第232話 名実141 (335~336 大島海路の遺言7 バブル崩壊)

「私にとっても、こんな凶悪犯罪者のわがままな要求を、最後まで2人に聴いてもらえたことは、今は感謝以外ない。冒頭にも言ったが、君らが私を追い詰めたということは、私の人生についてもある程度把握しているということだと考えていた。その君らであれば、私が政治家として是非とも言っておかねばならないことを、納得出来るかは別にして、しっかりと受け止めてくれるんじゃないか、そんな気がしてね……。聴いてもらえたことで、思い残すことなく処罰を受け入れることが出来る。そして話している途中で、選挙運動で候補者として初めて街頭に立って演説した時のことを思い出した。あの時の政治への強い情熱おもいが、80も過ぎて警察に捕まってから蘇るとは、余りに遅きに失したが、政治家として長年生きた甲斐を、最後に少し感じることが出来ただけまだマシだったか……。それに海東先生との、切っても切れない縁を今更ながら感じることも出来た」

大島はそう言うと、しばらく言葉を失った。


 しかし、自らを鼓舞するように口を開き、

「だが1つだけ、私でも海東先生の歩いた道を辿る事ができた。それは身内を後継にしなかったことだ。私の娘には官僚の夫を持つ者もいるが、地盤を身内に譲ることだけはならんと、固く心に決めていた。逆にそれが、この年になるまで後継を指名出来ず、議員としてダラダラと活動していたことにも繋がってしまったがね」

と述懐した。

「後継候補はこれまで居なかったんですか?」

吉村が問うと、

「実際のところ、地元についても詳しい中川が直近ではその筆頭だった。彼はもともと代議士志望で私の元へと来たんだ。しかし、一度私が引退を強く考えた6年前、彼が私の申し出を固辞した。理由ははっきり言わなかったが、今思えば、彼がこれまで私の為に犯したことの重みを、彼なりに深く理解していたと考えれば、まあ辻褄が合うのではないか……。私は彼を人殺しに加担させたと同時に、政治家としての夢も断ってしまったということだろう」

と答えた。


「その点については、その中川さんのせいにして、上手く逃げ切ろうとまでしていたんですから、問答無用で、あなたはただの極悪人ですよ!」

この時ばかりは、西田も冷たく言い放つしかなかった。それに対し大島は、

「そのままで返す言葉もない。衆院の辞職勧告決議を拒否していたが、こうなった以上は即刻辞職するつもりだ。秘書に伝えておく」

と言うしかなかった。


 取調室内を沈黙が支配する中、吉村は、

「明日になるか、明後日になるかわかりませんが、これから本格的な供述調書作成が行われることになります。我々は勿論、他の(取り)調べ官もあなたから話を聴くことになるかと思いますので、今日と同じく洗いざらい話して下さい。それが最低限の、亡くなった人達への責任だと思いますから……。そして、あなたが敬愛した桑野欣也さんの代わりとして、残念ながら真っ当に生きられなかったことを、天国の彼に詫びて下さい。最も悲しんでいるのは、欣ちゃんこと桑野さんじゃないかと思います。あなたに結果的には残りの『生』を託したんですから……」

と伝えた。普段空気を読まない吉村だが、むしろこの空気を読んだからこそ、敢えて自ら言い出したのだろう。

「あの時、私が欣ちゃんの代わりに爆死していたら良かったのかもしれないが、こうなってしまった以上は、本当に彼にも申し訳なく思う」

最後は言葉に詰まった大島だったが、それ以上の感情の発露はなかった。


 そしてようやく、西田は周りにも気が向く様になり、外が暗くなってきたことに気付いた。腕の時計を見やると既に午後5時を回っていた。思わず、

「もう夕方なのか……」

と、疲れと共に吐き出し、

「こっちも疲れたぐらいですから、(そっちも)疲れたでしょう。キリも良いので、今日はここまでということで」

と伝えた。大島は黙って頷いたので、西田が拘置所の刑務官を呼び出し、房へ連れて行くように指示した。


 今度は80過ぎの老人とは思えない程に、スクッと一気に椅子から立ち上がると、刑務官に連れられて取調室を出ようとする大島だった。しかし不意に立ち止まったので、刑務官が後ろを振り返り、西田達も大島に視線をやった。


「吉村君はさっき、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』と、確か言っていたな?」

突然の振りに吉村は、

「は? あ、ああ……」

と、何とも締まりの悪い返事をしてしまった。だがそれにも構わず、

「あの言葉は間違いなく示唆的ではあるが、正確な格言ではないと思う。特にその言葉の元となった発言者の真意を考えるとな……。それに私自身が考えても、やや偏っていると思うし、そもそもその『真意』自体が下手をすると間違っているかもしれない。とにかく、自分の頭でそれが妥当かどうか、よく考えてみることだ。それが一番必要且つ重要なことだ」

と言い残したまま室外へと出ていった。その後姿は、大島海路という大物政治家にふさわしく、元来の背の高さと併せて来た時よりも大きく見えた。ただ2人に言い残した謎の発言は、その時には2人共に余り響いておらず、すぐに西田は、馬場・捜査一課長が裏からモニターしていた控室へと足を運んだ。


「いやいや、お疲れさん! 本当によくやってくれた! あの大島を完全に落としたんだから、こりゃお手柄だよお手柄! 大物政治家が殺人犯だってのは、こりゃ明治以降の警察の歴史でも、間違いなくエポックメイキングな出来事だぞ! 今日は取り敢えずしないが、明日朝一で、佐田実殺害の共謀共同正犯として逮捕状請求しよう!」

馬場はいたく喜んでいた。

「ありがとうございます。運も良かった」

西田も喜びつつ、最後には本音も出ていた。


「そう謙遜するもんじゃない! まあ明日以降もあるから、これから祝杯って訳にもいかんが、俺も道警の人間として誇らしいぞ!」

道警プロパーの馬場らしく、「道警の人間として」という言葉を強調した。そして西田が感慨にふける間もなく、西田の手を強く握って握手した上で、肩を2、3度パンパンと叩き、喜びを身体でも表していた。以前は「火の粉がこっちにかかる」という様な言葉を西田達に投げ掛けていた姿は、もうそこにはなかった。現金な態度と言えばそうだが、人間こんなもんだろう。特に腹も立たなかった。


 だが、馬場はすぐに、

「それにしても何だ、あの大島のじじいの態度は! 人殺し風情が、政治家としての遺言だとか何とか言って、大層偉そうなことを抜かしやがって! 裏で聴いてて、ぶん殴ってやろうかと思った程だぞ! お前らもよく我慢して聴いてたな? あんなこと言う資格が、何処にあるってんだ! 議員先生ってのは何か相当勘違いしてるよな!」

と、江戸っ子でもないのに、べらんめえ口調で罵ってみせた。


 この馬場の感情の爆発は、倫理的にも決して間違いとは言えないだろうし、大島が犯した罪の重さを考えれば必然とも言えた。しかし西田と吉村の様に、時代の流れも含めて大島を長期間追ってきた人間と、ただ白日の下に晒された大島の悪事だけを見ている人間との間に、明確な乖離があることも意味していた。大島自身が語っていた様に、大島が経験してきた「歴史」も踏まえて、事件をこれまで追い見てきた人間にとって、感じるものは必然的に違って来るのだ。


 とは言え、馬場は直属ではないが上司であると共に、言っていることも表向きは正しいので、

「まあ、それは相手の自白条件でしたから……。供述調書作成段階で、いきなりへそ曲げられても困るので。我慢するのも仕方ないですよ」

と話を合わせて誤魔化した。


※※※※※※※


 本日は特別出勤で早目に出て来たのと、見事な成果を挙げたこともあり、馬場から先に帰宅を許された2人は、札幌拘置支所の前からタクシーに乗り込んだ。本来なら、一度道警本部に寄ってから、公用車でこちらまで来る予定だったが、緊急ということもあって自宅から直行したので、吉村も自家用車では来てはいなかったのである。


「じゃあ、えっと、どうしますか? 環状通東(札幌市営地下鉄・東豊線の駅。札幌拘置支所最寄り)にしますか、それとも……」

「バスセンター前(札幌市営地下鉄・東西線。東西線の駅の中では、札幌拘置支所に最も近い)の方が良いだろ? 二人共、地下鉄使うなら東西線なんだから」

吉村に尋ねられて、そう答えた西田の発言を受けて、若いタクシー運転手は、

「バスセンター前で良いんですね?」

と面倒くさそうに確認した。

「ああ、それでお願い」

西田も適当に相槌を打つと、タクシーはスッと走り出した。


 環状通から国道275号に右折して合流した辺りで、吉村が、

「さっきの大島の話ですけど」

と、割と普通の大きさの声で話し始めたので、西田は表情だけで「黙れ」と指示した。大島という名字だけで、大島海路のことだとバレるとまでは思わないが、タクシー運転手という部外者がその場に居たことと、札幌拘置支所の前から乗った人間が話している内容から、全く気付かれないと油断は出来ない。吉村もすぐに気付いたか、黙ったまま軽く頭を下げて謝った。


「それで、あいつの話ですけど、どう思いました?」

「遺言の件か?」

「そうです」

「政治経済については、こっちはニュースやら新聞やらで、チョロっと把握する程度だから、はっきりしたことは何とも言えんよ。但し、俺でも国民の意見が右往左往して、無責任だったことについては近年覚えがある」

西田はそれまで前方を眺めていたが、吉村の方を向いて発言した


「何ですか?」

「バブルの処理についてだよ」

西田がボソッと語ったことに、吉村も時間差を置いて、

「あれは世論もマスコミも結果論的な感じでしたね」

と言って同調した。


※※※※※※※(ここからしばらく、小説とは一見無関係の経済小ネタが続きますのでご注意ください。小説全体として最後の方にちょっと意味が出て来ます)


 言わずと知れた、80年代後半に発生し、90年代初頭に終わったとされるバブル景気発生とその崩壊(作者注1・後述)においては、その処理の方法が大きな問題であったと、後に言われることが多い。初期は経済評論家などを中心になされたが、今はその影響か、一般国民からもその手の批判がなされる向きがある。


 この点については、その評価の前に、バブル景気全体について簡単におさらいしておく必要があるだろう。


 まず第一にバブル発生の要因は何だったのか。それについては、アメリカのレーガン政権が遂行したレーガノミ(ッ)クス(作者注2・後述)で発生した「双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)」により、不安定化したドルを安定化させる為、ドル安政策が国際的に認められたプラザ合意(作者注3・後述)まで遡るとされる。


 この合意により円やマルクが急騰した。1日で20円も円高になり、最終的にそれまでの1ドル230円台のレートが、落ち着いた頃には150円台になるという急騰ぶりであった。これは、ニクソンによって、ドル円の固定相場制から変動相場制への転換がもたらした、いわゆるドルショック(別称・ニクソンショック)以来の大型為替変動でもあった。


 当然この為替変動は、当時の日本の輸出産業に大打撃を与えた(作者注4・後述)が、日銀は公定歩合を高くしたままで対応。プラザ合意の円高ドル安を目指す合意を遂行する為だった(作者注5・後述)とも、長期国債の金利の上昇を狙った為だともされるが、いずれにせよ、これが実質的な金融市場への引締め効果を生み出した。


 ところが、景気後退やデフレ状態の発生などにより、この政策が間違っていると国内外から反発を食らい(作者注5・後述・重複)、日銀は公定歩合を翌年以降に引き下げざるを得なくなった。そのことで、それまで公定歩合を高くしていた反動もあり、この引き下げが想定以上の(結果的)金融緩和効果を生み出す。金融市場でだぶついた資金が株や不動産に流れ、一気にバブル化したとされる。


 その結果として、特に東京の地価が異様な高騰をしたため、都内の一般庶民の年収では、到底マイホームを手に入れられなくなった。既に家を所有していた場合には固定資産税も上がり、相続した場合には相続税が負担出来なくなって、古くから住み慣れた地域社会を去る必要が出てくる住民も出て来て、大きく社会問題化した。


 一方で、所有不動産を処分したい一般人にとっては絶好機でもあった。事実、楽に新たな家を買い替え出来た家庭も少なくなかった。また、不動産を書面上で転がすだけで、数百億の利益を手にするような不動産業者も出てきた上、暴力団などの地上げ(住民を追い出して不動産市場にその土地を回す)に伴う犯罪行為(放火、脅迫等)も顕在化し、更なる国民からの社会的反発も招いた。金融機関も不動産業界に多額の融資を行って、多額の貸出利子での利益を上げる一方、地上げに裏で加担していたとされている。


 ただ、不動産や株などの値上がりに比較して、食料品などの値上がりはなく、円高でむしろ安くなるなどの恩恵もあった。好況による人手不足で給与も上がり、生活レベル全般に悪影響をもたらすことはなく、むしろメリットの方が大きかったのも確かである。事実、バブル景気に先導される形で、消費は大変活発であり、内需も円高を物ともせず伸び続けたので、経済的にはむしろ相当の好影響だったのは各指標でもはっきりしている。


 因みに、新卒学生の囲い込みに、海外旅行に連れて行って、他社に引き抜かれない様にするなどの異常現象が、2010年代の少子化における新卒・売り手市場現象と併せて回顧されることがある。だが、バブル当時は地方都市のアルバイトの面接でも、合否関係なく1000円程度の交通費が出ることがあったという。基本的には、バブル景気の恩恵を受けた人が現在の様に一部だけではなく、社会階層に拘わらず多かったことは間違いない。


 いずれにせよ、世論の突き上げもあって不動産の異様な価格上昇を止める為、日銀は再び金融引締めを講じることとなった。公定歩合の引き上げを行い、大蔵省はいわゆる「総量規制」を実施した。総量規制とは、金融機関の不動産関連への融資に対し、一定の制限を掛けるというものだった。


 バブル沈静化に向けた、当時の日銀・三重野総裁と大蔵省の動きは、マスコミを中心に国民にも歓迎され、中には、池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」の主人公である、鬼平こと長谷川平蔵(正確には、長谷川宣雄)になぞらえ、三重野を「平成の鬼平」と持ち上げた評論家(佐高信夫)やメディアもあったとされる。


 これらの金融政策が、後にバブル景気のハードランディングを招いたとの評価が出て来ると、逆流的評論を生み出し、90年代後半辺りから、経済評論家などの三重野に対する批判を招いたとも言える。そして今では、一般国民にもそのような認識が見られる。


 話を戻すと、公定歩合引き上げと総量規制の実施で、活発だった不動産への投機の流れが滞り、それまでの高騰が急激に冷やされることとなった。これで銀行の貸出時の不動産担保価値が急激に下がり、立ち行かなくなった不動産関連企業に融資していた金融機関の業績を圧迫し、97年以降の金融不安へとつながる。


 ただ、バブル沈静化に向けた動きは、日銀総裁が誰であれ行われたことは明白であり、何でもかんでも三重野に責任を押し付ける向きは、完全に間違っていると断定しても良い程である。更に1992年の段階で、当時の首相・宮澤喜一と共に、金融機関の不良債権の早期解決を目論んでいたものの、当時の大蔵省や経済界に反対されたことで実現しなかった(宮澤自身が証言)など、バブル崩壊後の問題について、ある程度正しい認識を持っていたことも窺える。


 また、総量規制の掛からない枠外の金融機関として、いわゆる住専(住宅金融専門会社)並びに農協系金融機関(今のJAバンクやその元締めとしての農林中央金庫)が抜け穴として実は認められており、実質的にそちらから不動産向け融資(正確には、農林中央金庫が住専に貸して、それが不動産融資へと流れた)が継続されていた。そちらの不良債権が問題化したのが、後に一時期騒がれた住専問題(95年夏より)である。結果的に見れば、銀行などの不良債権問題より、かなり先に処理されることとなったのは皮肉である。


 繰り返しになるが、いずれにせよこの一連の金融政策が、結果的にバブル景気をハードランディングさせることとなった「主原因」であるとされ、それを中心となって遂行した当時の日銀・三重野総裁が現在において「主犯」とされることも多い。また、当時のマスコミがバブル憎しの論陣を張って、徹底したバブル潰しを要求していたこともあり、それについても批判されることもある。


 しかし一連の流れを検証する限り、確実に不動産バブルについては、首都圏を中心に、大規模都市部の一般国民を巻き込み、相当の社会問題化していたことは事実(作者注6・後述)でしかなく、地価の急騰は明確に「害悪」として、当時は社会認識されていたこともまた事実でしかない。その為の対策が急務とされたのも当然のことで、想定以上の悪影響が出たことは、否定出来ない事実としても、抑制策そのものが実施されたのは必然と言えると見て良い。


 しかも、住専などが抜け穴・抜け道として残されたのは、総量規制による弊害のソフトランディング化を、大蔵省が最初からある程度想定していた結果である。にも拘らず、その後住専が不動産融資で負った不良債権が大規模化して、早期に問題になったことを考慮しても、仮に総量規制や公定歩合引き上げを実施しなかったか、より緩い形で行ったとしても、金融機関はいずれ、大規模な不良債権と一体の劣化担保不動産を抱え込んだことは間違いなかろう。(極端な)バブルはどんな形であれいずれ破綻し、規模が大きくなっていればなる程、ソフトランディングは難しいのである。


 当時の日本の首都圏の不動産価格は、もはや常軌を逸した「怪物」と化していたのは、国内どころか国外も含めた万人が認める所である(海外のメディアでも話題になった)。その時点で、もはや一定レベルのハードランディングは不可避だった。問題は「性急過ぎた」のではないかという点についてだが、以下のサイトの2ページ目のグラフを見てもわかるように(http://www.reinet.or.jp/pdf/fudoukencolumn/vol201601.pdf)、急激に3倍近くなった地価を緩やかに下げたとしても、銀行が貸込んだ不動産融資で負う巨大損失は、どう考えても、これまた不可避だったことは間違いない(尚、そのグラフでもわかる様に、昨今の銀座の地価はバブル時代を超えているものの、東京全体でみれば、1985年水準に全く達していないため、都心部のみの異様なバブルは、現在でも発生していると見て間違いない。これは大規模金融緩和による不動産投資熱によるもので、少子化などの需要減を考えれば、そう長くは保たないだろうと見られている)。


 となれば最大の問題は、「極端なバブルの発生」や「急騰」をどう抑制すべきだったか(一定のバブルは、自由経済活動がある限り不可避)であり、バブルの火消しのあり方の問題は、その後の話になる。その順番を無視した三重野や大蔵省のバブル処理批判はかなりの無理筋であり、むしろ前任の澄田総裁(三重野は当時副総裁)と共に行った、バブル発生要因となった一連の的外れな金融政策こそが、まず批判されるべきであろう。


 また、「市場と対話が出来る」として持ち上げられたFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長との比較(在任中にバブルをソフトランディングしたとして)で三重野が批判されることもあるが、グリーンスパンの在任中の金融緩和政策が、後の住宅バブルを引き起こしたことは、今や否定出来ない事実である。


 それが退任後に噴出したサブプライムローン(作者注7・後述)破綻問題を招き、世界的な大不況の原因となった、リーマンショックをその後引き起こしたと見ることも十分出来る。それらも考慮すると、むしろグリーンスパン議長は、明らかに過大評価であると言わざるを得ない(作者注・そうは言っても、グリーンスパンについては、割と批判されることも多くなってきましたが)。


 バブル当時の世相全体を眺めれば、マスコミ及び国民世論はバブル沈静化を願い、初期にはバブルの破綻をある意味歓迎したが、後に金融不安から景気が一気に後退すると、中にはバブル肯定論的な言動や、土地神話を前提にした当時のバブル不可避説を唱える者、バブル沈静化措置そのものを否定する者すら出て来た。今では言わずもがなである。


 経済評論家の類の結果論は無責任で論外だとしても、一般マスコミや国民もまた、「無責任」な評論家になる傾向が強く、自らの過去の言論や世論を無視し、結果論で右往左往するのは、先の大戦・敗戦時の世論と同様である。


 他にも似た様なものに、消費税に対する世論があり、長年反対していたものが、一時期容認論に変わったが、やはり景気を冷やす結果になると反対という事例がある(これについては、確かにマスコミの消費税アップ不可避の論調が「現実主義者気取り」の国民世論へと誘導した側面がある)。 以下続く


※※※※※※※作者注まとめ


◯作者注1

 バブル景気は、一般的には、1986年12月から1991年2月までとされていますが、国民生活一般における認識上は、ややズレがあると言われています。おそらく92年程度まで景気は良かったのではないかという説もあります。


 事実、バブルの象徴と呼ばれる「ジュリアナ東京」は、91年5月から94年8月までの営業だったことを考慮すると、92年辺りまでは間違いなく、まだ景気が良いという認識を、国民は持っていたと見て良いのではないでしょうか。


 私ごとながら、バブル当時は中学生から高校生でしたが、社会人ではなかったにせよ、ほぼ似た様な印象でした。そして、本格的に不況になったという印象は、96年ぐらいまではなかったと思います。やはり97年辺りから本格化し始めた印象です。この時は消費税アップによる消費減退と金融危機のダブルで危機が来ました。私の場合、団塊ジュニア最後の世代で、最悪の氷河期一歩手前で大学を卒業出来て、ある意味幸運(それでも就職率はそこそこ悪い頃でしたが)であった一方、その後の氷河期世代は、本当に異常なまでの困難を経験したのではないかと思います。


◯作者注2

 減税と社会保障費削減に加えて、東西冷戦下における軍事費増強政策。当初の目論見と効果内容に乖離が出る、経済政策にありがちな結末を迎えました。尚、アベノミクスやロジャーノミクス(ニュージーランド)などの~ミクスの語源でもありますが、Reagan(レーガン)とEconomics(経済学)の造語(Reaganomics)であり、たまにある「安倍のミクス」という解釈は間違いです。また、語源を考えると日本語発音の場合、ミックスの方が適当(これは作者解釈ですが)ではないかと思いますが、まあこれはどうでもいいことでしょう。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9


◯作者注3

 1985年9月22日に、ニューヨーク市あるプラザホテルにて、先進5カ国の財務大臣と中央銀行総裁が集結した会議での合意より、この名称が付けられました。


◯作者注4

 実は製造業の海外移転はこの頃から始まっており、95年の阪神大震災を契機に始まった円高で決定的となりました。最近、東日本大震災以降に海外移転の流れが強まったとする俗説もありますが、それまでの円安による一過性のやや収まった流れより、ちょっと強まった程度というのが妥当な評価です。


◯作者注5

 プラザ合意時に、円高ドル安政策を求められると同時に、日銀は金融緩和を国際的にも求められていた為です。そういう意味では、国際公約上その必要があったというのは、事実と異なることになります。


◯作者注6

 当時のNHK特集だったかNHKスペシャルの生討論番組で、評論家の堺屋太一氏などが、真剣に地価高騰をどうやって沈静化するか話し合っていた記憶が鮮明にあり、その中では、地価下落効果をもたらす遷都案まで議論されていました。


◯作者注7

 いわゆる低所得者向けローン。主に住宅や車などの購入時に利用されます。購入商品の中古価格の値上がりを前提にした、初期の支払いが楽でありながら、後期になるほど支払額が大きくなるシステムを採用しています。


 これはバブルに近いインフレ下では、中古売却額がそれなりの価格になるので、返済額が高くなる頃に売ってしまって、残額を返済する必要がないという、買い替えにも有利なシステムとなっている訳です。


 事実、当時のアメリカ住宅バブルを前提に、住宅関連サブプライムローンが高い格付けを得て、あらゆる金融商品に紛れ込んでいました。住宅バブル崩壊後に、返済出来ない人が続出した上、どの程度、紛れ込んだ金融商品の損失が出るかわからないことで、金融パニックを招いたことで有名です。


※※※※※※※

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