迷走 被疑者逮捕も捜査は混迷へ

第14話 迷走1 (1~10)

 7月26日、長机とパイプ椅子がズラっと並んだ北見方面本部の第三会議室で、西田達は捜査会議が始まるのを待っていた。時計は既に11時過ぎを指していたが、捜査本部のお偉方の姿はまだ見えていなかった。外を見るとカンカン照りで、気温もどんどん高くなっていくように思えた。

「30度超えそうだな」

と、西田は横にいる北村に喋りかけた。

「そうっすね。ただ、昨日よりはカラッとした感じで、体感はそんなに暑くないんで助かります」

と頷く北村。


 そんな世間話のキャッチボールを数回行ったところで、北見方面本部長の園山を先頭にして、捜査本部長の北見方面本部刑事部長・大友、捜査副本部長の槇田遠軽署長、北見方面本部捜査一課長・捜査本部事件主任官である倉田、比留間北見方面本部捜査一課管理官の順で室内に慌しく入ってきた。


 席に着くや否や、大友本部長の第一声は、

「遅れて申し訳ない。鑑識から連絡があったのでそちらに時間を割いていた。まずはカメラの指紋の件だが……、吉見の指紋が検出されたそうだ」

というものだった。

多少室内がざわついたが、気にせず大友は話を続ける。

「喜多川の指紋は出なかったらしいが、譲られた平尾という人が拭いたからなのか、本人が拭いて譲ったのか、そこについては、平尾に事情聴取しないとわからんな。いずれにせよ、早い段階で、カメラを譲り受けたことの証言含め参考人聴取はしないといけない。また、車にあったスコップからは当然だが喜多川の指紋が検出された。これは想定通り。それじゃあ、以降の説明は倉野から」


 そう振られた倉野事件主任官は、

「では、今後のスケジュール確認……」

と言ったところで言いよどむと、持ってきたファイルの中から多少慌てるように資料を探しだした。その間20秒程探していたが、無事発見し落ち着きを取り戻すと、

「失礼。北見署の交通課は本日昼に、検察に送致する予定だ。予定では午前中には送致するつもりだったらしいが、喜多川が逮捕前日に飲んだ、飲食店の参考人調書の作成に手間取ったらしく、若干遅れるようだな。まあ、検察官は今日中に勾留請求してくれるだろうから、明日には裁判官が勾留を認めるだろう。我々が気にすべきは、勾留中の家族との接見がどうなるか。当然、検察には接見禁止を請求するように求めているが、裁判所がこれを認めるかどうかだ。家族との接見禁止まで認める根拠が薄い。飲酒運転事故とは言え、軽微で本人も争ってないからな。でも、そうなるとちょっとやっかいなことになりそうだ。別件での取調べがされていると家族に知られた場合、本人の犯行に関わる何らかの証拠隠滅行為が家族によって行われる可能性がある。弁護士の場合には、そこまで危険は冒さないだろうが、家族となると話は違う。まあ多分、『別件である』という意図は、なんとなく裁判官にも伝わってるだろうから、大丈夫だとは思うが……」

と、立て板に水で喋り、そこまで言うと、一息付いたかのようにお茶で喉を潤した。


※※※※※※※


 本来であれば、軽微な犯罪で被疑者が事実関係において争っていない場合、わざわざ勾留する理由は、逃亡の危険性や証拠隠滅(この場合であれば、別件の飲酒運転事故におけるそれ)の恐れでもない限りは無意味なのだが、現実においては、裁判所が検察・警察側の主張を退けることはまずない。今回においては、軽微な事故とは言え、飲酒運転並びに業務上過失傷害というケースなので、勾留自体を一種の行政「懲罰」として機能させている側面が、ある意味通常の手段になっていると言える。


 また現実問題として、相当軽微な事案でも、被疑者が認める認めないを問わず、別件逮捕としての性質を持っている場合には、まさしく検察・警察側の胸先三寸で、完全に不必要な勾留が決定されることも多々あるのが現実である。検察・警察側はそれを表沙汰にはしないが、裁判所側も明らかにその意図を理解しているのは、過激派やオウム真理教信徒が、通常ではあり得ない、相当軽微な犯罪で逮捕勾留されていたのを見ても明らかであろう。


 喜多川の交通事故の場合、ある種の別件逮捕ではあるが、別件単独事案としても、十分勾留が決定される性質の事件であることは、上記の理由により捜査本部も認識していた。


※※※※※※※


 そして咳払いをすると、再び喋り始めた。

「というわけで、明日の午後には、いよいよ本格的な取り調べが始まる。ここからが勝負になるのは言うまでもない。それでは……」

そう言うと、倉野はホワイトボードの前に行き、詳しく説明を始めた。


「まず、喜多川に確認すべき事案・事件は大まかに言って3つあるから、それらについての概要を簡単に確認していくぞ。第一点は、吉見の死の理由とカメラの窃盗、これだな。後、事前に言っておくが、質問は後でまとめて受けることにするから」

捜査員に背を向けながら、ホワイトボードに吉見の写真を貼り付け、マーカーで必要事項を書き出す。そして沢井に話を振った。

「沢井課長、吉見の死についての遠軽署の見解は、ほぼ事故と見ているってので合ってる?」

捜査本部は、米田青年殺害事件の一連の事件として、吉見の事件も重要案件として扱ってはいるが、基本的に、米田青年の殺害についての捜査が主目的である。吉見の死亡事案は、あくまでその切欠という意識が強く、これについては、ほとんど遠軽署がした捜査結果を踏襲していた。そのため、上位組織である北見方面本部も、この件についてのみ、これまで遠軽署にほぼ任せきりだったと言って良い。


「基本的にはそうですね。ただ、吉見を何らかの脅迫的な行為を伴って追い掛け回して、そのために吉見が躓いたとなると、傷害致死(作者注・刑法上の「暴行」の概念は、一般的な概念より広く、直接的に身体への接触がない場合でも暴行となります。そして、暴行により致死・致傷が起きた場合、暴行の故意があれば、例え傷害の故意がなくとも、傷害罪・傷害致死罪になるのが通例です)の可能性もありますし、現場の足跡等の状況からは考えにくいですが、直接的に吉見を石に叩き付けた場合には言うまでもなく殺人になります。いずれにしても、喜多川が自分で認めるならともかく、客観的にそれを証明するのはかなり難しいと思います。また、気を付けないといけないのは、吉見の不審死については、マスコミは一切報道してません。これは被疑者の秘密の暴露と関係してきますから、ここも取調べの際に抑えておきたいところです」

「なるほど。ただこちらとしては、事故と決めつけた前提で捜査する必要はないわけだから。あくまで事故の可能性があるぐらいで、事件の可能性も残して置くように。取調べもそのつもりで行う必要がある。マスコミ報道の件も重要だな。これも取調べの際には注意してくれ。それからカメラについては、既に吉見のものだと断定できたから、これを喜多川が生きていた吉見から盗ったか、或いは死んだ吉見から(占有離脱物)横領したかということになるだろう。検死結果では、確率的には即死か即死に近いので、取調べの結果次第だが、現時点では横領の方が有力だと思われる。また、おそらく初期段階では、どこかに落ちていたとか、誰か知らない人物から譲り受けたとか、そういう言い訳話になってくる可能性が高い。そこは、本人が吉見の死亡現場に居たという証明が必要になる。既に下足痕は一致しているから、科警研からの土の成分、これはスコップも含むが、それにより徹底追及すれば問題ないだろう。えーっと、で、後、気にしないといけないのは、なくなったフィルムの行方と何が写っていたかだな。これについての遠軽署の見解を。沢井課長またよろしく」


 それを受けて再び沢井が喋り始めた。

「基本的には、おそらく喜多川が米田の死体を回収しようして現場に潜伏していた時に、どこまで吉見がわかったかは推測の域を出ませんが、気付いて写真を撮影したということが想定されますね。当然、夜間ですから、フラッシュが焚かれて、それに喜多川が気付いた可能性がある。喜多川は見られたらマズイことをしていたわけですから、それを阻止しようとしたか、或いは確認しようとしたかで、吉見の方向へ近付いた。それに気付いた吉見が、驚いたか逃げようとしたかで、躓いて死んだ。勿論これについてはどういう状況だったかは、先ほども言ったように、色々考えられるわけです。それで、死んだか虫の息だった吉見から、喜多川はカメラを奪ったということですね」

沢井課長が説明を終えると、西田が補足のために挙手した。

「西田何かあるのか?」

倉野が西田を指名し、発言を許可した。

「その吉見の件ですが、吉見は喜多川を人間として見てはいなかった可能性も考慮しておきたいです。あそこは常紋トンネルと言う、心霊現象のメッカですから、動き、明かりなどで、なんらかの幽霊現象と見て、吉見がそれをカメラで撮影しようとしたこともあり得ます」

「それは聞いてはいたが、本当にそうだったとしたら、吉見もとんだ災難だな。こればかりは仏さんになっちまった以上、本当に推測でしかわからんのが残念なところだ。ただ、どちらにせよ、吉見が喜多川について何らかの撮影をして、それが引き金になって死んだというところまでは、おそらく実像に近いだろうな。とにかく、ここまでは、既にカメラについての犯罪だけで、十分に喜多川を再逮捕できるレベルにあるから、安泰だろう」

倉野はそう言うと、資料をめくり、次の事案について必要事項を書きながら、被害者・米田の写真を貼り終え、再び口を開いた。


「で、いよいよ本題の米田の殺害に関してだ。我々の捜査の主目的が、これの解決であることは言うまでもない。これについてはみんなも特によくわかっているとは思うが、一応確認しておくぞ!」

改めて資料に視線を落とすと、読み始める。


「1992年8月10日、米田雅俊・当時23歳が、宿泊中の生田原の民宿「やまのさと」において、『常紋トンネルに鉄道の撮影に出かける。夕食までには戻る』と言い残し、そのまま戻らず行方不明になった。その後、遠軽署や地元住民等による山狩りを行うも発見できず。それが今年の6月15日、吉見の死とカメラの盗難に絡んで、現場付近を捜索していた遠軽署の捜査員に発見され、殺人事件として、当捜査本部とうちょうばが立ち上がったわけだ。それで、吉見の死に絡んだ人物が、常紋トンネル建設で犠牲になった、タコ部屋労働者の遺骨収集のボランティア活動での偶然の事件発覚を恐れ、事前に米田の遺体を掘り返そうとして、現場付近に5月下旬辺りから頻繁に出現していた可能性が出てきた。その後の捜査結果は、わざわざ言わなくてもわかっているだろう」

そう言うと、一度資料から目線を上げ、捜査員達の様子を確認するように、端から端までじっくり舐めるように眺めた。そして安心したかのように、

「常識的に考えて、死体が遺棄されていた場所を知っていたということは、米田の殺害、死体遺棄についても何らかの関与を行っていた可能性が高いわけで、喜多川は、言うまでもなく殺人自体についての重要参考人でもある。どう関わっていたのか。殺害にも関わっていたとすると、その動機の解明もかなり重要な要素になる。何しろマルガイ(被害者)に殺される理由が全く見当たらない。今の所は、何か事件に巻き込まれたのではないかという前提での捜査が妥当だろう。その殺害要因は、喜多川が知っているのなら、きっちり聞き出すことが肝心だ。これはこの次に話すこととも関わっている可能性があるが、それはそっちで話そう」

そう言うと、倉野は資料をめくった。


「話を戻すと、その殺害要因が、新たな事件の発覚につながることも念頭に置いて取り調べをして欲しい。つまりだ、米田を口封じで殺した可能性を考慮すれば、口封じする理由が、何か他の犯罪と絡んでいるって話だな。後は共犯がいたかどうか。これも重要だ。えー、それじゃあ次の話に行くぞ。これは、今までしてなかった細かい情報もあるから、資料のコピーを配った上で話すことにする。まあ細かいことは、それを見てくれればわかると思う」


 倉野はそう言い終えると、持ってきた資料のうち、封筒の中から紙の束を取り出し、捜査本部幹部、捜査員に配り始めた。資料は、1987年の佐田実の行方不明事件についての、北見署・北見方面本部が当時作った捜査資料だった。概要は以下の通りであった。


※※※※※※※


1987年9月23日秋分の日の昼、札幌市東区在住、食材卸売り経営「佐田 実」当時65歳は、札幌を早朝出発の特急で北見駅に到着した。佐田はそれ以前から、伊坂組先代社長「伊坂 大吉」当時67歳と頻繁に電話で連絡を取り合っていた。その内容については、伊坂本人からの事情聴取を前提とすれば、佐田の店の経営難においての資金提供の話であったとのこと。伊坂本人は佐田との関係は、「昔からの知り合い」と語ったが、佐田周辺からは、伊坂との古い付き合いがあるということの裏付けは一切取れなかった。遺族も、佐田が北見へ行くことは知っていたが、それ以前に伊坂と連絡を取っていたことや、伊坂と会うことは知らなかった。


 伊坂周辺において、伊坂の主張を補強したのは、後で出てくる、当時の北見市選挙区選出道議会議員「松島 孝太郎」当時62歳の証言のみである。


 佐田は、北見に到着後、駅前の「北見セントラルホテル」に宿泊。宿泊先からも伊坂大吉との連絡を頻繁に取っていた。そして、2日後の9月25日、佐田は北見市内の「グランド北見ホテル」の中の和風割烹料亭「風鈴」の「松の間」にて、伊坂と立会人としての松島と会食をした。そしてその後、セントラルホテルに戻った。


 翌日9月26日朝、セントラルホテルをチェックアウトしたところまで確認されたが、当初札幌に帰るために乗る予定だった、網走発函館行きの特急「おおとり」には北見から乗らなかったことが、該当列車常務車掌による指定席乗車確認表より確認された。


 佐田の家族から捜索願が出されたのが、10月3日。担当所轄である北見署・生活安全課(行方不明等の担当部署)がまず捜査を開始した。佐田の会社の資金繰りが余り良くなかったことは家族の証言より確認されたが、同時に会食後の失踪前日夜、「金策の目処が付いた」との電話が、佐田より午後11時前後に家族にあり、それが原因での失踪は考えにくかったこと。チェックアウトした際に、ホテルのフロントに「そのうちまたこっちに来るから」と言い残したことなどから見て、自ら家出などという行為に及んだ可能性が低く、何らかの事件に巻き込まれた可能性を考慮。10月6日、刑事課にも協力を要請。


 刑事課は、佐田家や佐田の会社からの電話による通話先の解析から、伊坂大吉を割り出した。佐田の失踪について何か知っている可能性を考慮し、任意での事情聴取を要請するも当初拒否。伊坂が北見地区の有力者であることから、北見方面本部刑事部捜査一課も動き出すことになった。


 当時の刑事部長が直々に参考人聴取を伊坂の顧問弁護士に依頼。何とか任意での事情聴取が可能になるも、伊坂は佐田の失踪については全く知らないと言い張った。会食の際の話し合いも、円満のうちに終わり、資金提供の話がついたと証言した。伊坂と佐田の関係性も上記の通りの主張。立会人だった松島にも事情聴取するが、こちらも伊坂の発言を追認するだけだった。


 北見署刑事課も方面本部捜査一課も、伊坂についての捜査を続行すべきとの結論に至るが、ここで伊坂組が有力支援者になっている、地元選出の与党・民友党の大物国会議員「大島海路」が東京から介入してくることになる。松島は、大島の子分格の道議会議員で、松島との関係も深いが、「道議会議員の松島が、伊坂社長について問題ないと証言している以上、これ以上ない証拠能力がある」と主張。道警本部にも圧力を掛け、道警本部直々に、「10月20日までに具体的証拠が出なかった場合、伊坂からは手を引くように」という命令を出させる。


 結局のところ、具体的に伊坂が佐田の失踪に関わっている証拠が、それまでに出なかったため、捜査は頓挫し、伊坂は自発的に失踪した可能性ありということで、刑事事件扱いは、北見署も北見方面本部もやめることになった。以降は、純粋に生活安全課の自発的失踪案件として扱われた。その後も行方はわからないままであった。


※※※※※※※


「みんな、ちゃんと中身見たか? よし、問題ないな?」

倉野は捜査員達の顔があがるのを確認すると、話を続ける。

「先日の捜査会議で、北見署の向坂係長から聞いて、ある程度はわかっていたとは思うが、伊坂組絡みの8年前の事件の詳細は、今渡した資料に書いてある通りだ。それで、今回まさに偶然だが、マル被の喜多川が、この佐田の失踪の後から、伊坂大吉の経営する伊坂組において、突然の出世を果たしている。そして、米田の3年前の殺害にも、ほぼ確実にその喜多川が関わっているということだ。米田殺害の動機及び喜多川と米田の関係性が釈然としない中、タイムラグが約5年あるが、佐田実の失踪と今回の殺人に何か関係があるかないのか、そこが我々の関心事になってくるわけだな」


 そう言うと、倉野は振り返ってホワイトボードを一瞥し、再び口を開いた。

「ついでだが、今回改めて生安課に問い合わせたところ、失踪から7年経った昨年の9月に、佐田の家族により失踪宣告(作者注・民法30条・31条)がなされ、民法上は既に死者扱いになっているという回答を得ている。北見署も、佐田の行方がつかめることはもうないだろうという諦めの境地のようだ。おそらく死んでいる、いや、もっと言うなら殺されている可能性も十分にあると見ている。経営していた会社も資金繰りに行き詰まり、そのまま倒産したそうだ。家族としては踏んだり蹴ったりだが、まあ今となってはどうしようもないな……」

倉野は、熱弁しているうちに暑くなったか、資料を団扇代わりに2、3度扇ぎながら、

「というわけで、ざっとだが、3つの追及すべき件があることを今おさらいした。それぞれについて、これから喜多川を取り調べるわけだが、まずは1つ目の吉見の件では、現状でも十分逮捕できるレベルなので、これについてまず、やっつけてしまうのが妥当だろう。どうですか、本部長、これは遠軽署に丸々任せて問題ないですね?」

と確認した。

「こっちはそれで構わんよ」

大友は一言で済ませた。

「じゃあ、沢井課長、そういうわけで一番槍は遠軽署でよろしく頼む」

「わかりました。任せてくださいとまでは言いませんが、全力を尽くします。今回の立役者、西田を中心にしてやっていくつもりです」


 いきなり、課長に名前を出されたので、西田はビクっとした。米田の遺体発見までの一連の捜査は、西田自身は勿論、遠軽署の刑事全員で当たってきただけに、課長にその中から特に推挙してもらったことは、やや気恥ずかしい面もあったにせよ、素直に嬉しかった。刑事になってから十数年になるが、ここまで捜査を主導する形で大事件に関わったのは、初めての経験だったので、やりがいも違う。もしこの事件をクリアー出来れば、これからのキャリアにも大きく影響するであろうことは重々承知していた。


 一方で、残念ながらというか、やはり、米田殺害の件と佐田の失踪については、北見方面本部組の主導により取り調べが行われることになった。正直、米田の件も遠軽署が掴んで発覚した事案だけに、本来なら吉見の件同様、遠軽署が取調べにも積極的に関わってしかるべきと、西田は考えていた。いや、もっと言うなら、この件こそ西田達が積極的に動いた故に発覚した事件だけに、吉見の不審死以上に関わる資格があるはずだと思っていた。しかし、上位組織が優先されるのは警察の常であり、吉見の件だけでも任せてもらっただけありがたいというのもまた、否定できない事実だった。


 また、佐田失踪についての取調べには、捜査に加わっていた向坂が、当時の経験を買われて加わることになった。他の所轄からの応援刑事が、取り調べにも主体的に関わるというのは非常に珍しいが、倉野は向坂の経験と腕、そして事件に精通している点を組織のメンツよりも重視したのかもしれないと、西田は考えていた。だとすれば、これは倉野の前例踏襲主義を壊す、いい試みだと言えた。


 しかし、西田からしてみると、必ずしも歓迎できないこともあった。取調べには、道警本部から、刑事部・捜査一課・強行犯第三係長の道下孝三郎という人物がアドバイザーとして応援に来ることが決定していた。この道下は、道警の刑事ではかなり有名な、いわゆる「落としの~」の代名詞で呼ばれるタイプの刑事で、数々の事件での取調べで犯人を自供させた功績を持っていた。


 ただ、年配の刑事にありがちな、思い込みの激しいタイプという噂もよく聞く刑事で、かなり頑固な職人肌らしい。刑事の勘や経験は事件解決に大きな貢献をすることもあるが、逆に捜査が硬直化し、あらぬ方向に行くことも多々ある。それが酷い場合には、冤罪などの発生を生むこともある。特に昭和30年代、40年代は、この手の捜査方法での有名冤罪が多く発生していた。


 そういうタイプの刑事がやってくるということは、取調べの方向性が勝手に決められる恐れもあり、非常にやりづらくなる可能性があった。特に、捜査に今まで参加していなかったのだから、経緯や流れを理解しないまま、個人の考えを押し付けられたら、これまで捜査していた側としてはたまったものではない。これは西田だけでなく、捜査本部全体の感覚でもあったろう。倉田事件主任官も、道下の捜査参加を発表した際に、

「多少やりづらくなるかもしれないが、道警本部ほんしゃからのお達しだから、拒否するわけにもいかない。みんなには我慢してもらうこともあるだろう」

と、本音を語ったことからも明らかだった。


 いずれにせよ、これまではかなり自由に捜査できていたことを考えると、これでも十分恵まれていた方だと思い直し、明日以降の取調べをどうするかに頭を切り替え、気持ちも前向きにしていこうと考えることにした西田であった。


※※※※※※※


 7月27日午前10時、西田は遠軽署内の捜査本部にて、午後からの北見「遠征」に備えていた。午後には、裁判所から勾留請求を認める判断が出るだろう。ただ、勾留については、喜多川が完全に罪を認めている以上、弁護士としては準抗告(取消請求)により、勾留を不要として不服を申し立てる可能性がなくはない。しかし、その上で、松田弁護士はその点については割と現実的な判断をしてくると捜査本部では見ていた。


 まず、裁判所の判断が覆ることは、ほぼないからだ。松田は人権派弁護士ではないので、そういう建前論での無駄な争いは避ける可能性が高いと睨んでいるのだ。実際、過去の彼の弁護行動を見ても、そういう傾向にあった。


 そうなると、順調なら夕方には取調べが可能になるはずだ。そのため、勾留請求が認められた時点で、すぐに遠軽から北見署に向かう準備をしていた。勿論準備とは、取調べの手順確認も含んでいた。一緒に取り調べるのは主任の竹下。記録員には小村を抜擢した。沢井課長は裏から取り調べの様子を見ながら、場合によっては指示を出すことになっていた。


 そんな中、昼前にファックスが作動した。黒須がそれを取り出すと、早速コピーして遠軽署のメンバーにそれぞれ渡した。中身は平尾の取調べ調書と喜多川の家族・交友関係の完全な情報だった。喜多川の身辺調査については、逮捕する前には余りおおっぴらにできなかったこともあり断片的だったが、逮捕以降は完全に把握することが可能になったからだろう。


 平尾の調書を読む限り、カメラを喜多川から受け取った後、綺麗に掃除したとあり、喜多川の指紋が発見されなかったのは、おそらくそれが理由だと推測された。ただ、喜多川から渡された時点で、カメラは紙袋に包まれていたということから、その時点で既に喜多川が指紋を拭き取っていた可能性もゼロではないと西田は感じた。そして、レンズの、カメラ本体との装着部分に吉見の指紋が残されていたのは、平尾の拭き取り行為を見る限り、かなり運が良かったと言わざるを得なかった。


 もう一方の喜多川の周辺関係者の情報は、取り調べする際に役に立つ可能性があり、西田は事前に頭に叩き込んでおこうと、平尾の調書を読み終えた後、自分の席でじっくり眺め始めた。しかし、読み始めて1分もしないうちに、ある名前に目が釘付けになった。


「おい、本当かよ!?」

西田は思わず大きな声を上げてしまったため、本来独り言だったにも関わらず、他の刑事達も一斉に西田の方を見た。しかし、西田はそれにいちいち反応する余裕すらなかった。もう一度その名前を凝視するが、間違いない。


「田中清」。名前だけではなく住所も一致していた。紛れもなく、常紋トンネル調査会の古参会員で、一時被疑者扱いした人物である。その田中が喜多川の義理の父、つまり田中の実の娘が妻の加奈子だというのだ。


 西田は30秒ほど混乱したが、その後はすぐに、以前の田中への事情聴取の時の場面が思い浮かんだ。確か、実際に国鉄時代に生田原側の調査をしたかどうかを証言できる人物がいるか、西田が田中に聞いた際、「娘婿」と言い掛けたのを西田が制した場面だ。そして、喜多川は伊坂組に勤める前は国鉄の職員だったことは、逮捕前に既に調査済みだ。田中もまた現役時代は国鉄の保線区員であった。二人の間には姻戚だけでない接点があったのだ。いや、姻戚になった理由も、二人が職場の先輩後輩だったからかもしれない。


 そして、西田は思い出したかのように自分の机の引き出しを乱暴に引き出すと、そこから慰霊式典の冊子のコピーを取り出し、出席者を確認した。上から指でなぞりながら、逐一確認していくと、出席者の国鉄の保線区職員の欄に「喜多川 友之」の名前を発見するのにそう時間は掛からなかった。西田が以前、喜多川の名前について何故か見覚えがあったのは、この冊子に名前が載っていて、それを無意識に認識していたからだった。


 西田は、大きくため息とも深呼吸とも取れるような息を吐くと、そこにある他の出席者の「伊坂 大吉」に目線をやった。田中と喜多川、そして伊坂。少なくとも、このうちの田中と喜多川は繋がった。そして喜多川は、後に伊坂の元に勤めることになる。


 米田の行方不明になった場所、殺害されて埋められていた場所も式典が行われていた所とほとんど同じ地点だ。そこに何かあるのか? 西田の頭の中はさまざまな可能性を瞬時に模索していた。しかし、ここでちょっと考えた程度で正解が出るわけではないことに気付くまで、そう時間が掛かることもなかった。


「課長、奇妙な事実が出てきました!」

西田は落ち着きを取り戻すと、沢井課長に声を掛けた。

「何かあったみたいだな?」

「以前、常紋トンネル調査会の田中清という人物を、自分が事情聴取したことを覚えてますか?」

「ああ。事後報告だったが、シロだった奴だな」

「そうです。生田原側の遺骨収集調査についてやる必要がないと主張して、調査をやめさせようとした人物です」

「それは問題なかったんだろ?」

「ええ、その時は確かに。ただ、なんとその田中が、喜多川の義理の父、つまり田中の娘の夫が喜多川だったんです!」

「おいおい西田よ! それは本当か!?」

沢井もかなり驚いた表情を見せた。その場にいた竹下達も、やり取りが耳に入ったかいつの間にかこちらを注視していた。


「ええ、間違いありません。この資料の田中清と住所も一致してますから」

「ということは、田中と喜多川はグルだったってことか?」

「まだそこはかなり微妙です。松重の話でも田中のした話でも、どうも強硬に田中が遺骨収集の中止を主張した感じはしなかったんですよねぇ。もし田中が妨害目的での主張をしたとするなら、そういう部分が見えてきても不思議じゃないと思うんです」

「ただ、それはおまえの印象論だろ?ちゃんと確認しないといけない」

「わかってます。今からすぐに松重さんに、田中がどういう言い方をしたのか確認します」

西田はそう言うと、すぐに沢井の方に向けていた身体を反転させ受話器を持ち上げた。


松重は幸いすぐに捕まった。ホテルのロビーに丁度居たのだ。西田が喋ろうとする前に、松重は開口一番、

「西田さん、こっちから電話しようと思ってたんですが、調査会の遺骨収集やってもいいんですかね? 事件のこともありますし、予定を一度白紙に戻して遠慮してたんですが?」

と切り出した。確かに当初の予定では7月にするはずだったことを西田は思い出した。

「ああ、うっかりしてました。お待たせして大変申し訳ないです。でも、もうちょっと待っていただければありがたいんですが。まだ事件も解決してませんから」

「……そうですか。でもそうなると下手をすると今年はもう無理かもしれないってことでしょうか?」

しばらく沈黙した後、如何にも残念そうという口ぶりでこちらに確認してきた。ある程度「覚悟」しているように、西田には感じられた。

「いや、そこまで酷いことにはならないと思いますよ」

当然、西田は、喜多川を落とせば事件は粗方解決するものだと言う自信があった。

「それならいいんですが……。わかりました。しばらく待ちますよ。こちらは急ぐことでもないですから。問題が無くなったら、西田さんから電話ください」

「その件についてはわかりました。それでですね、お電話したのは、その件ではなく、例の田中さんのことなんですが……」

「あれ、それは既に問題なかったはずじゃあ?」

「そうです。なかったはずだったんですが……。新たな問題が発生しまして。それでちょっと確認させてください」

「こちらは構いませんよ」

松重はそうは言ったものの、やや面倒そうに感じているようだったが、西田は無視して喋り始めた。

「田中さんが、松重さんに調査の必要がないと言った時、どんな感じでしたか?」

「どんな感じと言われましてもねえ……。直接会って話したわけではなく、電話での会話でしたし」

そう言うと、松重はしばらく考えているようだった。おそらく当時の会話の様子を思い出そうとしているのだろう。そして、

「もしもし、すいません。私が『今度の調査は生田原側を重点的に』と言うと、田中さんは、『否、その必要はない。俺達が昔ちゃんとやったから』という話をしてきまして」

「はい、それについては前回聞いてます。問題はその言い方といいますか、松重さんがそれを聞いた上でも、調査をすると主張されたんですよね? それで田中さんはどういう態度でしたか?」

「『それでもやってみましょう』と私が言いましたら、田中さんは、『正直、余り成果は見込めないが、会長がそこまで言うなら、私も止めませんよ』という感じでしたね、確か」

「それはあっさり引き下がったということですか?」

「ええ、割とこっちの意見を素直に聞いてもらったはずです」

西田はそれを聞くと、かなり複雑な心境になった。ある程度しつこく中止を要請したのなら、田中は喜多川に協力した可能性も出てくるが、松重の証言を前提にすると、そういう可能性は低くなる。義理の息子の犯罪が表沙汰にならないためにそういう発言をしたとすれば、もっと食い下がるだろうと思えたからだ。

「そうですか……」

「何かまずいんですかね? それだと」

西田が返答に詰まったのを察したか、松重が探ってきた。

「いや、まずくはないんですよ。ただ確認したかっただけです。わかりました。後、調査の日取りの件ですが、また何か進展がありましたら連絡しますんで。無責任な言い方ですが、捜査が忙しくて、ひょっとすると忘れてるかもしれないんで、松重さんももし連絡が来なくてイライラするようなことがあれば、こちらに問い合わせていただければ」

「はい。わかりました。捜査の件頑張ってください。こちらも早く活動できますから、解決を祈ってますよ」

「お気持ちありがたいですよ、本当に……。それにしても忙しい時にすみませんでした。ひとまず失礼します……」

西田はそう言うと受話器を置いた。


 それを待っていたかのように、既に西田の元に来ていた沢井が声を掛けた。

「どうだ? 何かわかったか?」

「少なくとも、それでも松重がやると主張した後は、やはり食い下がることもなく、そのまま引き下がったようです」

西田は会話の中身をそのまま告げた。

「うーん……。それにしても、たまたま義理の息子が被疑者で、本人がその事件に関わる可能性がある件でマル被(被疑者)に有利になるようなことを言ったなんて……。こんな偶然が本当にあるのか?」

沢井は困惑を隠さなかった。

「そんな偶然があるのかないのか、正直自分にもわかりません。ただ、俺が田中本人と会った時に、田中は、自分の義理の息子の存在を私に話そうとしてました。その時は、私の方が遮りましたけどね。もし、田中が喜多川をかばうために収集調査を中止させようとしたなら、わざわざ刑事に喜多川の存在を明かそうとしますかね?」

「なんで喜多川の話が出たんだ?」

「田中が収集を不要としたのは、国鉄関係者による遺骨収集が昭和52(1977)年にあったからということは、以前課長に説明しましたよね? その時、それを証明できる人間がいるかと聞いたんです。田中はそれに対して、当初『娘婿がいる』と喜多川の存在を匂わせたんですよ。私が親族は証言者として適切じゃないと、その時は否定して、それ以上話が進まなかったんですが……」

「なるほど。その時既に、田中は喜多川の話を西田にしているが、喜多川の犯罪を知っていれば、警察に自らわざわざ『餌』をやるような真似をするはずがない、そういうことだな?」

課長は。よく理解出来たとばかりに、西田に確認した。

「そうです。そして何より、田中の態度を見る限り、あくまで自分の印象ですが、犯罪性というものを知っていた上で、自分と対峙していたようには思えないんです」

「西田の勘がそう言っているのか……。勘が常に正しいわけではないが、西田としてはそれなりの確信はあるんだろう。だが、この件については、田中をもう一度聴取しないといけないと俺は思う。そうだろ?」

「それはそうですね。念には念を入れないと」

西田も同意した。


「いつにしたらいいかな。タイミングが難しい。今日は無理だな」

「どうでしょう? 今は別件での逮捕ですから、関係者に聞くのは本件逮捕以降ということで?」

「それが無難かもしれん。別件の時点で義理の関係とは言え、親族に本件の事情聴取となると、色々バレるかもしれない」

「まあどっちにせよ、あっちには既に弁護士が付いてますから。接見指定(作者注・弁護士と被疑者はいつでも接見できるのが原則ですが、警察の捜査、事情聴取のために、接見の日時を警察側から指定することが出来ます。親族は接見禁止の場合以外は接見出来ますが、制限事項が多くなっています)するにせよ、いつまでも接見させないわけには行きません。そう遠くない時点でバレます。さっさと吉見のカメラの件で再逮捕して、遠軽まで連れてくるのが先決です。そうすれば、田中への事情聴取も何も気にすることなくできますよ」

「そうだな。ひとまず、俺達がやるべきことは、吉見の件で喜多川を追い詰めることだ。それに集中しよう」

沢井はそう言って、よりかかっていた西田の机から姿勢を正し、自分の席に戻ろうとした。その姿を見ながら、

「わかりました」

と西田は言うと、気を取り直して、取調べのことについて集中して考えようとしたが、やはり田中と喜多川が親族だったという新たな事実が頭から完全に離れることはなかった。


※※※※※※※


 午後3時、ようやく勾留請求が認められたとの連絡が入り、沢井課長、西田、竹下主任、小村の4人は遠軽署を後にして北見方面本部へ向かった。松田は予想通り準抗告しなかったらしい。これから、方面本部庁舎で先に軽く打ち合わせしてから、隣接する北見署に勾留中の喜多川の聴取に向かう手はずだ。


 やや飛ばしたこともあるが1時間程で着き、会議室に出向くと、倉野が資料を持ちながら待ち構えていた。

「いやいやご苦労さん。ただ、良い知らせが幾つかあるぞ。ついさっき、科捜研から連絡があって、土の成分が間違いなく現場周辺のものと一致したそうだ。これで奴も言い逃れはできまい。あとは家族接見はこっちの要求通り禁止」

と4人に告げた。

「間に合いましたか。助かりますよ」

沢井は倉野から資料を受け取ると、そう言いながら話の中身を踏まえて簡単に確認し、西田にそれを回した。西田もちらっと確認すると竹下に手渡した。


「事件主任官、それで我々はどこまで突っ込んで良いんですか?米田の件までちらつかせて構わないんでしょうか?」

西田が聞いた。

「成り行き次第だな。積極的に聞けとは言わないが、現場に居た目的を探る際には、そういう話が出てくることは、流れ的に仕方ないだろう。ただ、米田の殺害に関してまでは、詳細には突っ込まないでくれ」

「それは道警本部の道下係長のアドバイスですか?」

「いや違う。道下さんが来るのは明日になる。俺の判断だ、西田」

幾ら道警本部からのアドバイザー相手とは言え、また、道警本部傘下の方面本部とは言え、捜査一課長が言いなりということは、そもそもそうはあり得ないと西田は思い直し、

「取調べの分担をきっちりしておきたいというわけですか?」

と聞き返した。


「端的に言うとそうだ」

「そうですか。わかりました。指示に従います」

倉野の返答に西田はひとまず納得した。

「あ、そうだ! 主任官、以前事情聴取した、田中って老人の話なんですが……」

西田は、田中と喜多川が姻戚だったことを報告するのをうっかり忘れかけていた。

「田中がどうした?」

「実は、さっき気付いたんですが、奴と田中は義理の親子関係でした」

「はあ? それを早く言ってくれ!」

倉野は急いで自分の机の上から、遠軽署にファックスされたものと同じ資料を探し出すと、

「これか? 同姓同名じゃないだろうな?」

と紙面の田中の部分を指差した。


「住所も一致してます。間違いありません」

「そうなると、こりゃ一体どういうことだ?」

興奮気味に自問自答する倉野を見ながら、西田は先ほどの松重とのやり取りの概要を伝えた。それを聞いた倉野は、

「ますますわからん……。西田はわかるのか?」

と聞き返した。西田は、

「自分は田中を今は余り疑ってはいませんが、正直なんとも……。喜多川の調べが一段落したら、そっちももう一度調べ直しする必要があることだけは確かです」

と言うのが精一杯だった。


※※※※※※※


 午後6時、北見署の取調室に西田と竹下、小村は詰めていた。マジックミラーの裏には沢井と倉野、比留間管理官が監視するために陣取っていた。竹下は喜多川と既に対面しているが、西田と小村は今回が初の顔合わせとなる。留置場から喜多川が連れて来られるのを待っている間、三人はお互いに微妙な落ち着きの無さを感じあっていた。


 取調べの際には、どんな被疑者、被告を相手にするときでも、独特の緊張感を感じるものだ。当然のことながら、西田も刑事となって既に12年になるが、未だにその感覚は消えていなかった。まして、相手が重大事件の被疑者となれば尚更であった。


 10分もすると、北見署員に連れられて喜多川が入ってきた。やや疲れた風貌に見えたが、竹下と向坂が以前言っていたように、ごく普通の中年男性という感じだった。取調室に入ってくるとすぐに、見たことのない2人の姿を確認したのか、……もしかしたら、既に竹下と会った記憶も無かったかもしれないが……、戸惑った態度を隠さなかったが、椅子に座るように指示されると、すごすごと従った。


「喜多川友之だな?」

西田が口火を切った。黙って頷く。

「今日はじめて会うことになったけれども、遠軽署の、自分が西田、隣が竹下、向こうが小村。竹下とは面識があるはずだな」

そう言うと、

伏目がちに小さい声で、

「そんな記憶がありますね」

と言っているのはわかった。


「まあ先日の事故の件で、今日勾留が認められたようだけれども、実は我々もちょっと聴きたいことが幾つかあって、今日ここにお邪魔してるわけだ」

西田の言葉にも、相変わらず伏目がちのままの喜多川。その様子を窺っていた竹下が、いよいよ本題に入った。

「6月の8日から9日にかけて、何をしていたか記憶にありますか? 我々の調べでは、夜中に掛けて出かけていたみたいだけど」

これまで特に反応を示してこなかった喜多川だったが、さすがにこの質問を聞くと、やや落ち着かない表情を見せた。そして目線を上げて、目の前の刑事達を見つつ、

「ちょっと記憶にないですね」

と淡々と答えた。


「そうですか。実はね、我々はとある事件を追っているんだが、どうもあなたがその現場に居たんじゃないか? という嫌疑を持っているんですよ」

竹下のその質問を聞くと、さすがに動揺を隠し切れなくなった。それを見ていた西田が、今度は質問をぶつけた。

「具体的に言うと、6月9日の未明、とある場所で、吉見忠幸さんと言う方が殺されていましてね……」


 かなり高い確率で、殺人ではなく事故だろうという認識はあったが、西田は敢えて殺人と言うことで、喜多川の出方を探った。西田の考えた通り、一瞬だが身を乗り出すような仕草を見せたが、

「そうですか」

と平静を装った。さすがにここで「殺人じゃない! あれは事故だ!」とでも強く抗議してしまえば、自ら現場に居た事を自白げろってしまうようなものだ。だが、その一瞬の動きを、刑事が見逃すはずもない。西田は持って来た喜多川の靴を、椅子の後ろから取り出して机の上にトンと置いた。


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