知りたくなかった事実

第236話 名実145 (345~346 伊坂恐喝犯に迫る1)

 10月17日木曜日。西田と吉村は許可を得て、北見署に留置されている伊坂政光と面会していた。父である大吉と政光を恐喝していた人物、つまり伊坂親子が金を振り込んでいた、架空口座の真の保有者についての情報を確認する為である。


 政光はまだ、一連の土建企業銃撃事件の教唆で、しばらく勾留が続きそうだったが、自白してすっきりしたのか、割と血色も良く健康そうだった。

 

「間違いなく、口座名義は『福田房次郎』で良いんだな?」

西田は、捜査日記代わりのメモ帳に、政光に漢字で口座名を書いてもらい、以前から知ってはいたが、改めて確認していた。


「それで間違いない。その名義で、北網銀行の網走支店の普通預金口座だ。口座番号も家の者に確認させて、弁護士に知らせてあるから、そっちに確認しといてくれ」

政光はそう伝えると、話すべきことは終わったとでも言う様に、椅子の背もたれに寄りかかった。


「わかった。じゃあこの後確認させてもらう。とにかくこの件については、協力してもらってありがたいところだ。恩に着るよ。ところで、今更こんなことを気遣うのも何だが、会社の方はどうするんだ?」

西田は、メモ帳を胸ポケットに仕舞うと、伊坂組のことについて触れた。いくら犯罪者とは言え、捜査によってそれなりの規模の会社を潰すことになったのだから、西田としても全く胸が痛まない訳がない。


「それなら、帯広の吉丸土建の方に、会社や従業員を無償で譲渡する形で引き取ってもらった。幸いある程度資産を処分したら、余り負債は残らなかったから、債権者にも納得してもらえたんだ……。伊坂家うちにとってはともかく、従業員に迷惑が掛からずに済んだのは良かった」

そう言うと、深く溜息を吐いた。

「そうか……。俺が言うのも何だが、まあそれはそれで良かった……。後は自分の罪をどう償うかだけだな……。それだけ考えてもらえれば……」

西田が躊躇ためらいつつ諭す様に語り掛けると、

「しかし、起こしてしまったことはどうしようもないんだから、反省するしないってのは、今となっては、迷惑掛けた人間にとっては、どこまで意味があるのやら……」

と嘆いた。


 ただ、ハッとした様に顔を上げ、西田と吉村の方を見ると、、

「おっと、忘れるところだった! 親父が保管してた、例の砂金と現金だが、家の者にはちゃんと説明したから、渡せる状態なら、何時でも弁護士の方に言ってくれ。弁護士通じて、あんたらに渡す様に伝えてあるから」

そう焦ったように喋った。

「ああ、言われてみれば、そんなこともあったな……」

吉村はすっかり忘れていたことを隠さなかったが、西田も他の捜査で頭が一杯になっており、こちらも完全に「お留守」になっていた。


「免出の息子の方はともかく、北条の弟の方は、7年前には実際に会ってる訳だし、今はそこに住んでいなくても、探し様が十分にあると思うから、調べたら報告させてもらうわ。じゃ、今日はこれぐらいで。色々スマンな」

西田はそう言うと、2人は席を立った。


※※※※※※※


 そのまま北見方面本部まで戻り、弁護士から口座番号を聞き出すと、すぐに北網銀行の網走支店に連絡を入れた。そして1時間程で、支店側から折り返し連絡が来た。確かに、2年程前に架空口座とわかり、暫定的に凍結したらしい。そして、それが発覚した経緯も銀行側から説明された。


 架空口座の名義人である、福田房次郎の届け出住所の網走市内の住所には、「福田 芳雄」という人物が世帯主だった家が、架空ではなく実際に存在していた。だが、その福田芳雄が、2年程前に突然亡くなったらしい。そこに、銀行側からの配達記録付き郵便が届けられたものの、福田は一人暮らしだったらしく当然未達となり、郵便は銀行側に戻った。


 銀行側が調査して、福田芳雄の遺族に連絡が付くと、元々家族には房次郎と言う名前の人物は居なかったことがわかった。芳雄の生前には、普通に銀行からの封書の類は受け取られていたので、架空口座はあくまで福田芳雄が名前だけ変えて持っていた口座かと当初は思われた。


 ところが、はっきりしないまま、取り敢えず口座が凍結されたままだった為、金を下ろせなくなった架空口座の本当の持ち主が、銀行側に怒鳴り込んで来たことで、はっきりと別人の架空口座だったことが判明したというのだ。しかしその人物は、偽名の口座であることを当然指摘され、本人確認を求められると、そのまま諦めて立ち去ったという。


 口座は昭和30年代に網走支店で作られていた。当時はまともに本人確認などは行っておらず、架空口座などは作りたい放題だった為、この様なケースは以前は珍しいという程ではなかったらしい。ただ、大体キャッシュカードが普及し始めた頃に、それを配達する際に住所確認、窓口で直接渡す際に本人確認が兼ねられたお陰で、大方の架空口座は1980年代には消えたか解消されていた。


 しかしこの口座については、福田姓の本人住所で作られていた為、芳雄本人の口座ではなかったものの、長年全く発覚しなかったという訳だった。芳雄が誰の為に住所を貸した、もしくは口座を作ったのかについては、遺族も全くわからず、銀行側としてはそのまま凍結して今に至った模様だ。


 本人確認法(作者注・後述説明)では、銀行側には警察への連絡義務などはない為、そのまま放置されていたらしい。更に銀行口座は、権利消滅まで基本的に時効が5年であるし(そもそも銀行側が時効を援用して預金を奪うことは、通常まずない)、そのまま放置していることが良いという判断もあった様だ。


※※※※※※※作者注 後述


 本人確認法=「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」並びに「金融機関等による顧客等の本人確認等及び預金口座等の不正な利用の防止に関する法律」は、架空口座などを作った人間を罰することはあっても、銀行側に本人確認と取引記録の義務こそあれ、捜査機関への通知義務までは求めていなかった模様です。


 尚、本人確認法は、「犯罪による収益の移転防止に関する法律」の、2008年3月以降の全面施行に伴い廃止されたとのことです。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E6%B3%95


※※※※※※※


 翌10月18日、金曜日の午前。西田と吉村は、吉村の運転で北網銀行・網走支店へと向かっていた。支店長とは昨日の段階で既に、一連の事情聴取についてのアポを取っていた。


 気温は早朝には5度以下に下がっており、そろそろ冬の足音が迫ってきているのを感じていたが、西田達が網走に向かう頃には10度を超え、それ程寒いという感じもしていなかった。


 1時間もせずに、網走支店の駐車場に滑り込むと、11時にアポを取っていた支店長の鈴原に迎えられ、お互い軽く自己紹介した上で、すぐに支店長室へと通され、応接セットへと案内された。北見方面本部の方面本部長室にあるものより、遥かに座り心地の良いソファであったが、ゆったりと腰掛けることもなく、女子行員から出された茶を一口啜っただけですぐに聴取に入った。


※※※※※※※


「しかし、警察の方にはやはり連絡しておいた方が良かったんでしょうか」

如何にも銀行員という印象のある、メガネを掛けて堅物そうな鈴原が、まずは神経質そうに2人にお伺いを立ててきたが、

「いえいえ。明確に犯罪に使用されているという確信や情報がお有りになったのなら、そういう対処が必要だったかとは思いますが、振り込んだ方(つまり伊坂政光)が犯罪被害を訴えていなかったのですから、北網さんの方には、全く落ち度はありませんよ」

と、西田は落ち着かせるように伝えた。


「いやあ、そう言っていただけると、こちらとしても幸いです。そういうことも一切なく、法律上も問題なかったのでそのまま放置しましたが、架空口座の真の持ち主が、血相変えてやって来たというもんですから、ちょっとは気を回しても良かったかもしれませんが……」

鈴原はそう言うと、メガネの縁の真ん中にあるブリッジを、人差し指で数度、神経質そうに微かに上下させた。


 そして自分の机の上から、準備していたであろう紙の資料を手にして、机の上に置くと、

「まず、これが口座の金の出入りの情報ですね」

と西田に手渡した。西田はそれを吉村にも見えるように確認する。


 口座は、網走支店で昭和31(1956)年の5月に開設されたもので、当初は毎月3000円、昭和35(1960)年辺りからは毎月5000円ずつ、定期預金ではないものの、決まった額で預金されていた。それが昭和40年に一括して全額引き出された後、最高でも数十万の出し入れがたまにある程度で、口座の動き自体は、大きなものはほとんど無いと言って良い程だった。


 しかし、平成4(1992)年の10月から、突如二百万という金額が「イサカ ダイキチ」名義で振り込まれたことから大きく動き出し、これまでと明らかに違った状況にあったことが伺えた(作者注・現在なら、こういう口座の動きをすると、銀行側がチェックするかと思いますが、昔はそれほどでもなかったという前提での話にしています。正直なところ、当時でも微妙な金額かもしれませんが……)。それからもかなりの金額が動いたが、1年もしない内に、振り込まれる金額は毎月20万になり、それからは「イサカ マサミツ」名義で、口座が凍結するまで毎月15万の振込が継続していた。この点は政光の証言通りで、口座入金振込は、基本的に伊坂家以外からは大きな金額は無かった様だった。


 一方で、当初かなりの金額が引き出されたり、別のところに振り込まれていたが、その後、伊坂家からの振込額が低下して継続した後は、半分の金額は、あしなが育英会やら赤十字やらの社会貢献団体への寄付として消えていた。残りは、おそらく自分で引き出していた様だった。このことが、1995年当時の北見方面本部・倉野捜査一課長に、「伊坂家が脱税しているらしいが、その分寄付もしている」と勘違いさせ、国税への通報を見送らせたことの一因にもなっていた訳だ(明暗22)。


 しばらくじっと口座状況を確認していた2人だったが、資料から顔を上げ、

「しばらく大した動きもなかった口座に、急に大きな金額が動いて、銀行側からは何かチェックは無かったんですか?」

と、吉村が確認した。

「多分あったんでしょうが、おそらく振込した方に確認したんじゃないでしょうかね? 当時の状況については、そこまで確認は出来てませんので、あくまで推測ですが……」

支店長の回答で、振込したのが地域の名士である伊坂組の伊坂大吉となれば、それ以上の問題にはならなかっただろうと、2人も納得した。


「それでですね、口座が架空という疑いが出まして、凍結した後、怒鳴り込んできた人物が、この人ですね。防犯カメラからの画像ですから、鮮明という程ではないですが、顔はそれなりにわかるかと……」

そう言いながら、新たなカラーコピーされた紙を西田に手渡した。おそらくそれこそが、伊坂家を恐喝した人物に他ならないはずだ。

 

 西田は紙をサッと受け取ると、その画像部分をすぐに凝視したが、「うん?」と言う表情をした後、すぐに顔を紙に近付けてから、今度は逆に遠ざけて、更に目を細めた。そして、「他人の空似ということは、よく言われるがなあ……」

と、うわ言のように呟いた。


 その様子を見ていた吉村が、西田から紙を「優しく」奪い取って目を通すと、「あっ」と短く発した後で、やはり顔を紙に近付けしばらく確認していた。そして徐に、

「確かに……、似てますね……。とは言え、世の中には、似てる奴が7人居るとか居ないとか言われてますから」

と西田に話し掛けた。

「まあ、それ程鮮明とは言えない画像だからな」

西田も吉村にそう言った直後、突如雷に撃たれたが如く、あることに思い当たった。そのまま慌てて、

「すいません! ここでインターネットにつながっているパソコンありますか?」

と、鈴原に尋ねた。

「ええ、私ので良ければ……」

支店長はそう答えて立ち上がり、自分の席に戻りながらも、かなり訝しげに西田の意図を探っていた様だが、それにも西田は反応せず、昔の記憶を完全に取り戻そうと集中していた。そして、

「ちょっと調べたいことがあるんです。ご迷惑かけて申し訳ないですが、携帯から見れるサイトだと、情報量が限られるかもしれないんで……」

と言いながら、鈴原の案内に従って机の方へ歩み寄ると、椅子にも座らずに、横に支店長を立たせたままでノートパソコンを弄り始めた。そして何やら打ち込んだ後、ほとんど時間も置かずに、「ああ……」と一言言ったまま項垂うなだれた。



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