おまけ たったひとつの冴えない追いかけ方 -A Girl with Passion-
「すみません」
「はい」
受付の椅子に座っていた、藤崎眞桜子は首を傾げた。
文化祭の一日目。次から次へと、予期せぬ問題が起こっていた。息つく間もなく、それに対処し続けて、ようやく一息ついていたところだった。
現在、午後一の公演が教室の中では行われている。次の回を待つ列はきちんと整頓され、廊下に長く伸びている。最後尾へ案内する役もちゃんと働いているし、今後の予定もそこかしこに案内している。特に受付で尋ねるような質問はないはずだった。
「このクラスに、一ノ瀬詠さんという方はいらっしゃいますか?」
眞桜子は質問してきた相手をまじまじと観察した。
同年代の女子だった。白いワンピースの上から薄いピンクのカーディガンを羽織り、茶色のバッグを肩から提げている。私服だし舞台衣装にも見えないから、他校の生徒だろう。細面に切れ長の目をした、まあまあ綺麗な娘だった。
「ええと……」
眞桜子は言葉に詰まった。たしかに、眞桜子の所属する二年四組、通称24Rに、その名前の生徒は在籍する。するのだが、正直にそれを告げて良いのかは迷われるところだった。よく解らないが、個人情報な気がする。詠は綺麗な娘なので、変な相手からつけ狙われてでもいたとしたら大事だ。
しかし、相手は同年代の女子である。ただ単に中学時代の同級生とかかもしれない。着ている服も、詠と少し感じが近い。さすがに見ただけではブランドまで判別出来ないが、ちょっと上品な感じだ。そもそも、ここに来て訊いているのだがら、少なくとも羽々音高校の生徒だということは知っているのだろう。
「その、身長が高めで、細身の子なんですけど……」
しかし、何より気になるのは、彼女の態度である。妙に力が入っているというか、最早強ばっている。見知らぬ相手に話しかけているのだから、緊張するのは解る。人見知りなのかも知れない。しかし、それにしては度が過ぎている。
ひょっとしたら。眞桜子は想像を巡らせた。彼氏を詠に取られてしまったとかではないだろうか。教室内での感じを見る限り、詠から積極的に奪いにいくことは無いとは思う。しかし、勝手に熱を上げられることは無いとは言い切れなかった。それを逆恨みした彼女が、詠に文句を言いに来たのかもしれない。それどころか、バッグの中にナイフを忍ばせていたりして。
「ええと、その、お答えする前に良いですか?」
「は、はい」
「どのようなご関係ですか? その、一ノ瀬さんと」
そう問いかけながら、これではいると言っているのと同じようなものだと、眞桜子は気がついた。しかし、配布している劇のパンフレットには、衣装係としてばっちり詠の名前がクレジットされている。
「あ、すいません」
少女はしかし、居住まいを正した。礼儀正しい子だな、と眞桜子は思った。
「私は石村彩乃といいます。詠さんとは一年ほど前に会って、学校名は訊いたんですけど、クラスまでは知らなくて……」
「そうですか」
眞桜子は笑顔を保ったまま、考えを巡らせた。
自己紹介してもらいはしたものの、彼女が怪しくないと解ったわけではない。詠に敵意があるようには見えなかったが、そこまで親しいわけでは無さそうだった。妙に切実なのが、やはり気になる。
「ええと、一ノ瀬さんは、たしかにうちのクラスです」
迷った末に、眞桜子は結局そう言った。どうせ、彼女が本気で調べようと思ったら、すぐに判ってしまうことだ。
「本当ですか!?」
彩乃の顔がぱっと輝く。
「ええ」
「今、中にいますか?」
「ええと……」
眞桜子は思い返した。詠は衣装しか担当していない。朝、ほたるたちの着替えを手伝っていたのは覚えている。しかしその後は、眞桜子があちこち駆け回っていたため、今どこにいるかは判らなかった。
「あら、彩乃さん」
そのとき、偏屈なクラスメイトが戻ってきた。
「詠さん!」
彩乃が高い声を上げた。廊下を歩く、何人かが振り向いた。
「どうしてこんなところに?」
詠は首を傾げた。完璧な角度だと眞桜子は思った。これ以上傾けると、あざとくなる角度に漸近している。
「一ノ瀬さんを探していたみたい」
眞桜子がそう説明すると、詠は小さく息を吐いた。
「私は中継地点でしょう?」」
「……否定はしませんけど」
彩乃が苦笑いをしながら答える。
「まあ、良いでしょう」
詠は無表情でそう言った。しかし、口調はどこか楽しげだった。
「お久しぶりです」
「そうね」
遅ればせの挨拶に、詠は鷹揚に頷いた。
「それで? どうやってここに?」
「あのとき、学校名だけは話に出たので。それを頼りに。でも、文化祭でもないと、中には入れないので」
「ああ……」詠は一度こめかみを押さえた。「よくそんなこと覚えていたわね。その根性だけは賞賛に値する」
「どうも」
彩乃のリアクションに、眞桜子は少なからず驚いた。空気が読めないのか、読んでいって返したのか、判別できない。
「何が目的?」
「ええと」
彩乃は眉を寄せた。
「とりあえずは、詠さんに会いに」
「私に会ったって仕方がないでしょうに」
「でも、他に手立てが無くて」
彩乃は悪びれた様子も無く、そう言った。
「燈馬さんは?」
「いるわけがないでしょう」
「そうですよね」
詠は渋面を作った。彩乃は対照的ににこにこしている。
「今日は美咲さんは?」
「家です。今日、ここに来ることは言っていません」
「一緒に暮らしているの?」
「もちろん。今は四人で暮らしています。燈馬さんのおかげで」
「そう……」詠は深く頷いた。「それはそれは」
詠はそう言って、少し目を細めた。珍しく、柔らかい表情だった。
「貴女、そこで回りなさい」
「回る?」
突然の詠の言葉に、彩乃はきょとんとした。
「その場でくるくると」
「は、はい」
詠の言うとおりに、彩乃は回った。なぜかバレリーナのように、両手を頭上に掲げていた。
「少し、健康的になったわね」
「あ、はい。テニス部に入ったんです。健康的じゃ無いと駄目だって、詠さんが言ったから」
「そういう意味ではないのだけれど。まあ、良いわ。美咲さんにはほど遠いけど、頑張りなさい」
「はい……?」
顔中に疑問符を浮かべながら、彩乃は頷いた。
「じゃあ、そういうことで」
「ちょ、ちょっと!」
「久しぶりに会えてとても嬉しかったわ」
いつも以上に平板な声で詠は言う。その腕に、彩乃が取りすがった。
「せ、せめて、連絡先くらい教えて下さい!」
「また、ここに来れば良いじゃない」
「年に一回しか会えないじゃないですか!」
「そうね」詠はうっすらと笑った。「織り姫と彦星みたいで、とてもロマンチックね。ロミジュリに匹敵するわ。そうそう、帰るときに、うちのクラスに投票していってね」
「いやいや」眞桜子は思わず口を挟んだ。「良いじゃない、一ノ瀬さん。連絡先くらい」
詠が疎ましそうに眞桜子の方を見る。しかし、本当に嫌がっているようには見えなかった。
「Lineくらい、交換してくれませんか?」
「残念ね。私はスマホとか持っていないの」
詠はしれっとそう言った。
「持ってるでしょ」
「藤崎さん、さっきからうるさいわよ」
「ごめん。でも騒ぎにしないで」
さっきから少しずつ彩乃の声のボリュームが上がってきている。扉一つ隔てた教室で演劇をやっているのだ。ここで彼女に泣き叫ばれてでもしたら敵わない。
「そうね。失礼しました」
詠は存外素直に素直に頷いた。
「少し、場所を変えましょうか」
詠はそう言って眞桜子の方を振り返った。
「藤崎さん。この回が終わるのって五十分よね?」
「うん」
「ありがとう。それと、ご面倒をおかけしました」
詠はそう言って小さく頭を下げた。その横で、慌てたように、ぴょこんと彩乃が頭を下げる。
「じゃあ、休憩時間までには戻ってくるから」
詠が廊下の奥に歩き出す。その横を、彩乃がぴょこぴょことついて行く。その後ろ姿を眞桜子は見送った。
結局、二人がどういう関係なのか、よく判らない。首を捻った眞桜子だが、すぐに思考は中断された。
「眞桜子! もうチラシがなくなっちゃいそうなんだけど!」
「え! もう!?」
文化祭はまだ半分も終わっていなかった。
了
白妙の呪いを遺して -Curses in Domino Effect- 葱羊歯維甫 @negiposo
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