第4話:僕と彼女の、特別かもしれない事情

 夕暮れの道を、赤い陽に照らされて歩く。ゆるゆると伸びた影は元気が無さそうで、主である僕まで落ち込んでくる。いいや、影なんかのせいにするのは止そう。落ち込んで、ゆるゆるとしているのは僕自身だ。


「明日の晩飯、三人で食うから。絶対空けとけよ」

「心配すんな。俺とアイちゃんの三人だ。トイレ休憩は許さねえ」


 改めて、メッセージアプリに連続で貼り付けられた文字列を眺める。人を誘おうという時に、絶対空けておけだなんて、僕なら絶対に付けたりしない。トイレ休憩についても、普通ならとやかく言われる筋合いの無い、とんでもない話だ。

 しかし悲しいかな、僕はこの理不尽な誘いに応じるべく、こうしてアルバイト帰りに歩いているのだ。

 昨日は実に、散々な一日だった。朝から大通りの真ん中で事故死という、どぎつい死に様のお出迎え。講義の最中には気持ちを制御するのが精一杯のアクシデント。考える時間を手に入れたのも束の間、お気に入りの場所はシンバル女子に制圧されていた。ついでに、お昼ご飯をアイにおごる羽目にもなった。そして、その後が本当にひどい。


「とりあえず、ちゃちゃっと終わらせて、カラオケでも行かない?」

「いいね。バイトあるけど少しなら行きたい!」

「私も平気」


 軽いノリで場をリードするシンジによって、三人はあっという間に仲良くなっていた。早くも次の講義を飛び越えて、カラオケの相談まで始めている。「ハジメマシテ」のまま固まっていた僕は、完全においてけぼりだ。


「ミホノちゃん、こいつ歌うとすげえから。ぜひ聞いてやってよ。なあ?」

「そういえば、何気に一緒に行った事ないよね。カナトって何歌うの?」

「いや、今日はバイトあるから。すぐ帰らないと」


 シンジが吹聴しているのは、僕がよく歌うアップテンポなナンバーの事だろう。それを歌う時だけ、元のアーティストとは違う、なんとかいうバンドのボーカルに声が似ているのだとか。

 それだけなら別に良い。問題は、その歌のある特定の歌詞に差し掛かると、シンジが手を叩いて大笑いする事だ。大好きな曲ではあるが、あまり披露したくない一曲にランクダウンしつつある。


「第二金曜はバイトねえだろ」

「……なんで知ってるんだよ」

「いや、知らねえよ」


 そうだといいなって思っただけじゃねえか。本当に嘘ついてたのかよ。一気にまくしたてるシンジに、「ひどーい」と女子二人が同調する。シンプルに引っ掛けられた自分にも腹が立つが、それより何よりもう限界だった。


「とりあえず講義、もう始まるだろ。ちょっとトイレ行ってくる」

「おう、んじゃ席とっとくわ」

「楽しみだね!」


 当然ながら、限界だったのはトイレではない。僕はそのまま大学を後にして、一人暮らしのワンルームマンションに帰ってしまった。

 仕方なかったと言い訳する事は出来る。それにしたって、やりようがあったはずだ。我ながら、なんとも情けなく、どうにも最低だ。そんな負い目もあって僕は、不本意ながら、馴染みのお好み焼き屋に向かっているというわけ。


「どんだけ長引いてんだと思ったらいねえとかさ。あの後、大変だったんだぞバカ」

「本当に平気? 調子が悪いとかじゃないんだよね?」


 見よ、この見事なコンビネーションによる、飴と鞭作戦。僕がここにノコノコやってきたのも、半分はこの両極端な掛け合いが功を奏したからである。もう半分はもちろん、ちゃんと事情を説明する為だ。


「本当に悪かったと思ってるよ」

「メッセくらい残してくれても良かったのに」

「ごめん」

「……で、どうなんだよ?」


 やっぱり来た。そうとはわかっていても、やはりこの言い方と間はシンジ独特のものがある。僕は、ワンクッションを入れる事にした。事情はちゃんと説明する。でも、出来れば僕のペースで話したい。


「調子は、良くもないけど悪くもないよ」

「はあ? そっちはどうでもいいだろ? 何しに来たんだよ」

「シンジくん、気持ちはわかるけどちょっと怖い」


 だって、あんまりじゃねえか。アイちゃんもそう思わない? 明らかに声色を変えて、シンジは無理矢理に笑みを作る。これは思っていたより、本気で怒っているのかもしれない。僕は二人が押し問答をしている間に、急いで体勢を整えた。


「ごめんって。正直に話すよ」

「きたきた。で、本当にどうなんだよ? ど真ん中だったろ?」

「ど真ん中だった」

「うそ、本当に?」


 直球以外は許さない。そんな眼光のシンジに、僕も退く訳にはいかない。あのタイミングで講義ごとすっぽかした上に、改めて弁明する機会をお膳立てしてもらっているのだから。


「よしよし、面白くなってきた。で、どうしてだよ?」

「本当なんだ……そっか」


 たったの一言で元通りのニヤニヤとした口元を取り戻したシンジが、先を促す。反対にアイは、何を思ったのか神妙な顔つきでぶつぶつと呟いている。で、どうしてだよ? とは当然、どうして帰ったのか、である。


「あの子は、僕には凄く難しい、と思う」

「なんだよそれ、ど真ん中じゃねえのかよ。どーんとぶつかってから後悔しろよ」


 シンジは昨日のシンバル女子と同じ事を言い出す。男女の違いはあるものの、そういえばよく通る声のトーンもそっくりだ。今度、あそこに連れていって、運よく会えたら紹介してやるべきだろうか。

 いや、やめておこう。これ以上の外来種は、生態系に悪影響を及ぼす事になりそうだ。僕は、日本固有の小動物か何かになったような気分で、堂々と胸を張る大男を恨めしげに観察する。


「どうしてそう思うの? 確かに、凄く綺麗な子だったけど」

「間近で見たら自信なくしちゃったってか? 気合入れろよ」

「そうなの? でもカナトだってさ、そんなに、まあ、悪くは無いんだし」

「いや、釣り合わないから諦める、とかじゃないんだ。そうじゃなくて、違う意味の難しさっていうか」


 おいおい、とんだネガティブさんだな。そう口にしながら、表情を苦笑いに切り替えたシンジは、察してくれたらしい。その通り、これは自分に自信が無いとか、相手との釣り合いがどうとか、そういう話では無いのだ。とはいえ、それを除けば自信がある、と大きな声では言えないのが悲しいところではある。


「……嫌なモノでも見えたか」

「あ! そういう事? あれ、でもそれってどういう事?」


 アイが混乱するのもわかる。僕が、今までアイに話してきたのは、道の先に見えたら遠回り、という形だけだったからだ。しかし僕の事情にはその先がある。

 僕の事情に先があるというのか、僕の命に後が無いと言わざるを得ないのか。涙が出そうな程、日本語は難しい。


「あの子の足下に抱きついてた」

「何それ、ふざけてんの」

「いや、大真面目なんだって。頼むから聞いてくれよ」


 じゅう、とお好み焼きを鉄板に押し付けて、アイが憤る。そんな事をしたら、ふわふわに焼きあがらないじゃないか。とは、口が裂けても言えない状況だ。説明をはしょりすぎた、反省しよう。

 慌てる僕を尻目に、シンジは吹き出すのをこらえている。器用にスペシャルミックス玉をひっくり返すと、同時進行で鉄板焼の具合を確かめる。人の命が危ないかもしれないって時に、こいつは、本当に。

 でもそうして、何でもない風に笑ってくれるからこそ、話せる部分もある。やっぱり凄いやつ、なのかもしれない。


「頭から血を流して、あの子に向かって倒れこむような。っていう言い方なら、わかってくれる? えーと、食事中にごめん」

「それはいいけど。でもそれ、そんな事ってあるの?」

「やっぱりかよ。カナトって本気で、あれな。流石にエグいわ」


 わかったような、わからないような、そんな顔のアイと、引き気味のシンジ。僕はアイに照準を合わせて、話を進める事にした。シンジはある程度、この話の中身を知っている。それどころか高校時代、僕がシンジと九死に一生を得る羽目になったのも、今回と似たケースなのだ。


「トリガーちゃん第二号ってわけだな」

「下手したらそうなる、かも」

「ずるい、シンジくんは知ってるんだ。ちゃんと教えてよ」


 お好み焼きをいじめているアイを落ち着かせて、僕は話し始めた。僕と彼女の、特別かもしれない事情について。

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