第5話:諦めたくない、とか言って
高校二年生の秋に体験したあの出来事は、今でも鮮明に覚えている。出来れば忘れてしまいたい話だが、そうはいかない。脳裏に焼きつくとはよく言ったもので、忘れようにも、こびりついて落ちてくれないのだ。
その日は、季節外れの転校生がやって来るとかで、学年中が浮き足立っていた。転校生の正しい季節がいつなのかは知らない。ただ、枕詞のようなものを付ける事で、それらしさを出そうとしていただけだ。
「女の子らしいぜ、絶対かわいいって。付き合ったらどこ行くかな」
「落ち着けよ。飛躍しすぎだって」
「お前な、季節外れの転校生だぞ? 付き合いたいとか思わねえのかよ」
鼻息を荒くするシンジに、無機質な視線で応える。少なくとも僕は、話してもいなければ、姿形もわからない「女の子らしい」という、全てが不確定な相手とお付き合いしたいとは思わない。
特に、その日の朝はなかなかに強烈な死に様を避けてきたばかりで、ぐったりしていた事もある。同じクラスならまだしも、隣だったか、隣の隣だったか。微妙な距離感の相手に想いを馳せる余裕は無かった。
「おいカナト、すげえぞ。本当にかわいい女の子だ! お前も見に行こうぜ!」
「……ああ、後で」
だから、昼休みになっても、僕のスタンスは変わらなかった。シンジは隣の隣のクラスと自分のクラスを猛然と行き来しては、あれこれと情報交換していた。それを見ても、よくやるなとしか思わなかったのだ。
「なんだよ、ああって。低血糖かよ」
「そうじゃないけど」
意外な単語が出てきたな。それを言うなら多分、低血圧だろ。いつものような軽口を返すのも億劫だ。どうしてこんなに身体が重いのだろう。それこそ季節外れの、風邪でも引いたかな。鈍い頭で考えて、落ちてくる瞼をこする。一日をなんとかやり過ごそうとしている、そんな感じだった。
「おっ! あの子うちのクラスに来たぜ! ちょっと声かけてくる」
「……いってこーい」
途端にザワザワとする教室の入口付近。シンジや何人かの男子の大声、女子の笑い声。「元気だねえ」と漏らして、僕は外を眺める。
「おーいカナト! しょうがねえから紹介してやるよ!」
「あはは、こんにちは、はじめましてー」
「……はじめまして、よろしく」
第一印象は、シンジに似た空気の子だな、だった。話した内容はよく覚えていない。何気ない会話が弾む中で、異変に気付いた僕は小さく悲鳴をあげていた。
「ひっ、てどういう事だよ。リアクションがおかしいだろ」
「っておい、カナト? 顔、真っ青だぞ。おい……!」
当時、今ほど色々なモノに耐性の無かった僕は、そのまま気を失った。後で聞けば、シンジがすぐに僕を背負って保健室に運んでくれたのだそうだ。
転校生とは、窓際の僕の席で喋っていた。その途中で、彼女の背後にもう一人の僕が浮かび上がり、どさりと倒れて動かなくなった。一段高くなった教壇との境目に、そんなタイミングがあるものなのか、と感心したくなるほど、完璧に頭をぶつけていた。
それだけではない。反対側、ベランダへの出入口には、胸の辺りを押さえて目を見開く僕が、ゆらゆらと形を成していく。よく見れば、押さえた右手の隙間から、ひときわ鋭利なガラス片が顔を覗かせていた。何をどうすればそうなるのか想像すらつかない。一度に二人の僕を見たのも、その場に浮かび上がってくるのも、初めての経験だった。
「まあその子は、結局は何ヵ月かでまた転校しちゃったんだけど」
「あれは本当にびっくりした、急にぶっ倒れるし」
その数ヵ月間、よく不登校にならなかったものだと思う。ただそこに在るだけであれば、避けておけば良い。でもそれが、向こうから距離を詰めてくるとなれば、どうか。
事実、安全地帯だと思っていた学校内は、彼女が転校してきてからというもの、危険地帯に早変わりしたのだ。
「知らなかった、そんなの」
「高校は別だったし、話す機会も無かったから」
「あんだけ次々やばい事が起こったら、流石に信じるしかなかったわ」
やたらと同調してくれるシンジも、災難ではあったと思う。件の転校生と、なんと宣言通り、本当に交際を始めたからだ。シンジと付き合い始めたその子は、友人である僕とも仲良くなろうと気を遣ってくれただけだし、シンジにしてもそうだ。二人とも、何も悪い事はしていない。
してはいないが、それでは仲良くしましょうという訳にはいかなかった。僕は二人から距離を取るしかなく、特に、転校生を邪険に扱った。僕自身は必死だったし、そのつもりはなかったのだけど、少なくとも周囲には、そのように映ってしまった。
結果、僕達は大喧嘩をした。この時点では、シンジは事情を知らなかったのだから、当然と言えば当然だ。そしてこの途中で、僕は僕の死に様に近付き過ぎた。シンジを、思いきり巻き込んで。
「で、ミホノちゃんが同じだっていうのかよ」
「講義室で振り向いて見た時はなかったんだけど、午後、しゃべった時に……」
「偶然って事はねえのか」
「わからないけど、いつもとは明らかに違ったんだ」
二人で話を進める僕とシンジに、アイはあからさまに不機嫌そうな顔だ。隠し事をしていた上に除け者のようでは、気分も良くないだろう。
「ちょっと、気になる事があるんだけど」
「うん」
フォローにまわろうかと考え始めたところで、あっさり先手を取られる。僕は冷たい汗をかきながら、なるべくそっけなく返事をする。やはり、いつもとは違うってどういう事なの? とくるのだろうか。もしそう聞かれたら、隠し事を一つ減らそう。僕は中途半端に腹を括って、続きを促す。
「朝の講義の時はどうして大丈夫だったの? っていうか、四月からずっと同じ部屋にいたはずでしょ?」
「ああ、そういう事」
「それな。高校の時に俺も、おかしいじゃねえかって問い詰めたんだけどさ」
アイの言うとおり。ミホノちゃんとは四月から同じ講義を受けていたはずだし、転校生だってその日の朝から同じ校内にいた。これだけの時間があれば、僕は屍に囲まれていてもおかしくなかったはずだ。それなのに、である。
「多分、直接話した瞬間に、スイッチが入るんだと思う」
「トリガーが引かれるって言えよ」
「どっちでもいいだろ」
「駄目だ、そっちの方がそれっぽい」
「それっぽいって、お前ね……」
「とにかく!」
どうでも良い掛け合いを始めた僕とシンジをぴしゃりと静止して、アイが続ける。
「そしたら、諦めるしかなくない? もうスイッチは押されちゃったんでしょ? いくら、その……ひとめぼれでもさ」
「トリガーだよ、アイちゃん。まあ、そうなんだけどさ……でもなあ」
「でもなあって。シンジくんは、カナトがどうなってもいいの?」
「いやいや、そんな事はないんだって!」
これまで、それこそ仙人だの世捨て人だのと言われてきたけど、なんだかんだでシンジは僕に気を遣ってくれている。事情を知った後はなおさらだ。だから、なんとかしたいと思ってくれている、はずだ。
そしてアイが、純粋に心配してくれているのもよくわかる。ここで僕は、二人に相談したかった事の本題を、ようやく引っ張り出す事にした。
「昨日、逃げ帰った上に、僕には難しいとか言っておいてなんなんだけど」
「そうだ、反省しろバカ」
「シンジくん! なんなんだけど、の続きは?」
「まだ、諦めたくないんだ」
へえいいね、青春だね。とニヤニヤするシンジ。たまに、こいつが同年代である事が信じられなくなる。中身は、ずっと年上の、世話好きな遊び人でも入っているのではなかろうか。バブルの時は凄かった、とか急に言い出したりして。
「諦めたくないって言っても。だって近付いたら……それだけで、危ないかもしれないんでしょ?」
「回避特化でヘルモードとか、テンションあがるじゃん。俺は応援するからな」
死ぬかもしれないんでしょ? という言葉を避けてくれたアイに小さく笑みを返し、ついでにシンジを睨んでおく。横でアイの目を気にしながら、アタリ判定さえクリアすればどうこう、等と呟いている。全く、人の生き死にをゲームみたいに。
「本当にどうしようもなければ諦める。二人を危ない目にもあわせない……つもり」
今度は、アイが何かを言いたそうに口を開きかける。それでも、結局は僕の言葉を待ってくれた。僕は、大切な二人の友人に、はっきりと告げた。
「確かめたいんだ。自分の気持ちと、どこまでやれるかを」
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