第36話 明暗15 (92~96 西田大阪聴取編2 新たな重要事実発覚)

 翌日午前、須貝がホテルに迎えに来て、鑑識作業へ府警庁舎へと出向いた柴田を除く道警組は、彼の案内で大阪拘置所へとタクシーで向かった。ただ、府警程近くはなかったが、府警のある中央区ではなく隣の都島区と言えども、拘置所はかなり近くにあり、10分程度で到着した。


 日本で2番目の規模の大規模拘置所が、大阪市内のほぼど真ん中にあることに驚きを隠せなかった西田、竹下、吉村の3名だったが、倉野、田丸の道警エリート組は特に反応は示さなかった。出張経験でもあったのかもしれない。


 先に拘置所に着いていた、府警の平松一課長、室野係長、畑山主任と合流し、道府警それぞれの共助課長の須貝と田丸も含めた計9名は、大阪拘置所長(刑務官としての階級は矯正長である。中小規模の警察署でも、課長という役職に就くには、警部以上の階級が必要なのと同じ方式)の大門だいもんにまず挨拶をした。


 大門自身、これまで死刑が完全に確定した死刑囚の新たな殺人の自白は、『あ前代未聞ではないか』と言って困惑していた。そもそも、無罪主張していた被疑者が、判決確定後にその案件について翻意して自供するというのも、ほとんどないことだ。


 形式的な挨拶を終えると、今度は比較的大きな取調室に案内された。捜査員がかなりいるので、道警からは西田と竹下、府警からは室野と畑山の4人が直接取り調べに当たり、他のメンバーは隣の控室のマジックミラーの外から監視することにした。


※※※※※※※


 刑務官2人に腰紐付きで連れて来られた本橋は、テレビで見た画像のそれよりはふくよかになっていた。しかし風貌そのものは、犯行の重さからは到底想像出来ない、一般市民と言われても、それほど違和感のない(あくまで、『それほど』)レベルのものだった。


 ただ、一見優しい目だが、その奥底から鋭い何かが出ているように西田には感じられた。刑事の経験から、極悪人からしか滅多に感じない眼力だ。一応、面識が一切ない道警の西田と竹下がそれぞれ自己紹介をすると、本橋はふてくされ気味に軽く会釈をして反応した。先陣を切る西田は、大きく深呼吸したい気分になったが、それをやることは舐められることと同義であるので、あくまで心の中でしたつもりに留めた。


「それじゃ、我々から幾つか聞きたいことがあるので、ちゃんと答えてくれ。頼むぞ」

西田がいつもより低い発声で、いよいよ聴取開始のゴングが鳴った。本橋は浅く頷き、同時に聞こえるか聞こえないかの声で、

「ああわかった」

と答えた。

「まず、何度も聞かれてると思うが、北海道から来た自分らは初めてだから一応聴いておく。どうして今になって自供する気になった? 執行が遅らせることが出来るかもしれないと思ったのか? 特におまえの自供で新たに出て来た、これから聞く北見の事件はそういう目的か?」

本橋はその発言に対しせせら笑うような表情をした。

「執行が遅れるってどのくらい遅れるって言うんや? 数年遅れるんか? そんなわけないやろ? 1年ぽっちじゃ意味がないがな。こっちは既に別件で死刑が確定してるんだし、新しい事件についても自供してるんだから、裁判の争点は大してない。検察さんも今更大した年数は請求してこんやろ? そうすりゃこっちが量刑不服で控訴したところで、高裁が早い段階で控訴棄却がオチに決まってる。上告も同様。迅速な判決確定が見れるやんか。どうせ死ぬなら全部吐いて死のうと決めただけや。そんなせこい人間やないで、ワイはな。それに俺は控訴するつもりも毛頭ないんや」

露骨な関西弁で口調こそ喧嘩腰だったが、かなり皮肉交じりの発言だった。本橋の言う通り、執行を遅らせる効果があるという程、逮捕(すでに勾留されてはいるが)から取り調べ(検察含む)、起訴、裁判までに時間が掛かるかは微妙だった。少なくとも1年程度ではないか? そもそも、死刑執行が判決が確定したからと言って即行われるかどうかは微妙であり、本当の意味でどこまで「遅延」させる効果があるかは、大いに疑問な部分は確かにあった。いずれにせよ、悪人なりにかなりプライドの高さをにじませた言葉だったかもしれない。


 ただ、現実に遠軽署が佐田実の遺体を発見していたからこそ、今はそう言えるが、佐田の遺体の在処について、当初埋められた場所から「墓標」に移し替えられたことを西田が見破っていなかったらどうだったろうか? 本橋が本人の知る限りの事実の通り証言したとしても、遺体が発見されなかった確率が大変高いという事実を熟慮する必要があった。


 殺害後、遺体を埋めることに協力していたであろう篠田達との連絡でも付かない限りは、後から米田の遺体を埋めた、佐田が元々埋められていた場所しか、本橋は知らないだろうからだ。そういう状況のままだった場合、遺体なき殺人を立件するとなると条件がかなり厳しいので、捜査が難航し、場合によっては起訴すら難しい場面が想像出来た。


 一方で佐田実が現実に失踪しているという事実は存在しており、法務省としても、本橋の証言を放置したままで死刑執行出来るか疑問があった。本橋が篠田のその後の遺体を移したという行動まで知っていたのかどうかは定かではないが、場合によっては、執行を遅らせるという効果はてきめんだったことも想定しておく必要があった。


※※※※※※※


「すぐ後で聴くことになるが、お前はその後、お前に殺害を依頼した人物や協力した人物とその後会ったり連絡したりしたことは?」

竹下が、佐田の遺体が5年後、篠田により「辺境の墓標」へと移動していたということを念頭に置いた質問をした。

「俺の流儀じゃ、遂行して報酬もらった後は、連絡など一切しないんでね」

言い終わった後、本橋はバカにするなとばかりの表情を浮かべたのを竹下は確認すると、

「これまでの犯行を自供した後でも、一切、お前に殺害を依頼した奴については口を割らなかったらしいな。そういうのがお前の『殺し屋』としてのプライドなのか?」

と言い捨てた。

「そんな大層なもんやないわ……」

本橋は竹下を見つめると、ため息を吐いて、間を置いたあと話を続ける。

「まあ警察が掴んでないものを、俺からわざわざ言うつもりはないってだけの話や。警察に塩を送るような真似はせえへんだけや。そこまで崇高な美意識でやってるわけじゃない。まあ言ったところで、殺しの罪が軽くなるわけでもないからな。墓場まで持っていくだけよ」

達観したような言い方に西田は苛立ちを感じたが、今この場で必要なのは安い正義の鉄槌ではなく、冷静な事実追求だ。同時に、本橋のこの発言は、多少「謙遜」を含んでいるような印象を持った。


「ということはあれか? 今度の事件の依頼人については、おまえは言うつもりはやっぱりないんだな?」

「言うつもりはないな。ただ、警察側が何か持ってくれば、俺は敢えて否定はせんぞ」

「?」

室井と畑山も含め、その場に居た刑事全員が、本橋の言う意味を計りかね顔を見合わせた。

「一体どういうことだ? ちゃんと説明しろ!」

西田が詰問すると、

「警察さんが、頼んできた相手をちゃんと特定出来たら、俺はそれをわざわざ否定しないってことだ。そこまで秘密にゃしないよ。ただ俺から積極的に誰だ彼だと言うことはない。今までもこれからもな」

と軽くあしらってきた。理屈として不完全な気もしたが、それでも納得してしまうような何かが、発言からにじみ出ていたのが西田には不思議だった。


「そうか。そいつは楽しみだな。じゃあ早速、お前に殺害を依頼したのは誰か教えてもらおうじゃないか! ある写真の中に、俺たちがお前に殺害を頼んだと見ている奴が含まれているんだ。特定と言うには、若干広いかもしれんが、それでも十分のはずだ」

本来であれば「本橋が殺害したのは誰か?」ということから聴くべきだったが、敢えて流れの通りに西田は乗ってみた。竹下はそれを受けて、4枚のダミーの集合写真と殺害の1年前以内の、伊坂大吉もそれなりに大きく映っていた集合写真(5名中)写真を混ぜて、本橋の前に突きつけた。本橋はそれを見てニヤリとすると、

「関係ない人間の写真を混ぜるのは、捜査のマニュアルだろうから構わんが、写真が5枚あって、全部で20人くらい写ってる写真じゃ、道警さんが自信ないみたいで答えたくないわな」

とうそぶいてみせた。これには府警の室野が思わず、

「いい加減にせんか!」

と怒鳴り声を上げたが、西田はそれを止めた。


「わかった。じゃあ2枚にしてやる。その代わりすぐに指せよ」

と竹下に指示した。

「そうこなきゃ! すぐに教えてやるからよ!」

そうはしゃいで言うと、横の室野に挑発的な視線を送った。竹下が伊坂大吉の写った写真を含めて2枚残すと、すぐに本橋は伊坂を指した。西田は内心で「ヨシ!」という声をあげていたが、冷静を装い、

「こいつでいいのか?」

と確認した。すると、

「ああ、こいつだ。間違いない。北見の駅前の喫茶店で、こいつにある男の殺害を指示された。名前は一切聞いてないしわからないけどな」

と言った。

「本当にわからないのか?」

竹下が再確認したが、

「しつこいな。本当にわからんのや! ただ、北見で実際に会った上で、色々指示されたのはこの爺さんで間違いない。それにしても道警さんはどっかのアホ警察と違って優秀やないか! 府警や警視庁や兵庫県警のボンクラ連中は、他の事件では特定すら出来てなかったんやからな。おかげで、俺もいちいち言わんで済んでたのは秘密やで」

と笑いながらはっきりと言った。


 府警組は完全に馬鹿にされた格好だったが、今度は特に何か反応することもなかった。これまでの聴取でもこういうことは幾多と無くあっただろうから、諦めていたのかもしれない。さっきの激昂が道警側への配慮としての「演技」だったとすれば、それなりに筋は通った。


 しかし、これまでの調べでも、警察側が呈示すら出来なかったとは言え、一切依頼者を明かさなかったのに、ここまで変わる理由が、「警察が特定出来ているかいないか」だけとは、やはり思えなかったのは確かだ。ただ、この相手にそこを聴取で突いたところで、はぐらかされるだけだろうという思いも西田と竹下両名にはあり、今はそれより話を先に進めるべきと判断していた。


「じゃあ、今度はおまえがその時に殺した相手だ。これについてはどうだ?」

西田はそう言うと、竹下に佐田実の姿が写った写真も含めた5枚を出させ、本橋に指させた。これまでの本橋絡みの事件は、被害者があらゆる意味で「明らか」になっていたので、本橋に特定させる意味はなかった。しかしこの佐田実の案件は、事件自体が隠蔽されていたと言う点で、一連の犯行と大きな相違点があり、「秘密の暴露」も絡んできて、マル害、ガイシャ、つまり被害者の特定が重要なキーになってくる。こちらもすぐに本橋は佐田実を特定した。この時点で、佐田の殺害実行犯は本橋であり、「依頼者」は伊坂大吉だと言う、事件の構図の裏付けがほぼ取れた。


「おまえが殺したこの人については、おまえは名前は聞いていたのか?」

「当時、指示した奴から聞いていたような気もするし、殺した相手自身からも、殺害場所に向かう途中に聞いていたと思うけど、さすがに8年前だろ。忘れちまったよなあ……。この時は、それまでの『仕事』とは違うパターンだから、いちいち相手を細かく憶えておく必要がなかったせいもあって、あんまり記憶にないんや、申し訳ないけどな」

本橋の『申し訳ない』には、気持ちが全く入っていなかったのは明らかだったが、それについて横の府警の2人に確認すると、確かにこれまでの自供では、本人の口から、他の事件の被害者についての情報がある程度出てきていたとのことだったので、本当に知らなかったのもしれないと西田もある程度納得した。


 また、殺害場所まで行った経緯など、色々詳細に聴き出したい話もちらほらこの時点で出てきたが、それは後回しにして、先に協力者についても特定することを優先することにした。


「殺害の際に色々協力してくれた奴が居たらしいな。この中に居るか?」

竹下が差し出した、1人ずつ写った5枚の写真の計5人を見るやいなや、

「こいつとこいつだ。殺し以外で色々と助けてもらった。それと、本名は一切聞いてないから、聞かれても知らんぞ」

とそれぞれ、喜多川と篠田の写真を刑事達の方に指で押し出すようにした。

「間違いないな?」

念のため竹下が確認するが、

「ああ」

と一言で済ませ、背もたれにふんぞり返った。この時点で喜多川と篠田の事件への関与がほぼ確定したことを意味した。一方で、事件当初の見方としては、2人の殺人への関与は、より直接的な実行犯という見立てもしていたが、その線は本橋証言が確かだという前提なら外れたことになる。しかし、殺害が銃殺と判明した時点で、何かおかしいという思いもあり、西田達にとっても、ある程度それを予感していたのも事実だった。


「それで、協力というのは具体的にはどんなことを?」

「うん? そうだなあ。平たく言うなら、殺害して埋めた場所まで俺と相手を連れて行って、殺害後は俺の代わりに埋めてくれたって話よ。まあ本人達は借金の返済みたいなのが目的で、指示した奴の言うことを聞いたらしいがな」

「借金の返済?」

竹下が畳み掛けたが、

「なんでも賭け麻雀? だったかで、俺に指示した爺さんにかなりの借りが出来たらしい。それの棒引きを理由に引き受けたらしいな。実行日の前日の夜中に、顔合わせで会った時に、爺さんがそんなことを言っとった記憶があるわ。俺が手伝ってくれる2人は信用出来るのか聞いたら、奴がそう言ってて、丁度横に同席してた2人共否定してなかったって話やな」

と、ぶっきらぼうに答えた。西田も竹下もそこを広げようかと迷ったが、先に秘密の暴露をさせて、本橋の犯行を実証しようと、竹下の尋問は殺害方法、場所の話題に移った。ただ、喜多川にしても篠田にしても、ギャンブル好きだったという話は、奥田満や篠田の未亡人からの聴取で裏が取れていたし、麻雀の話も聞いていたので、その時点で筋が通っていたことは確かだった。


「じゃあ次は殺害方法についてだが……」

「いちいち言わなくてもわかってんだろ? 拳銃だ、拳銃。他の犯行よろしく同じ拳銃で2発……、確か2発を至近距離から心臓にぶち込んだ。それだけの話や」

「2発でいいんだな?」

「まあいいよ」

竹下は一応発砲回数を確認したが、貫通して、森の中に散らばっただろう銃弾の発見は、今となってはほぼ無理筋なのは間違いなかった。弾丸があれば、2発発射したという本橋の証言の裏付けだけでなく、線条痕による判別も可能だったが、今回はたまたま佐田の遺骨から検出された銃弾の外装成分での証明を目指していたので、発射回数の裏付けが取れないというだけで、殺害の裏付けが出来なくなるという類の話にはならないはずだった。


「次に、殺害して、2人が埋めた場所について聞くぞ。写真の中にあるか?」

竹下が呈示した写真は、数枚の周辺写真単位のグループごとだった。グループの全て森林中心のだったが、本物の現場写真のグループは、白樺が多く写り、石北本線の単線が写ったものを出していた。他にも鉄路が写った写真を含めたグループがあったが、そこは現場の付近を通る石北本線と違い複線の写真だった。石北本線は単線の鉄路である。さすがに写真を見せられてもすぐに反応はしなかったが、数分見比べている内に、

「どれも似たような写真で、自信はあんまりないんやけど、この写真やないかな……」

と本橋は指した。そこには白樺が写り込んでいた。

「確か白樺って言うんか? それがあったのは記憶にあるわ。遺体もその木の根元に埋めたはずや」

これはかなり強力な秘密の暴露に該当した。一番最初に佐田の遺体を埋めたであろう場所を、しっかり答えてくれたので、西田と竹下は顔を見合わせてニヤリとした。ここまでの話に、銃弾の成分が合えば間違いなく起訴して裁判でも事実認定は十分可能だろう。


「今までの話を聞いた分には、実行犯でしかわからない情報が幾つかあったし、こっちの持ってる情報と一致しているので、おまえの今回の自供は、まあ間違いなく事実だと思う。正直言ってよく話してくれたな」

西田は多少優しいトーンの声を出したが、

「ただ、他にもまだ聞きたいことがある。そっちもちゃんと答えてもらわないと困るぞ!」

と言った時には威圧するような言い方をした。それが効くような相手だとは微塵も思っていなかったが、基本的に緊張と緩和は取り調べの基本である。西田はその流れで尋問を再開した。


「今度は全体的な犯行の流れについてだ。まず、依頼はどういう風に来たんだ?」

「まあ色々とな……。細かい事は言わん」

早速の拒否だが、これについては、今までの事件でこっぴどく詰問されてきただろうが、それに答えなかったわけだから、ぎゃあぎゃあ言っても始まらないだろうと西田は諦めて、話を続けた。

「まあいい。それでどうやって北見まで? 鉄道って話だが?」

「着手金の200万が、とある方法で俺に届けられたから、約束通り9月に北見まで大阪から出かけたんや。飛行機は手荷物検査があるから使えん。別途、荷物として拳銃を送るという手もあるが、やはり『商売道具』は手持ちにしておかないと安心出来ないからな。それで列車でゆっくりとって話や。まあ途中の富山や金沢や秋田や青森でゆっくり観光させてもろたわ」

さすがのふてぶてしい行動の告白に、西田と竹下の頭にも血が上る勢いだったが、この鬼畜に今更説教しても仕方がない。話をそのまま聞くことにした。

「それで、翌年の3月には青函トンネルが開業するんで、その時に青函連絡船が無くなるっちゅう話を聞いてな。若い頃、北海道に旅行した時に乗ったきりだったんで、ちょっと懐かしい気持ちがしたもんや」

そう本橋が話したところで、府警の室野が口を挟んだ。

「今回の事件で犯行年数が本橋自身でも当初はっきりしなかったんだが、この話から昭和62(1987)年だと判明したってことですわ」


 なるほど、青函トンネルの開業が1988(昭和63)年の3月で、青函連絡船もそれまでの運行(作者注・但し青函トンネルの開業日と青函連絡船の通常運行廃止の日時は3月13日で重複しています。通常であれば開業前日までですが、この理由についてはよくわかりません。尚、その後臨時運行されていますので、完全な廃止というわけではありませんでした)だったのだから、年数の特定は、本橋の証言から、その1年前の1987年と立証出来たわけだ。


「なるほどそうでしたか」

西田は礼を言うと、

「こっちの話は済んだから続けてくれ」

と本橋に告げた。

「そうかわかった。じゃあ続けさせたもらうわ。それで連絡船降りた後、約束の日まで時間があったから、函館で観光して泊まった。函館から網走まで行く特急に乗って、夜に北見に着いたのが、犯行の4日ぐらい前だったかな。でもそこら辺の曜日感覚ははっきり記憶にないんや。そして泊まったのは駅前の旅館やな。事前に宿泊するように指定された旅館やで。名前は憶えとらんが、駅から本当に近いしょっぱい旅館やった」

西田は竹下の方を見た。その旅館の特定は事実ならそう難しくないだろう。駅から近いとなると、あって数軒だからだ。問題は泊まったことを立証出来るかだ。ひとまずは大阪に居る間に、北見方面本部から写真でも取り寄せて、旅館の外観を確認させるのと同時に、北見方面には、本橋の写真を見せて旅館に当ってもらうことが必要になるだろう。竹下もそれをわかっていた様子だった。因みに函館から網走まで行く特急とは、殺された佐田実が、事件当日に北見から札幌まで乗って帰ろうとした、特急「おおとり」の逆方向である、函館発の下り「おおとり」だろうと西田は思った。


「当然偽名で宿泊だよな?」

「んなもん当たり前やろ!」

西田の質問に本橋は乾いた笑いを漏らした。

「それでどうなった?」

「着いた初日の夜に旅館に中年の男が訪ねてきた。そいつは、直後に会う、俺に殺しを指示した奴とは別人やったな。多分そいつの部下やないかな? 顔は普通の会社員っぽかったで。それで、そいつに連れられて、そこからすぐ近くの喫茶店に入った。時間が時間だけにガラガラやったな……。そこで殺害を指示した男に初めて会ったんや。俺を連れてきた男は、爺さんに挨拶するとすぐ出てったわ。そういう理由で、爺さんの手下か部下やないかという話なんやけど」


 突然、事前に想定していなかった男の存在を本橋が喋ったので、西田と竹下はすぐに確認に入った。

「その会社員みたいな男って奴の風貌をもっと詳しく教えてくれ!」

「メガネを掛けた、普通の中年のおっさんや。当時で40は越えてるように見えたな。服装は、その時はジャンパーに普通のズボンやった」

西田はメモ帳を破り、ペンと共に本橋の前に出した。

「おまえ絵心あるか? ちょっとそいつの顔を簡単な絵にしてみてくれ」

そう言われると、本橋はニヤリと笑みを浮かべた。

「しゃあないな。絵心があるってほどでもないが、小学の図工は常に5、中学の美術は4か5や。案外悪かないやろ?」

そう言って、目の前の刑事達に再び不敵な笑みを向けると、紙にスラスラと書き、漫画チックではあるがそこそこの似顔絵が出来上がった。西田は本橋から紙とペンを受け取ると、紙を竹下の前で見せた。竹下も絵を見て、本橋の発言に納得したようだ。

「これでいいんだな?」

「ああ、似てるかどうかはわからんが、イメージとしては自信作やで」

西田が確認すると、本橋は胸を張った。


「この件はここまで。じゃあさっきの続きから。その場にお前を連れて行った奴はすぐ出て行ったんだな?」

タイミングを見計らって西田は話を元に戻す。

「ああ、連れてきただけですぐ帰されたな。あんまり話を聞かれたくなかったんちゃうかな。まあ話の内容が内容だけにな」

またもや本橋は面白そうに言った。少々そういうことにイライラしてきたこともあり、西田は竹下に質問権を一時譲った。ただ、伊坂のところまで連れて行った男については、ひょっとすると、喜多川達同様、伊坂組の関係者の可能性は高いのではと睨んでいた。これについても、北見方面本部に協力を依頼するしかない。遠軽署が動くより地理的にも人数的にも有利だ。


「そこではどんな話をしたんだ?」

「まあ、『実行はまだしてもらうかわからない。最終的に自分がゴーサインを出してからにしてもらう。殺ってもらう相手はその時に』みたいな感じやったかな。こっちもいつまでも待たされるのは勘弁だから、聞いてみたら、『5日以内には必ず結論を出す』って言われたので、取り敢えず納得したんや。後、『絶対犯行がばれない場所に、協力してくれる奴を使って一緒に連れて行って、そこで殺ってもらうから』とも保証してくれたんや。まあ事実、あんな山の中で実行出来たから、これまでもバレずに済んだんやけどな。それにしても、府警の連中から聞いたんやが、あんたら俺がバラす前に既に遺体見つけてたんやて? まさか俺の自供より先に見つけるとは大したもんやな」

本橋は、この部分については本心から感心しているようだった。ただ、さっき本橋が自供した通りの、本橋達が殺害直後に埋めた本来の場所には、もう佐田の遺体がなかった事は、府警側から本橋には伝わっていなかったというか、そもそも道警側から詳細に伝えていなかった。確かに平松達は、昨日の打ち合わせの時点で初めて知ったのだから、本橋がそれを知っていることはなかっただろう。2人はこの場面でもそれについて敢えて口には出さなかった。そして話題を次に移す。


「それで、実行のゴーサインが出たのは何時だ?」

「さっきも言ったが、北見に来てから何日後だったかは正確には憶えてないが、4日程やったと思う。それまでは昼間は近場を観光したりするのは許可されとったんで、(高倉)健さんの『網走番外地』で有名な網走刑務所だの知床だの行ってみたわ。結局、ゴーサインが出たんは、実行の前日の夜やな。夜っつってもかなり遅い時間帯かだったと思うで。つまり急遽『明日殺ってくれ』ってことや。来た時と同じ奴が旅館に呼びに来て、前回と同じように喫茶店でな……。急は急やったんやが、こっちはいつでも準備OKやから、それはいいんやけどね……。それに前に聞いた通り、『連れ出して山の中でやってもらう』ってことだったし、そうなりゃ殺る相手の事前の下調べも必要ないからな。ただ、着いた日と違ったのは、横に2人がおったってこと」

竹下に対しこともなげに本橋は語った。


「その2人とはその時話したのか?」

「そいつらとはその時はほとんど話さなかったな。ただ、その指示した奴、ああ、めんどいな! そいつと2人の名前は?」

突然、伊坂と喜多川、篠田の名前を教えるように竹下に言った。正直、西田も竹下も、特に伊坂の名前が本橋自身の口から出るのを待っていたのだ。だが、そこは本当に知らなかったのか、狡猾だったのかはわからないが、本橋は「指示者」とは言ったが、最後まで伊坂の名前は出さなかった。勿論、伊坂自身の名前はともかく、人物は本橋により写真で特定されたので、故意だとしても名前の「秘匿」に大きな意味はなかった。


 だが、仮に伊坂について名前を知っていながら、敢えて知らない振りをしたとすれば、さすが他の本橋の犯行では警察側が「依頼者」を目の前に突きつけられなかったとは言え、本人の自供後も、未だに依頼者の名前を一切出していないだけの事はある。口の堅さはかなりのものだ。


「爺さんが伊坂、協力したこいつが喜多川、こいつが篠田」

竹下が写真をそれぞれ出しながら教えた。

「サンキューや! ああ、その喜多川と篠田については、実行した日に、それぞれAとBって呼び名付けて、本人達にも同意してもらった記憶があるよ。さすがに2人いると、『おい』じゃわからんやんか? まあ篠田って奴をA、喜多川って奴をBと呼んだんだったっけか……。まあそれはどうでもええ。それで、繰り返しになるが、その伊坂っていう爺さんが、『こいつらは土地鑑(勘)があるから、バレないような場所まで、俺と殺る相手を連れて行って、埋めるのも助けてくれるから心配しないでくれ』と保証してくれてたわけだ。2人も『任せてくれ』と言ってたぞ。そして、その話になって初めて、殺る相手の写真を見せられた。まあ俺も一緒に連れて行かれるわけだから、実行日の前日に突然言われても困らないわけや。1人で何もかもやらなくちゃならない時は、もっと細かく情報貰っとくんやけどな」


 喜多川と篠田が死んだので、話のすり合わせは今となっては不可能だが、便宜的に仮名で呼び分けていたという事実を西田と竹下は新たに得た。

「車で連れて行くというのは、佐田……、えっと、おまえが殺した相手は佐田って言うんだが、無理やり拉致したということでいいのか?」

西田は、被害者の名前も思わず言ってしまったが、もう半分どうでもよくなっていたので、そのまま流した。

「佐田? あの爺さん佐田って言うんか……。その佐田って奴は、拉致も何も、殺した日の朝、ホテルから出てきたところを、進んで一緒に俺らの車に乗り込んだぞ。おそらくやけど、俺達が目的の場所に送迎すると騙されてたんやないかな。騙したのはその伊坂って奴だと思うわ。車中で、爺さんは『きんがまさか残されていたとは思わなかったので良かった』とかなんとかくっちゃべってたな。その点だけは記憶にはっきりと残ってる。大昔の話を運転してた篠田ってのと特にずっとしてた。そんときは何言ってたのか理解できんかったが、終始笑顔やったわ。細かいことは俺は知らんけど。因みに当日、俺らは作業着やった。前の晩の時に伊坂から提供された奴や」

「作業着?」

西田が食いついた。

「ああ、一般的なベージュ色の奴やね」

「会社名とかそういうのは入ってなかったか?」

「そこら辺は注意しとらんかったが、特に何かあったとは思わんなあ」

「そうか」

西田としては、伊坂組特注の作業着かと思ったが、そこの特定は無理だったようだ。


「その車に乗った後はどういうルートだったかわかるか?」

竹下が西田によって脱線した軌道を修正した。

「わかるわけないやろ? 初めて来た土地やぞ! どこを走っとるかわからんまましばらく走ると、エライ山ん中に入って行って、その後ちょっとした街に出たが、また更なる山道に分け入った。信じられんことに舗装すらされてなかったで……。そして車を降りて細い獣道みたいなところを歩いて、線路を渡り、さっきの写真の場所に出たんや。ああ、そうそう、喜多川と篠田? は車から持ってきたシャベル持ってたな。そこから更に佐田って爺さんは地図を見ながらもっと奥へ行こうとしてたな。俺らはその後に付いていたが、2人は『もうここで大丈夫』と言うから、呼び止めてすぐに拳銃ぶっ放したってわけや。まあ消音加工してるし、あの山の中じゃちょっとぐらい発砲音がしても気にする奴も居ないわな」

死刑囚は悪びれる様子もなかった。ただ、西田も吉村も、もはやその態度にムカつくことよりも、本橋の証言から自分たちの持っている情報を併せて、当時の状況を推測することに全力を傾けていた。


 本橋の話が事実だとすれば、佐田実は、北見での「会食」で伊坂を恐喝することに成功したと思い込んだ。が、実際には裏で殺害工作が進んでいたわけだ。小樽で佐田譲に聴取して札幌に戻る際に、吉村と話し合ったことでもあったが、あくまで推測に過ぎないにせよ、「人質」代わりの北条正人の証文を、佐田実が伊坂に渡してしまったため、その翌日の殺害計画が実行されることとなった可能性があった。


 そして、さっきの本橋の証言を前提とする限り、札幌に戻る直前、おそらく当日になって、伊坂から「回収していない仙崎大志郎の砂金がある」というようなことを言われたのではないか? そして、その砂金を回収させてやるという話を真に受けて、その場所まで連れて行ってくれるという、喜多川、篠田、本橋の3名の車に乗り込んだのかもしれない。


 その結果、殺害現場まで自発的に自分の足で行き、最後はそこで本橋に殺害されたということなのだろう。このことで、西田がこだわっていた、「現場で殺されたとすれば、強制されたのか、自発的に行ったのか、はたまた既に殺されてから運ばれたのか」という問題が、ほぼ解決したと言えた。


 あの現場まで遺体を運ぶ必要もなければ、途中で万が一誰かに見られたとしても、「不自然な」状況ではないので、不審に思われることもない。そもそも、喜多川や篠田は元々土地鑑だけでなく、現場に来る保線の職員の動向や勤務状況は大体把握していただろうから、まず他者に見つかる心配もなかったろう。多分、篠田に殺された米田のような、鉄道ファンの、更に予期できない動きでも無い限りは……。西田はヒソヒソと竹下に持論を耳打ちすると、竹下もそれに同意した。


「なんや……。その後の話はしなくていいんか?」

本橋はそんな2人を眺めながら、不服そうな口ぶりだった。

「いやまだ聞きたいことがある。ほっといて悪かったな。続けてくれ」

西田は機嫌をとった。

「その後は、まず衣服を剥ぎとって、素っ裸にしてから、白樺の根元に篠田と喜多川が遺体を埋めたわ。シャベルもあったしな」

佐田実は、殺害される前には、そのシャベルが金を掘り出すためのものだと思ったのだろうが、結果的には自分の「墓掘り」のためのモノだったという皮肉。そして関係者以外知り得ない、「白樺の根元に埋めた」という明らかな証言も本橋の口から既に飛び出していた。


「ただ、遺体を埋めた後、爺さんが直前まで持ってた地図ともう一枚の紙? みたいのを、2人はじっと見て何か言っとったな。俺には何のことだか、さっぱりわからんかったが……」

「紙? 佐田が地図の他に紙を持ってたのか? 何が書いてあった!」

西田は椅子から腰を浮かして本橋に詰め寄った。

「おいおい、そんな怖い顔するなや」

おどけて見せたが、

「中身は見てへんよ。とにかく2人はそれを見て何やら言ってた。『これは?』みたいなことを言ってたように思う。埋め終わった後、車のところまで戻るまでもずっと紙見ながら話しとった。そして、爺さんの残された荷物というかバッグをひっくり返して色々探してもおったな。俺はもう仕事終えたから外でタバコ吸って一息付いてたがな」

と真顔で言った。


 竹下はそれを聞くと、

「係長、ちょっと席外しましょうか」

と突然西田の上腕を軽く肘で突いた。

「お、おう」

西田もその言葉を受け入れ、室野と畑山に、

「数分外します」

と断って2人で室外に出た。廊下に出てみると、倉野も取り調べの様子を見ていた裏の控室から出てきて手招きした。声は完全に遮蔽されるので、確かにそちらで話した方が無難だと思い、控室に入った。


「係長! 佐田が持っていた紙ってのは、おそらく佐田徹が遺したあの手紙関係でしょうね。金が埋められた場所についても、大まかではありますが記述されていたんですから。喜多川と篠田が道案内すると言っても、佐田本人も場所を記述されたものを持っていたら、普通に先導ぐらいするでしょう。供述の状況とも符合します。ただ、手紙の原本がまだ実の元にあった以上は、それは写しか何かだったと思います。多分コピーでしょう。問題は、それを北見まで持ってきた理由がはっきりしないことです。伊坂に渡すつもりだったなら既に佐田の手元にはなかったでしょうから。それに、その手紙を見ながら、砂金の在処を探すつもりだったってのは、少なくとも、北見に来る前からそういう目的があったことは、本橋の話から見てもなさそうですし」

西田の予想通り、竹下が喋ったのは、佐田が持っていた紙とやらについての話だった。


「理由? 竹下らしくもないな。佐田が伊坂の何について脅していたと、俺達が考えているのか忘れたか? 元々伊坂を脅すのに重要なのは、伊坂が戦前に高村を殺したということだろ? もう時効だから、あくまでスキャンダル程度の意味でしかないとしてもだ。だから、手紙自体は伊坂を脅すのには、やはり重要ではあったはず。その裏付けの証拠として、手紙にも載っていた、伊坂の指紋付き血判入りの証文が重要ということになる。証文抜きに手紙の中身を事実と言う心象を一般的に与えるためには、例の身元不明の3死体の認識が必要だが、手紙にはどこに埋まっているかはっきり書かれていなかったし、警察もそれじゃ時効の件もあるし動くわけがない。勿論、現実は遥か昔に、ウチの署の先輩方が既に発見済みではあったが、佐田実はそれを知ってはいなかったはずだからな」

西田はそう言うと、一度マジックミラー越しに本橋の様子を確認してから話を再開した。

「だから伊坂としては、佐田の証文、勿論それは2枚ある内の1枚でしかなかったわけだが……、それだけ回収すれば、極論すれば後は手紙があろうがどうにでもなると考えた可能性は高い。それは佐田もわかっていただろう。俺の独断だが、会食の際に証文、つまり北条正治が小樽の佐田家に残していった証文の方を伊坂に引き渡すことは勿論、実際に残された手紙の文面も見せろと伊坂は佐田に要求していたかもしれない。ちゃんと何が書かれていたか全部見ておかないと、一応は安心できなかっただろう。そう考えると、佐田が手紙のコピーを北見まで持ってきていた理由は、それで説明できるんじゃないかな」

西田は自説を披露した。


「なるほど。その説だと、伊坂としては証文さえ回収できれば、手紙の中身を確認した上で、幾ら原本が残っていようがただの根拠のない『怪文書』程度の扱いが出来ると踏みましたか。まあ証文がない限りは、手紙だけ見てそこに書いてあることが真実だと信じるというのは無理があるでしょうねえ。でも、念には念を入れて、手紙の原本も回収すべきだったんじゃないでしょうか? その方が確実ですよ。何でしなかったんですかねえ……」

竹下は西田の意見に部分的には賛意を示しつつも、理解出来ない部分が出てきたようだった。

「うーん、確実にするなら手紙の原本も回収しておきたいところだが、血判付きの証文と違って、手紙だけなら他にもコピーされていたら意味ないだろ? 原本と言うより内容が重要なんだから、手紙の方は。伊坂について言えば、そこについてはもう腹は括っていたと思う」

「なるほど。内容が重要だとすれば、確かに『内容』の複製は幾らあっても大して気にする必要はないですね。となると回収するのは証文だけで十分、手紙は無視というのも理屈は通る。納得とまでは言いませんが、理解は出来ます」

竹下は心からとまでは行かないが、渋々承認した形だ。


「それにしても伊坂は、手紙に書かれていた遺体がまだ自分達が埋めた場所にあると、佐田に脅されていた当時も思っていたんでしょうね。幾ら証文を握っていたとしても、落ち着かなかったんじゃないですか?」

「それはそうだな。しかし面白いもんだ。3遺体は、協力させた篠田と喜多川達自身によって、昭和52年の段階で既に掘り出されていた……」


 そう口にしかけて、西田は、いや竹下もその意味合いの大きさに初めて気付いた。否、気付かされたと言った方が正確だったかもしれない。

「そうか! そもそも喜多川と篠田が、例の3遺体の発見に絡んだ、第一発見者でもあったんだ!」

西田はそう口にした後も、半ば放心状態だったが、竹下がその後を継いだ。

「そんな大事なことに今の今まで全く気づきませんでした! 悔しいなあ……。佐田実が持っていた、兄・佐田徹が戦前に書いた手紙を殺害後に見れば、少なくとも文中の『太助』が過去に何をやったか、そして高村を殺めたことを知った可能性が高いですからね……。自分達が昭和52年に見つけた遺体が、手紙の中にある過去の事件と絡んでいたと気付いておかしくない!」

そう言う竹下の両拳には自然と力が入り始めていた。


「手紙に書かれていた伊坂太助と、自分達の社長である伊坂大吉を、2人が同一人物とすぐに気付いたかは微妙ですが、少なくとも、今から8年前のその当時の『大吉』自身が、手紙を持っていた佐田実を殺すため、2人に色々指示してるわけですから……。それをきっかけに「伊坂」姓から両者に何らかの接点があったと考える確率は高いんじゃないでしょうか?」

「確かにそういう風に考えても違和感はないな」

西田も頷きかけたが、その顎の往復動作が終わり切る前に、

「いやいや、そもそもですよ! 普通に改名したことが載っていた、伊坂組の創立40周年記念社史の件もありました! その時2人は確か既に伊坂組の重役ですからね。そのぐらい配られていて当然です。中身ぐらいちょっとは見ていて不思議はない。だとすればそれこそ見た瞬間、社長が戦前に殺しに関与したと気付いていた確率は高い!」

と叫ぶように発言した。沈着冷静が売りな竹下だが、明らかに興奮していた。


 矢継ぎ早に言葉のマシンガンを打ち続ける部下の話を、西田は受け止めていたが、話が一息付いたのを確認すると、自分の考えを述べ始めた。

「そういうことになってくると、ちょっと気になったことがある。本橋の話が本当なら、当初篠田と喜多川は、借金の返済と引き換えに殺害の協力を引き受けたらしい。それを文字通り受け取るならば、その後の出世劇は、最初の条件レベルには含まれていなかったんじゃないか? もしかして、佐田の持っていた手紙にあった内容から、殺害後に、手紙の件で伊坂を脅して更に『条件』を引き上げたんじゃないだろうか? どうだこういう考えは?」

西田は無意識に身振り手振りを交えて熱弁していた。


「それは十分あり得ますね! 本橋の話を前提にすれば、むしろそっちの方がスッキリしますよ! 確か昇進は事件直後ではなく、微妙にタイムラグがあって、部長になったのがその年の冬、最終的に重役になったのは事件から結構後の90年でしたっけ……。人事はそう簡単に動かせないとは言え、それが前提で事件に関わらせたにしては、やけにスムーズじゃない。昇進については両者の間で揉めた挙句ということも考えられます」

「しかし、92年の8月以降に、おそらく他の誰かに伊坂大吉が脅された時と、そうなると伊坂の様子に差があるなあ。その差は何だ?」

西田はそれについては納得いかないという口ぶりになった。

「係長そこは昨日話したように、伊坂の年齢による違いという説もあります。あともう1つ思いついたんですが……」

竹下は遠慮がちに口を開いた。

「喜多川と篠田が脅したとしても、一応は伊坂と共に一緒に犯罪に関わった人間からの脅しですよ。脅しにも限度がある。まさか自爆して警察に洗いざらい自白なんてのは、そう簡単じゃない。逆に3年前に脅された件については、篠田との電話のやりとりを見てもかなり焦っているように思えます。佐田からの脅迫同様、全くの想定外の『部外者』からのものだとすれば、心労は桁違いでしょう。相手は怖いものなしの可能性が高い」

「うーん、そうなるのかなあ。そうだとしても、佐田に脅された時は、割と落ち着いて対処してるように見えるぞ。まあ落ち着いてというが、実際には殺しにまで手を染める程の冷酷さという意味でだが……。そっちについては、どう見ても92年の時との差の説明が付かないぞ……」

「係長、92年の時はやっぱり違いますよ。完全に始末出来て数年安穏としていたら、また突然新たに脅されたとすれば、ショックは桁違いでしょう? 佐田殺しの件で脅されていたんでしょうから、警察の捜査が再び及ぶ可能性もあるわけですし。それに佐田に脅された時点では、高村の殺害については一応時効って言うこともあったんで、多少落ち着いて構えられたのではないですかね」

西田は竹下の答えに必ずしも満足したわけでもなかったが、竹下がそこまで言うのなら、従ってみるかという気分になった。


 それにしても、自分達がタコ部屋労働犠牲者の遺骨収集の際、たまたま発見した2遺体と、それを機にその直後に警察が発見した遺体が、手紙に書かれていた事件に絡んだもので、まさか自分達の会社の社長が、遥か昔に殺めた人間のものもそれに含まれていたとは、篠田も喜多川も思っても見なかっただろう。伊坂大吉自身も、まさかその遺体が発見されていたとは露知らず、よりによって、「自分に借金がある」、「土地勘がある」という理由で、発見者の本人達を協力者に仕立てあげたというのは、まさに運命の皮肉でしかない。


 吉村はともかく、倉野は一時こちらの捜査から離れていたため、西田達の言っていることを必ずしも把握しきっているわけではなかったが、概要は理解していたのと、吉村が裏で聴取を見ながらしっかりレクチャーしていたようで、2人が横でしている話には付いていけたようだった。一方で府警側の人間はさすがにちんぷんかんぷんだったに違いない。ひとまずまだ聴取は終わっていないので、これ以上待たせるのも憚られたことから、倉野にも促され、急いで取調室に西田と竹下は戻った。


※※※※※※※


 数分と言いながらも10分以上掛かったせいか、既に本橋はかなりダレた態度になっていた。室野達に詫びると、

「遅えよ」

と本橋は悪態を付いた。謝罪を要求しているらしい。、

「ああ、悪かったな」

突っぱねても良かったが、西田は敢えて気分を損ねないようにした。


「それじゃ続きを頼む」

竹下も椅子に座ると頭をちょっと下げて、機嫌を取った。

「仕方ねえな……。えっと……。そうそう、それで色々荷物というかバッグの中身をひっくり返しながら、執拗に調べていたような記憶があるわ。俺は替えの服も持ってきてたから、車内で着替えて、そのまま北見の旅館まで送ってもらって、午後には自分の荷物まとめて北見を列車で去ったってわけや」

本橋は舌打ちしながらも、続きを話した。

「佐田の服やバッグはどうしたんだ?」

西田は大事だと考え、その部分を追及した。

「それはわからんわ。殺害した場所からそのままどこにも寄らずに、連中に送ってもらったから。どっかに捨てたんとちゃうか?」

本橋は興味が無いという態度を隠さなかった。

「そうか……。わからないんじゃあ仕方ないな。それでそのまま北見から大阪へ戻ったわけか。着手金を貰ったというが、成功した手当は貰ったんだろうな?」

「まあ色々寄って帰ったよ。札幌じゃススキノでちょっと遊んで、そこから、ちょろっと恐山やら仙台やら東京やら、今度は太平洋側通って観光してな。1週間ぐらい掛かったっけ……」

「それで残りの報酬は?」

西田は本橋がはぐらかしたのでもう一度確認した。

「あんたは一見丁重だが、刑事はどこのポリでもしつこいのは変わらんか」

呆れたような態度をあからさまに出した本橋に、

「ちゃんと答えろや! オラァ!」

と、無関係の室野がいきなり机を勢い良く叩いて再び威嚇した。勿論室野もそんなことが通用する相手だとは考えていなかっただろうが、道警組の割と「静かな聴取」で舐められたらたまらないという気持ちが、改めてそうさせたか……。ただ、府警は道警よりは日常的に柄の悪い相手に接する機会は多いだろうという、西田の勝手な関西への「偏見」によれば、単なる日常的な「癖」が、たまたま出ただけなのだろうと、勝手に思い込んでもいた。


「相変わらずうっせえデカだなおい! 道警のデカの行儀作法見習えや!」

以前からの「顔馴染み」故の口ごたえだったようだが、道警組の方へしらっと顔を向けると、

「成功報酬は800万。まあどういう手はずで受け取ったかは絶対言えんがな」

と、妙に神妙ながら、最後の「言えん」だけは強調して口にしてみせた。

「800万……。だから着手金と併せて総額で1000万か。それはおまえの仕事としては割のいい方だったのか?」

「ああ、金額的にも難易度的にも割が良かったのは間違いない。ただ、当時はバブルだったからな。今よりは高くなる要素はあったんやないか?」

竹下の質問には、他人ごとのように冷静に答えてみせた。

「それは建設会社の社長だからか?」

「社長!? いや俺は初めて聞いたぞ、それは」

西田の誘導尋問にも本橋は引っかからなかったのか、はたまた本当に知らなかったのかはわからないが、伊坂については顔以外は認識していなかったという話の「筋」はきちんと通してきた。西田もそれで崩れるようなレベルの相手でもないとは内心思っていたが、やはり海千山千の男にとやかく仕掛けても、基本的に無駄なのは間違いない。


「それで、佐田の衣服と荷物、あと紙や鍵の件、その後どうなったかわかるか?」

「それについては俺は一切関知してないわ。さっきも言ったようにあいつらに任せた。俺の仕事は殺しだけで終わり。だからその後どうしたか、どうなったかは一切知らんよ」

淡々とした喋りだったが、不思議と何かを偽っているようには見えなかった。


「よしわかった。今日のところはこれ以上聞いても無駄のようだな。でもおまえの話は俺たちが持っている情報とかなり符号する部分があって、色眼鏡の必要なく、大方は信用出来ると思う。全部とは言わんが、大体本当だろう」

西田は本橋に刑事らしからぬ静かな語りかけをした。

「そや。ほんまのことしか言うてへんからな。なんでもかんでも疑われたらたまらんわ」

本橋はやけに嬉しそうな表情を見せた。西田はその様子を観察しながら、

「間違いなくこの件で起訴する必要があるから、最終的には北海道までお前を引っ張ることは間違いない。当然覚悟が出来た故の自供だろうからわかってるとは思うが……。その時に正式に色々聴くことにはなるだろうが、大阪こっちでもまだ聴くことがあるだろう。その時はよろしくな。さて、それはそれとして、今日の聴取としては最後に聴きたいことが1つあるんだが、いいな?」

と尋ねた。

「あら、これ以上聞いても無駄ってのは嘘かいな。まあええわ、道警さんなら何でも聞いてくれってところや」

本橋は両腕を開いて、歓迎のポーズを取った。

「じゃあ遠慮無く。殺した後、伊坂にどうやって佐田を殺害したことを証明した? お前が関わった事件を調べた限り、白昼堂々とか、殺害がばれないようなやり方は一切してないな、この事件以外は。つまり『社会』に死を認識させてるから、依頼主もそれがわかるが、佐田殺害については完全に隠蔽しているので、報道など他から知りようがない。伊坂には犯行後報告したのか?」

西田は目の前の本橋の表情の全てを凝視しながら聞いた。

「会ってはないな。報告は一緒にいた2人に任せたんやが……。証明もそいつらで出来るやろ? 服や荷物もそいつらが持っていったんだから」

「なるほどな。わかった……。こっちの聴きたいことは、これで本当に今日のところは打ち止めってことで。じゃあ府警さんの方はどうしますか?うちはこれで終わらせて構いません」

西田は念のため室野と畑山に聞いてみたが、

「じゃあもうちょっとやらせてもらいますかな」

と余り覇気の感じない返事をもらった。聞いても無駄だということはわかっているのだろう。しかし、それに待ったを掛けたのが竹下だった。

「すいません、自分にも1つだけ最後に質問させてもらってもいいですか?」

突然の申し出だったが、特にそれを遮る理由は西田にはなく、また府警側の2人にもなかったので、当然質問を許された。それに対し、本橋はヤレヤレという表情を隠さなかったが、竹下は気にする素振りもない。


「もう1度聞くが、お前に佐田実の殺害を依頼したのは、伊坂なんだな?」

そう問うと、本橋は集中力を欠いた顔から一瞬真剣な表情になり、その後竹下の顔をマジマジと見つめた後、急にくだけた表情となる推移を辿った後、

「せやから、さっきから何度も言ってるやろ? 俺に殺るように指示したんは、その伊坂って爺さんや」

と笑った。

「いいんだな? お前が殺害を依頼されたのは伊坂で?」

「しつこいやっちゃな! そう、伊坂が俺に指示したんや!」

軽く机を拳で叩いた本橋だったが、それを省みることもなく、竹下は西田と府警の2人の方を向いて、

「こっちの話は済みました。余計な時間取らせてすいません」

と礼を言った。正直、西田としてはこの竹下の「延長」に意味があったのか理解できなかったが、大した時間を取られたわけでもなく、「そうか」と軽く頷いただけで、西田と竹下は室内に3人を残したまま廊下へと出た。


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