鳴動 動き出した捜査と1987年の失踪事件の浮上
第6話 鳴動1
いよいよ殺人事件ということになり、翌日も遠軽署員のほとんど総出で現場周辺を検証した。しかしさすがに前日にしっかりやっていただけあって、新たなる発見はなかった。また、現場が事前に想定していた国有林ではなく、実は個人の所有地だったということが、その日の夕方、生田原駐在所の丸山からの連絡で判明した。それを受け、署長からすぐに旭川に居住しているという地権者に、断りと詫びの連絡をいれるはめになった。
そして、道警の科捜研が殺人事件と正式に断定したのは、遺体発見から2日後の6月17日。直後に遠軽警察署に捜査本部が立てられた。捜査本部名(通称「戒名」)は、「常紋トンネル付近における頭部殴打による青年殺人事件」と、なんとも締まりのないものになったが、それほど重要な問題でもなかろう。
捜査本部の本部長は通常通り、遠軽警察署を所管する、道警北見方面本部の刑事部長であり、警察庁からキャリア官僚として出向してきている大友雄平、副捜査本部長に遠軽警察署の槇田署長が就いた。常時捜査本部に詰め、捜査を実質的に指揮する、事件主任官に就いたのは、北見方面本部刑事部捜査一課長・倉野貴文だった。
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北海道警察における「方面本部」とは、北海道が通常の都府県と違い面積が数県に該当するほど広いため、道警の中に更に県警本部類似の組織が入っていると考えればわかりやすいだろう。北海道は北見方面本部の他に、函館方面本部、旭川方面本部、釧路方面本部の計4つの方面本部があり、各方面本部は、各方面公安委員会の下に置かれている点でも、他の府県警と類似の組織であることがわかる。札幌地区は道警本部のお膝元のため「札幌方面」で本部名はついていない。
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捜査本部が立てられた時点で、遺体についてかなりの情報が出て来ていた。初期の鑑識による見立ても含めると、20代前後の身長160中盤のB型男性で、死因は頭部を鋭利なもので殴打されたことによる脳挫傷。死後3年から4年程度経過、歯の治療痕あり、左脚の膝下に骨折痕ありというところまでわかっていた。遠軽署所轄内、北見方面本部管内を該当者がいるかどうか調べたところ、既に該当するであろう捜索願が出されている人物が、お膝元の遠軽署案件にいることが判明していた。状況証拠から見て、ほぼ確実と言えるレベルものだった。遠軽署に捜索願が出されていたということもあり、ここまで行くのにはほとんど時間は要さなかった。
被害者と目されているのは、3年前の8月、遠軽署管内生田原町(2015年現在、合併により遠軽町生田原地区)において行方不明になった、当時23歳で岡山県倉敷市出身の、関西商大4回生(年生)米田雅俊という青年だった。鉄道が趣味で、常紋トンネル付近に鉄道写真を朝から撮影に行く予定で、夕食までには戻ると言い残し、生田原の民宿に一部荷物を残したまま失踪した事案であった。
カメラと三脚が線路脇に残されたままだったため、当初熊に襲われたのではないかという憶測が流れ、警察及び地元の住民により山狩りが行われたが、一切の痕跡が見つかることもなく、そのまま行方知れずとなり今に至っていた。因みに残されていたカメラには列車の映像が写されていただけだった。捜査資料と突き合わせた結果、既に血液型、身長、骨折痕についてはほぼ同一であることが確認されており、あとは歯型と虫歯の治療痕が一致すれば確定という次元まで来ていた。
捜査本部設置の際、遺体の身元確認ができるか否か以前に、遺体発見の状況、周辺環境から見て相当厳しい捜査を迫られることは確定している以上、余り無駄に捜査期間を引き延ばすことは無駄だとして、北見方面本部や道警本部からの応援要員は通常の殺人事件より少なめになっていた。西田も課長も本来なら「軽め」に見られたと多少憤る面もあったかもしれないが、現実問題として、お宮入りの可能性については否定できないだけに、諦めの心境にあった。ただ、ここまで来た以上、獲物にたどり着く端緒は必ずどこかにあると言う信念も同居していたことは言うまでもない。
それから被害者確定までの数日、捜査本部に集められた捜査員達はもう一度現場検証をし、地取り捜査、聞き込み捜査を徹底して行っていた。特にこの事件にも絡んでいる可能性が高い、例の「幽霊」の特定をするため、周辺道路の検問やJR保線区員、運転士への再聞き込みを念入りにした。その幽霊と見間違えられた人物、靴のサイズや一人で行っていた穴掘りの作業量から見ておそらく男は、吉見の不審死にも直接関わっているかも知れず、米田の遺体を回収を試みたことは確実であった。また必然的に、その米田の死体遺棄、殺害にも関わっている可能性は高いはずだ。
幽霊がこの一連の事件のキーマンであることは、北見方面本部組も遠軽署による事件発覚の経緯として重視しており、捜査本部長、事件主任官もこの点については遠軽署の方針を踏襲してくれた。ただ、場所が場所だけに、周辺における検問での聞き込みでも特に何か得られたわけではなく、JRの関係者についても以前聞いたこと以上の事実は出てこなかった。幽霊について捜査本部としては、目撃された時間帯から見て、ある程度時間に融通が利く仕事に就いているか、或いは無職ではないかという推測もしていた。
西田は捜査本部が立ちあがって以降、北見方面本部捜査一課から応援に来た北村という31歳の若手刑事とコンビを組んでいた。基本的に捜査本部が立ちあがると、応援に来た本部の刑事と所轄の刑事がコンビを組むことになっているのだが、西田の場合はある程度経験と役職を考慮して、本部からの応援組が西田より若手になっていた。
その北村と地取りから遠軽署に戻った西田に、
「鑑定結果が出たみたいですよ。一致したって話です!」
と、丁度玄関向かって階段を降りてきた黒須が、堰を切ったように喋りかけてきた。
「やっぱり一致したか!」
と北村と頷き合った西田だったが、すぐに開かれるだろう捜査会議に備えて、捜査本部のある2階へ階段を駆け上った。
捜査本部の様子は、鑑定がある程度予想された結果だっただけに、それほど騒がしい感じはなかった。被害者が確定したところで、捜査が難航しそうだということはわかりきっていただけに、これ以上の進展をそうそう期待できないという心理的重しがそうさせた側面もあったかもしれない。
会議は主任官の倉野から、形だけの鑑定結果の報告と被害者の人物紹介、そして捜査方針の確認に始まり、それが終わると捜査員達の捜査報告がされた。案の定本日も特に成果はなく、彼らがくゆらすタバコの紫煙が、まさに捜査の先行きを暗示しているかのように空中を漂っていた。
「西田係長は、マル害(被害者 ガイシャとも称す)が特定されましたけど、これによって進展すると思いますか?」
小声で北村が話しかけてきた。勿論西田もこれと言って何か具体的な考えがあるわけでもなかったが、
「何故今になって3年前の事件を蒸し返すようなマネをしたのか、それが捜査のキーポイントになると思うが……」
と気になっていたことを伝えた。これについては捜索現場に立ち会った遠軽署のメンバー全員が思っていることだ。
「そうですねえ、わざわざ隠蔽できていたものを掘り返そうとしたわけですから、それなりのリスクを負っても遺体を回収するか確認するかの必要があったんでしょう。問題はその理由が何かってことですね」
北村は軽くコツコツとボールペンを机に打ち付けながら言った。感情を
結局のところ、その後すぐに、「幽霊」が何故今になって動き出したのかという端緒を徹底して探ることに捜査方針は切り替えられた。というよりもはや、それしか手がかりはなかったとも言えるのだが、切り替えのタイミングとしては決して遅くはなかっただろう。刑事達も最後の望みに全ての労力を傾けて、執念の捜査を続けることになった。因みに6月21日、函館空港で全日空857便がハイジャックされたまま駐機状態になるという、管轄の道警全体を震撼させる事件が起きたが、翌日未明に無事解決し、西田達の捜査にも全く影響することがなかったのは、不幸中の幸いと言えた。
そして捜査本部が立ちあがってから10日、捜査方針を転換した2日経った後、1つの大きな進展があった。北見方面本部の高木刑事と組んでいた吉村が、例の飲み屋の大将から更なる面白い話を聞き出してきたのだった。
丁度幽霊が目撃され始めた頃の5月の中旬から下旬あたりに、大将の店が取っていた地元紙の「北見屯田タイムス」に興味深い記事が載っていたという。その記事は、今年の7月から常紋トンネル周辺で10数年ぶりに、タコ部屋労働による犠牲者の遺骨を大々的に調査採集し、慰霊することを地元の有志団体が発表して、ボランティアを募集するものだったようだ。特に、これまで会により大規模に調査されることがなかった生田原側を重点的にするということも書かれていたという。
これが事実なら、幽霊が3年後の今になって、再び動き出した理由には十分なり得る話だった。なにしろ埋めているとは言え、万が一調査によって遺体が回収されれば、何らかの騒ぎに発展する可能性があるからだ。捜査本部は色めき立った。ただ、大将の元には現物の新聞は既になかったので、捜査本部は北見にある新聞社に西田と北村、高木と吉村を派遣することになった。
北見屯田タイムス社は、道民である西田でさえも、この事件まで社名を一度も聞いたことがない北見地方専門の弱小地元紙であった。行く直前に調べた限りでは、朝刊・夕刊などの日刊紙ではなく、週刊によるコミュニティ紙のような形の発行のようだ。故に社屋もおそらくかなり小さいものだと思いこんでいたが、実際に訪ねると、そこそこの敷地面積がある5階建ての自社ビルにあり、1~3階をテナントとして貸し出しているようだった。おそらく、新聞社というより、実態としてはテナント貸しで食べている会社なのだろう。
4人は、訪問する前に電話でアポを取っていたこともあり、スムーズに5階にある新聞社の本部の応接室に女性事務員により通され、懸案の記事の確認のために担当者を待っていた。やがてやって来た初老の担当者が西田達に渡した名刺には、「社長兼編集長 田上 正義」と印字されていた。おそらく、社員も社長含めて数人しかいないのだろう。西田も自己紹介と他の3人を簡単に紹介すると、世間話もそこそこに、すぐに社長が持ってきた記事について確認することにした。
確かに記事内容は吉村の報告通りで、日付は5月18日となっていた。時期的にも丁度幽霊がJRの運転士達に目撃されるようになった直前に該当する。4人はお互いに目配せして頷きあった。社長が言うには、記事を書くための取材は5月12日だったらしい。田上と遺骨採集の有志団体である「常紋トンネル調査会」の会長とが知り合いだったので、会長が取材してくれるように依頼してきたことが、記事のきっかけだという。
「田上社長、いきなり押しかけた挙げ句申し訳ないんですが、実際発行部数はどの程度で、どこに配布しているか教えていただけますか?」
西田の問いに田上社長は、
「そうですねえ、北は上湧別あたりから南は陸別、西は留辺蘂、東は網走辺りまで、全体で1000部程度です。ご覧の通り不動産で食ってるようなもんですわ。こう見えても、祖父の代から長くやってる新聞社で、一昔前までは日刊紙だったんですよ。まあ私の代で週刊にして、親父達が遺してくれたこのビルでなんとか、新聞社の体面を保ってるってところですが……。ちょっと待ってくださいね、購読者の名簿持ってきますから」
と頭を掻きながら答えた。
数分した後、社長の持ってきた名簿は、個人よりも圧倒的に会社や飲食店などの名前が並んでいた。おそらく「付き合い」や「客」のために取っているのだろうと推測された。すぐにコピーを頼み、先程の事務員が名簿をコピー機に掛けている間、沈黙を衝いて社長が西田達にさりげなく伺いを立ててきた。
「この記事って例の生田原の事件と関係あるんですか?」
西田はそれについて特に答えることはなかった。あいそ笑いを浮かべると、直接の部下である吉村に目で合図する。やはり捜査情報はそう簡単に漏らすわけにはいかないからだ。まして、昔はおそらく記者を通して警察ともそれなりに付き合いはあったのだろうが、今は週刊の弱小紙相手では尚更である。ただ、当然捜査協力していただいた以上、無碍に断ることもまた無礼であろう。そんな西田の意図を察した吉村が、
「ええ、まあそんなところです」
と濁した形で回答した。社長もそれ以上は聞かなかった。今の形態の北見屯田タイムス紙面では、仮に情報を得たとしてもスクープ性は発揮できないということもあっただろう。
「あ、それから記事内容について知っていたということで、取材先の有志団体の連絡先と、ここの新聞社の記者とか従業員の方のお名前も教えていただけますか?」
その直後、北村がちょっとした間に発した言葉には、田上もさすがに驚いたようだ。
「え?常紋トンネル調査会の連絡先はともかく、うちの社員まで調べるんですか?」
と素っ頓狂な声を出した。
「あくまでチェックであって、参考人事情聴取とかは余程のことがない限りしませんので、ご心配なく」
と西田がすぐにフォローしたが、首を2、3回振って、やや不満げな態度を社長は隠さなかった。
他の情報を仕入れ、更にコピーを受け取ると、取り敢えず必要な情報を得たこともあり、4人はトータル1時間ほどでタイムス紙を後にすることにした。去り際にちょっとした謝礼金である「報奨金」を社長に渡すと、社交辞令として一度は断った田上氏ではあったが、最終的には受け取ってくれた。西田達も色々迷惑かけたこともあり、受け取って貰って反って心理的には助かった。
※※※※※※※
車に乗り込む前に、念のためタイムス社の駐車場に駐めてある車のタイヤを、西田は持ってきた転写シートで若手の吉村、北村両名に採取させた。勿論ありふれたタイヤだけに一致したからと言ってすぐに「幽霊」に結び付くというわけではないが、少ない手がかりを結びつけていく必要がある以上、新聞者の人間も捜査対象として徹底的にやっていくしかない。見た感じでは、タイヤ痕とは似ているが一致はしていなかったように思えた。
田上から聞いた「常紋トンネル調査会」は留辺蘂にあるとのことだったが、電話したところ土日以外は無理ということで、取り敢えず今日のところはそのまま署に直帰することにした4人。
国道39号から国道242号に乗り換え、署に向かって留辺蘂町(旧るべしべ町 2015年現在、合併により北見市留辺蘂)金華地区を通りかかった頃、道沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の看板が見えた。北見に向かっていた行きの道中は、道路の反対側だったので気付かなかったようだ。いや、そもそも、この事件の前は勿論、この事件の後にもこの場所は北見方面からの帰りに通っているのだが、その時ですら気付かなかったのに、今日気付いたのは、成果もそれなりにあり、時間にも余裕があったせいなのだろうか? 西田は運転していた吉村に一声掛けて、国道横の狭いスペースに車を駐めさせると、4人で小高い丘に向かう階段をゆっくりと登っていった。
(作者注・以下参考資料として他者のブログと参考映像をリンクさせていただきます)
http://takahashinonuhiro.seesaa.net/article/188248513.html
https://www.youtube.com/watch?v=xLbuF0AddkE
高台に出ると、そこは元々「金華小学校跡」の碑が示す通り、元は小学校の跡地のようで、人口減のせいか既に廃校となっていた場所らしい。その近くに煉瓦造り形式の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建立されていたのはすぐ視界に入ってきた。碑の下には、地元の人かそれとも通りがかった人か、遺族かは知らないが、小さな花とカップ酒が手向けられていた。
「これですか……」
吉村が碑を上から下までじっくりと見ながら呟いた。北見方面本部からの応援組である高木と北村は、この事件の前から常紋トンネルについての逸話は簡単には知っていたらしいようなことを、捜査本部が立ちあがった当初に話していたが、こうして追悼碑を目の前にするとまた違った感慨が湧いているように見えた。さすがにこの場で、以前していたような「心霊スポット」的な会話は憚られた。
5分ほど追悼碑の周囲を思い思いに散策していると、階段を老人が割と軽快に上がってきたのが視界に入った。古めかしい大きめのラジカセを手にぶら下げて大音響で「村田 英雄」の「人生劇場」を流しながらの登場であった。この時代に村田英雄の「人生劇場」を聞いているのが如何にも年寄りという印象だ。
「人生劇場」は、任侠映画ブームの火付け役である、「人生劇場 飛車角シリーズ」と言う、昭和38(1963)~昭和39年に掛けて上映された、名優「鶴田 浩二」主演映画シリーズの主題歌であった。村田自身も映画に出演すると共に、彼の代表的ヒット曲でもあった。ただ、実は「人生劇場」は戦前から何度も映画化されており、この歌自体も昭和13(1938)年に、作詞が佐藤惣之助、作曲が古賀政男によって既に作られていた。
村田歌唱の人生劇場は、あくまでリバイバル、今風に言えばカバーしたに過ぎない。更に言うならば、村田版の人生劇場も昭和34年に既に一度リリースされて、小ヒットしていたものが、村田の代表曲である「王将」のヒットで後に更に大ヒット(映画の主題歌になる前)したものである。また映画の「人生劇場」は任侠モノと捉えられがちだが、作品のモデルとなった小説上は、青春モノの中にヤクザが出てくるという方が正確な作品である。
それにしても、老人にありがちだが、いわゆる「ウォークマン」の類を知らないか、知っていても持つつもりもないのだろう。住宅も殆ど無く、「音害」は発生しないということも、大音量垂れ流しを許す要因になっていたかもしれない。
老人は視線を上げ、過疎化した地に似つかわしくない4人の背広の屈強な男が居たのを「発見」したように見えたが、全く驚くような素振りも見せず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。おそらく近隣住人なのだろうか、着ているものは室内着のような簡素なモノであった。ラジカセを操作して、止めたのか消音にしたのかはわからないが、流れていた曲は聞こえなくなっていた。
「あんたたちどっから来た?」
と話しかけてきた。想定内の第一声ではあったが、一番老人に近い位置に居た高木が、
「遠軽ですよ」
と返した。
「遠軽? ああ、山の向こうの人達かい」
そう言うと、屈託のない笑顔をこちらに向けつつ、やや曲がった腰を伸ばした。ただ、最初から質問の答えを知っていたかの様な印象を、何故か西田は受けていた。
「参拝にでも来たのかい?」
「まあそんなところです」
今度は西田が答えた。
「本当にこれは酷かったもんだ。逃げ出してきたタコは皆死にそうな様子で、逃げるのも命がけのようだったんだわ。警察も取り締まるどころか、逃げ出したタコを引き戻したんだから、そりゃひでえ話だべさ……」
やけに遠い目をしながら、深いシワをさらに深刻にして呟いた。
「常紋トンネルって開通したのが1914年って話だけど、爺ちゃん、その頃の記憶がある年齢ってことは、結構なお年ですよね?」
老人の話に吉村が少し驚いたように言ったが、老人は苦笑いしただけで、それについては何も言わず、
「タコ部屋で亡くなった人達については、国鉄自体は常紋トンネルの方にある歓和地蔵尊で慰霊してるんだわ。まあちょっと簡単に行ける場所じゃないけどな。ここの追悼碑は、地元の有志が作ったんだわ。聞いた所によれば、生田原側にも慰霊碑だか墓だかがあるとか聞いたことはあるが、俺はよく知らん」
と山の向こうの方を指差しながら喋った。既に民営化でJRになっているにも拘わらず、「国鉄」という表現をすること自体が、如何にも老人らしい。
「ここは人は来ますか?」
北村が問うと、
「いやあ滅多に来ないべ。見ての通り、人っ気もないし、たまに汽車好きの若いあんちゃんみたいのが金華駅降りてやってくることはあるみたいだけど……。人よりヒグマの方が多いんじゃないべか? 既に世の中から忘れ去られた場所だよ、寂しいけどな……」
と途中までブラックジョークも言ったが、最後は悲しそうな顔つきだった。ヒグマのくだりまでは「自虐」として笑えないこともなかったが、最後まで聞く分には、4人は愛想笑い程度が限度だった。
散歩の途中だったらしい老人と、しばし世間話をした後別れを告げると、4人は元来た階段へと歩を進めた。「人生劇場」が再び流れ始めたので、西田が1人止まって軽く振り返ると、老人は黙って碑を見つめていた。西田はそれが妙に気になったが、時間もないので、3人の後を追って階段を小走りに下り、車に戻ってそのまま遠軽へと向かう。
車で242号を金華峠に向かう途中に「常紋トンネル」と言う文言と「→」の書かれた小さな標識が目に入った。生田原側から入るルートと金華峠側から入るルートの内の後者の方だった。西田達は使ったことがないが、常紋トンネルの金華駅側、つまりJRの常紋信号場へと出る、かなり険しい山道らしい。これもまたこれまでは気付かないモノだったが、今日はしっかりと目に付いた。ただ、先程の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の看板を見たときとは違い、より意識的に視界に入ってきたように西田には感じた。勿論山奥の常紋信号場まで寄っている時間も意味もないので、そのまま車は遠軽市街地を目指した。
※※※※※※※
4人が署に戻ると、捜査本部では、北見屯田タイムスから持ち帰った購読者名簿を元に、ローラー作戦を実行するためのプラン選定が始まった。1000近くあるので、40人強程度の小規模体制だけに、かなり効率よくやっていかなくてはならない。まして会社や飲食店などの不特定多数が出入りする箇所も多いとなると、そこから更に購読者の実数がかなり増えることは確実であり、どこまで広げるかも判断が難しいことになる。一方で、この事件を解決するための、ある種最後の砦というべき事案だけに、徹底してやらないといけないというジレンマもあった。明らかに捜査本部に加わっていない遠軽署員にも応援を要請する必要があるだろう。
ただ、ローラー作戦をする上で、1つの点を捜査本部では重視した。それは、「そもそも何故、米田青年は殺されなくてはならなかったか」という点である。犯人を捜し出す第一歩として、「殺人事件として扱われていなかった事例を、3年後にわざわざ掘り返す必要があった」という点からアプローチをしかけている中、今度は「動機」を考えることにより、更に対象を絞れるのではないか?という手法である。
明らかにこの地域に縁のない人間が、この地で行方不明になり殺されたということは、怨恨などということはほぼあり得ず、たまたま犯行に巻き込まれたというのが最も説得力のある推察だろう。問題は、その犯行が、本当に場当たり的な「通り魔」犯人による純粋な無差別殺人なのか、或いは何か理由があって巻き込まれたのか、きちんと分析しなくてはならないということである。
前者であれば、この数年の間に似たような事例が発生している可能性が高いが、そういう分類が出来る事例が現時点ではないということが反論として出てくる。また場所的に無差別殺人狙いの犯人がそれをするにふさわしいと言えるか、かなり疑問があった。勿論、「発覚しにくい」という意味ではふさわしい場所かもしれないが……。
後者だとすると、意図したしないはともかく、被害者の米田は常紋トンネル近辺で殺される理由になるような行為をしたということになる。米田は鉄道好きの普通の大学生であり、犯罪行為とは無縁で来たのだから、本人自身の悪意のある行為により、返り討ちの類にあったということはまず考えにくい。そうなると、完全に一方的に巻き込まれた挙げ句殺害されたという方が納得できる。よくあるパターンが、被害者が犯罪行為を阻止しようとして返り討ちにあった、或いは目撃による口封じ等が挙げられよう。
捜査本部では当然、巻き込まれ型による殺害の可能性を第一候補として考えた。特に見られてはいけない何かを目撃した、口封じによる殺害ではないか?という可能性が重視された。
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