第38話 明暗17 (101~104 竹下マル暴と対峙2)

「いやいや、その弁護士の件やけど、もうちょっと黙って聞いとって欲しいなあ」

「あ、そうなんですか。それは失礼しました」

竹下は思わせぶりな吉瀬の態度に、今回は少々イラッと来たが、まあ許せるレベルだ。

「先輩刑事の話の腰を折ったらあかんで」

そう付け加えると、吉瀬は内線に電話を掛けた。

「おい村田、お茶! 喋り過ぎて喉乾いたわ。お客さんにも何か……、お茶やのうて、コーヒーかジュースの方がええかな?」

吉瀬は竹下に何か飲みたいものはないか確認してきたが、竹下としてはそんなことはどうでも良くなってはいた。しかし、直前の「話の腰を折らない」と言うフレーズを考えて、

「じゃあジュースで」

と言った。

「コーラしかないけどええな?」

「それで結構です」


竹下の「了承」を受け、そのまま伝達すると、吉瀬は竹下に断って外を見ながらタバコを吸った。だが大した時間も掛からず女性職員がそれぞれにお茶とコーラを持ってきたので、吉瀬は慌てたようにタバコを灰皿に置き、女性職員に一言二言おべんちゃらを言って返し、竹下に飲むように勧めた。それを受けて缶の蓋をプシューッと開けると、炭酸の白い煙が一瞬立ち上るのが見えた。竹下にはその小さな煙が、何故かこれから始まりそうな、捜査という「戦」への狼煙に感じとれた。


「じゃあ一息付いたから再開しよか。ほんで本橋が居た葵一家の話やけど、当然この規模の組やから、フロント企業っちゅう一見堅気の会社を持っとるわけや。まあ、裏じゃヤクザの資金源になっとるわけやな。組自体にも当然顧問弁護士はおるが、そういうのはあからさまに『ヤクザの弁護士』っちゅうことになる。それに対して、フロント企業の弁護士は、少しは堅気の弁護士という扱いやね。勿論、フロント企業なんてのは、見る人が見ればすぐわかる程度のことやから、堅気って言っても、それなりに怪しい弁護士なのは同じことやね」

吉瀬は資料の、葵一家の関係会社を指で指し示しながら説明した。


「今回の大阪御堂筋リーガルオフィスっちゅう事務所は、企業法務で一流と言われてるそうや。せやから、ヤクザもんとの付き合いは、かなりこの業界に詳しい連中でも、まず見出だせんはずや。ただ、どうも突き詰めていくと、実は怪しいっちゅう話がある。表の顔と裏の顔が両方混在した、いい事例があるからちょっと話したるわ」

ここで吉瀬は資料を一度閉じて、竹下に直接視線を合わせた。


「9年程前やったかなあ。丁度本橋が破門になったのと同じ年……、1986年か……。葵一家絡みで、関西本拠の大手都市銀行の、大阪のある支店の融資が問題になったことがあったそうや。支店長が内規に違反して、葵一家の関係会社にかなりの不正融資したって話を聞いとる。こういうのが大蔵省(作者注・当時は金融庁など存在せず、大蔵省の中の部門がチェックしておりました)に知れたら大問題や。そこを葵一家が、銀行側に『この件をバラす』と脅したと言う事態になったそうや。まあ、この件を警察こっちが知ったのは後のことで、仮にリアルタイムで知ったところで、どっちにせよ手出しは出来んかったと思うが、その理由は後から判るはずやから、今は説明せん。で、その時、表向きは銀行側に付いて、収拾を図ったのがこの事務所なんや」

「今の話からすると、リーガルオフィスは葵一家と一応は当時対立関係だったということですよね?」

竹下は率直に疑問を口にした。


「まあ、表立ってはそういうことやな。ただ、表はそうでも裏はそうとは限らない……。それ以降、その銀行と葵一家は、それこそ『懇ろな関係』になり、その銀行絡みの、首都圏、関西都市部中心とした地上げに、葵一家のヤクザ連中が積極的に絡むようになったって話や」

「ちょっと待って下さい! それはリーガルオフィスの『調停』は失敗したってことですか? それとも、葵一家に銀行側が結局折れたってことですか?」

竹下の割と明晰な頭脳でも、吉瀬の話は読みきれない部分が多かったので、困惑の色を隠せなかった。


「ほな種明かししよか? よく聞いとくんやで」

吉瀬が竹下を見る目は、大人が子供相手に手品をして、驚かせているような喜びに満ちていた。

「実はな、銀行側は穏便に解決する目的なんざ、弁護士を利用した時点でこれっぽっちも持ってなかったんや。むしろ『毒を食らわば皿まで』とばかりに、バブルの芽が出るのに乗じて、地上げで自分達の利益の拡大を虎視眈々と狙っていた。そしてそのために、一見まともな弁護士事務所に葵一家への対応を依頼したんやが、それはヤクザへの対抗措置や事態収拾目的やのうて、ほとんど最初から、裏で葵一家との関係を構築するための、表向きの目眩ましと言う真の目的があったんや! それを目的に、銀行の頭取と親しい政治家から『信頼出来る』リーガルオフィスを紹介してもろたってこと。リーガルオフィスはその政治家と緊密な事務所やからな!」

吉瀬は苦笑してみせた。


 吉瀬の口から語られた話は、竹下の想像を遥かに超えていた。ヤクザに脅されたのを銀行が逆手に取ったのは、バブルの異常な土地価格の上昇が始まりつつあった、1987年近辺を念頭に置いても、到底信じられない発想だった。確かに銀行絡みの土地転がしや地上げに、更に裏でヤクザが絡んでいたということは竹下の知識にもあったが、そのきっかけがヤクザによる脅迫から始まった銀行があるというのが信じられなかった。


 ただ、何故政治家と緊密な関係がある弁護士事務所が絡んだのか、その時には、竹下には理由がはっきりとはわからなかった。何となく政治家が利権に絡もうとしたということは、十分推察出来たが……。


「ちょっと待って下さい! そのために雇った弁護士事務所は、政治家と緊密だったとしても、それが何故、直接ヤクザとの関係構築に繋がるんですか?」

「いい質問やね。ただ、まだ話の続きがあるから、そこでわかるはずや。でな、その銀行は、実名挙げれば『京阪興業銀行』やけど、当時都市銀行の中では、関西中心にしか力がのうて、実績は下位やったもんで、業績拡大をしたかったんやろうなあ……。そこに首都圏中心にして、バブルの兆候が出てきた。首都圏への進出拡大と業績アップの一挙両得の可能性が出て来たってことやな。一方で、ヤクザの脅迫・恐喝という火の粉が降りかかってきた状況にどう対処するか考えた挙句に、業績を上げることと脅迫を解決することの、こちらでも一挙両得を狙った行動に出たが、それがこの弁護士事務所を表向き使ったことやと聞いとる。そして、そのために口利きした政治家ってのが、その前年まで首相だった、『箱崎 洋一』という話やぞ」

尚も続いた話は更に強烈だった。


 一連の捜査において、箱崎の名前を竹下が聞くのは、今回が2度目だった。西田達が札幌に捜査に出張した際、道警の遠山本部長が話していたことを西田が聞き、それがそのまま遠軽署に報告されていたのが1度目である。


 それは、佐田実の失踪に際して、国会議員の大島が道警に圧力を掛けようとした時に、当時の道警本部長であった丹内に対し、大島の派閥の領袖である箱崎が、丹内の高校と大学の先輩であったことを、おそらく大島が利用したのではないかという話だった。


「そんなビッグネームが介入してきたわけですか……。ということは、リーガルオフィスと政治家との間に緊密な関係があるってのは、箱崎のことだったんですか?」

「せやな。箱崎派の『梅田 辰之助』って有力議員が居るやろ? あれがリーガルオフィスの梅田弁護士の親族や。いや、そもそもやが、それもあるが、事務所の所長である高松ってのが、箱崎の元秘書の弟でもあるんや。詰まるところ、あの事務所自体が箱崎派と密接に関わってるってこった」

竹下は思わず膝を叩いた。本橋と椎野の間を取り持った梅田弁護士は、大島と同じ派閥の梅田議員の親族だったのだ。伊坂の事件に介入してきた大島議員と椎野、そして本橋に繋がりが出て来た。


「さて、ここまでで喜んどる場合やないで! ここからが本題やぞ! 京阪興業銀行は、ヤクザとのビジネス関係を構築するために、政治家に頼んで、その政治家と縁の強い弁護士事務所を、表立っては脅迫への交渉役に仕立てた。あんたは、それがどうしてヤクザとの関係を構築することになるか疑問だと言った。その答えは、ズバリ、箱崎自体が葵一家と密接な関係があるからってことや」

ここまで来ると、吉瀬はあきらかに竹下を弄ぶことを喜んでいるようだった。逆に言えば、それほど複雑な背後関係がこの事件にあるという証左なのだろう。

「詳しく教えて下さい!」

「あんたは府警の部外者やから、この機会にしっかり教えたるわ! 府警の奴やと、知ってる同士でもなかなか大きな声では言えん話やけどな……」

吉瀬はそう言うと、自分の口の前に人差し指を立てておどけたが、すぐに話を再開した。


「箱崎は、元々大阪の有名公立高校から東大出て、通産省(作者注・現・経産省)の官僚やってたんやが、昭和30年代前半、民友党の同じ通産省出身の代議士の三俣っちゅうのが引退するというので、その選挙区からまだ若かったものの、官僚辞めて出馬することにしたんや。ところが、同じ選挙区(作者注・昔は中選挙区制)の民友党の坂田っちゅう、現職の代議士が横槍入れてきて、なんでか知らんが箱崎の選挙を邪魔したんやな。事情はわからんが、まあ醜い内部権力争いの類やないかな……」


 竹下は吉瀬の話を聞きながら、大学時代の記憶が脳裏をかすめていた。竹下は、翔洋大学法学部の政治学科を卒業しており、マスコミ志望と言うこともあって、同時に、近代日本政治史ゼミに所属していた。故にそこそこ日本の政治についての知識があった。


※※※※※※※


 民友党は1955年に民政党と同友党の合併により誕生し、日本の政党政治において長年与党として君臨していた政党だった。その民友党の中で最大クラスの勢力を誇っているのが、箱崎元首相が領袖である箱崎派であり、その前身が「大島 憲一」元首相が率いるおおとり会だった。


 民友党の有力議員「三俣みまた 光三郎」は鳳会の一員であり、大学と商工省(通商産業省=通産省の前身。今の経産省は通産省が2001年の省庁再編で改名)の後輩の箱崎に、引退後の選挙区地盤を譲ろうとしたが、別の派閥、統道とうどう会の有力議員だった坂田圭一に邪魔されたということなのだろう。いわゆる派閥間抗争の煽りを食らったと言えた。


※※※※※※※


 そして、尚も吉瀬の饒舌は止まらない。

「その坂田選対(選挙対策本部)の露骨な妨害で、箱崎は善戦むなしく、民友党の同一選挙区2議席確保戦略に失敗し、野党の対立候補にも負けて落選してもうた。そのことで、箱崎は政策を前面に打ち出してアピールするスマートな選挙をやることより、ドブ板の道を選ぶことになったんや。エリートで通ってきた奴の人生にとって、この落選は大きな汚点になったんやろうな……。何があっても当選してやるという、誤った信念を持ってしもうた……。そこで、大阪の南部の沖仲仕おきなかし(もしくは「おきなかせ」)……、ああこれは今は差別用語扱いやったか……、言い換えれば港湾労働者の仕切りから始まり、表から裏まで、地域社会に大きな影響力を持っていた、当時はあくまで関西地方の一ヤクザやった『葵一家』に、地域の票の取りまとめを頼んだ。そこから、箱崎とヤクザとの癒着が始まったわけや」

吉瀬は深くため息を吐いた。箱崎の当時採った選択がもったいないという意識があったのだろう。


「東大出の官僚という、エリート街道まっしぐらの箱崎が、ヤクザである葵一家とズブズブの関係があったってのは、僕も初めて知りましたよ」

竹下は改めて驚いたが、

「こっちで裏社会と関係がある、或いは裏社会に精通してる人間にとっては、かなり有名な話やで。全国的には、そうは知られとらんし、マスコミも騒がないから知られないだけのこと。北海道じゃ知らなくてもしゃあないわな」

と言って、吉瀬は慰めるつもりなのか、半ば嘲笑っているのかはわからなかったが、心のどこかで、「無知は罪」だと思っているに違いないと竹下は感じていた。


「元々鳳会ってのは、官僚出身議員を中心とした、戦後保守本流の派閥として、スタート時点から一時期まではエリート集団やったようやけど、同じエリートでも、そういう紆余曲折があった箱崎が台頭するに従い、どんどん金権・利権体質の派閥へと変貌していく流れが出来てしまったようやね。そして、箱崎が後を受け継ぐ時点で、名前も箱崎派へと変化し、名実共に箱崎の派閥となった。類は友を呼ぶやないが、当然そういう体質の議員が多くなってきたという結末でもあるわ。昔の鳳会は、大島元首相始め、あんたの北海道から出てた『海東 匠』とか、立派な議員さんが多かったみたいやけど、今じゃ梅田辰之助やら海東の後を継いだ大島筆頭に、怪しい利権集団の出来上がりってオチやね。軒を貸して母屋を取られるって奴やで。大島海路は、大島憲一元首相から、大島の名前をもらっとるんやろ? それがこの始末じゃ、亡くなった大島はんもやりきれんやろな……」

吉瀬は話し終えると、再びタバコを取り出して火を付けた。


「今の吉瀬さんの話を前提とすれば、京阪興業銀行は、実は最初から葵一家と箱崎の関係を知っていて、箱崎を使って葵一家と、コネを作ろうとしたってことですか?」

「せやで! ほぼご名答!」

吉瀬は竹下の発言にパンパンと両手を叩いた。


「もっと正確に言うとやね……。つまり京阪興業銀行も、そして箱崎と一体化しとった葵一家も、完全に秘密裏に手を結びたいんで、目眩ましに、『ちゃんとした』弁護士事務所である、リーガルオフィスを、表向きは揉めてるはずの葵一家との間に入れただけで、最初からヤクザとの間を、リーガルオフィスに仲裁してもらうというつもりはなかったんやな……。あくまで形式上、葵一家と銀行側は対立関係がある、或いはあったという構図を作り出すため、『第三者』の弁護士に入ってもらったという形にしたかっただけやね。勿論、ヤクザと銀行の間に弁護士が入って、不祥事の仲裁すること自体が、本来あるべき形ではないんやけど、政治家とヤクザの関係に加え、ヤクザと銀行が手を組んでバブルの波に乗るという、まさに巨悪中の巨悪を隠すために、軽い悪を『見せ玉』として置いておいたってことになるんかな。つまり、リーガルオフィスは、ヤクザと銀行の揉め事の交渉を任されたっちゅうより、政治家と結託した葵一家と、銀行側の『ビジネス』を結びつける役割を、表向きは揉め事の交渉と称して、実態はカムフラージュ役として担っていたってのがホンマのところやと……。まあリーガルオフィスは、そういう隠れ蓑として都合が良い、箱崎派丸抱えの、大手の法律事務所ってところやろ……。それを本橋の弁護を買って出た視点で見れば、リーガルオフィスがヤクザである葵一家と関係があってのことと言うよりは、葵一家と関係がある政治家とズブズブなのがリーガルオフィスで、そちら側からの意向を汲んだ動き、こういう構図やないかな。すると、当然見えてくるもんがあるわな」

吉瀬はここまで言うと、一度ため息を吐いたが、さほど時間を置かず話を再開した。


「話を戻すと、そしてそれ以降、報酬代わりか、京阪興業銀行は箱崎派にかなりの政治献金をしたり、パーティー券を買うたりしとるようや。当然地上げでは、銀行も儲かり、ヤクザも闇の手数料で儲かったってこと。皆万々歳や、悪事でな……」

吉瀬はそう言うと、再び深くため息を吐いて、再びタバコを吸い始めた。


 ヤクザと政治家の癒着は、到底許されるべきものではないが、箱崎のようなメジャーな政治家はともかく、ある程度その手の話は聞いたことがあったので、竹下にとって全く理解出来なくはなかった。だが、その関係性を、不祥事に付け込んできたヤクザを追い払うためではなく、新たに結託するために使ったというのは、竹下にとっても悪い意味で新鮮な話だったと言えた。


 そして、吉瀬はしばらくタバコを吸ったまま黙っていたが、一気に煙を吐き出すと、おもむろに口を開いた。

「さあ、これがあんたの聞きたかった、リーガルオフィスと葵一家との関係の真実や。実態は政治家と葵一家の関係の一断面に過ぎないってことや。どういう意図で俺にこんな話をさせたかは知らんが、この話を活かすも殺すも、後はあんたや道警さん次第やないかな? まあ俺は知らんよ、これ以降のことに関してはね」

吉瀬はタバコを口元から離すと、試すような視線を竹下に射してきた。竹下はその視線を敢えて受け止めた上で喋り始めた。


「本橋が何故今になって、これまで発覚していた事件、そして、今自分達が追っている事件について突然ゲロったか、正直色々考えあぐねていました。元々ウチでは、奴が今回新たにゲロした殺人については、大島海路の後援者グループがその共謀共同正犯で、大島がそれに泣きつかれて、仕方なく道警に圧力を掛けて捜査させなかったという構図で考えていたんです。ところが、犯人グループと思われた事件関係者が、軒並み死んだこのタイミングでこの自供ですからね……。どうも違和感があったんです。そこで大阪に来て、さっき本橋から話を聴き、今吉瀬さんから話を聞くと、違う構図が見えてきましたよ」

竹下はそう言うと、コーラの缶を口に運んだが、かなりぬるくなって炭酸が抜けていた。話に集中しすぎて、しばらく熱くなった手で缶を握りしめたままだったこともあり、尚更そういう状況になったようだ。ただ、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「その被疑者が死んだってのはどういうことや? オレも平松さんから大まかな話は、本橋が新たに自供した話が、作り話ではなくガチ話だったって時点で、ちょっと世間話程度に聞いてはいたんやけど……」

吉瀬は竹下に詳細を尋ねた。確かに、そこの部分がわからないと話もよく見えてこない。竹下は吉瀬が自分にしてくれたように、そこだけではなく、事件の全体像を紙にペンで書いたりしてまで詳細に説明した。吉瀬は考えていたより事情が複雑だったせいか、より事件に関心を示してくれた。説明が終わると、竹下は今度は自説を話し始めた。


「本橋担当の私選弁護士が、これだけの犯罪者の担当の割に、人権派でもなく、刑事事件に精通していると言うわけでもないとのこと。そして箱崎派と縁の深いところの弁護士事務所所属ということを考えても、弁護士は箱崎、或いは箱崎グループの利益を守るために弁護をを引き受けたのではないか、いや積極的に関わったと言う方が正確かもしれない。弁護というより本橋が『変なことをしないか』、監視役としての弁護人と言えるでしょうか」

それに耳を傾けながら、吉瀬は目を閉じて頷いた。吉瀬が理解しているのを実感した竹下は、尚も言葉を継いだ。


「佐田実の殺害において、もし本橋に佐田の殺害を依頼した『大元』が、仮に箱崎派の大島海路だとすれば、弁護人の選定についてもそれで辻褄が合います。これまで本橋は、佐田の失踪が、最近の捜査で殺人事件と認定されるまで、これも含めて奴が関わった事件についてダンマリでした。ところが、今年の7月末辺りから事件が一気に動き出し、8月の末に、失踪していた佐田と思われる遺骨が我々によって発見され、その後佐田の遺骨と確認され、道警でも9月7日に正式に殺人事件化しました。一方で本橋は、棄却される可能性が高いだろうと事前に思われていた、高裁死刑判決への上告が現実に棄却されてから、その後突然のこの自白です。佐田の事件がただの失踪と、警察に実質上思われていた時には、本橋が黙っていることが犯行グループにとっての当然の利益でした。そしてそれを、弁護団が弁護活動しつつ監視していた。勿論、人権派弁護士も付かないとなると、ただの国選弁護団では、相手が本橋みたいな極悪人じゃ、そうそう真剣に弁護してくれませんからね……。その点、監視役の弁護士でも、表向きは真剣に弁護してくれる以上は、本橋にとっても悪い話ではない。弁護士が適当にやってたら、本橋が『暴走』する可能性がありますから。そこら辺は双方にとって『利益』があった。まあどっちにしろ、本橋はそんなことを言うつもりはなかったでしょうが……。吉瀬さんの、本橋と葵一家との関係性の話を前提とすればですが。本橋が暴走すれば、葵一家と箱崎派の関係もおかしくなってしまう可能性もありますし」

竹下はそこまで言うと吉瀬を一瞥した。


 吉瀬は無意識に察したか、パッと目を開けると、

「ヤクザの世界を考えれば、本橋が暴走するわけがないと考える方が、基本的にはしっくりくるが、まあ『保険』は掛けた方が無難やね。さっきも言ったが、本橋自体は基本義理は重んじ、借りは返さないと気が済まないタイプやが、逆に貸しを返さない奴は嫌いとも聞いとるし」

とだけ言った。竹下はその発言に同意すると再開した。


「今回の本橋の自白が、そのまま認められれば、事件が大島海路にまで飛び火する可能性は消えます。事件が死んだ伊坂、篠田、喜多川、そして本橋の中で完結するからです。伊坂があるルート……、間違いなく葵一家絡みでしょうが、それで本橋に頼んで、本橋が実行、篠田と喜多川がそれに協力したと言う、表向きの解決です。そして本橋が死刑になれば、直接的に関与した全員が死んで、真相は完全に闇の中ですね。勿論大島が、伊坂と本橋を繋ぐただの『口利き役』だったという可能性も無くは無いですが、殺人という重いものを、ただ相手が自分の有力後援者だと言うだけで、派閥と密接な関係を有する葵一家を通じて仲介するとは思えないんですよね。場合によっては幇助どころか、殺人教唆、共謀共同正犯にも問われかねない。殺人教唆だって殺人の正犯とほぼ同じ扱いですから、そんな危ない橋を渡るにしては、ただの、支援者に対する利益供与目的の仲介では動機が弱いように思えます。箱崎自身、そして大島が所属する箱崎派と葵一家の関係……。これは、箱崎本人ではないにせよ、大島海路は箱崎派の重鎮ですから、ほぼ箱崎との関係と言い換えられる。更に葵一家と本橋の一見切れたようで切れていない関係と、本橋の舎弟が闇取引で損害を与えたという組への負い目……。そう見てくると、さっきも言ったように真の佐田の殺害依頼者は、ひょっとして大島海路だったのではないか? 自分はその考えに徐々に傾いてきました」

竹下はそう言いながら、自分の考えを強く肯定するように、何度か大きく頷いた。そして話を続ける。


「その前提で考えるなら、殺害について、現地である北見で、具体的な『指示』をした伊坂については我々にバラしたが、実は依頼の張本人である大島については、一切バラさなかったという意味でも、本橋のヤクザとしてのプライドや、『ヤクザ界』での評価はこれまで同様維持されますし、それにより大島も、死者に全部押し付けて、自分は完全に事件と無関係になるという利点を得ることが出来ます。そして本橋は組への借りを、一連の殺人依頼の完遂は勿論、組と縁のある政治家に近い大島の犯罪関与を完璧に隠蔽することで返せる。どうせ死刑で死ぬのは同じですからね。佐田の殺害成功の報告は、伊坂大吉にはしなかったようですが、その報告は、依頼元である大島本人というより、ある意味大島とは別の意味で、依頼人と言える葵一家の瀧川にでも、自分でしたのかもしれません。一連の他の本橋への殺人依頼の引受において、金も連絡も葵一家が絡んでいたとすれば、佐田の殺害でも同じような方法が取られたと思います。そして伊坂側の資金の動きに、調べられる範囲内ではありますが、殺害前後に大金が動いた形跡がない。それは伊坂自身が報酬を払っていなかったということ、つまり伊坂が依頼者ではないということの証明になるかもしれません」

言い終えると、口の中がやけに乾いたので、温いただの砂糖水と化しつつあったコーラを口に放り込むように飲んだ。


 ただ、この竹下の推理において、殺害成功の報告が直接大島になされず、葵一家のドンである瀧川にされたかもしれないという説は、後にほぼ間違いだったと判明することになる。しかし、そのことが判るまでには、7年も待つ必要があることを、当然竹下はこの時気付いていなかった。


「飛躍はあるかもしれんが、なかなか面白い推理やね。さすがに、あの平松課長がほとんど面識もないのに、わざわざオレに『話してやってくれ』と言っただけあるわ。あんたのキレを見抜いたんでしょうな。ただ、大きな疑問が残ったままやね」

吉瀬は意地の悪い笑顔を作った。それに対し、言ったそばから竹下は切り返した。

「大島の動機の存在の件ですね?」

「お、なんやわかってたんかい! こりゃ失礼。そうそう。伊坂ってのが佐田に対して殺意を抱くのは、さっき詳しく説明してもらった話からすぐにわかるが、なんで大島が殺意を持ったかが問題やろ?」

吉瀬はペンで机をトントンと叩いた。


「正直そこがわかりません。ただ、いくら有力な後援者と言えども、わざわざ殺害に手を貸すという理由がやはりわからない。リスクが高すぎます。そうなると、大島本人にも実は佐田を殺す必要性があったのかもしれない、いや、はずだ……。そんな思いが強くなってます。これはただの勘なんでしょうけど……。やはりちゃんと調べてみたいですね」

「やっぱりそこが気になるんか?」

「ええ。正直かなり気になります」

吉瀬はそれを聞くと、我が意を得たりという表情になった。


「やっぱりあんたは優秀やが、今の警察の体制では、と言う前提で、刑事向きとは言えんな……」

「え?」

竹下は、吉瀬の発言に不意を突かれて、拍子抜けした反応を示した。

「聞いといてなんやけど、オレなら有力議員なんてのが、重要捜査対象人物になった時点で、腰が引けちまう。警察自体もなかなか動けんもんや。あんたは、そないなことを全く気にせず、大島がどう怪しいかをまず考えとる。恐れが全く無い。警察組織から見ると、それこそヤクザやないが、おっかない鉄砲玉だ。あんたの上司は大変だろうよ。オレなら扱えない。正直やっかいもんや」

マル暴課長なら、もっと怖いものを相手にしているだろうに、竹下としてはなんとなく馬鹿にされたような気にもなったが、いちいち癪に障るほどでもなかった。適当にやり過ごし、気になっていたことを質問してみることにした。


「まあ、そう思われれも仕方ないのかもしれませんが、ついでと言っちゃなんですけど、最後に1つ聴かせてください。どうも東西新聞の椎野という記者が、8月辺りから本橋の周りでうろついてたようなんですが、名前に覚えがありますか? 本橋を自供させるに到った原因が、この記者にあったのは間違いないと思うんです。因みに、さっき話に出た、梅田弁護士が、椎野を本橋に紹介してるんで、箱崎派を中心とした、怪しい関係の中に絡んでくる人物の1人じゃないかと睨んでいるんですよ」

「ない。おれが知ってるブンヤはサツ回りのだけ」

吉瀬は言下にあっさりと否定した。


「そうですか……。死刑が確定した後の他者とのコンタクトを考えると、その椎野からの手紙が本橋の自白のきっかけになったとしか思えないんで、吉瀬さんに聞いてみたんですが、仕方ないですね……」

残念ではあったが、吉瀬から得たものを考えると、これ以上は贅沢な望みとも言えた。


「他に聴きたいことはないんやな?」

「現状聴きたいことは全部聴きました」

竹下もきっぱりと答えた。

「さよか。ほなこっちも聞かれたことは全部答えたから、これで正真正銘の終わりやな!」

吉瀬はポンと両膝を叩いた。


 今回の吉瀬の話には、事件解決へのヒントがかなり詰まっていたと思えた。竹下はただのカラメル水を飲み干し、厚く礼を言った。それに対し、

「時間が無いとか言っといて、もう1時間以上も喋ってまったやないか。大して忙しくもなかったのがバレてもうたわ、あはははは」

と、吉瀬は豪快に笑って言うと、竹下に

「頑張ってな……。本気でホシをあげよう思ったら、厳しい相手やで……。壁は高い。証拠もしっかり掴まんと、警察組織もそうは動けん相手や!」

と激励の言葉を述べ、握手を求めてきた。


「どうなるかわかりませんが、もし大島が犯人だという証拠を掴んだら、何が何でもあげてみせますよ!」

そう言って吉瀬の手を両手でしっかりと握り、更に何度も礼を言うと、竹下は課長室を出た。そして、来た時より何故か晴れ晴れとした気分になっていたのは間違いなかった。改めてエレベーターホールで人気ひとけが無いのを確認すると、西田に電話を掛けた。


「係長ですか? 今話せますか?」

「こっちは丁度聴取を終えて、平松さんが拘置所長と、何か打ち合わせしてるところだから問題ない。そっちはどうだった?」

「かなり有益な情報がありました。後でじっくり話します」

そう竹下が言ったところで、

「あ、平松さんが戻ってきた」

と西田が口走った。

「じゃ、ちょっと電話替わってもらえますか?」

「お、おう……。平松さん、竹下から電話です」

平松は携帯を西田から受け取ると、

「どうだった?」

と尋ねた。

「紹介していただいてありがとうございました! 吉瀬課長は大変面白い方で、有益な話が聞けました。頼んで本当に正解でした!」

「それならよろしい。紹介した甲斐があったよ」

「それでですね、ちょっと他に確認しておきたいことがあるんですが、よろしいですか?」

竹下は如何にも下手に出たという言い方をした。

「うん?」

「おそらく会見は府警主導でしょうから、平松さんに聞きますが、マスコミ発表はいつになりますか?」

「ああ、そのことか……。倉野さんは、今日の聴取の成果から、後は取り敢えず銃弾の成分が一致すれば、その段階で関係機関のトップを招集する運びでいいと言ってる。旅館の件の裏付けはそれほど重要じゃないようだな。これはもう道警そっちの考え次第だから、府警からとやかく言えるようなもんじゃない。おれもそう上に報告するつもりだから、今日中には分析結果が出て、まあ明後日の午前中に会議で最終決定。同日の午後、おそらく夕方辺りには会見という形で行けると思うけど、オレは最終責任者じゃないから断定はできんぞ。で、それが何か?」

平松は訝しげに聞いてきた。

「いやちょっと気になっただけです。ありがとうございました。後で府警庁舎でお待ちしております」

竹下は誤魔化すようにとって付けたような言葉を伝えた。そして平松は西田に携帯を戻すと、

「じゃあ後で色々と」

と、西田は電話で竹下に告げた。

「それじゃ、また」

竹下も簡素な返答をすると会話は切れた。しかし竹下は、そのまま携帯を仕舞わずに、ある人物のところへすぐに掛けた。

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