第231話 名実140 (333~334 大島海路の遺言6)

「それはそうだとして、そのことが、本当の焼け野原の方がマシという結論になるのはどういうことなんですかね?」

西田が改めて問う。

「さっきも触れたが、日本は敗戦したことで、どんな立場であれ国民のほぼ全員が、ある意味敗者として、一からやり直さざるを得なくなった。それは当然望んでそうなった訳ではないにせよだ。そうなると、皆が上を見て共に生きていくしかなかった。しかし、さっき吉村君が疑問を呈したように、おそらく次に日本が直面するのは、先の戦争での敗戦のような、誰もが平等にあらゆるモノを失った形ではない可能性が高い。まさに、多くの国民の生活が徐々に疲弊していく中で、一部の連中だけが肥え太る体制という、短期的に見ればよくわかりづらい敗戦だ。勿論、本当の戦争と違い、命を失うという最悪の『喪失』ではない。しかしその状態では、国が全体として衰退して行っているにも拘わらず、誤ったシステムに限ってむしろ強固に維持され、富む者は更に富み、貧しいものは更に貧しくなる構図が出来上がる。そしてそこで必要になるのは、内部対立の図式だ。国内でありながら、アフリカのような植民地統治のシステムを作り出す必要性が出て来るという訳だ。国民を二分するような対立構造を、既存のメディアや、もしかしたら現在いま普及して来ているインターネットを使って作り出すかもしれない。そうすれば、特権階級は下層から一体化して攻撃されずに、国家が完全に破綻するまで利益を吸い取って安泰という算段だ。この段階では、もはや改革という言葉さえ力を持たないだろう。貧しい人々は日々の生活で一杯一杯となり、政治などに構っていられない。そして対立構造にどっぷり浸かり、内輪のくだらない争いにのみ心血を注ぐだろう。愚民化の為、公教育すら軽視される時代になる。当然ながら、これまでの日本の公教育が一から十まで正しかったかどうかは全くの別問題だが、一定レベルの教育水準を保てたこともまた、紛れもない事実だ。そしてこの公教育の軽視もまた、亡国の道へと突き進むことを意味している。階級闘争史観と呼ばれるもので全てを見ることは危険だが、日本においてそれが全くなかったと言い張ることもまた不可能であるし、そのようなものが再びクローズアップされる時代に成りかねん」

大島の口調は努めて冷静だが、発言の内容はやけにおどろおどろしいものだった。


「そこまで日本人が馬鹿だとは思わないですが、自分の希望的観測ですかね?」

吉村は実感が湧かないようだったが、

「もし高松の標榜する徹底再構築が実現化し、日本全体の景気が表向き良くなったとされても、現実の庶民の暮らしが疲弊していたなら、私の言っていることは現実化している最中と思ってくれて良い。そしてそれにも拘らず、何故か国民は政権を支持している場合には、確実にそうなると断言する。私が正しいか、改革騒ぎに熱中している国民が正しいか、その結論が出る前に、私はおそらくこの世に居ないはずだ。それが寿命なのか死罪が原因なのかは、実に微妙なところだが」

大島はそう言うと、達観したかのように力なく微笑んだ。


「結局のところ国民が、自分のことしか考えない官僚と政治家や財界人の自称改革に釣られ、自らの頭でしっかりと考えることを放棄し、自らの生活が段々と悪くなっていることに目が向かず、どうでも良いことに闘争心を燃やした先に、復興出来ない恐ろしい焼け野原が待っている危険性があるってことなんですね、小野寺さんが危惧しているのは?」

吉村がこれまでの話をまとめると、

「ほぼそういうことだ。更に政治を保守と革新という2項対立で見ることがよくある。しかし、保守とは良いものを守ることであり、革新とは悪いものを刷新するということであると捉えるならば、両者は相対あいたいするものではなく、共に良き政治に必要な概念でしかない。政治の本質に保守であるか革新であるかの分断はない! そして戦前に欣ちゃんが左翼を選択したのは、あの時代に、必ず変革しなくてはならないことが多いと彼が判断したからだろう。逆に言えば、今なら彼は保守として振る舞うかもしれない。政治思想とは絶対ではない。その時々に応じて、たみの為に一体何をしなくてはならないかという選択の結果、守るべきものが多いのか、変えるべきものが多いのかという結果で、傾向として保守になるか革新になるかということでしかない。私は自らの経験から、本来は人道という軸の中で、比較的保守という道を歩んできたが、それは戦後体制の枠組みの中であって、戦前から見れば革新だったと見ることも出来るだろう。しかし、その人道という軸を、最悪の形でブレさせてしまったことが、私にとって痛恨の失態であったと懺悔する他ない。とにかく、最後までちゃんと聞いてもらい、君らには大変感謝している」

政治の主義についての大島なりの見解を述べ、最後には2人への礼を付け加えた。


 しかし、西田としてはやはり受け入れ難いところがあり、

「自分自身は、改革にも割と賛成ですし、日本人はそこまで馬鹿だとは思わないですね。官僚だってまともな人は居ますよ。現に私の周りにも」

と小さく抗った。

「ほう、警察官僚にもか」

大島は鼻で嗤ったように見えたが、それは西田の被害妄想だったかもしれない。ただ、西田としては少々意地になり、

「ええ。さっき話しましたが、あなたに対する捜査に熱心だった捜査員とは、実は今目の前に居る我々を含めた、遠軽警察署の刑事達れんちゅうでした。しかし、あなたの妨害で、我々は捜査関与の任を解かれました。それが95年の冬のことでした」

と、突然告白し始めた。だが、

「やはりそうか……。何となく君らのことではないかと、勘ぐっていたんだがな」

と、大島は意外な反応ををしてみせた。


「何だ、バレてたんですか……」

吉村はそう言いながら思わず頭を掻いたが、西田は僅かだが「ひょっとしたら」という思いも若干あったので、何とか表に出さずに済んだ。一方の大島は、

「これまでの君達の言動を聞く限り、何か私に強く思うところがあると考えるのは道理だろう?」

飄々とそう考えた理由を語った。


「その我々が、再びあなたを追う機会は、それから6年が経った昨年の冬に再び訪れました。北見に赴任した後になってわかったんですが、今の北見方面本部長が、佐田の殺害と病院銃殺の件で、北見で専従捜査を出来る様に、我々を引っ張ってくれたんです」

「今の北見方面本部長ってのは、私の事務所にまで家宅捜索をさせた人物のことだな? あの時は、まさか何か出て来るとは思わなかったから、後でどんな形で責任を取らせてやろうかと調べると、確か……、安村とか言った、警察庁のキャリアだったかで、北見方面本部長は道警採用の職員のポストのはずだから、それなりに驚いたもんだ」

西田の話を受けてそう喋った大島に、

「突然ポストに欠員が出て、急遽、中央かすみがせきから派遣されて来た……、というよりは、そこに自ら手を上げたそうです。その時点で、あなたへの捜査を意識していたとも言っていました。何でも、佐田殺害や病院銃撃事件についての予備知識を持っていた為だそうです」

と説明した。


「北見に来る前からか? そいつは私も偉い執着されたもんだな」

不可解そうな表情を浮かべた大島に、

「その事務所の捜索を、私が強硬に求めた際には、他の上司があなたの報復や影響力を嫌って及び腰になる中、安村方面本部長は、私の主張をそのまま受け入れてくれました。あれによる物証確保がなければ、あなたの事件への関与の立証は、不完全だったはずです。幾ら地元の責任者たる中川秘書でも、『主人』の事務所まで実行犯に使用させるというのは、独断ではまず考えられませんからね。必然的にあなたの関与に繋がる。英断であり、勇気ある決断でした」

と告げた。


「中央のキャリアにしては、確かに大胆だったな。出世を考えれば、危険な橋は渡りたくないだろうに……。何がそうさせたのかはわからんが」

大島は思い当たる節は全く無かった様だ。西田はそのまま話を続ける。

「それは彼が元々持っていた正義感もあるでしょう。でも、それだけでは無い様でした。あなたとの浅からぬ因縁がそうさせた側面もあると……」

そこまで喋ると、大島は話を遮って、

「浅からぬ因縁?」

と問い掛けてきた。それを受けて西田は、

「ええ、そうです。あなたは、海東さんに娘さんが3人いらしたのはご存知じゃないかと思いますが、その三女の理子みちこ……」

と言い掛けたところで、大島が再び遮った。

「待ちたまえ! 理子ちゃんは、私が海東先生の秘書だった時代に、安村という人物と結婚して、私もその式に出席した。その後、選挙に当選してからすぐに東京で一度、海東先生一家と共に、小さい息子を連れた理子ちゃんと会ったが、その息子と方面本部長の安村は……」

そこまで言って西田を凝視した。

「お察しの通りです。今の北見方面本部長は、その理子さんの息子、つまり海東さんの外孫に当たる方なんです。名前も、海東さんの『匠』から取って、字こそ違えど、卓越した見解という意味から、卓見だそうです」

西田はそのまま答え合わせをしたが、それを聞いた安村は、

「そうか……。そうか……」

と2度繰り返したまま、感慨深そうに腕を組んで、何度も深く頷いた。


 そして腕をスッとほどくと、

「私の国会議員としての人生は、海東先生に切り開いていただいた様なものだが、最終的に引導を渡されたのが、その海東先生の孫というのも、これは宿命さだめだったのかもしれんな……」

とゆっくりと呟いた。

「因果は巡るってことですかね」

吉村も独り言のように応じた。


「……そうかもしれん。それにしても、理子ちゃんは、私が秘書として先生の下で働き始めて、高校生の頃から知っているが、先生がかなり成長してからでも本当に可愛がっていた……。無論、先生のことだから、必要以上に甘やかすことはなかったが、先生にとって、割と年を取ってからの子供だったから、目の中に入れても痛くないとはああいうことだと、私も家庭を持つ前だったがよくわかる程だった。2人のお姉さん達と年は離れていたが、先生は『気質は私に1番似ている』とにこやかに語っていたもんだ。確かに普段は陽気だが、案外頑固なところもあってね……」

やけに懐かしそうに語る大島には、ここまで全く見なかった表情を浮かべていた。


「そんな理子ちゃんが、短大を卒業し出版社に就職して割とすぐ、言葉は悪いが、ただの印刷工と結婚するというので、当時、ご家族や親族の間で相当揉めたものだった。しかし先生は、基本的に娘が自分で決めた以上、それに文句はないと周囲を宥め、実際に相手に会って話した上で、問題ないと完全に認めて、他の人間をも説得する側に回った。あの時は理子ちゃんも相当感謝していたはずだ。私はその後ああいう形になって、先生が亡くなった後は、完全に海東家の人々とは疎遠になってしまったが……。そうか……。理子ちゃんのあの息子が、警察官僚になっていたとはな……。そして彼が、今度は私を成敗するんだから、これは出来過ぎたドラマだ」

そう言った後、大島は大変満足そうに見えた。しかしそれは、決して苦笑や皮肉ではなく、心からの笑顔にすら、西田と吉村には感じられていた。


「本当に出来過ぎたドラマなんですかね……さっき、あなた自身が言ったじゃないですか、宿命だと。自分はその言葉がしっくり来るんですよ。そういう運命……」

西田はそう言い掛けて、ふと自分の言葉に疑問を覚え、

「違うな……。もしあなたが、伊坂に出会わなければ、また違った政治人生を歩んだかもしれない。それを考えれば、こんな結末を宿命とはさすがに失礼ですかね……」

と言い直した。


「君ね、今更そんな殊勝なことを言われても、私としても困るじゃないか!」

大島は大袈裟に皮肉ったが、

「仮に伊坂大吉という存在が私の前に立ち塞がらなかったとしても、私は利権政治というものに、遅かれ早かれ巻き込まれて行っただろうと思っている。残念ながら、そういう政治の流れに抗える程の器ではなかった。ただ、さすがに人を殺めるようなところまでは……。間違いなく行かなかったとも思うが、今更だな……」

とさすがに悔しそうに振り返った。


「利権政治というのは、利権を受ける有権者側も微妙に絡む訳だから、政治家だけの責任には出来ないとは思いますよ。……それでも殺人だけは、伊坂が居ようが居まいが、何とかしなくちゃ駄目だったはずです。宿命だろうが何だろうが、そこは踏み止まって欲しかった……。それだけは明白ですよ。今日の話だって、それが無ければ、もっと説得力があっただろうし、もっと広く表明出来たはずですしね」

吉村は西田と大島の会話の流れを、ピシャっと断ち切ったが、それは2人にとって、不都合というよりは、正論中の正論でしかなかった。


「吉村君の指摘通り……。さっきも触れたが、人の命を奪う結果というのは、私が歩んできた人生を思えば、最も回避すべき事態だった。残念ながら、苦難に耐えた結果、得たものに固執し、厳しい経験を活かして大事にすべきモノを捨て去った。最大の選択ミスだ。桑野欣也、海東匠という多大な影響を受けた人物は言うまでもなく、多くの関わった人間に迷惑を掛け、裏切り、殺めた人々には詫びる言葉もない。政治への最低限度の信頼をも損ねた。私の不徳の致すところだ。……桜さんの戒めをも活かせず、桜さんにも申し訳ないことをしてしまった」

俯いたままだったが、大島は先程よりハッキリと自らの非道に触れ、謝罪の言葉を口にした。


「そうは言っても、時間も命もどうやっても戻りません。こう言っては何ですが、あなたも中川秘書も、間違いなく死刑は免れないでしょう。それだけのことを仕出かしたんですから……」

西田はそこまで言うと、ためらいがちに、

「でも、こうやって小野寺さんから話を聞いて、我々もこの捜査に関わった7年と言う月日の重さを実感すると共に、仲間を殺されて、何か心の中にあった、怒りと言うかわだかまりと言うか、……しこりというか、言いにくいんですが、何かが少し溶けたような気もするんです。それは赦しとは、確実に別のモノだとは思うんですが……。その点は正直言って、今日話を聴けて良かったとも思えるんですよ、怒りはまだ燻っているにせよ……。そしてあなたの政治家としての遺言も、わからないことも含め聴けた。そりゃ話を聴く前には、ただの自供の取引材料程度で、真剣に聴くつもりはなかったんですが、色々と考えさせられることもありました。……でもねえ……。だからこそ人を殺めちゃいけなかったんですよ、吉村の言う通りそれだけはね……。」

そう続けて、西田は率直な思いをぶつけていた。

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