第15話 迷走2 (11~20)
何が起きたのか瞬時にはわからなかったのか、喜多川はキョトンとした顔をした。
「これがあんたの家から、捜索の際に押収されたものだ。因みに任意提出のものなんだけど、この靴の底が、その殺人の現場に残ってた新しい靴跡と一致した。それで我々はここに来たんだ」
西田の発言に、やっと状況が飲み込めたか、
「たまたまじゃないんですか?」
と語気を強めて反論した。
「あんたの言う通り、これだけなら偶然ってことも、そりゃあり得なくはないでしょ。でもね、この靴の底に付着していた土がね、その現場の土の成分と一致してるんですよ。これは偶然なんだろうか?」
今度は竹下が揺さぶりにかかった。
「土の成分なんて、同じようなのがいたるところにあるでしょ?」
「いや、警察の科学捜査は結構きちんとやってまして、大体の場所の区別は付くんですよ。舐めてもらったら困ります」
「だったらまさに偶然じゃないんですかね。私は山菜採りに行ったりしますから、たまたまその現場に行ったことがあって、それが残っていたのかもしれない。あくまで、それが私のものだったとすればの話ですけど……」
刑事達にとっては、ここで相手が「生田原」という地名を自ら出してくれば、それこそしめたものだったが、さっきの殺人発言の罠と同様、なかなか引っかからない。ただ、取調べ開始時より饒舌になってきたのも確かだ。ぼろを出す可能性は出てきている。今度は西田が攻める。
「山菜採りか。私はやらないけど、好きな人は好きみたいだな。うちの同僚にも好きな人が居て、非番の日になると、良く採れる場所を知っているらしく、山ほど採ってきて、我々に配ってくれたりする。ありがたい話だ。それはそうと、先程、たまたま現場に行ったことがあっただけみたいなことを言ってたな。最近はどんなところに山菜採りに行ったの?」
「いちいち答えないといけないんですかね? 覚えてませんよ!」
「いや最近の話だよ? それに、山菜採りに行く人ってのは、ある程度自分のよく知っている場所があると思うんだけどね?」
西田はしつこく聞いた。喜多川はあからさまに嫌な顔をしたが、
「美幌峠の方だね、私がよく採りに行くのは」
とふてくされたように返した。
「美幌峠の方か。屈斜路湖の眺望が良いね、あそこは。何が採れるの?」
「今の時期だと、ギョウジャニンニクとかタケノコ(作者注・北海道でタケノコとされるものは、本州でいうところの笹竹に当たるものです。いわゆる竹林は、北海道には道南の一部を除きありません。それも、本州から移植されたもの)かな……」
渋々と西田の質問に答える喜多川の顔は、いつの間にか少し紅潮し始めていた。
「タケノコか。いいですねえ。でも山で採れるものは山菜だけじゃなく、時にもっと高いモノもあったりするみたいだ」
そう言うと、西田は再び椅子の後ろから、例のカメラを取り出して、目の前に置いて見せた。さすがに。これには喜多川も思わず目を見開いて、
「ウッ」
と声を出してしまった。
「これわかりますよね? カメラ。あなたが会社の部下にあげたモノ。その点については、こっちも、もう調べが付いてるから、否定しても無駄だよ」
西田のまなざしは、少々意地の悪い光を発していたかもしれない。
「これ結構高そうなカメラだけど、どこで買ったモノなのかな?」
「いや買ったモノじゃない……」
西田の更なる問いに、やっとの思いで答えたように見えた。
「買ったモノじゃないんですか?」
今度は竹下が聞く。
「……よく知らない人から貰ったモンだ……」
「よく知らない人がこんな高そうなものをくれるんですか? そりゃまた奇特な人がいるもんですね。で、どこで貰ったんですか?」
喜多川は言葉を発することが出来なかった。それを無視して竹下は続けた。
「このカメラね、さっき言ってた吉見って人のカメラなんですよ。死んだ後、カメラが行方不明になってたんだけど、飲酒運転の件で伊坂組に捜索に入った際に、部下の方から提供を受けましてね。調べてみたら型番が一致したのは勿論、カメラから吉見さんの指紋も検出されました」
竹下の発言を突然遮り、
「そんなことはないはずだ!」
と喜多川が声を上げた。
「どうしてあり得ないんですか?」
竹下に指摘され、ここでやっと自分の発言がマズイと気付いたようだ。西田と竹下もその様子をしっかりと観察していた。
おそらく、喜多川はカメラを平尾にやる前に、念入りに拭いたのだろう。自分の指紋も付かないようにして。しかし喜多川も平尾も、レンズのカメラとの装着部分までは拭き取っていなかった。そのことが、吉見の指紋がわずかに残留する結果となった。しかし、喜多川はそれに気付いていなかった以上、吉見の指紋が検出されるわけがないとの自覚があり、この強い否定に繋がったのだろう。竹下の問いにそのまま黙りこくってしまった。竹下は構わず話を続ける。
「とにかく、そういうわけで、このカメラは亡くなった吉見さんのモノだということは明白なんですよ。ところが不思議なことに、カメラの中に入っていたフィルムが見当たらない。どこ行ったんですかね? カメラはあるのに、中のフィルムがなくなっているんで、不思議で仕方ない。知りませんか?」
喜多川は俯いたままだ。先ほどの饒舌さは、既になりを潜めていた。
「黙ってないで、何とか言って欲しいんだけどねえ……」
西田は一言嫌味を言うと、
「まあ黙っているのもおたくの権利ですから仕方ないけど、こっちは勝手に話進めますからね。それだけは言っておきますよ」
と告げた。
「我々はね、6月9日の未明、あんたが吉見さんを殺して、カメラを奪った、そう見てる。おそらくだが、殺した理由は、吉見さんがあんたが何かしていたのをカメラで写した。それに気付いて、吉見さんを追いかけて殺害し、カメラを奪った。そしてフィルムを取った。違いますかね?」
喜多川は尚も押し黙っている。西田も、勿論のこと、喜多川が直接的な殺害を行ったとは思ってはいなかったが、様子を見るためには、先程同様そう言っておくのが好ましい。それから、西田は切り口を変えてみることにした。口調も多少早口になってきた。
「ところで、あんたの車から、スコップだのランタンだのが押収されてるんだけど」
その尋問にも、未だ無言のままだ。
「一体、真夜中に何やってたの? 見られたらマズイことなんですよね? しかし、そんなんで人殺すってのは許されないよね!」
西田は机を叩いて威嚇してみた。するとそれまで黙っていた喜多川だったが、
「……俺は、俺は殺してない……」
と小さいが、はっきりと聞こえるように口を開いた。
「殺してない? じゃあどういうことがあったか、説明してもらえるかな? そうしてもらわないと、こっちは到底納得できないんですよ!」
西田の頭の中は冷静だが、口調だけはヒートアップしてきた。
「……強い光がこちらに向かって光り、なんだと思って行って見たら、既に誰かがうつぶせに倒れていた……。起こすと頭から血を流してた。呼びかけても反応がない。懐中電灯で目に当てたが瞳孔も開いたままだった……。こりゃ死んでると思った」
喜多川はポツリポツリと喋った。
「吉見の死を確認した後、遺体はどうしたんだ?」
「元の状態に戻した……」
西田は、遺体がJRの職員に発見された際にもうつぶせだったことから、そのままの話だと辻褄が合わないと思って確認したが、そう言うことであれば問題はなかった。
「それならいい……。だが、カメラはどうした。盗る必要はなかったはずだぞ。一体何を撮られたと思ったんだ。それを言ってくれないと」
西田の問いに喜多川は再び口をつぐんだ。
「答えてもらえないなら仕方ないですね……。まあいつかは口を割ってもらいますよ。ただ、どちらにせよ、カメラを死んでいる吉見さんから盗ったことは認めますね?」
竹下の質問に喜多川は小さく頷いた。
「それでフィルムはどうした?」
西田が今度は聞いた。
「燃えるごみに出した……」
「……そうか。隠蔽済みか」
西田は舌打ちしたが、正直フィルムに何か写っていたとしても、せいぜい喜多川が地面を掘り返している程度のことだろうと思っていたので、それほど痛手ではないと感じていたし、想定内のことでもあった。
取調室の裏では、倉野達がその様子を見ていたが、喜多川がカメラの占有離脱物横領を割とすんなり認めたことに満足していた。
「どうしましょう、このまま米田関連の方までやらせますか? スコップの話も出したことですし」
沢井課長が倉野にお伺いを立てた。
「難しいところだな……。吉見については、事故死ということで、現場状況と比較しても筋が通るし、カメラについては認めた。ひとまず、今日はこれについて調書作成して、米田の件は色々時間も掛かるだろうから、(今日は)ここまででもいいんじゃないか?」
米田の殺害についてまでは、当日中に踏み込む必要はないとの見解を倉野は示した。
「そうですか、じゃあ西田呼んで来ますわ」
沢井は裏室を出て、取調室のドアを開けると、西田を手招きし、裏に来るように指示した。
「西田係長、ご苦労。ここまで意外と時間掛からなかったな」
倉野が労をねぎらった。
「ええ、突然別件の取調べが始まったもんで、心の準備が出来てなかったんでしょう。誤魔化しきれないと観念したんじゃないですかね」
西田はそう言うと、タバコに火を付けた。
「主任官とも話したんだが、今日はこれで打ち止めにしようと考えてるんだが、どうだ?」
「主任官と沢井課長がそう言うなら従うしかないですよ、そりゃ。こっちの役割はここまでというのも決まっていましたし」
沢井にそう言われて苦笑する西田。
「分担の話もそうなんだが、米田の件はかなり長くなるから、明日に回す方が中途半端にならないってのもある。流れ的には一気に行きたいところもあるが、ちょっと我慢してくれ」
倉野は軽く頭を下げた。
「そうですね。それほど急ぐ必要もないですし。今日はここまでにしときますわ」
西田は吸ったばかりのタバコを灰皿に押し付けると、すぐに取調室に戻り、吉見の件の簡易的な調書作成を小村に命じた。
※※※※※※※
数時間後、遠軽署の4人のメンバーは、遠軽への帰路についていた。吉見の件の取調べは、一度終了し、再逮捕した時点で、もう一度本格的に取り調べるということに決まったからだ。そういうわけで、西田達の北見署での取り調べの出番は、一度幕引きとなった。
「それにしても、別件でいつまでやるつもりなんでしょう?」
助手席の竹下が疑問を呈した。
「いつまでって、そりゃ事故の勾留期限ギリギリまでは引っ張るんじゃないか?」
沢井課長が他人事のように言った。
「しかしですよ、今日で吉見の事案での再逮捕は、ほぼすぐにでも可能な状況です。いつまでも北見署に留置しておくより、遠軽に喜多川を引っ張るべきだと思うんですが?」
「竹下、そんな青臭いこと言っても仕方ないだろ……。持てる時間は出来るだけ使うってのが、捜査の鉄則だ」
西田が呆れたように言った。竹下の正論好きは、西田から見てもやや理想論が過ぎるように、時折思えていたからだ。
「そうは言いますけど、今回は既に弁護士が付いてますから、別件で長引かせると、色々やっかいなことになるように思いますが」
「接見指定して、明後日ぐらいまで接見できないようにすると思うぞ、本部は……」
課長も少々投げやりな言い方だ。
「本件逮捕でも、勾留延長込みで十分時間はあると思いますけどねえ。今回は物的証拠も状況証拠もかなり揃ってるのに……」
竹下は不満そうに言ったが、それ以上言っても仕方ないと思ったか、そのまま押し黙った。
そんな中、課長が雰囲気を変えようとしたか、
「ところで、明日の取調べがないんだったら、西田、例の田中の件、何とかならんか?」
と西田に話しかけた。
「あ、その話すっかり忘れてました。でも田中に今、直接聞くわけにもいきませんから、さっきも話したように、しばらく様子見するしかないですよ」
「そうだったな。今にして思えば、さっきの取調べで、喜多川にその件振ってみても良かったかもしれん……」
後悔したような口ぶりの沢井に、
「それはそうかもしれないですけど、米田の件も佐田の失踪も絡んでますから、全部聴取し終わってからの方がいいですよ、結局は」
と、西田はフォローを入れた。しかし、すぐにあることが思い浮かんだ。
「課長、田中の事情聴取の際に、奥田という田中の友人にも色々聞いたことを覚えてますか?」
「ああ、覚えてる」
「田中に直接聞くのはマズイですが、奥田なら色々聞いても、さほど問題にならないかもしれないですよ」
「でも、田中の友人だろ? 話が漏れないか?」
「そこはなんとか上手くやりますよ。それに、奥田はかなり話好きで、我々にも協力的でしたから、ある程度黙っていてくれそうな気がするんですよね」
「希望的観測だな。大丈夫か?」
「動ける時に動いておく方がいいと思います。これから忙しくなりそうですし」
「そうか……。それなら任せるよ」
沢井はそう言うと、西田の肩を叩いた。
※※※※※※※
7月28日、道警本部の道下が北見に早朝到着し、捜査本部に合流。午前から取調べに参加し始めた。数々の有名事件での取調べで功をあげてきただけに、裏で見守る倉野から見ても、迫力のある取調べとなっていた。
「おめえの車にあって押収したスコップから、米田の遺体が発見された場所と同じ成分の土が検出されてんだよ! 吉見に撮られたのは、米田の遺体を掘り返そうとしてた場面じゃなかったのか? それなら全部説明が付くんだよ! それにだ、米田の遺体を捜してたってことは、米田があそこに埋められてることを知ってなきゃならない。つまり殺して埋めた人間じゃなきゃわからんだろ? つまり殺して埋めたんだろ!?」
机をバンバン叩き、蹴り上げながら、容赦ない言葉を浴びせ続ける道下の言葉を、黙ったまま受け止める喜多川。一方的に道下が攻め立てたまま、午前中の取調べは終了することとなったが、最後に喜多川は弁護士との接見を要求した。
「主任官、どうすんの? 接見認めるの?」
取調べをひとまず終えた道下が倉野に聞く。
「いつまでも認めないというわけにも行かないですから。どうでしょう、明日の午前に認めるということで?」
「甘い、甘い。そんなことじゃ舐められるよ!」
「そうは言っても、別件の方は問題なく認めてますんで、本当はほとんどやることなんてないのは、弁護士にもばれてるでしょうから。そこで接見を認めないとなると、色々やっかいでしょう……」
「ったく……。現場責任者がそこまで言うならしゃあないな……。弁護士なんか絡む前に、出来れば今日中にゲロさせたいところだ……。さて、そういうことになると、『戦』の前に飯でも食って午後に備えなきゃならんか……」
渋々倉野の意見を認めた道下だが、露骨に不満は隠さなかった。そんな道下が退室するのを倉野はやれやれという顔で見送ったが、早く落ちれば、それほど長く道下が捜査に介入することもないだろうと気を取り直した。
丁度その頃、昼食のために出かけた道下と入れ替わるように、西田が倉野の元を訪れた。予期せぬ訪問に倉野は、
「なんだ、捜査の進展でも気になって、わざわざ遠軽から出てきたのか?」
と声を掛けた。
「それは気にならないことでもないですけど、例の喜多川と田中の件で……。明日奥田に聴取するアポがさっき取れましたんで、北村貸してもらおうと思いまして。まあ、そのついでに様子を見に来たのも確かですが……。それだけなら電話でも済ませられますからね」
「奥田ってのは、田中の同僚だった奴か?」
「そうです。取調べが自分の分は一段落付きましたから、予定を前倒しして、その間に動いておくべきと考え直しまして。田中に情報漏れを恐れて、今、直接聞くのを避けようとするなら、奥田が無難でしょう。上手く誤魔化しながら聞くつもりです。それに奥田なら、こちらが田中に言わないでくれと頼めば、田中の友人と言えども、聞いてくれるような気がするんですよ。それほど期待は出来ることとも思いませんが、一応可能性があることについては確認しておきたいんで」
「奥田がどこまで信用出来るかは俺にはわからんが、西田の考えはわかった。北村についても連れて行ってもらって構わん。今は喜多川の周辺捜査も、別件段階ということもあって一部の捜査員しか動いてない状態だし。そもそも大方既に調査済みだから」
倉野はかなり満足そうだ。
「わかりました。じゃあそういうことで。ところで、取調べの方はどうなってます?」
「道下刑事が来て、問い詰めてる段階。今の所は特に動きなし。黙秘したまま」
「そうですか……。まあさすがに殺人絡みとなると、相手も慎重になってるかもしれませんねえ」
「そうそう、後、弁護士との接見を要求してきたぞ」
「呑みますか?」
「そりゃいつまでも拒否は出来ん」
「別件だとばれますね」
「それは承知の上だ……」
西田は敢えて異論をぶつけてみる。
「うちの竹下が、昨日の取調べ状況で『本件逮捕すべき』と言ってますけど、どう思いますか?」
「竹下か……。あいつなら言いかねんな」
倉野はさもありなんという言い方をしたが、
「手続き的には竹下の言う通りにした方がいいが、そんな真っ当な捜査方法なんざ採ったらバカにされるのが警察って奴だ。おまえもそう思うだろ?」
と履き捨てるように続けた。
「それもそうですね。私も竹下は青いと思います、刑事としては……」
倉野は西田の発言を聞いて笑みを浮かべたが、それは竹下を侮蔑したというより、自嘲に近いと西田は受け取った。
※※※※※※※
7月29日昼前、遠軽から自分で運転し、北見方面本部で北村を拾った西田は、運転を北村に任せ、訓子府の奥田の家に向かっていた。前日が22度もいかない、この季節にしては低温だったが、この日はやや曇りがちだったが再び夏日になっていた。西田は余りクーラーが好きではないので、ウインドウを全開にして、通行量の少ない道をひた走る。
「昨日の本部の道下さんの(取り)調べ、かなりキッツイもんだったって聞きましたよ。それでも喜多川は頑張って黙ってるみたいですけど。西田係長は実際に見たんですよね? どうでした?」
どうも北見方面本部でも、道下の厳しい尋問が話題になっていたようだ。
「確かに、最近は余りいないタイプの刑事だな。ただ、一昔前はあんぐらいの人は普通のレベルだよ。俺が刑事になったころには、既に少なかったけど、先輩から聞いた分には、相当酷いのもたくさんいたみたいだな。まあ冤罪が多発したのと、科学捜査がかなり進歩したのとで変わって来たってのもある」
「ああ、一晩中寝せないとか、そういう奴ですか?」
「そうそう。頭を机に押し付けたり。一種の拷問みたいな取り調べだ。さすがに最近は批判が多くなって、そういうのはマスコミからも攻撃されるからな」
「そういうのに比べれば、言葉だけですからマシですかね……」
「警察も変わってきてるって証拠。学校でも体罰が問題になる時代だから……」
「それもそうです……」
北村がやけに簡単に西田の話に納得したせいか、しばらく会話も途絶えたが、畑作地帯の中を貫く変わり映えのしない風景の羅列に、北村が会話を再開した。
「しかし、田中の爺さんも大変ですね。2度目ですか、なんやかんや疑われるのは」
「それはそうだが、今回は前回と違って、被疑者としてではなく、協力者かどうかってことだから、次元が違うだろ? それに、俺はおそらく、田中は事件には関与してないと思ってる。勿論、予断は危険なことは承知の上だ」
「ですが、たまたま、昔遺骨収集をしたことがあって、今回、たまたま再び遺骨収集することになって、それに止めろと口を出した。しかも、どうもその活動計画が、今回の事件の発覚の原因だったわけですよね? 更にたまたま最重要被疑者の義理の親父だったってのは、色々と出来すぎじゃないですか、どう考えても?」
「たまたまたまたま、いい加減しつこいぞ!」
西田は怒る真似をしたが、事実として、色んな偶然が重なりすぎている。しかし、それでも田中の行動の整合性は崩れるわけでもない。確かにやっかいな話だ。
「とにかく、俺達がやるべきことは、今日の奥田の爺さんに聞くこと含め、事実を積み重ねて検証していくことだ。それしかないだろ……」
北村が頷くと、丁度、訓子府町のカントリーサイン(作者注・市町村の境界入り口付近にある、その市町村のイメージ画の書かれた標識のこと。北海道のものが特に有名)である「訓子府メロン」をイメージしたイラストが二人の視界に入ってきた。前回訪れただけに、迷うことなく奥田宅に辿り着くと、車が踏みつける砂利の音で訪問に気付いた奥田が、自ら玄関を開けて出迎えてくれた。
「思ったより早かったな」
「ええ、道も空いてましたから:
西田の一言に、
「いや、いつも空いてるべさ」
と笑った奥田。前と同じ部屋に案内されると、そこには、出前を取ったと思われる寿司が用意されていた。確かに昼前にお邪魔するとは伝えていたが、まさか昼食まで用意されているとは、西田自身思っておらず、
「いや、すみません。ここまでお気使いいただきまして。時間帯考えるべきでした……」
と、ひたすら恐縮せざるを得なかった。
「話は寿司を食い終わってからにするべ」
特に急ぐこともなかったので、二人は奥田の提案に甘えることにした。寿司を食べながらたわいもない世間話をしたが、奥田は、田中の義理の息子である喜多川が、逮捕されたことについては、まだ知らない様子が窺えた。
「あー、おいしかったです。ご馳走さまでした!」
北村が奥田の妻が出してくれたお茶で一服しながら、満足そうな声を上げた。
「いや、本当にご馳走様でした。最近寿司なんて食べてなかったんで、特においしく感じましたよ。ご馳走様でした」
西田も礼を言った。
「それなら良かった。暇な爺の話相手になってくれる分の謝礼だよ、謝礼!」
奥田は朗らかな笑みを浮かべると、空になった寿司桶を台所に持って行った。
それを見ながら、西田は持って来た、慰霊式典の冊子のコピーをかばんから取り出し、机の上に置いた。その動きを見た北村の表情も、先ほどまでの緩んだモノから、締まった顔つきに変わった。戻ってきた奥田に、西田は早速話を振った。
「寿司をいただいて、すぐにこういう話になるのは申し訳ないんですが……」
「ありゃ、もうその話かい。腹ごなしに、しばらくはくだらない話でもしたかったんだけどな……」
奥田は口調は不満げだったが、表情を見る限りは、刑事達の都合を受け止めているようだった。
「出席者について、前回より突っ込んだお話を伺う必要が出てきましてね」
「清(田中の名前)については問題なかったんだべ?」
奥田の問いは、それを再び探りに来た西田にとっては、正直嫌な部分を突いてきたものだったが、西田は、
「ええ、まあ」
と、適当にいなした。
「それじゃあ何を聞きたいんだ? 西田さんよ。あ、ちょっと待ってくれ。元の紙出すから」
奥田は、近くにあったタンスの引き出しから、冊子の原本取り出すと、老眼鏡を胸ポケットから取り出し、鼻に引っ掛けた。
「まず、国鉄側の出席者の現状を知っている限りお聞きしたいんですよ」
「現状?」
西田の質問に、意味がわからないという態度を見せる奥田。
「つまり、この人たちが今何をしているかご存知の限り、教えていただきたいんです」
「そうは言っても、俺も全部知ってるわけじゃないよ。疎遠になってる人もいるし、死んでる人もいるし。刑事さんもそこら辺はわかってるべ?」
確かに、20年近く前の話となると、記憶も曖昧だろうし、付き合いがなければ、何をやっているかもわからない人もいるだろう。そんなことは西田もわかっていたが、少なくとも、今でも付き合いのある田中清の娘婿が、奥田の同僚でもあった以上、喜多川について何か聞きだせるだろうと、西田は確信を持っていた。否、もっと言うなら、それさえ判れば、今回の聴取の目的は達せられるわけだ。しかし、いきなりそこから聞けば相手に怪しまれる。故に全体を聞いて上手く誤魔化そうという算段だ。
「わからない人については、わからないで構いませんよ。それは仕方ないです」
「それならいいが……。あと、俺がわからない人も、清なら知ってるかもしれんぞ?」
「そうですね。田中さんにも別途聞くことがあると思います。今日は奥田さんが知っている限りを聞かせていただくということで」
いきなり田中の名前が出たので、西田は一瞬焦ったが、うまくやりすごした。
「わかった。じゃあどうすりゃいいんだ?」
「この上から順に教えていただけますか?」
西田はそう言うと、コピーの国鉄からの出席者のリスト部分のトップにあった、当時の国鉄、旭川鉄道管理局長を取り敢えず指した。奥田は自分の方の原本の方を見ながら応対した。
「いやさすがにこのぐらいのお偉いさんとは、何の付き合いもなかったから、わからんよ。俺は当時、清同様、ただの保線区の施設主任程度だったから。年齢的には仏さんだろうけどな」
奥田は豪快に笑い飛ばした。
「どれくらいの人からわかりますかね?」
西田の質問に、
「この保線区長の山中さんぐらいからは、付き合いもあった人が多いな。でもこの人も亡くなってる。というか、俺らより上の役職ついてた人で生きてるのは、助役の杉並さんぐらいだと思うぞ。はっきり言って時間の無駄だべ」
と、奥田は答えた。
「そうですか。じゃあ……」
と言って、西田は奥田達の施設主任以下の役職の人間を聞き始めた。役職についていない職員についても、上の方に記載されている者は、こちらもかなり鬼籍に入った人物が多かったこと、また五十音順ではなかったことより、おそらく年齢順なのだろうと西田は推察した。
確か国鉄のOBも参加していたと、前回の田中からの聞き込みの際に、彼から聞いていたので、OBも国鉄職員の欄にまとめられていたのかもしれない。ただ、それは重要なことではないので、西田は無視して、そのままどんどん指差しながら聞いていく。奥田が現状を知っている人と知っていない人は半々程度の割合で消化していった。
「この人はどうですか?」
「高橋ねえ。こいつとは付き合いがなかったから、今のことはわからんなあ。民営化したときに国労だったんで、JRに採用されなかったはずだが、その後のことはわからない」
「そういえばJRになった時に色々ありましたねえ……」
北村が口を挟んだ。
「そうだぁ、北村さんよ。あんたぐらいの年齢の人でも、普通にクビ切られたんだ。大変なことだったってのはよくわかるべさ?」
奥田は老眼鏡をクイっと軽くあげると、北村に目線をやりながらしみじみ語った。
「田中さんも奥田さんも、民営化後もそのまま採用されたんですよね?」
「ああ、俺らは役職ついて、労働組合は既に抜けてたからな」
「なるほど。それもそうですね」
西田は合点がいくと、次の人物を指した。喜多川の名前がいよいよそこにあった。西田も北村も、奥田の口元に視線を集中した。
「ああ、喜多川か。こいつはあれだ、清の義理の息子になってる。清の娘を嫁にしてるんだ。どうだ驚いたべ?」
「ほう。そうなんですか!」
二人は余りわざとらしくならないように注意しながら、演技で驚きを口にした。
「この当時から既に結婚してたんですか?」
「昭和52年には結婚してたはずだな……。確か俺が結婚式に出たのが昭和46、7年ぐらいじゃなかったかな……」
そう言いながら、老眼鏡のレンズの間の金属部分を指で数度触れた。
北村に続いて西田も聞く。
「やっぱり田中さんがこの人に紹介したんですか、娘さんを?」
「うーん、馴れ初めはどうだったっけか……。職員の家族も含めた会合みたいなのに、清の娘、ああ加奈子って言うんだが、それが来て、その時に喜多川が一目ぼれしたとかしないとか。清としてもかわいい娘だから、あんまりいい気はしなかったみたいだが、加奈子も惚れちまったんじゃ仕方ないべや」
「いい気はしない?」
「西田さんは、子供、特に娘っこは居るのかい?」
「一人娘が」
「じゃあわからんでもないだろ。どんな男でも、娘をかっさらってく男を親父は気に食わないもんだ」
そう言われてみると、奥田の言うことにも説得力が増した。
「そうかもしれませんね」
西田の相槌に、
「そうかもしれませんじゃなくて、そういうもんだべ?」
と笑顔で奥田は釘を刺した。
「じゃあ、田中さんとこの喜多川さんの関係は、余り良いものじゃなかったということですか?」
「北村さん。良いと言えなかったのは、否定は出来ねえよ。ただ、原因は単なる男親のヤキモチだけじゃなく、喜多川本人にも問題がなかったわけじゃねえんだ。悪い奴ではないが、マージャンが大好きでな。そういう賭け事好きを、生真面目な清がイマイチ気に入らなかったってのもあった。でも、むしろ今の方が更に良くないかもしれん」
「それはどうして?」
「やっぱり転職辺りからじゃないべか、二人の仲がギクシャクし始めたのは」
「転職?」
西田は、既に伊坂組への転職のことだと察しは付いていたが、北村の後からもっと詳しく聞きだそうとした。
「ほら、ここにも載ってる伊坂組。ここに転職したんだ。えー、いつだったかな……。(昭和)57、58年……。詳しいことは思い出せないが、JRになる4、5年前か。当時大きくなりつつあった伊坂組が、国鉄の保線事業やってた絡みで、保線の職員を何人か採用することにしたんだが、それで国鉄辞めて伊坂組に移ったんだ。まあそん時に、辞める辞めないで清とぶつかったわけよ」
「その時のしこりが未だに尾を引いてる、そういうことですか?」
「早い話がそういうことだ、西田さん」
奥田の話をそのまま受け取る分には、少なくとも殺人の発覚を恐れた喜多川が、その意図まで含めて田中に明かし、その依頼で田中が常紋トンネル調査会の調査に口出ししようとしたというのは、かなり無理がある筋書きだと西田は再確認した。
そもそも、計画の時点で、すぐに田中は調査会の会長である松重から相談され、即座に必要性がないと言っているのだから、田中が発覚を避けようと松重に働きかけたなら、その計画を建てた以前から、喜多川が米田の殺害や遺棄を知っている必要がある。米田の殺害は3年前だ。その時には既に2人の関係はおかしいわけで、どちらにしても、田中清が犯罪の隠蔽を意図して、松重に遺骨収集の中止を持ちかけたということはあり得ないと断定出来そうだ。それに加え、田中のアドバイスを松重が蹴った時にも、田中はあっさり引き下がったという点でも否定が可能だ。やはり、田中はシロであると見て間違いないと西田は思った。
「ただ、結果的に言えば、喜多川の決断の方が正しいんだよ。何しろ、今じゃ地域で一番の建設会社の重役だからな、伊坂組の。学もあるわけじゃない男が、大きい会社の重役をやってるってんだから、人も羨む出世だべや。ただ、逆にそういう成功が、転職に反対していた清としては、余計に面白くない部分があるんだろうなあ……」
「ほう、重役にまで登りつめたんですか? そりゃすごいですね、転職してからですから。何か功績があったんですかね?」
もしかしたら何か聞きだせるかもしれないと、西田は素知らぬ振りをしながら畳み掛けてみた。
「いや、それがよくわからねえのよ。突然トントン拍子に昇進したみたいで。親族のはずの清ですらよくわからんと言ってたぐらいで。ひょっとしたらだけど、伊坂組の前の社長がマージャン好きなんで、それが影響したのかもなんてことを言う奴もいたべさ」
「なるほど。社長に取り入ったってわけですか」
「警察のことはわからんけど、世の中『上』に気に入られるってのは大事だべ?」
北村は奥田の問いかけに、
「いや警察も上司との関係は大事ですよ。ただ、警察の場合は、昇進試験で点取らないと出世できない点が、他とはちょっと違うかもしれないけど」
と返した。その上で、西田は佐田の失踪事件の絡みが気になったので、
「その昇進した頃の話ですけど、この喜多川さんの様子に何か変わった点はありませんでしたか?」
と更に掘り下げようとした。余りの食いつきに奥田は、
「やけにこいつについて聞くけど、こいつがどうかしたんだべか?」
と怪訝な口ぶりになった。陽気な老人だが、勘は鋭い。
「いやいや、話の流れで……」
慌てて誤魔化す西田。
「ふーん、そんならいいが……。俺は、喜多川が国鉄辞めてからはほとんど会ってないから、それはわからんよ。ただ、国鉄時代こいつと仲良くしていて、その後も付き合ってた連中からは、昇進するちょっと前から『これからは金を稼ぎまくる』って話をしていたとは聞いたことがあった。あの頃はバブルって奴だったべ? あれで建設も儲かってたから、それが理由だったかもしれんがね」
奥田の回答から、87年の秋に起きた佐田の失踪事件についての喜多川の関与は、尚更信憑性が増したように西田は感じた。田中と喜多川への西田の心証は、まさに対照的な結果となっていた。
「そうでしたか……。確かにあの時代建設は儲かってましたから。刑事にゃ景気の良さは関係ないんで羨ましい限りですよ」
当たり障りのない言葉を西田は並べた。
「でも『親方日の丸』の気楽さは、俺もあんたら二人もわかってるべや?」
奥田は、悪意のある発言をしたつもりはなかったのだろうが、「刑事とストばかりやってた国鉄職員と一緒にするな」と、多少カチンと来なかったわけでもなかった。しかし、そんなことで協力してくれている奥田にムキになるわけにもいかないので、西田はその場を取り繕って、
「そうかもしれません。それにしても、話をえらく脱線させてしまってすいません。じゃあ続きをお願いします」
と静かに伝えた。
同時に、西田は聞くべきことは聞いたと考え、後は最後まで適当に聞き流して、世間話でもしながらお
「ああ、篠田ね……。こいつも喜多川と一緒に伊坂組に移ったクチだよ。しかも、こいつも同じく出世して重役になったんだ。確か喜多川と同じように昇進してたと聞いてるよ」
思いもしなかった事実を告げられ、西田も北村も思わず互いに顔を見合わせた。
「どういうことですか? 喜多川とこの篠田ってのは同じように辞めて伊坂組へ行き、そして同じ時期に昇進してるんですか?」
「ああ。あくまで俺が聞いた話ではそうだけど……。でも、これは清から直接聞いたんで、間違いないよ。おそらく、清も喜多川から聞いたんだべなあ」
西田の口調が突然かなりの早口になった上に、語調がキツクなったので、奥田は一瞬あっけに取られたような表情をしたが、気を取り直したように答えた。
もし、喜多川と同じような出世を、同じ時期に篠田なる人物がしていたとすれば、篠田も佐田の失踪事件と何か関わっている可能性を考慮する必要が出てくる。思わぬ展開に、西田は高揚感を覚えていた。北村も見せ掛けだけだった手帳への記帳を実際に始めていた。
「それで、この人は今でも伊坂組に居るんですか?」
西田は食い気味に奥田に聞く。奥田は何故かバツが悪そうに口が重くなった。
「奥田さん、何か問題でも?」
「西田さんよ、問題というかな……。この篠田は1年半ほど前に亡くなってるんだよ……。何かわからないが、喜多川といい篠田といい、刑事さん方にとっては大事な何かがあるみたいだが……」
奥田が最後まで言い終わる前に、
「はあ……」
と、二人はそれぞれなんとも形容しがたい声を上げていた。先程までとの二人の変わりように、奥田自身がかなり戸惑っている様子が西田にも伝わってきた。
相手に誰の、何のための捜査か悟られないようにしていたつもりだったが、少なくとも誰が捜査対象であるかは、喜多川の件でも微妙に悟られ、篠田に至っては、この場で捜査対象になったことを完全に悟られたのは間違いない。しかし、今更そんなことを気にしている場合ではない。覚悟を決めて更に聞き出そうとする。
「篠田さんの死因は何ですか?」
正直、篠田の死についてすら、何か事件性があるのではないかと、西田は下衆、いや刑事の勘ぐりをしていたからこそ、こういう質問を咄嗟に口にすることになった。
「肝臓ガンだったべか。もともと若い時から軽く肝炎患っていたらしい。予防接種で伝染った(うつった)とか昔職場で言ってたわ。最後は急激に進行してあっけなかったようだな」
奥田の回答は、西田の勘の外れを意味していたが、いずれにしても、事件は別の展開を見せ始めようとしているかもしれないと、西田は思った。
「篠田さんの遺族の連絡先はわかりますか?」
「西田さん、申し訳ないな。付き合いがしばらくなかったから、俺にはわからん。伊坂組で聞いたほうがいいんでないか?」
「そうですか……。それは仕方ないですね。わかりました。こちらでなんとかします」
西田はそう言うと、念のため最後までリスト記載の職員のことを聞いたが、さすがにそれ以上の必要な情報を得ることはなかった。
※※※※※※※
「いやあ、本当にご協力ありがとうございました。おまけに寿司までいただいて。感謝以外ありません」
西田は一仕事を終え、コピーをかばんに仕舞うと礼を述べた。それを聞いた奥田は、
「いやいや、こっちも世間話に付き合ってもらって悪かったな。本当は、まだ爺の話に付き合ってもらいたいところだが、どうも刑事さん方、これから忙しくなるようだから、引き止めるわけにもいかないな。色々大変だろうけど、頑張ってくれや」
と二人に告げた。
こちらの意図はすっかりバレてしまったようだが、今更気にしても仕方ないし、気にしている場合でもない。ただ、
「今の話は清には黙ってたほうがいいべか?」
と聞いてきた時は、
「出来れば」
と簡単な指示に留めたものの、内心かなりありがたい心遣いだと、心底感謝したことは言うまでもなかった。
そして、奥田の家を去る間際、再び二人が礼を告げた玄関先で。北村が唐突に質問をぶつけた。
「ところで奥田さん。この昭和52年9月25日の慰霊式典の出席リストに載っている人は、遺骨収集にも実際に参加してたんですよね?」
「上の方の役職の人はともかく、俺らより下の連中は、回数はばらばらだが、何回かは実際に収集活動に参加してるはずだ。ただ、すっかり言いそびれてたが、保線区の仕事に休みはないんで、あれに載ってる人が慰霊式に実際に参加していたかどうかは定かじゃないぞ。当日。仕事の奴も確実に居たはずだ。保線区の一般作業員は、あくまで収集に参加したことがある奴が全員載っている、そう思ってくれや」
「なるほど。じゃあ、喜多川と篠田はどの程度採集に参加してたんですかね? また式典に実際に参加していたんですか?」
「細かいことは、悪いけどはっきりは憶えてないわ。でも仕方ないべ? はるか昔のことなんだから。ただ、遺骨収集については、それなりの回数参加してたんでないかな? そして、少なくとも、俺と清は当然慰霊式にも出てたし、収集活動も何度かしてたぞ……。あ、そうだ! 喜多川と篠田も当時俺らと同じ作業班だったから、じゃあ出てると思って間違いねえな。そんなことすら憶えてないとは、ああ嫌だ嫌だ……」
奥田は頭を掻きながら笑った。
「そうですか。じゃあ、ちょっと抽象的で申し訳ないんだけど、何か遺骨収集とか慰霊式典で、当時何かありませんでしたかね?」
「何か? ……いやあ特には思い当たらんけど、なんか気になるんだべか? そんなことすら憶えてないんだから、そりゃ無茶な話しだべや……」
「いや、それならいいんです……。すいません、変なこと聞いて……」
北村はすぐに奥田に詫びを入れると、二人は玄関を出て車に乗り込み、奥田宅を後にした。奥田は、バックミラーの視界から消え去るまで、西田達を手を振って見送ってくれたのが確認できた。
※※※※※※※
「しかし、まさかまさかの展開でしたね。喜多川と田中の件よりもっと面白い情報が出てくるとは」
アクセルを踏み込みながら北村が話しかけてきた。
「予想もしていなかったことが出てきたな……。田中のシロ確認で終わるかと思ったら、転んでもタダでは起きない形になって良かったよ。それと、国鉄職員はリストに載っていても出席してないのも居たんだな。早速上に報告しないと。方面本部じゃなくて、倉野さんが居る署の方に先に寄ろう。と言っても真横だけどさ」
西田はそう提案したが、すぐに、
「そう言えば、さっき奥田の爺さんに何か言ってたけど、気になることでもあったのか?」
と問い質した。
「大したことじゃないですよ。ただ、西田さんも感じているでしょうけど、喜多川が遺骨収集や慰霊式典やった場所で、米田が行方不明になり、はっきりはしてませんけど、その場で殺害され埋められたとなると、なんか偶然とは思えないんですよね。何かそれと関係しているような気がして、ちょっと聞いてみただけですよ」
北村の言っていることは、確かに西田も、喜多川が田中と姻戚関係で、遺骨収集や場合によっては慰霊式典にも出席していたと知ったときに感じたものだった。だが、確かにそうなのだが、具体的にどういう説明が具体的に付くかと言えば、西田にとっても何も判らない、そういう類の話だった。
※※※※※※※
訓子府から北見へ戻って署に寄ると、通路ですれ違った方面本部組の捜査員達の挨拶がやけによそよそしく、昨日までと違い浮き足立っている雰囲気を感じた。そのまま階段を上がり、通路の向こう側に、取調べ控え室から外に出ていた倉野が視界に入ったが、あちらは携帯片手になにやら慌しく連絡していて、西田と北村の接近に気付いていない模様だった。
「何かあったんすかね? ちょっと空気がおかしい気がします」
北村が問いかけてきたが、西田もその答えがわからないので、生返事をしながら状況を必死に把握しようとした。
だが、その解答を得る前に倉野の元に着いてしまった。相変わらず電話しているので、話しかけるわけにもいかず、そのまま電話が終わるのを待つことにした。倉野は「ちょっと待ってくれ」という意味でだろう、手のひらをこちらに向ける身振りをした。時計を確認すると、既に午後3時をまわっていた。電話の会話を聞いている分には、何かを確認しているらしい。事件主任官にしては、いつもと違いかなり厳しい口調だ。ようやく会話を終え、電話を切った倉野が二人に応対した。
「おお、スマンな。待たせた……」
「何かありましたか? みんなやけに慌しいですが?」
「それがだな、西田。急に大変なことになったぞ!」
倉野はオーバーに手を広げると、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「喜多川の取り調べで何かあったってことですか?」
北村の推察は図星だったようだ。倉野は頷くと、
「午後の取り調べで、突然アリバイを主張したんだ」
と告げた。
「アリバイ!?」
西田は思わず大きな声を上げたが、自分で口を押さえた。
「大丈夫だ、既に喜多川は留置場に戻してるから。大体まだ取調べ室にいるなら、俺もこんなトーンで話してないよ……」
倉野の説明で安心した西田だったが、
「何のアリバイを話したんですか?」
とすぐに話を継いだ。
「米田の殺害についてだ。米田の行方不明当日が、3年前の8月10日で、『その日何してたんだ?』なんて道下さんが成り行きで問い詰めてたら、その頃、アメリカに長期滞在してたと言いやがった……」
「アメリカって……。何しに長期滞在してたんですか? にわかには信じられませんね」
北村の疑問ももっともだった。西田も同感だった。
「北見の姉妹都市で、アメリカのエリザベス市ってのがあるんだが知ってるか?」
「いや、初耳ですね。エリザベス市でアメリカですか? なんかイギリスっぽいですよね、女王の名前ですから」
「西田もそうか。俺もさっき初めて聞いてそう思ったよ。普通そうだよな」
倉野は語尾をやけに強調した。
※※※※※※※
エリザベス市は、アメリカ合衆国北東部、ニュージャージー州の大西洋沿岸に位置し、人口約12万人の都市。ニューヨーク市から車で30分圏内にあり、州で最も古く歴史的由緒ある都市として、市内には建築後200年から300年の民家、公共建築物、教会などが市の文化財として保存されている。
世界一の規模を誇るコンテナ船の港湾施設があり、製造、食品加工業が盛んで、日本とのつながりも深く、工業都市・海洋都市として知られる。北見市と姉妹都市になった経緯は、北見に初めて居住した外国人であるピアソン宣教師夫妻の出身地が、そのエリザベス市であったことから。1969年に姉妹都市提携開始。
※※※※※※※
「それで、そのエリザベス市がどうしたんですか?」
「喜多川が言うには、そのエリザベス市に87年の7月中旬から10月初旬まで滞在してたってんだ。何でもエリザベス市に、日本家屋を建てる文化交流事業があって、北見市から数名の職員と伊坂組から喜多川を始めとして、個人住宅事業関係の連中が派遣されてたらしい。あくまで電話段階だが、一緒に行った北見市の職員の証言も今取れたんだ」
伊坂組が、過去の鉄道保線事業はともかく、いわゆるゼネコン事業の他にも住宅関連の事業展開をしていたとは、西田も知らなかったが、おそらく木造建築のノウハウがあるので、北見市から白羽の矢が立ったのだろうと思った。
「入管(出入国管理局)の裏取りは?」
「北村よ、そんなのは勿論、道警本部に入管への照会を依頼してるわ! 時間は大して掛からないだろう。ただ、北見市職員の証言だけでも既にほぼ決まりだろうな……。米田が行方不明現場とほとんど同じ場所に遺棄されてたってことは、直後に殺害されてるってのがもっとも考え得る展開だ。となると、それだけの期間海外に居た喜多川が、米田の殺害・遺棄に関わってるってのは不可能だ」
米田の殺害された時期を正確に把握するのは無理があるのだから、監禁されていた米田が、喜多川の帰国後に殺害されたという可能性もゼロではない。しかし、事件の概要を見る限り、行方不明直後に現場で殺害されたと見るのが論理的であって、そうなると喜多川が殺人や死体遺棄に関わっている可能性というのは、まずないと見て良いだろう。捜査本部が描いていた構図は、この時点で崩れたと言っても良く、衝撃は想像以上であった。
「喜多川がホンボシ(本当の犯人)じゃないとなると……。参ったなこりゃ」
西田は頭をかきむしると、次の言葉を精一杯探そうとした。それでもなかなか思い浮かばない。なんとか言葉を繋ごうと、
「救いは、喜多川は米田の遺体の場所を知っていたと思われることか……。直接関与してないとしても、間接的に何か知っている。そこだけが頼り……」
と搾り出すように言ったが、ショックは隠し切れなかった。
「後は、自分の犯行ではないのに、何故遺体を回収しようとしたか、そこもキーポイントになりますね」
北村が補った。
「二人の言う通りだな。まだ完全に糸が切れたわけじゃない。なんとか挽回することを考えよう……。そうだ、ところで、そっちの方はどうだったんだ?」
急展開に自分達の成果のこともすっかり忘れていた二人は、主任官に言われて初めて、奥田にした聴取の報告をしてないことに気が付いた。
「すいません、びっくりして自分達のことも忘れてました。こちらとしては割と良い話なんで、その点は良かったんですけど」
「西田のは良い話か。そいつは助かるよ……」
倉野はほっとした様子を隠すつもりもなかった。と言うより、むしろその余裕もなかったという方が正しいかもしれない。
「結論を言いますと、田中はかなり高い確率でシロだと思います。これについては変わりません」
「なんだシロなのか? それじゃあ予想出来たとは言え、良い話とは言えんだろ? 西田」
倉野は露骨に不満を口にした。
「問題はそこじゃないんです。奥田の話から、喜多川と一緒に、同時期に国鉄から伊坂組に再就職した篠田という人物が居たらしいんですが、そいつが喜多川同様の出世を同時期にしてるんです」
「同様の出世を同時期に?」
「つまり同時期に同じような待遇の出世をしてるらしいんです」
西田は要点をまとめて言ったつもりだったが、明らかに倉野が言ったことを、むしろ長くして言い返していた。
「……なるほど。それは、佐田失踪の件に関係してるという見立てでいいんだな?」
「そう思います」
「本来ならかなりの喜ぶべきビッグニュースなんだがなあ。もう一方の破壊力が凄すぎる……」
倉野の言う通りだ。片方は、捜査方針を完全に転換しなくてはいけないレベルのニュースなので、新たな端緒という「希望」をはるかに超えてしまっていた。
「とにかく、そっちの件も調べなきゃならん。喜多川のアリバイの裏づけを取った上で、明日捜査会議しないといけなくなるから、その時にその話もしよう。それにしても、まさに不幸中の幸いだな、今回の話は。それ、今日中に報告書にまとめておいてくれよ」
倉野は携帯をチラッと確認しながら2人に指示を出した。
「わかってます。しかし、昨日まで主張してなかったアリバイをなんでまた今日になって……」
西田の疑問ももっともだった。だが倉野はそれに対し彼なりの考えを述べた。
「午前中の松田弁護士との接見だろうな、影響したのは。黙ってやり過ごすことで、間接的に米田の殺害を知っていたことを誤魔化すより、積極的に殺人や死体遺棄についての容疑を晴らす方が良いという判断をしたんだろう。特に遺体の回収は、墓あばきでもなければ罪にならんから、当然の結論と言えば結論だ。しかし逆に言えば、喜多川にとっては、弁護士のアドバイス前には、前者もそれなりに意味があったんだろうとも言える」
「仮にですよ、喜多川が遺体回収自体が何か罪になると思っていたとしても、更に殺人の汚名着せられるよりはマシでしょうに……」
北村は、頭を振って理解できないというジェスチャーをした。
「普通ならばそう考えるが、遺体を埋まっていた場所を知っていたことが、もっと大きな何かに繋がっているとすれば、話は違ってくるかもしれない。そこを弁護士のアドバイスで、そっちはそっちで何とかなる言われて方針転換したと……。よくあるのは、誰かをかばっているパターンだ。今回も、アリバイからは、喜多川自身は直接関係ないだろう事件が、遺骨収集活動で偶然に発覚するのを予防するために、遺体を回収しようとまでしたぐらいだからな」
西田は北村の疑問に答えたが、自ら言っておきながら、いまいち釈然としないのは同じだった。
「ありがちな理由だが、それである程度は筋は通るんだ。そして遺体の回収自体は罪に問えない。どうして遺棄された場所を知っていたかは、知らぬ存ぜぬで貫き通す。弁護士としてはあり得ないアドバイスじゃないよな」
倉野は西田と同じ自分の答えにひとまず納得したのか、
「これ以上ここで考えていても話にならん。とにかくこのまま方面本部で報告書書いてくれ。それが先決事項だ」
と二人に命令した。
「わかりました。そうさせていただきます」
軽く会釈すると、西田は北村と共に北見方面本部に向かった。
捜査本部「別館」に行くと、そこには既にアリバイの存在の連絡を受けた沢井課長が到着していた。西田達は業務連絡を簡潔に済ますと、急いで報告書の作成業務に取り掛かった。正味2時間程で完成させるも、西田は遠軽には戻らず、沢井課長と共に、そのまま道警本部からの入管の裏取りの結果を待っていた。
午後8時には、間違いなく喜多川がアメリカに3ヶ月弱滞在していたことが裏付けられ、倉野は、翌日の早朝から捜査会議の招集を正式に決定。捜査方針が転換されることが確実になった。西田と課長は遠軽に戻るのも面倒だったので、そのまま宿直室で仮眠をとり、翌日に備えることにした。
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