第24話:言ってみるもんですね

 病室からぼんやりと外を眺め、たまっていた小説を読む。天気は曇り。決まった時間に看護師さんがやってきてテキパキと仕事をこなしていく。実に緩やかな時間だ。

 退院まで一週間を切った僕は、完全に時間を持て余していた。日々、検査を受けたりはしているものの、ありがたい事に異常は無し。わき腹のちくちくとした違和感にも慣れてきた。

 人間、油断をし始めた時が一番危ない、と言うが、どうやらそれは本当らしい。この日の僕は、それはそれは、油断しきった顔をしていたに違いない。


「こんにちは」

「うえあ」

「あはは、なんですかその返事」

「びっくりさせるなよ」


 抜き足差し足で入ってきて、急に声をかけてきたのはイマミヤだった。ひっそりとしていた六人部屋に、花が咲いたような笑い声が広がる。


「良かった。元気そうですね」

「おかげさまで。来週、退院」

「おめでとうございます」

「まだ一応わかんないけど、ありがとう」

「今日はこの後、何かあるんですか?」

「ううん、午前中にひととおり終わって、なんにも」


 少し出ようか、と声をかけて立ち上がる。病室から少し歩いて、同じフロアのちょっとしたスペースで、据え付けてあるソファに腰を下ろした。幸い、他には誰もいない。


「今日はどうしたの」

「お見舞いの仕切り直しです」

「またシンジか」

「はい?」

「いや、なんでもない」

「この間は、バタバタして怒られちゃったので」

「あの日はすごかったなあ」

「すみません」

「いやいや、ありがとう」


 僕が目を覚ましたあの日。収拾がつかなくなり、シンジとイマミヤがあわや出入り禁止か、という事態になりかけたあの日。しょうがないな、と口にしながら、僕が涙腺の崩壊を必死に食い止めていた、あの日だ。


「学校はどう?」

「んー、普通です」

「そうか、普通ならいい」

「はい。ってカナ先輩、なんかお父さんみたい」

「うむ」

「それは、ただの偉そうな人」

「難しい」

「あはは、本当に元気そうで、安心しました」


 ひとしきり笑って、ゆったりとした沈黙に包まれる。イマミヤにしては珍しい空気だな、と思ったところで、ピンとくる。これは、原宿の時と同じだ。つまり。


「今日ってもしかして大事な話?」

「わ、バレちゃいました?」

「なんとなく」

「なんとなく!」

「え、そんなに驚くとこ?」

「だってあのカナ先輩が、なんとなく気付くなんて! 本当は調子が悪いんじゃ?」

「あのなあ」

「冗談ですよ」


 くすくす笑うと、イマミヤは座り直して姿勢を正した。さっきのは冗談ですけど、本当は、と話し始める。遠慮がちな声に、しっかりと気持ちを乗せて。


「私だけ、置いていかれちゃう気がして」

「どういう事?」

「色々あったじゃないですか」

「まあ、うん」

「カナ先輩が大怪我して、鉢坂先輩がニュースになって」

「すげえだろって、真っ先に自慢されたよ」

「あはは、らしいですね。それから、伏見先輩とミホ先輩が怖い目にあって」

「……うん」

「それを、私は、次の日までなんにも知らなかったんです」


 言葉に詰まる。確かに僕はあの時、イマミヤには連絡をしていなかった。でもそれは、置いていこうとか、のけ者にしようとか、そういう事ではなかった。

 そんなつもりはなかったのだと言おうとして、それは優しさではないな、と考え直す。


「ごめん」

「そこで謝っちゃうと、本当に置いていかれたみたいなんですけど」

「いや、その」

「大丈夫ですよ。全部落ち着いたらお返事下さい、って言っておいて、やっぱり途中経過も教えてもらえなくちゃ嫌です、っていうのは私のわがままですから」

「うーん」

「退院するまで待ってようかな、とも思ってたんですけど」

「けど?」

「あ、だから、置いていかれちゃいそうな気がして」


 イマミヤは、バツが悪そうに下を向く。結局、僕は周りにもしっかり心配と迷惑をかけている。そんな気持ちを振り払うように「わかった」と答えた。

 病院の片隅では、ふさわしくない話かもしれない。しかし、そんな体裁より、訪ねてきてくれた彼女に、ちゃんとしなければいけない。これは僕に勇気と決意をくれた、彼女への礼儀なのだ。使命感めいたものに突き動かされて、イマミヤの正面に向き直る。


「こんなとこでなんだけど」

「いいえ、聞かせて下さい」

「うん。あのさ」

「はい」

「ごめん」

「……はい」

「多分、他に好きな子がいるみたいで」

「ふふ」

「あれ、なんで笑うの?」

「だって、そんな真剣な顔しておいて。多分、みたいでって。先輩なって思って」

「これでも、だいぶ整理したつもりだったんだけどな」

「全然、出来てないですよ」

「そうかあ」

「……あのなあ」

「えっ?」

「そんな答えじゃ、あのなあ、です」

「まいったな」

「ちゃんと、お願いします」

「ちゃんとって」

「このままだと、なんかまだいけそうかも、とか考えちゃいそうなので」

「……わかった」

「はい」


 お互いに、姿勢を正し直す。一体、今日は何度、こうして背筋を伸ばし直したのか。いい加減、ちゃんとしてください。そうイマミヤが言うのも、もっともだ。


「ごめん。気持ちは嬉しいけど、他に好きな子がいるから、イマミヤとは付き合えない」

「はあ……言ってみるもんですね」

「え」

「かなり煽っちゃいましたけど、先輩にしては、本当にちゃんと言ってくれたかなって」

「僕に、しては」

「はい。なんとなく濁されて、なんとなく嫌いにもさせてもらえなくて、もやもやしたまま卒業するのかなって、思ってましたから」

「それはひどい」


 でしょ、ひどい人なんです、とイマミヤは胸を張った。僕はどうして良いかわからず、苦笑いを返す。そのひどい人って、僕の事だよね、と当たり前の事を確認したい衝動に駆られる。もちろん、流石に、実際に聞いたりはしないけど。


「はあ……そっかあ」

「ん?」

「フラれちゃいました」

「ごめん」

「こうなったら、その好きな人に、ちゃんと告白してください」

「いや、それは」

「というかまあ、相手が誰だかわかるだけに、すごい悔しいんですけど」

「うそ、なんで」

「なんでわかるの? とか言おうとしてます?」

「あ、うん」

「そんなの、見てればわかります」


 また、どこかで聞いたような話だ。僕は知らない内に、答えを書いた紙でも額に張り付けて歩いているのかもしれない。くすんだベージュの紙に、僕の筆跡で、好みのタイプや好きな相手、今まで飲み込んできた台詞、パスタはカルボナーラが一番、だとかが、事細かにリストアップされているのだ。

 僕の前に立った相手は、それを指さし確認して「ああ、あったあった。見てればわかるから、言わなくていいよ」とさらりと口にしたりする。なんとも便利で、僕にとっては不便な話だ。


「先輩。例の……超能力って、無くなったんですか?」

「多分ね」

「そしたら、これから大変ですね」

「そうかも」

「辛くなったら、いつでも声かけてください」

「そういう訳には」

「大丈夫ですから」

「大丈夫って」

「もし誘ってもらっても、とりあえず三回くらいは断りますし」

「うわ」

「それくらいは、良くないですか?」

「うん。いいと思う」


 本心だった。これまで、僕が何も考えずにそうしてきた回数を考えれば、少なすぎるくらいだ。とは言え、簡単には誘ってくるなよ、という意味が込められているのも間違いない。


「じゃあ、行きます。こんな時に押しかけてすみませんでした」

「ううん、全然」

「お大事にしてください」

「ありがとう」


 すっと立ち上がったイマミヤにはもう、落ち込んだ様子や後ろ暗い空気は見えなかった。しっかりと前に、エネルギーを放出していく。そんな凛々しさを感じる。彼女は、強い。そして僕が思っていたより、ずっと優しくて繊細だった。

 歩き出したところで、あ、そうだ、とイマミヤが振り返る。その顔には、いつもの笑顔が浮かんでいた。


「今度会う時は、私の彼氏、紹介できるようにしときますね」

「……わかった」

「私のリア充っぷりに、耐えれるように頑張ってください」

「あはは、頑張ってみるよ」


 斜めからのエールを残して、イマミヤは颯爽と帰っていった。終始、リードされてばかりだったけど、不思議と悪い気はしない。

 言いたい事を我慢するのって、嫌じゃないですか? あの時のイマミヤの台詞が、満面の笑みと共に頭の中で再生される。僕はもう一度、背筋を伸ばし直して、立ち上がった。

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