかけ、僕はシンジと掲示板の前で待つ。先週の事を謝り、少しだけ話をして……危険度を見定める。
本当は、二人を巻き込むつもりは無かった。ミホノさんが、僕にとって命のトリガーとなってしまう相手なら、二人を危険に晒す事は避けたかった。しかし、不本意ながら僕は、昨日の時点で白旗を上げていたのだった。
「じゃあ私が呼んできてあげる。連絡先は交換してるし」
「やっぱ掲示板のとこじゃねえかな。見通しも良いし、フラグも立ちにくいだろ」
「あのさ、二人とも。僕の話、聞いてた?」
お好み焼き屋でひとしきり話が落ち着くと、二人は当然のようにプランを立て始めた。鉄板焼の残りをつついて、僕は不満を口にする。
「だから、もう一度会って謝って、危ないかどうかを確認するんでしょ?」
「だから、金曜の一限に講義室で顔を合わせちまったら、講義ごとやべえかもってんだろ? 早い方がいいよな」
「だから、その後だよ。僕が一人で話してくるから、二人は待っててほしいって言ってるのに」
趣旨が伝わっているように見えて、肝心な部分がすっぽり抜けている。これでは何の為に事情を話したのかわからない。
「俺達って知り合って何年だ?」
「いきなりなんだよ、高校からだから五年目だろ」
「だよな。アイちゃんはもっとだろ? お前さ、これを話して、じゃあ頑張れよ、遠くから応援してる、なんてさ。俺達が言うとか本気で思ったのかよ?」
「ね、心外だわ。一年以上も嘘つかれてたのだって頭にくるのに」
アイはやはり思うところがあったらしく、ここで怒りを爆発させた。シンジも一語一句をわざと噛み締めるように繋いで、ありえねえだろ? と口の端を持ち上げている。「ありえねえ」のに、どうしてそこで笑うのだ。
「大体な、ミホノちゃんを見つけたのは俺だぞ。俺には権利があるんだよ」
「権利とかそういう問題じゃ」
「うるせえ。あのカナトがひとめぼれだぞ。こんな面白いネタほっとけるかよ」
「そうだよ、うん。ほっとけない」
「どうしても協力させねえってなら、勝手にやるからな。俺だってミホノちゃんの連絡先は知ってんだ」
さあ、どっちがいいんだよ?
シンジの顔が悪巧み一色に染まる。僕が半日以上かけてうんうんと唸り、やっと固めた決意はなんだったのだ。あっさりと、ペースを掴まれてしまっているではないか。この男は本当に一人でも動きかねない。実際、ミホノさんを連れて僕の前に現れたのだから。
「本当に、危ない目にあっても知らないから」
この情けない台詞が僕の、ささやかにして最後の抵抗だった。あれやこれやと言いくるめられて、鉄板焼が完全に片付く頃には、大勢は決していた。
「で、会ったらまずはどうすんだ?」
「とにかく謝る」
「あっはっは! だよな!」
「……ミホノさん、何か言ってた?」
そしてあっという間に、こうして掲示板の前である。探りを入れた僕に向けて、シンジはいつものように口元に薄い三日月を作った。面白くてたまらないといった様子で、目には強い光が宿っている。長年の付き合いでなかったら、お近づきにはなりたくない迫力だ。つまり立派な、ガラの悪い、不審人物である。
「それ聞くの遅すぎじゃね?」
「いや、そうなんだけどさ」
「ミホノちゃん、めちゃくちゃキレてたよ。会ったらとりあえず、グーパンチだって」
「うそだろ」
「ウソだよ」
シンジはそれ以上、何も言わずに肩をすくめてみせた。俺が、こうだったぞ、とか話したところで意味ねえだろ、という事らしい。
僕は自分に喝を入れる為に、グレーのパーカーの袖をまくる。
低い空には分厚い雲がのしかかり、今にも落ちてきそうだ。せめて気持ちだけでも、持ち上げておきたい。
「来たな」
「……うん」
「お~お、カタいね。リラックスしろよ。下界は久々か? 仙人様」
「うるさいな」
休講やら何やらを貼り出す掲示板は、その目的を果たす為、目立つ場所に設置されている。ただし基本的に、そうした情報は大学のサイトで確認出来るので、形骸化している感は否めない。
大事なのは、この場所はよく見えるし、この場所からの視界も良好である、という事だ。
ミホノさんは遠目からでもすぐにわかった。濡れ羽のような黒髪は、どんよりとした空の下にあっても独特の艶を含んでいる。雪のように白い肌と、朱をさしたような唇。少しだけ色素が薄く、灰を帯びた瞳。
僕は、両手いっぱいに抱えていたはずの緊張と不安をストンと取り落とし、その姿に見とれていた。この世の神秘は、今日この場所に集っているのだ。とか、考えてみたりして。
ミホノさんは、楽しそうにアイとしゃべりながら近付いてくると、こちらに気付いて軽く手を振ってくれた。どうやらそこまで怒ってはいないらしい。そして何より、今のところではあるけど、不穏な気配は見られなかった。
「清水くん、こんにちは。もう平気? 大変だったね」
「え? ああ、うん。もう平気」
「っていうか、カナトでいいよ」
カナトでいいよ、なんてフランクに返したのはシンジだ。声色を真似ようとしている風なのが鼻につく。その隣で「もう平気?」の意味を図りかねて、もごもごと返事をしたのが僕である。
「シンジ、勝手な事を言うなよ。長岡さん、困ってるだろ」
「ミホノでいいよ、カナトくん」
こっちは本物のミホノさんだ。いたずらが成功した子供のように、くすりと笑う。僕もつられて、へらりと表情筋をどうにかする。
「ふうん」
「なんだよ」
「本当に急に吐き気がして、なんとか帰ったけど連絡も出来ず、週末ずうっと寝込んでた割には元気そうだね。カナトくん」
再び彼女に見とれかけていた僕に、アイが横からぶっきらぼうな説明を放り投げた。普段、カナトくんなんて呼ばない癖に何を怒っているのやら。
とは言え、少々わざとらしくはあるが、言い訳まで用意してくれていたらしい。連絡も出来ず、はともかく、週末ずうっと寝込まなくても良いのに。外で見られでもしていたら、辻褄が合わなくなるところだ。
ひとまず助かったのも事実なので、これを口から落っことしたりはしないけど。
「本当にごめんね、ミホノさん」
「ミホノちゃんでいいって」
「シンジ!」
「あはは、二人って面白いね。ちゃん付けでも呼び捨てでも、大丈夫だよ」
ミホノちゃんはよく笑う子だった。聞き上手で話しやすく、おまけに、見た目の凛とした雰囲気よりずっとノリが良かった。
「なんか大丈夫そうだな」
「大丈夫って?」
「ああ。こいつさ、初対面からやらかして、めちゃくちゃ落ち込んでたんだよ」
「本当。今のだらしない顔が嘘みたいにね」
この二人は、僕をサポートしに来てくれたのか、それとも陥れに駆けつけたのか。思うところはあるものの、その後も和やかに会話は進んでいく。飲み物を片手に手近なベンチに腰かけ、用事があるというミホノちゃんの隙間時間をおしゃべりで埋める。
この間の事は本当に、偶然に偶然が重なっただけなのかもしれない。ここには確かに、僕が望んだ平穏でけだるい、そして少しだけ刺激的な日常があった。
理想が低い、と怒られてしまうかもしれないけど、こんな時間がずっと続けば良いと、そう思う程に。
「あっ! やっぱりカナ先輩だ~!」
しかし物事は、そう簡単にはいかないらしい。ボウル一杯の砂糖を溶かして、上からシロップをかけ、ホイップクリームを添えました。そんな甘ったるい声に、僕はがっくりと肩を落とす。
「お、メイちゃん久々じゃん。元気?」
「珍しいですね、伏見先輩じゃない女の人と一緒とか」
「なんでこんなとこに」
「なんでって、ここ、必ず通りますし?」
少し離れたベンチに移動したとは言え、この場所は目立つ。大抵の学生が、一日に一度は通ると言っても過言ではない。つまり、想定外の誰かさんが僕達を見つける確率も、決して低くはない。
それを証明するように、ある意味では最も会いたくなかった内の一人が、僕達の前に現れた。
シンジの挨拶を華麗にスルーして、身を乗り出すように話しかけてきた女の子は
「ゆっくりおしゃべり中って事は、この後、暇してたりします?」
「ごめん、この後はちょっと忙しいんだ」
「そうなんですね……せっかく同じ大学に入れたのに、なんかいっつも忙しそう」
そう、彼女だけは二人と違い、意図的な腐れ縁なのだ。この子は、ソフトな言い方をするのであれば、まっすぐな性格をしている。言いたい事はその場で言うし、自分の考えもはっきり持っている。ついでに、どうやら僕を気に入ってくれているらしいのだ。らしいというか、心当たりも、大いにある。
「あんた、まだカナトにつきまとってんの?」
「伏見先輩ほどじゃないですよ、アピールしてるって言って下さい」
「一緒にしないでよね」
「あ、そっちのお姉さん。気を付けた方がいいですよ」
「えっ?」
「この人、ちょっと仲良くなると急に忙しくなったりするかも」
そして、ハードな言い方をしても良いのであれば、この子は全くもって空気を読む事をしない。ミホノちゃんはきょとんとしているし、アイは今にも爆発しそうだ。ついでに僕の人間としての評価も、地の底に潜っていきそうな気配である。
「本当におもしれえフラグ持ってんな、すげえよカナト」
よりにもよって今日、このタイミングでメイちゃんに見つかるとかさ。他人事、という線をめいっぱいに引ききった向こう側で、シンジが軽快に笑い飛ばす。
気がつけば、ぽつりぽつりと、生ぬるい雨が降り出していた。つい先程までグレーゾーンを保っていた雲も、僕の心も、あっという間に黒々と沈んでいく。そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます