第37話 明暗16 (97~100 竹下マル暴と対峙1)

 控室に戻ると、西田達が居た時よりもある意味「ハッスル」していた室野と畑山がマジックミラー越しに映っていたが、本橋は馴れた態度で悠々とやり過ごしていた。それを横目に倉野が、

「どうだ。こっちから見ていた限り、佐田殺しは間違いないな?」

と西田と竹下に確認してきた。

「問題ないですよ。秘密の暴露含め、あとは柴田さんの金属粉末と銃弾の成分分析とが一致すれば、間違いなく起訴できるでしょう。むしろここから北海道に連れて行くまでの方が色々面倒なんじゃないですか?」

「それは言えなくもないな……。まあ俺はそこまでは関わらないだろうからいいが」

倉野は苦笑したが、道警・府警含め、警察庁やら検察庁やらのお偉方の調整が必要なのは間違いない。


「後、本橋を伊坂に引きあわせた男の存在が浮かび上がったろ?」

「それは自分もびっくりしました。これですね」

西田はそう言うと、倉野に本橋が書いた似顔絵を見せた。

「これか……。おそらく、伊坂組の関係者だと思うが、君らはどう思う?」

「その可能性は高いんじゃないかと思います」

西田も竹下も口を合わせた。

「じゃあ、早速調べさせよう。伊坂組の8年前の従業員、役員関係の写真を北見(方面)で入手して、君らで後からまた本橋に聴けばいい。それほど難しい聴取にはならんだろうから。これは遠軽じゃなくて、直で北見でやっちまった方がさっさと済ませられるからその方がいいな?」

「問題ないとは思いますが、うちの沢井課長には倉野さんから一報入れといて下さい。勝手に決めるのは越権行為になりますから」

西田は倉野の問いにそう言うに留めた。

「勿論わかってる。沢井課長にはちゃんと言っとくよ。後、喫茶店、旅館の確認と、本橋の宿泊の確認が必要になるな。これも北見でやっちまうのが早く済むだろう。これもさっきのついでにやらせることにするわ。沢井にはこれも含めて連絡するか……」

倉野はそう言うと、必要事項をメモした。


「それはいいんですが……」

竹下が申し訳なさそうに喋り出した。

「何だ? 何かあるなら気にせず言ってくれ」

西田が促す。

「じゃあ遠慮無く。本橋が気になることを言ってました。佐田の持っていた紙と荷物。篠田と喜多川が何か重要だと思ったものを遺体から押収していた可能性が高いです。特に紙については怪しいです」

事実関係がはっきりしていないので、竹下も少々自信のなさそうな表情だったが、それは関係者がほとんど死んでいるのと、経過時間もあるので仕方ない。そして更に発言を続ける。

「さっきの係長との話の続きになりますが、喜多川と篠田が伊坂に新たな『条件闘争』をしたとすれば、紙含め、それらの『材料』となり得るモノはもう存在しないんですかね?」

「それは竹下としてはまだあるという考えなんだな?」

倉野は竹下の言い方の傾向を悟ったか、先回りした。

「はい。自分たちの立場を安定化させるのには、継続して保持しておくのが妥当だと考えます」

「わかった。だとすれば、篠田は病死したわけだから、当初誰が管理していたかは知らんが、仮に篠田単独で管理していたとしても、喜多川に後の管理権を譲る時間もあったはず。つまり奴の家をまず捜索する必要があるな」

倉野はそう言うと1人頷いた。

「人身事故で喜多川の家を捜索した時に、靴の押収で満足しちゃったのは失敗だったかな……」

西田は後悔したが、今となっては言っても仕方がないし、当時それを見つけたところで、果たしてこういう展開になったかはかなり怪しいだろう。


「よし! さっきの件と併せて、すぐに北見方面に指示して動かそう! とにかく沢井には後で連絡するから。まずは捜査優先だ」

倉野はそう言うと携帯を取り出した。脇に居た平松課長ら府警組は、吉村に念入りに説明させ、事態の把握に努めようとしていたようだが、さすがにここまで細かくなると、吉村の話がまとまっているかどうか以前に、すぐには理解し難いようだ。捜査に直接関わっている人間ですらわかりづらいのだから、昨日の会議や吉村の話だけで全てを悟られても、それはそれで困るのだが……。


「係長、あとちょっと気になる点が幾つかありまして」

竹下が倉野の電話を邪魔しないようなトーンで話しかけてきた。

「まだあるのか……。今度は何だ?」

「まずは本橋がゲロった話ですが、伊坂大吉を『指示』した人物と終始言って、『依頼』したとは一言も言ってないんですよね。府警が道警に確認してきた文書でも、実は自分達もそれらは同じことと考えていましたが、奴は今の聴取では、一言も伊坂を依頼者や依頼人だとは言ってない。自分には明確に別のモノとして扱ってるように見えました」

西田はそれを聞いて、最後に竹下が「わかりきった」質問を敢えてした理由わけを理解した。そして自身の認識不足を痛感した。同時にそこまで竹下が注意深く聞いていたことにも驚愕した。

「それはどういう意味があるんだ?」

西田は竹下への驚きについてはさておき、聞き返した。


「本橋のこれまでの一連の事件で、一度も『依頼者』の具体的な名前は出してない」

「そりゃわかってる」

「今回も伊坂の名前そのものは、ホントに知らないかは別として、自分じゃ出してはいません。ただ、これまでの他の事件への態度と比較して、どうも『上手く』行き過ぎているような気がするんですよ」

「本橋の台詞じゃないが、死刑になったから全てを諦めたってことじゃ?」

「本気ですか? だったら他の事件の依頼者も出すでしょ」

「それは他の事件については『警察側が目星すらつけられなかったから』と言ってたじゃないか。今回は、伊坂大吉をその被疑者として、写真で奴に呈示して見せたわけで」

「それは取って付けたような言い訳にしか聞こえないですよ。それに何で一連の殺人で、依頼を受けたとゲロったんでしょう? だっておかしいじゃないですか。元々明かさないつもりなら、ただ自分が殺したとだけ言えばいい。思わせぶりな自供で余計な追及をされることもないですよ。どうも、佐田の殺害について、誰かから依頼されたと、(警察に)積極的に自供するために、それとの整合性を付ける目的で、他の事件も中途半端に『依頼者が居る』と自供したんじゃないか、そう思えてなりません」


 竹下の言い分は、理屈としては確かに的を射ていた。道警が聴取を主導出来ているからという理由だけにしては、本橋の自供がやけに協力的なのは事実だ。そもそも拘置所で自供した段階で、「依頼者から紹介された協力者が居た」などと言うこと自体、名前こそ出していないが、他の事件の自供と比べ妙に具体的であった。積極的に「明かしたい」と言う匂いを感じ取れないこともない。ひょっとすると本橋は、こちらがある程度「掴んでいる」ことを把握した上で、上手くヒントを与えつつ、捜査側に『警察が主導権を握っている』かのように錯覚させ、何らかの状態に誘導する意図を持っているのかもしれない……。

「いや、そんなはずはない!」西田は頭の中でそれを強く否定した。勿論、ずっと拘留されている本橋にそんなことを知る余地はないのだ。拘置所で重大犯罪者が得られる情報など限られている。ありえない話だ。西田はそう思い直し、その上で竹下に問い返した。


「まあ、おまえがそう思うのは否定しても仕方がない。しかしそれで、指示者と依頼者の使い分けにどういう意味が出てくるんだ?」

「本橋が、我々にとっての殺害『依頼者』を、実質的に自供したと思わせながら、実態が別だったら……。殺害を具体的に指示した人物と、殺害を依頼した人物が別人だったらどうです? 府警から道警側に照会で来た情報では、依頼と指示の区別は明確に付いてませんでしたが、それはその時点で本橋が錯乱させることを狙ったのかもしれませんし、区別していたものの、府警側がそれを勝手に混同していたのかもしれません」

「え? 同じだろそれ!」

西田は露骨に疑問をぶつけた。


「じゃあこう言い換えましょう。殺害を最終的に直接指示した人物と、殺害を本橋に最初に依頼した人物が別人だったらどうします?」

竹下の説明を聞くと、西田は自分が判りやすいように、

「竹下が言いたいのは、他に例えると、工務店に家の建築を依頼した建築主と、その工務店の大工を指揮する棟梁の関係か?」

と問い直した。しかしそれはむしろわかりにくい例えになったと西田は内心後悔していたが、竹下も、

「まあそんなところです。伊坂は元請けから来た現場監督みたいな立場だったのではないかと」

と言いつつも、若干腑に落ちないような顔をした。だが細かいことにこだわる時間はないと思ったか、西田の表現をそのまま流用したのだろう。

「しかしだ、伊坂は自分の件で佐田に脅されたと見てるんだぞ? 殺しを直接依頼する動機があるじゃないか?」

竹下は「反撃」に微妙に渋面になった。痛いところを西田に突かれたのかもしれない。


「問題はそこなんですよ……。考えられるとすれば、伊坂が殺し屋の本橋なんかと知り合いということはまずないだろうから、いわゆる『仲介人』を頼んだという意味で、その仲介人が本橋にとっての、『依頼者』という認識があるのかもしれません。ただ、自分はどうしても、今回の取り調べでの、本橋の『指示』と『依頼』の使い分けが気になって仕方がないんです。本橋に指示した伊坂が依頼者そのものであると我々警察を勘違いさせれば、本来の依頼者を隠蔽することに成功するでしょう? そうなれば、殺害に絡んだ伊坂も篠田も喜多川も既に仏さんですから、表向き事件は解決したことになり、生存者は本橋以外は誰も罪に問われません。その上本橋はそれ以外で既に死刑になるんですから、誰も損はしない。そして、疑問は本橋の成功報酬の件でも言えます」

「成功報酬の件?」

「この事件は、犯行当時にリアルタイムで殺人そのものを本橋が表沙汰にしていない点で、本橋のこれまでの他の事件と全く違います。佐田の殺害が実行されたかどうかが、遺体を実際に確認するか、殺害をその場で見るか以外は、その有無がなかなか確証出来ない事件です。他の犯行は殺害から時間を置かず、或いは直後にニュースになってますから、『客観性』がありますが、これにはない。だからこそ、その5年後に伊坂の電話で、佐田の遺体を埋めただろう篠田自身が佐田の遺体を、おそらくは確認しに行ったことにも繋がってくるわけですよ。当然ながら篠田自身は、殺害を実際に目の前で目撃していたのだから、手間が掛かるわ、自分で米田をおそらく殺す羽目になるという、ただの良い迷惑でしたが……」

「そりゃそうだ」

西田は相槌を打った。

「それでさっき本橋は、篠田と喜多川に成功の報告は任せたと言いました。まあ報告については、おそらくですが佐田の血が付着したであろう、銃弾の穴あきの衣服と残った荷物でも見せれば足りたと思います。ただ、もし本当に伊坂が依頼者なら、本橋は自分で報告すると思うんですよ。だって、『死体は出てこないが依頼通り仕事したから金をくれ』と言う必要があるんですよ? この件については」

竹下は如何にも納得が出来ないという顔付きだった。


「本橋は『オレは殺害後には連絡しない主義だ』と言ってました。しかし、それは殺害がすぐ明らかになって騒ぎになるから、いちいち成功の報告する必要がないという意味だと取れば、この佐田の件には該当しないとも言えます。勿論それが嘘だったとすれば、そこまで場合分けする必要もありませんが……。これまでの経緯を見る限り、本橋は明らかに『仕事人』ですよ、悪党ではありますけど……。やったことにプライドを持ってると思います。そこの大事な部分を、その時の協力者とは言え、基本的に赤の他人である喜多川と篠田に完全に任せたのは、伊坂が本橋にとっては本当の『顧客』じゃなかったからじゃないか、そう思うんですよ」

「だとすれば、本橋は自分の口で、竹下が言うところの、本橋にとっての真の依頼者には報告していた? そう言いたいのか? ただ、今おまえが言ったように、奴は『自分じゃいちいち殺害後報告しない主義だ』と言ってたからなあ。そもそもだ、この件では本橋は、喜多川達に伊坂に報告するように促したと言ってただろ? 少なくとも伊坂には……。実際に殺したことが一般に認知される状態を客観性とするなら、その場に伊坂も第三者も居ない中で行われ、行方不明のままにしておく殺人で、極僅かだが客観性を持つとすれば、一緒に居た2人と衣服などの証拠だけだろ? 報告しない主義というのが、それまでの事件の客観性において担保されていたとすれば、佐田の事件では、2人に証拠と一緒に報告させる必要が出てくるはずだ、本橋自身の言葉よりもな。遺体を実際に伊坂が確認していないのは、3年前の篠田と伊坂の電話での会話内容と、その後の篠田の行動からまず推測して問題ないから、そっちの客観性はなかったと言って良いとは思うが……」

西田は竹下の発言に困惑したままだったが、自分なりに主張した。


「係長の言っていることは、客観性という尺度だけで見ればその通りかもしれません。しかし、だったら2人にも報告させた上で、一緒に行って、自分でも直接言ったっていいじゃないですか? 金だってその場で受けとりゃいい、用意が出来ていればですが……。殺害後の本橋の行動は、どうも伊坂が真の依頼人だとすれば腑に落ちない」

竹下の、自説への執着に、さすがに考え過ぎではないかという思いを強く持ってはいたが、ただ、無下に否定するわけにもいかない。

「竹下の考えがそうだったとしても、本橋が伊坂以外の真の依頼者とやらにちゃんと証明する手段が奴にはないじゃないか? 完全な客観的証拠は結局、せいぜい佐田の衣服や荷物であって、それが喜多川と篠田によって伊坂に対してなされたとすれば、伊坂もしくは2人から真の依頼者へと報告が行かない限りはそれがないままだ。いや、それがあったと言うならそれまでだがな……。それとも依頼者と本橋の関係性が、それらを必要としない程の信頼関係だと?」

竹下には理屈でわからせたいという、西田の精一杯の気持ちからの諭しにも似た発言だったが、竹下はそれを敢えて真正面から受け止めた上で反論してきた。


「確かに、一見すると客観性は篠田と喜多川がしたであろう報告の方があるでしょう。ただ、逆に考えてみましょう。前日に初めて2人と面会したという証言が本当なら、やけに本橋は2人を信用し過ぎじゃないですかね? だって誰が殺したかなんて2人が嘘を付けばどうとでもなりませんか?」

「え?」

西田は意味が掴めず聞き直した。

「だって、遺体を直接確認させないとすれば、血が付着して、拳銃による弾痕の穴が開いた服が直接的な証拠でしょ? でもそんなのは血さえ付いていれば、ツルハシで服に穴開けて、『殺したのは俺たち。金もくれ』とでも言い張れば、極論すればどうとでもなりませんかね? 本橋は自分で報告しない上に、北見からもトンズラしちゃったわけですから、証言通りなら……。いきなり会った2人に1番大事な部分を任せちゃったんですよ、幾ら客観性があると言っても。一緒に付いていって、2人に証言させた上でってのが常道じゃないですか? さっきの金の受け渡しの件もそうです。一連の事件での金の流れが掴めていないということもありますが、この場合は、どう考えてもその場で受け取った方が都合がいいですよね? 余程金の流れる仲介ルートがしっかりしてるんでしょうか?」


 竹下の反撃もまた確かに筋が通っていた。幾ら伊坂が西田の言う通りの『依頼人』だったとしても、どうも本橋と伊坂、喜多川、篠田3名との関係が濃かったり薄かったり極端だ。知らない者同士による犯行は確かにバレにくいが、一方でその割には、本橋が3人をやけに信頼していないと成り立たない行動が浮かび上がってくる。あくまで本橋が事実を語っているのだとすれば、そこに「無関係の人間を強力に結びつける」絆が存在する必要がある。


「うーん」

西田は言葉に窮したが、竹下は更に押して来た。

「もしですよ。佐田に殺意を持っていたのが伊坂だけでなく、仲介人以上の意味を持った真の依頼者にもあって、そいつが裏にいるとすれば、本橋の行動も多少は説明が付きます。その依頼者と伊坂も当然繋がっていますから、本橋は安心して伊坂への報告は放置出来た。依頼者は伊坂の子飼いの2人より、直接的に『契約』している本橋自身の話を信用してくれるでしょうから、後は協力した2人が適当なことを言おうが成功報酬含め安泰、そういう関係ですよ。しかも、おそらく依頼者の方が伊坂より上位の立場にあるような気がします、少なくとも本橋にとってはね。その方が本橋の伊坂への態度の説明が付きやすい。幾ら伊坂が本橋にとってはただの指示者に過ぎないとしても、殺害という重要な部分では、明確に依頼者より密接に関わっている伊坂を、殺害後会えるのに放置してるわけですから……。自分の説を前提とするなら、そこで『ちゃんと殺しましたよ』と伊坂に言わなくても済むのは、そういう関係がないと理解出来ない」


 ここに来て、西田も竹下の考えに多少同調出来る部分が見えてきていた。竹下もそういう西田の心境の変化を察したか、語り口が喧嘩腰からやや柔らかくなってきていた。

「それでですよ、もし、もしそういう見方が出来るとすれば、今度の本橋の自供は、どうも別の意図があると考えられませんかね?」

「仲介人以上? 別の意図?」

西田はやっと見えてきた竹下の話がまた見えなくなってしまったが、竹下は構わなかった。

「今のところ佐田の殺害に関与したと思われる人間は、伊坂、篠田、喜多川、本橋が居ます。あ、本橋を伊坂の元に連れて行った奴は除外しときます……。事件についてその人物に詳細に知らせておく必要がないですし、こういうのは『当事者』は出来るだけ少ない方がいいですからね……。もし伊坂の使用人だとすれば、詳細は明かさなくても伊坂の命令に従って行動するでしょうし、そう考えておく方が合理的だと思います」

確かに打ち合わせの現場に、『新浮上』した男は居合わせなかったのだから、佐田の殺害についてその男が打ち明けられていたかは疑問だ。この手の話は知っている人間は出来るだけ少数にすべきという鉄則からすれば、伊坂の命令が及ぶ範囲の人間であれば、「こういう男がいるから旅館から連れて来い」とでも言っておけば、特に問題はなかろう。業界の裏工作を頼んでいるとでも言っておけば、不自然なやり取りにそれ以上の説明は必要もないはずだ。勿論、その後伊坂は警察に疑念を掛けられたのだから、何か疑いの目を向けることがなかったとは言えないかもしれない。しかし、そうだとしても、腹心の部下であれば、一々警察に密告するなどということもなかろう。西田がそう考えている間も、竹下はそのまま自説の披露を続けた。


「しかし皮肉なことに、佐田が殺されたのと同じ日である、今年の9月26日に喜多川の延命装置が外され死亡……。あくまで、新たに浮上した、喫茶店まで連れて行った男が、どこまで『陰謀』を知らされていたか疑問だという前提で考えれば、現状、事件について詳細に知っている関係者は、本橋以外全員死んだと言えませんかね? そこに今回の本橋の自供は、『トドメ』を刺すチャンスじゃないですか?」


 竹下の言うトドメとは、本橋が将来的に死刑になることを考慮すれば、直接的な事件関係者が全員この世から消え、そして本橋の証言によりその4名の中で話が「完結」することで、これ以上は誰にも波及することもなく、事件は終焉を迎えるという意味なのだろうと、西田はこれについてはすぐに理解した。

「そうなると、本当の黒幕である依頼者により、本橋は自供を促されたという陰謀論になるのか?」

西田は竹下の真意を探るように、少々たどたどしい口調で聞いてみた。

「まさにそういうつもりで言ってるんです!」

ピークよりは穏やかになったとは言え、それなりにヒートアップした会話をしていたせいか、他の人間が府警の聴取を見つつも、横目で控室内の2人の会話も気になるという空気を察知した西田と竹下は、再び声を潜めた。


「それなら更に疑問があるな。そういう風に積極的な意味で明らかにしたいのなら、何故本橋は、佐田を殺害した年を自分で言い出さなかった? 連絡船が廃止される前年なんて言い方しないで、ストレートに言うべきだろう」

「いや、連絡船が廃止される前年なんてのは、調べりゃすぐにわかるでしょ? 本当にわかってないあやふやな証言と比べると、非常に特定しやすいです。むしろ自分は白々しいと思いますよ。そもそも、本橋のこれまでの聴取への対応は隙がないわけですから。それすら『計算』の内じゃないかと思いますよ?」

竹下は立て板に水を流すように反論してみせた。事実、本橋の相手に隙を見せない言動を考えれば、穿った見方をするなら、何気ない一言一言にも意味があるのかもしれない。さっきも思ったが、西田達を巧妙にリードして、捜査の「結論」を本橋の狙った方向へと出させているフシも見えなくない

「加えて、やっぱりタイミングが良すぎるんですよねえ。喜多川の死は勿論、佐田の遺体が発見されたのも8月末。本橋の話も、係長によって佐田の遺体が発見されていたという話があったからこそ、トントン拍子でこれから捜査出来ますけど、見つけられてなかったら、かなりやっかいですよ。何せ、本橋もそこは細かく憶えてるわけもないのは本当でしょうから。そうなると、本橋が自供したところで、佐田の遺体を発見することすら難しかったかもしれない、最初に埋まってた場所ですらね。土地鑑(勘)があった篠田だからこそ、5年後でも埋めた場所がわかったんでしょうけど……。大体が、元の場所から墓標へと遺体自体が移動されていたんですからね、事件から5年後に。尚更ヤバイですよ、捜索する側にとっての条件としては。絶対見つからなかったと断言してもいい!」

「うむ。それは否定出来ん」

当然、その点については、西田も結果的には自画自賛になることも踏まえた上で同意した。


「本橋が、執行を遅らせるという意味で今回の自供につながったなら、むしろ遺体の移動まで突き止めて、ウチが発見したことは確実にマイナスでしょう。遺体が発見されない方が捜査が長引きますから。ところが実態は逆です。捜査は矛盾もほとんどないので楽に進みます。そうなると、黒幕が居るとすれば、そいつにとっても好都合でしょう」

竹下の発言は、再び段々と熱を帯び、そして自信に満ちあふれてきたように西田には思えた。

「一方で、佐田の失踪の殺人事件化発覚、言い換えれば佐田の遺体発見は、北海道ですらそれ程報道されてないぐらいです。自分の説が事実だとすれば、少なくともその情報が入っていなくては、今回のそれこそ陰謀は成り立たない。最終的な黒幕が誰であれ、この陰謀には確実に道内在住者が関わってると見てます。極論を言えば道警関係者含め」

竹下の「道警」と言う言葉には、直接は関係ないはずの平松も、マジックミラーの方から視線を議論を戦わせている2人に明らかに移したのが西田の視界に入った。倉野は竹下の性格を熟知して、これぐらいの発言は想定しているのか、反応は一切示さなかった。


「ここまでの竹下の考えはわかった。ただあと1つ大きな疑問がある。今更本橋が黒幕をかばう行動をしたとして、その対価は何だ? もう本橋は執行を待つだけだ。個人的な恩義でも無い限りは理由がわからない」

「それは今のところ自分もわかりませんね。ただ何らかの裏があって不思議ないと自分は見てます」

竹下の頑なな態度は今に始まったことではない。頭も切れるだけに、一度本人がこうと決めたらこれ以上説得するのも時間の無駄だ。ただ、西田は一言だけ言いたかった。

「ただな、ここまでは、口が悪い表現をさせてもらうなら、今のところはおまえの想像に過ぎん。例え本橋の性格を考えたとしても推測の域を出ることはない。それなりに理屈は立つが無理筋でもある」

西田の言葉は多少キツイものだった。ただ、同じ場所には部外者が多かったので、多少抑える役割を自分がしておいた方が竹下のためにもなると踏んだからでもあった。上司たる自分が一緒になって、部下の奇想天外な推理を喜ぶべき立場でもない。


 その時、倉野がようやく一度携帯から顔を離し、

「本橋と伊坂の話してるようだから、ついでに俺からも一言2人に言っておく」

と突然喋りだした。西田と竹下は無意識ながらハッと倉野に顔を向けて注視した。

「佐田の失踪後の当時の捜査で、佐田に資金提供云々の伊坂による証言があったから、裏付けも兼ねて念のために、伊坂組関連と伊坂周辺の口座、資金関係のチェックしたそうだ。だが特に不自然な大きな金の流れはなかったらしい。逆に言えば、本橋への殺害依頼の報酬は、伊坂関係の銀行口座や資金からは動いてなかったとも言えるんじゃないか? 少なくとも前金の200万、成功報酬の800万のような金額は、当時捕捉した限りでは浮かんでこなかった。そういうことだ。それが何を意味するかはわからないが、払ったのが伊坂ではないと言うのなら、それはそれで筋は通る。あくまで筋が通るだけだがな……」

そう2人に含みながら話すと、再び電話を続けた。竹下はそれを聞いて顔を西田に向け直すと、

「そうなると、払ったのは黒幕かもしれない?」

と喋った。倉野の発言は、竹下にとっては少々追い風になったようだ。

「いずれにせよ、そこは確実な証拠がないとな……」

西田は釘を差した。逆に言えば、竹下がそこを証明出来れば、事態は一気に動き出すという西田の無意識の期待も込められていたことに、西田自身がほとんど気が付いていなかった。


「それはわかってます」

一言だけ言うと、脇に居た平松に向かって、

「すいません。本橋が死刑確定したのが9月11日だったはずですが、そこから10月2日に自供するまで、1ヶ月とは言いませんがかなりの期間があります。本橋の言うように『死ぬまでに全部吐いてすっきりしたい』と言う言葉をまともに受け取るにせよ、そこまでの心境に至るのにそれほど掛かるとは思えないんですが。だって、表では否認していたとしても、自分で実際に殺っていた上に、裁判で死刑が確定したんですよ?」

と疑問を呈した。

「そりゃまあ、君の言うことには一定の理があるが……」

平松は竹下の「異」見を否定はしなかったが、

「そもそもだ。逆に言えば、今になってゲロするぐらいなら、もっと前にやっとけって感じだろ。どんな心境の変化があったか知らんが、とんでもねえ奴だ」

と悪態を付け加えた。

「だとすればですが、この間に何か翻意させるようなことが起きたと考えることは、それなりに筋が通るはずです。当然調べてるとは思いますが、最近になって誰か面会に来たとかそういうことは?」

「それは言われんでも勿論調べとるよ。ただ、死刑が確定してからは誰も来てない。元々親族からは見放された存在で、捕まってからも親族の誰も会いに来てないんや。死刑が確定してしまったら、基本的に親族以外は面会できない(作者注・改正監獄法において、これは改善されましたが、2007年5月以前においては、親族以外は面会出来ないのがルールでした。これにより、支援者による実質仮装の養子縁組や婚姻などにより、支援者との接触を図るという事例があったわけです)からや。だから、最近になって誰か来たとか言うことはない。ただ、手紙については、死刑確定後の9月の末に、そのちょっと前から直接取材を受けていたブンヤから1通あったらしい」

府警もその点はぬかりなく調査しているようで、完全に頭に入っているのだろう。平松はスッスと言い終えた。


「ということは、死刑が確定する前には、新聞記者が面会に来ていたってことでいいんですね?」

竹下は尚も食い下がった。平松は多少の辟易とした表情を隠さなかったが、

「勿論そういうことやね。面会には弁護士は勿論、その記者がたまに来ていたらしい。気になるなら拘置所の職員に確認してみればどうだ?」

と竹下に一応提案して見せた。

「なるほど。わかりました。手紙の件のタイミングも含め、ちょっと確認させてもらいます」

竹下はそう言うと、控室から出て行った。手紙のタイミングとは、喜多川の死の時期との符合性を言いたかったのだろう。


※※※※※※※


「平松さん申し訳ないです、ああいう性格なもんで……。刑事としては優秀なんですがね、一本気なところがあって、ちょっと暴走してしまうところがある。良い方に向いた時には強いんでしょうが……」

電話での指示をまだしていた倉野は、一度会話を止め平謝りしたが、平松は、

「いや、いいんですよ……。刑事なんてあれぐらいしつこくてナンボですわ。若い内はあれでいい。私も2度や3度、暴走して上司に殴りつけられたこともある。緩急つけるのは40越えてからじゃないですか。話を聞く限り、頭は確かにキレる若手でしょう。馬鹿で暴走するのは困りもんですが」

と大して気にしていない体を装った。この時西田は、竹下の頑固さに一抹の不安を覚えないこともなかったが、倉野同様、竹下の良さはそこでもあると認識していた。それ故、案外「ひょっとしたら」という期待も、実は潜在意識下で芽生えていたのだが、「組織人」としては、西田はそれを自分自身で打ち消しておいた方が良いというジレンマも抱えていた。


※※※※※※※


 竹下は通りがかった刑務官に、警察手帳を呈示した上で事情を説明し、面会手続の窓口へ行き、申請帳面を確認させてもらった。確かにそこには、「大阪御堂筋リーガルサービス 弁護士 貝山 武」と「大阪御堂筋リーガルサービス 一力 俊介」、「大阪御堂筋リーガルサービス 弁護士 梅田 和馬」の3名に、「東西新聞 社会部記者 椎野 聡」の名前が記載されていた。

「弁護士の3人とも本橋の担当ですか?」

西田は日高と名乗る若い刑務官に確認すると、

「貝山と一力という弁護士は担当弁護士だと思いますけど、梅田ってのはどういう立場の弁護士かわからんですね。貝山と一力は以前からよく見ましたが、梅田は、少なくとも私は、8月中旬以降になってから初めて見た記憶がありますね……。帳面で今見ると、実際8月2日以降からの出現のようですが……。まあそもそも同じ事務所の弁護士ですから、サポート役として出て来て不思議はないんですよね……」

日高は帳面を覗き込みながら言った。

「なるほどサポート役ですか……」

「椎野って記者の方ですが、8月初旬から死刑が確定するまで、色々取材のために会っていたようです。その目的は、本橋の告白録でも出版するつもりだったって話ですよ。そもそも、椎野が本橋に会うようになる前に、梅田が間をとりもったみたいですね。梅田との面会に付き添っていた同僚が、『さっきの梅田って弁護士が、本橋に新聞記者が本のために面会したがっていると話してた』とか苛立ちながら言ってましたよ、8月に。詳しくは知りませんがね」

と答えた。竹下はそのことに興味が湧いたので、

「すいません、その同僚の方、今いらっしゃいますか? 話を聴きたいんですよ、そのことについて」

と日高に願い出た。

「そういうことならわかりました。多分今忙しくないと思いますから、内線で呼び出します」

竹下の要請に彼は応え、同僚の鶴間という刑務官を呼び出した。


※※※※※※※


「鶴間さん。梅田って弁護士と本橋が、新聞記者について語っていた時の話、聴かせて下さい」

「話ぐらいならお安い御用で。確か8月の上旬だったかなあ……」

そう言うと、申請帳を見て1人頷いた。

「うんそうだった8月4日だ……。それでその時に、その梅田ってのが本橋に、『実はあなたに会いたいと言う新聞記者が居るんだが、会ってもらえないだろうか? あなたの半生を振り返った本を出したいらしいんですよ。世間にあなたの境遇について訴えかけて、無実を訴えるチャンスでもあるから、是非会ってみて欲しい』みたいに語りかけていたはずですよ」

鶴間の話はかなり具体的だった。

「なるほど……。ただ、ちょっと気になることが……。大変申し訳無いんですが、かなり細かく憶えてますね、2ヶ月以上前の話にしては」

竹下は不躾を承知で疑問を投げかけた。

「何か疑われてるみたいだなあ」

鶴間は苦笑したが、

「竹下さんでしたっけ? 今となっては全部自供したから意味無いかもしれないけど、それまでの本橋についてどう思ってました? 少なくとも自分は、ずっと本橋はやらかしたに違いないと確信してましたよ。一連の事件の状況的にもそうですが、実際に目の前にしている我々に対しての態度も悪くてねえ……」

と逆に質問してきた。

「正直、色々な状況証拠を踏まえて、まあ自分も犯人だと思ってましたよ」

竹下も率直に思いを伝えた。

「でしょ? そういうことだから、弁護士がそんなことを言ってるのが、とても腹立たしくてね。何が半生を振り返った本を出版だと……。 そんな怒りもあって、この日高にも愚痴を言いましたし、はっきり憶えてるんですよ」


 鶴間の記憶が鮮明だった理由は、確かに彼の説明でよくわかった。確かに明らかに有罪な人間であれば、その不遇な半生があったとしても、世間は同情することはあるかもしれないが、それを以って有罪を無罪だと思うような変化はまず起こらないだろう。しかも、目の前で本橋を見ていた人間からすれば、出版の動機をくだらないと思うだけでなく、態度の悪さも相まって、自分の不遇をまず訴えかけようとすること自体が、尚更ふてぶてしいことだと怒りを覚えて不思議ない。

「そういうわけで、詳細に記憶されてたわけですね。なるほどよくわかりました。わざわざ呼びつけて申し訳ない」

竹下は小さく頭を下げた。そして、日高と鶴間に礼を言うと、本橋へ椎野から届いたという手紙について確認するため、勾留されている被疑者や死刑囚への待遇・処遇を扱う処遇部へ今度は向かった。廊下を小走りに急ぎながら、死刑確定後、唯一本橋と手紙でコンタクトした椎野と、8月に突然現れた梅田それぞれの人物像に加え、梅田が椎野の要請を本橋に伝えたという関係性が気になっていた。


 処遇部に着くと、手紙のコピーを確認させてもらった。全部で3通あったが、重要なのは、自供のタイミング的にも、死刑確定後送られた1通の手紙だろう。その前の2通は軽く目を通しただけで、その1通に竹下は関心を寄せた。


 内容は非常に簡潔なメッセージだった。拘置所に届いたのが9月の29日。本橋の元に届いたのが翌日の30日だった。10月1日が日曜日。その直後の2日に本橋は自供を始めた。やはりこれが怪しいと竹下は睨みながら、手紙を複数回精読した。(作者注・この手紙については、パソコンか大きめのタブレットで見ることを推奨いたします。大きな画面じゃないと後々のトリックが判別付きません)


※※※※※※※


本橋さん


 先日の今回の判決は、あなただけでなく、私もとても落胆するものでした。

これから時が経てば、受け入れられる……、いや受け入れられるはずもなく。

正直言って、自分があなたともう会えないという事実に愕然としています。

それでも、まだ白旗を上げずに特別抗告という手段も残されてはいます。

ただ弁護士の方々の判断では、それでは覆る可能性がないとのことでした。

確かにあなたのやったことが本当なら、法的にも社会的にも許されません。

しかし、私があなたと居たこの1ヶ月の間に、あなたが凶悪犯であると

自分に感じさせるものは未だにありませんでした。これまでであれば

容疑者の時点で、完全にみんなと同じように憎しみしか持ちませんでした。

ただ今回だけは違った。その具体的な理由を言葉で説明できないもどかしさ。

そしてそれが何なのか、もう突き止めることすら出来そうにありません。

前回の接見が、あなたの顔の見納めとなってしまったのは残念ですが

あの時の笑顔だけが私の救いとなっています。とにかく自暴自棄にだけは

最後まで、絶対にならないようにしてください。それでは、取り敢えず

今回はここまででやめますが、手紙を送れる機会があればまた書かせて

いただきます。



                          椎野 聡



※※※※※※※


「普通の大したこともない文ですね……。本職が書いている割に、何か子供っぽい文章のような気もしますが……」

担当刑務官の多田にそう確認すると、

「ええ。何度も検閲しましたが、文自体には問題ないんでそのまま通しました。ただ、あいつの態度見てたら、凶悪犯だと感じる人間が圧倒的多数でしょうよ。そういう意味じゃ、この差出人の書いてる内容がおかしいと言えばおかしいのかもしれない」

と苦笑いで答えた。竹下自身、今日面会した限り、本橋の態度は潔白だと思わせるようなものは皆無だった。自供した後も何の反省もしていなさそうだったことを考えても、鶴間や多田の話は説得力があった。いずれにせよ、自白のタイミング的には、やはりこれがきっかけとして怪しい。竹下は後から読み直す為、文面のコピーを再コピーしてもらい、ポケットに仕舞うと、急いで西田達が待機している取調室の裏の控室へと戻った。


※※※※※※※


「平松課長、本橋の弁護士はどういう弁護士か調べましたか? それと、同じ事務所の梅田ってのが、担当でもないのに8月になってから急に現れたようですが」

室野と畑山の取り調べを見ていた平松や倉野、西田らの元に、バタバタと竹下が戻ってくるなり、いきなり質問をぶつけた。平松は顔は竹下の方に向けずに、

「少なくとも担当弁護士については、死刑絡みで国選ではなく私選という形だった割には、いわゆる『人権派』ではないね。事務所もそういう系統のところじゃない。梅田ってのは同じ事務所だから、裏で手伝ってるんじゃないか? とにかく刑事事件においては、国選弁護以外じゃほとんど目にしないところらしい。企業法務が主な実績のところだ。こんな凶悪事件だから、人権派に見放されたら、国選弁護士が就くしかないと誰もが思っていた中、突然、御堂筋リーガルオフィスが出張ってきたんで、こっちも当時は驚いたもんだ。一応、金は本橋が自分で出していることになっているようだが、本橋の貯金はそんなに無かったことは確認されているからね。殺しで得た金は使っちまったのか、どこかに秘密裏に隠しているのかはわからんが、表向きリーガルが得てる弁護料は本橋から得たものと、後の大半はリーガルの持ち出しによる、実質手弁当のようだ。ただヤクザに詳しい奴からすると、本橋が昔所属していた暴力団「葵一家」と裏中の裏では関係があるとかないとか……。だから、足りない分はそこら辺から実は出ているという説もあるらしい。一応は、リーガルオフィスは表立っては一流の真っ当な事務所らしいんだけどな。もし、君がそこら辺を突っ込んで色々聴きたいなら、ヤクザ担当の4課の課長、紹介してやろうか? 吉瀬って言う奴で多少付き合いもある。本橋自体が元ヤクザだから、そこら辺の話もしてくれるんやないかな? ひょっとすると、君がさっきから主張している話と何か結びつくものが見えてくるかもしれんぞ。特に『依頼人』の件でね……」

と言った。

「それなら是非お願いします。倉野課長、係長、そっちに関わってもいいですか?」

許可を求めてきた竹下に、倉野はまだ電話をしていたので、それを聞きながらただ頷いた。西田もそれを確認した上で、

「構わんが、俺達の目的は本橋の聴取をしに来たことだ。あんまり時間掛けるなよ」

と、半ば黙認の感覚で許可を出した。

「ありがとうございます」

竹下は少し嬉しそうな表情を浮かべた。

「じゃあ今電話してやるよ」

平松はそう言うと携帯で吉瀬という捜査4課長に連絡をとってくれた。しばらく平松が吉瀬相手に説明していると、すぐに会えるという。竹下はそれを受けて、先に拘置所を出て府警捜査四課へとタクシーで向かった。


※※※※※※※


 一方控室では、北見方面本部への電話での連絡を終えた倉野が西田に、

「捜査令状、駅前の旅館の写真手配、本橋の宿泊についての旅館への確認、いずれも準備はOKだ。いや、OKって言っても、例の連続殺人の件で、まだ人員そっちに部分的には割いてるから、ぎりぎりのラインだけどな」

と伝えていた。

「そう言えば倉野さんはそっちはもういいんですか?」

「良いか悪いかなら、正直良かないけど、目処はついてるからな……。ひとまずこっちに絡んでおいて、申し訳ないが君らより一足先に北見に戻るつもりだ」

と言った。

「大変ですね……」

部下とは言え、西田からの労いの言葉に、

「それが仕事だからな」

と笑みを浮かべた。ただ、さすがに一連の事件で初めて会った時よりは、かなり疲れが顔に出ているように感じた。


「ところで、本橋の宿泊確認ですが、あれだけ全国ニュースになった男です。もし泊まっていたなら、既に気付いていても不思議じゃないです。そりゃ意識してないとわからん部分もありますが、そこはやっぱり今証言が取れるかは微妙ですよねえ……」

西田は空気を変えるように話題を元に戻したが、

「そこはお前の言う通り、意識しないとわからんのはありえるだろ? やってみるしかない」

と、倉野はタバコを咥え、未だに続く府警の聴取を見ながら煙を吐いた。


「やっぱりこれ以上は喋りそうもないわな。予期していたとは言え、残念や……」

しばらくすると、マジックミラー越しに取り調べを見ていた平松は、苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。長い期間事件への関与を否定し、自供後も一定ラインは絶対越えない本橋の口の堅さには、歴戦の強者が揃っているだろう、府警の捜査一課の刑事達でも敵わないということを意味していた。西田と竹下の取り調べには、本人がゲロった上でのこともあったが、非常に積極的に応じたこととは天と地との差があった。


 逆に言えば、何故そこまで本橋の態度に差が出たのか、竹下ならずとも西田も疑念を抱かないわけではなかった。警察が具体的な情報を持ってきたか否かがその基準だという本橋の言葉は、竹下の言う通り、そのまま受け取るのはやはり無理がある。結局、室野と畑山の聴取はこれまで通り、自供以上のモノが掴めないまま時間切れとなった。


※※※※※※※


 その頃、大阪府警庁舎・捜査四課(暴力団対策課)の室内の応接セットでは、竹下が、平松から紹介された四課長の吉瀬と対峙していた。マル暴と来れば、ヤクザと見紛う風体の刑事の印象が強いが、ガタイこそがっちりしてはいたが、顔付きなどはそれ程厳いかついという感じでもなかった。マル暴とは言え、府警の課長クラスともなるとさすがにエリートだけに、単純に荒っぽいだけではなれない役職だということなのだと、竹下は1人納得した。


「平松課長からの連絡だと、本橋と弁護士の件で詳細を教えてやれってことやけど、それでええの?」

「はい、是非」

「じゃあ、オレもそうは暇ってわけじゃないんで、必要事項だけ手短に説明させてもらうわ。まずは本橋の生い立ちからやっとくかな……」

そう言うと、吉瀬と竹下の間にあるテーブルに資料を出して説明し始めた。


「本橋は大阪の河内長野の生まれ。小さい頃からの貧乏暮しや、両親の家庭不和という環境の問題で不良になった。しかし、ただのワルやのうて、小賢しいというか、狡猾というか、頭の回転が早いのと、身体こそ大きくないが喧嘩の強さで、地域の不良連中の中からのし上がったって言う、まあありがちな話やな。勉強も遊び呆けていた割には結構出来たようやから、内申が悪かった割に、その後、地元の中堅上位の公立高校に進学するもお決まりの中退。そこからはまあ、悪い連中との付き合いの中で、自然とヤクザ稼業に取り込まれたって話やね。そのヤクザ連中が今や全国で名を馳せる指定暴力団『葵一家』。その時特に可愛がって貰ったのが、今の組長『龍川たつかわ 皇介こうすけ』。幹部の龍川のコネは勿論、能力もあるからドンドン出世するわな。ただ、龍川は本名が『木村 康太こうた』と平々凡々の名前なのは内緒やで」

ここで一旦軽い笑い入れて来たので、竹下も愛想笑いをしておいた。


「今日、本橋相手に聴取したそうやから、おそらくわかったと思うが、本橋はあれだけの太い神経とボロはそう簡単に出さない狡猾なところを見ても、まともに育ったら、逆に違う世界でもそれなりの地位に就いたろうになあ……。どんなに最後は自分次第と言っても、生まれや環境は赤ん坊には選べんからな……。おっとそれはどうでもいいんや! 話の続きせなあかんな」

そう言うと、吉瀬はパンと両手を軽く合わせた。


「それで、若い頃から、フィリピンでの拳銃の密輸に関わることでも頭角現して、順調にヤクザの世界の階段を登っていた奴だったが、若頭補佐にそれこそ若くして就いた9年前だったか、そや86年の夏やな……。あることで失脚することになるんや。好事魔多しってところかな……」

吉瀬は資料をめくる手を一度止めて、竹下を見やった。


「何があったんですか?」

「本橋の子分に国分こくぶんってのが居ったんやが、そいつが組への上納金かっぱらって消えたんや。金額にして5億以上と言われてる」

「5億!?」

竹下はそう言いかけて、本橋については、既に府警との打ち合わせで、「舎弟の不祥事の責任をとって組を離脱」という話を聞いていたことを思い出した。記憶力には自信があるが、色々考えあぐねている間に、本橋が組を出て行った経緯を軽く「喪失」していた。勿論それはここまで具体的な話ではなかったが……。

「そう5億。もっとデカイ額だったっちゅう話もあるが、そこは組のトップシークレットらしく、こっちも正確な情報は持っとらん。なんでも薬での太い取引で得た金だったとか。あくまで噂やけどな。それで本橋もけじめ付けなあかんって話になったんやけど、まあ奴は龍川の可愛い子分やから、口頭で破門したんや」

「破門ってのは重い処分じゃないんですか?」

竹下は暴力団関係の知識が余りないので、釈然としなかった。


「竹下さんよ。マル暴のデカじゃないから仕方ないのかもしらんが、刑事たるもの、そこら辺は知っといたほうがええで。ええか。絶縁と除名ってのが破門より重いんや。それを出されると、二度と組には戻れん。それに対して破門っちゅうのは、場合によっては戻れるんや。どっちも組の掟に背いた結果としての懲罰やが、そういう差があるってことは知っといてや!」

一般的には破門の方が深刻なイメージがあるが、実態としては破門は復縁の可能性を残した処置ということになるようだ。


「ということは、本橋は復縁の可能性を残したまま組を離脱させられたわけですね」

「そういうこと。ただ、一応今の今まで本橋が復縁したという形跡はない」

「じゃあ葵一家としては、もう本橋は過去の人という感じなんでしょうね」

「うーん、そこがまた微妙なところやね……」

吉瀬の含みのある言い方に、竹下は食いつかざるを得なかった。面白いかどうかはともかく、関西人だけあって、なかなか話の展開が上手い。

「気になりますね」

「気になるか? せやろな」

会心の笑みを浮かべると、

「実はな、本橋がやった一連の殺しについては、本橋の組への償いの意味もあったんじゃないかという説を唱える『同業者』もおるんや」

と言った。同業者とは警察という意味ではなく、本橋の同業者、つまりヤクザという意味だと、竹下は瞬時に理解した。


「ほう、その筋の連中の見方ですか……。それはどういう意味なんですかね?」

「結局のところ、最低でも5億の損失は、丸々埋められるような額じゃないわけや。だから一応形として破門した上で、最終的に、ヤクザの中でも更に裏稼業としての殺しをさせることで、本橋にケジメつけさせたという話やな。本橋自身も、恩のある兄貴分、つまり今の組長に借りを返したいという思いもあっただろうし。そういうことを言っているヤクザもおるっちゅうことや。勿論、それが破門した段階から決まっていたかどうかはまた別の話やけど。とにかく本橋の性格上、借りはきっちり返すというのがポリシーらしい。ただ、逆に言えば、貸しを返さない奴や、無理を押し付ける奴は許さんという性格でもあるらしいが」

「それは警察全体としてはどういう扱いなんですか? 捜査一課の方ではそういう話は聞いてませんが」

竹下は新たな説に戸惑いを隠せなかった。

「それはしゃあない。これについては裏が全く取れてないから。あくまでその筋の連中の噂やからね。マル暴やってるとこういう噂話があらゆる方から入ってくるから、もっともらしく喋ってるが、捜査一課みたいな方だと、裏取り出来ない話に、簡単に乗るわけにもいかんやん? しゃあない部分はあるわ。平松課長も勿論知っているけど、一課としては犯人が挙げられれば、その裏の筋書きまでなぞる必要はないってことや。本橋でもわかるように、連中はそうそう口は割らんから、時間の無駄になることも多い。だったら判ってることだけ追うのも1つの手。全部解明しようと思ったら、時間も金も人員も足らん……。まあ、ただ今回はそれだけやのうて、どうも色々他に絡むからという意味もあるんやろうけど、それは後で話すから、今は言及せん」

最後に含みをもたせた言い方はしたが、取り敢えず吉瀬の言ったことはなるほど、理想とは違うが現実の捜査としては仕方ないのかもしれない。


「一連の本橋の事件捜査で、殺人が依頼されていたと疑われていたものの、なかなか依頼人とのコネや金のルートがはっきりしなかったというのは、今の話を前提にすると、まさに葵一家が裏で本橋との橋渡し役をしていたってことも関係していそうなんですか? 今度大阪に来ることになった、我々が追っている殺人についても、金が本来流れるべきところで流れていないので、色々あるんじゃないかと思ってるんですが……」

「いいところに目を付けたな。オレもそうじゃないかと睨んどるよ。一課の捜査では、架空含め、判る範囲の本橋の銀行の口座なんかも動いた形跡がないそうや。それで居ながら、殺した人間と本橋は完全に無縁関係やから……。いや、まあ無縁だからこそ、本橋が自供する前から、依頼殺人だという話になってたんやが……。本橋が口を割らない以上、依頼人が結局浮上しないままここまで来てしまったというところやな。今回の自供でも、依頼殺人だとは認めたが、何故かそこまで言っておきながら、依頼者についてはダンマリやろ? 組が橋渡ししていたとなると、本橋自身が最初から最後まで依頼人とは一切コンタクトしてないなんてこともありえるんやないか? あそこまで口を割らないってのは、いくら狡猾でもなかなか難しいもんやで。あくまで推測に過ぎんけど」

吉瀬はニンマリとして竹下を見つめた。


「なるほど。そういう理由が口の堅さに繋がったという見方もありますか……」

竹下はそうは言ったが、さっきの聴取で、佐田殺害については伊坂が関与したと、本橋は実質自分からバラしたようなものだった。その点は他の事件とは異質だと思い、吉瀬に簡単に説明して意見を求めた。

「ふーん、そりゃまたおかしな話やね……。他の事件の話と明らかに態度が違う。確かに何か目的があるような匂いがするわ」

竹下と同じ反応を示した。


 この時竹下は、四課に来て良かったと心の底から思っていた。多少口は荒いが、なかなか役に立つ情報を丁寧に教えてくれるし、考えが似ている課長だ。正直、一課から聞いた捜査情報よりも余程竹下の探究心を刺激する内容の話だ。正確に言うなら、平松と吉瀬の関係を垣間見る限りは、一課は単に情報の出し惜しみをしていたのかもしれないが……。

「大変興味深い話を聞かせてもらってるんですが、元々ここに来た目的でもある、特に聴きたいことがありまして……。本橋の担当弁護士の件なんです。なんでも葵一家と裏でつながりがあるとかないとか」

竹下は、一度話を整理しようと、話題の転換を図った。だが、吉瀬は思わぬことを言い出した。

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