第207話 名実116 (275~276 隠された黒田と本橋のエピソード)

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「しかし、どエライ男が、はるばる北からナニワの街までやって来たもんですわ……。それにしても、あんな男を死んで5年も経ってから、ワシらの前に呼び出すとは、さすが兄貴やと……」

ゆっくりと走り出したベンツの中で、久保山は黒田に話し掛けていた。


「ああ……。ただ、もし今、幸夫が生きとったら、2人はどういうやり取りをしたんやろうな。……まあ、幸夫が今でも生きとる様な状況なら、そもそも出会わなかった2人でもあるんやろうが……」

黒田は運命の皮肉に気付きながら、しみじみ喋ると、しばらく車窓の景色を眺めていた。ウインドウ越しの大阪の街は、神戸から戻ってきた時と同様、雨にネオンが滲んでいた。そして、2人の沈黙の間も、相も変わらず、雨が強く車の屋根を打ち付けていたが、その音が、こもったようでありながら、何故か響いてもいた。


 しかし、その音の連弾を遮るように、

「黒田はん。あいつは何で刑事デカを辞めたんやと思います? 辞めた後も、捜査についての熱も下がっとらんようやし、元上司からも、未だに相当信頼されとるのも、頼まれて大阪こっちまでやって来たのを見ても、どう考えても確実やと思います。割と杓子定規なところもあるよって、何か不祥事を起こしたとも思えませんし……。理由に全く見当が付きませんわ」

と、久保山が不思議そうに言い出した。


「こっちは、相手から何にも聞いとらん以上は、所詮憶測でしかモノは言えへんわな。ただ、警察かて、偉そうなこと言うてても、所詮はただの生身の人間の集合体やろ? そういう面で、おそらく色々あったんとちゃうか……? あれだけの男や。刃物で言えば、ちょっと触れただけでも、スパッと切れそうなタイプやろ? 切れ味の良い刃物は、余計な力が要らん分、使い方さえ正しければ、扱ってる方が怪我することもない。せやけど、扱う人間が雑に扱えば、自らの手も簡単に切れてまうやろ? そうなるとや、怪我した方からすれば、自らの腕の無さを脇に置いて、刃物を邪険に扱う様な輩も出てくる訳や……。そうなったら、出来る奴であればある程、出て行きたくなるのは、自明やないか? まあ、小さいパン工房程度のオヤジで、デカイ組織言うても、修行時代の神戸の老舗パン屋ぐらいしか知らん俺が言うても、今の話は説得力に欠けるわな」

そう言って、黒田なりの自虐を交えた考察が並べられた。

「なるほど……。しかし、扱う側の問題言うたら、瀧川と兄貴の関係もまた然りという……」

久保山の言葉に、黒田もただ黙って頷いた。


 そのまま会話は、またしばらく途切れたが、それに耐えられなくなったのか、久保山が話を再開し、

「そう言えば、さっき、ワシが竹下について、『兄貴が否定しとったイタコみたいや』と言った傍から、その兄貴の『イタコが居らん』っちゅう考えそのモンが、竹下あいつの存在で、否定されたという様なことを、黒田はんは言いはりましたよね? あいつが何か言おうとしたのを遮って……」

と、藪から棒に確認してきた。

「ああ、せやな。本物のイタコが、俺らの目の前に現実に居ったから、幸夫の考え自体が間違っとったと、単に言いたかっただけや……」

適当に返した口調の黒田に対し、

「あん時、黒田はんは、そう言いながら、右手の甲を左手で数回軽く叩いとりました。ワシの記憶が確かなら、兄貴が、『こいつは嘘を付いて誤魔化そうとする時、必ずそうするんや』と、言っとった記憶が、微かながらあるんですが、ひょっとして、何か嘘付いてはったんですか、あん時?」

と、踏み込んで尋ねてきたので、黒田は一瞬たじろいだが、平静を装った。


「俺にそないな癖があると、言われてみれば、アイツはよう言っとったな……。今回は、たまたまそういう時に、そないな動作をしただけやで。実際、今回の件で、俺が嘘を付く理由がないやんけ?」

視線を外に向けたままで、そして、その癖が再び出ない様に、密かに気を付けながら、黒田は反論してみせた。

「そんならエエんですけどね……。まあ、確かに、黒田はんが嘘を付く理由もあれへんな。ワシの言うことに、そのまま同調して付け加えただけやから……」

久保山はそう言って、一見納得したかの様に振る舞ったが、さほど間も置かず

「まあ兄貴も満足してるんとちゃいますか……。ワシは何とも思っとらんですが」

と意味ありげに呟いてみせた。


 この時黒田は、おそらく久保山が、あの時の自分の言動の目的について、察していたのだろうと思った。本来であれば、久保山に本橋の「情けない」ところを見せない様にしたいが為の、竹下の発言に対する、意味のない嘘の目的を持った割り込みだったが、その目的は機能していなかったことになる。


 竹下の推理通り、黒田は、当時の本橋が、恐山を訪ね、イタコに日向子の霊を呼び寄せて欲しかったのではないかと確信していた。しかし、本橋の性格から、例え私的な日記の様な形であれ、体裁の悪さを書き残すことは止め、強がりを代わりに記していたと言う確信も同時に持っていた。竹下がその推理を久保山に伝えるのを、何とか避けようと、敢えて会話に割り込んだという訳だ。


 無論、黒田が割り込む為にした話自体は、内容そのものは、明らかな嘘ではなかったが、それ自体を竹下に伝えたいという意図は全くなく、やはり、目的として完全に嘘だったということになる。


 しかし、その嘘は、あくまで死んだ本橋のメンツを弟分の前で守る為だったのだから、許される嘘だと、その時の黒田は考えていたのだが、いずれにせよ、久保山には、真意がバレバレだったとすれば、むしろ情けないのは黒田自身の方だったかもしれない。


 そして、黒田が、「目的が正しければ嘘も許される」と、強く考える様になったのは、本橋との中学時代のエピソードも強く影響していた。


※※※※※※※


 中学3年の夏休み、黒田は、夜中に本橋始め友人達と学校のグラウンドに集まり、暗がりの中ダベっていた。その際、大した意味もなく、適当に黒田が投げた石が、運悪く校舎のガラスを直撃して割り、宿直していた教師に見事に全員捕まった。


 その時、高校に推薦で行こうとしていた黒田の内申のことを考え、本橋が「自分が石を投げた」と申し出ていた。内申という意味では、常にギリギリのラインに居た、否、もっと正確に言えば、恩師の働きかけがなければ、既にラインアウトしていただろう本橋の方が、余程危険だったはずだが、本橋は躊躇がなかった。当然、学校どころか地域一帯を、不良で鳴らしていた本橋の言葉はそのまま受け止められ、黒田には何のお咎めもなく解放されたが、本橋は教師にぶん殴られて、顔に痣を作っていた。幸い、それ以上のデメリットは本橋にもなかったが、黒田にとっては本橋への大きな借りとなったのも当然だった。

 

 当然、黒田は本橋に深く詫びたが、本橋は、

「公夫や公夫のオトンやオカンには、相当世話になったんやから、こんぐらいのことは何でもあらへんよ。それより、お前の推薦がオジャンになる方が遥かに問題や。そもそも、悪気もなかったんやし、こんぐらいの嘘は方便として許されるやろ? 目的が正しい時には、嘘も貫き通せば、ある意味、真実になるんやないか?」

と言ってのけ、大声で笑っていた。


 結局、黒田は、そのまま本橋の厚意に甘えてしまったが、あの時の本橋の言葉が、大袈裟に言えば、黒田のその後の人生での1つの処世訓になっていたのだ。そして、今回は、本橋のメンツを守る為、竹下の発言を封じようと、意味もなくわざわざ話を遮ったという訳だった。


※※※※※※※


 久保山からは、それ以上の追及はなかったが、しばらくの間、黒田の手元を注視していた様な気がしたのは、黒田の自意識過剰だったのか、はたまたそうではなく、事実だったのか……。

 

 ただ、久保山は何も無かったかの如く、

「さっきの色紙の話ですが、改めて埋葬しに行く時は、黒田はんも同行よろしくお願いしますわ」

と、話題を変えてきた。

「勿論構わん。と言うより、俺も一緒に行かんとならんやろ? ウチの連絡先、まだ持っとるか?」

「いや、前回のあの態度見て、こりゃもう一生会えんわと……」

おそらく、黒田の電話番号などが載った電話帳や携帯の情報は、二度と会うこともないと、そのまま捨ててしまったのだろう。バツが悪そうに口を濁した久保山をよそに、黒田は敢えて軽く、

「何か書くものあるか?」

と要求したので、久保山は、まだ持っていた「牙仲」と書かれた紙片とペンを渡し、空白部分に、黒田は自分の携帯の番号を書き込んだ。そして、

「出来れば定休日がエエわ!」

改めて、都合の良い日を伝えた。


「こっちは正直何時でも暇ですさかい、黒田はんに合わせますわ!」

久保山はそう答えた直後、

「そう言えば、日向子さんが居たという養護施設、まだあるんやろか?」

と言う言葉が、すぐに口を付いていた。どうも、久保山は、話に切れ目を作りたくないのではないかという印象を、黒田は受けていた。


「まだあるで。今でも俺らが通っとった小中(学校)に、施設の子ども達は通学しとるはずや」

黒田はそう答えたが、

「その施設に、ワシが兄貴から生前預かっとった300万に、ワシからの200万の合計500万、寄付させてもらえないやろかと考えとるんですが?」

と、久保山は思わぬ提案をしてきた。


「いやいや! それは当然受け付けてくれるやろ! 確かに幸夫のその金は、おそらく瀧川から流れた金やろうから、そういうことに使う方が、アイツも喜ぶんやないか? エエ考えやと思うで! 確か『健育園』とか言う名前やったはずやから、電話帳かネットで調べて、直接問い合わせたらエエ」

黒田もそう賞賛した。ところが、

「話はまるっきり変わりますが、黒田はんは、最近ベイスターズの試合応援に行っとりますか?」

と、いきなり話題をまたまた変えてきた。その変わり身の早さに、「いくら何でもやり過ぎやろ……」と、黒田もさすがに面食らったが、今回に限っては、あんまり「偽善くさい」話を長々としたくなかったのだろうと、久保山の心境を改めて察し、

「今年は、あの森監督までシーズン途中でクビになって、久しぶりにダントツの最下位やったから、行く気もせえへんかったわ……」

と、敢えてそのまま乗ってみせた。


「確かに今年は酷かったですわ……。精神衛生上、7月以降はスポーツニュースすら見いひん様になってしもうて……。4年前に日本一になったとは、到底思えんぐらいの低迷やった……」

久保山もそう嘆くと、一瞬絶句したような形になった。しかし、

「ここまで酷いことは、もうないやろと思うとります。来年は、しばらくぶりに、一緒に甲子園に応援に行きましょうや」

と、急に誘ってきた。ここに至って、さっきから立て続けに話し続ける久保山の本音は、しばらくぶりに野球に誘いたいが、それを言い出すタイミングが取れず、間を測っていたこともあったかと合点が行き、厳つい男の繊細な部分に、内心笑みがこぼれていた。


「あそこは、最近、トラキチ共が調子に乗っとるから、余り行く気もせえへんが、まあ、しばらくぶりに行ってみるのも悪くはないか……。それにしても、我がベイスターズの来年の監督は、誰になっとるやろな」

黒田は、そう言ったが、これ以降の横浜ベイスターズは、2人の願いも虚しく、2016年に3位に滑り込んでAクラスに復帰するまで、長期の暗黒期に入ることになる。


 その後、再び視線を向けた窓から見える、雨に濡れる大阪中心部のキラキラしたネオン街を目にしながら、

「たまには、大阪中心部こっちに出てくるのも悪くはないか……」

と、黒田は心境の変化に無意識に反応して、1人呟いていた。

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