第208話 名実117 (277~279 竹下、大阪府警に出向く1)

 部屋に入ると、竹下はすぐに西田に報告を入れることにした。待ちわびていた西田は、さすがにすぐ電話に出た。


「何やってんだ、遅いぞ! こっちから掛けようかと思ったぐらいだ! で、どうなった?」

口調は怒り気味だったが、西田のはやる気持ちは、竹下の新たなる報告に、既に行っているようだった。竹下はその期待に応えるべく、さっきは話せなかった、本橋が犯した3件目の事件についての、テープと日記の中身から語り始め、最後まで説明を終えた。


※※※※※※※


「なるほど……。これで完全に、本橋の殺人全てに瀧川が絡んでることが証明出来るな」

西田は力強く言った後、

「既に、さっきの電話の後、大阪府警とは連絡取り合って、今、あっちでも慌てて緊急会議招集したらしい。道警こっちは既に、刑事部長と連絡はなしが付いて、その部長が府警の刑事部長と話したそうだが、会議はまだだ。ただ、こうなってくると、他の事件に絡んでる兵庫(県警)やら本庁(警視庁)やらにも、こっちから連絡しといた方が良いかな? まあ、府警の方にそれは任せた方がいいのかもしれんが……」

と思慮しながら、割とゆっくり喋った。


「佐田の事件以外は、広域事件で一括扱いしてましたから、それらは府警に任せて良いと思いますよ」

竹下はそうアドバイスしたが、

「そうそう! うっかり大事なことを忘れてましたよ! 今回のこのテープと日記の押収過程は、一切明かさないということにしたいんですが?」

と、急に思い出した様に西田にお伺いを立てた。


「え? ちょっと待てよ!? お前、そうなると、裁判の証拠採用で、色々と問題が出るかもしれんのだぞ!?」

西田は想定される懸念をストレートに伝えた。その意図を説明せず、ただ「過程を明かさない」と伝えられただけなら、竹下をよく知っていて、どういう人間かわかっている西田でも、そのまま受け入れる訳にはいかないのは当然だ。


「言われる前から、勿論それはわかっていますが、どうしてもそうしたい理由があるんです! 最終的には、自分が記者であることを利用して、取材源の秘匿で切り抜けようかと」

「取材源の秘匿? いきなりまた報道の自由だったか? の話になるが、かなり微妙じゃないのか?」

「まあ、完全に認められるかどうかは、確かに微妙です。特に刑事事件の場合には……。ただ、今回の件は、犯人が誰かと言ったことではなく、証拠の入手経路についての秘匿ですから、何とかなるんじゃないかと……」

竹下はそう前置くと、黒田と久保山にした様に、今回の本橋による死後の「暴露」が、どういう経緯で、そして、どのような本橋の思いで行われたかの推察について、既に西田もある程度理解している部分も含め、詳細に説明した。それが、2人の関与を表沙汰にすることで、危険に晒したくないという、本橋の遺志だったことは特に強調した。


 竹下からの説明で、西田としても、本橋と黒田や久保山との関係の強さ、そして手紙に秘められた思いについて、大雑把ではあったが、思いをせることが可能となっていた。言うまでも無く、西田自身もまた、7年前に本橋との直接のやり取りがあったからこそ、本橋が何故、今になって瀧川を売り渡すに至ったかについては、容易に理解出来ていた。


「そうか……。理由わけは理解した……。ただ、それが裁判上許されるかどうかは、俺の一存とは無関係の所にあるからな……。かと言って、竹下が最終的に個人として責任を取るとなれば、正直、見守るしかないとも言える。幸い、証拠自体の証明能力は、瀧川の声紋やら日記の内容、そしてそれに付着しているだろう本橋の指紋と併せて、まず問題はないだろうから、証拠能力(作者注・証拠が裁判上採用されるかどうかという意味。「証拠の証明力」とは、証拠により、事実関係を推定させることが可能かどうかという意味で違う)の方が、『取材源の秘匿』で何とかなりそうなら、最終的に、裁判上の有罪立証は問題ないんじゃないかな……。その上で、お前自身が裁判に呼ばれて、入手ルートについて色々問われる可能性は、わかってるとは思うが、覚悟しといてくれ。それにしても、認めてくれるといいがな……」

西田は、竹下のやり方を貫く場合、裁判上、証拠として採用されるかについては、竹下の責任がかなり大きくなることを指摘したが、同時に、その意思が尊重されることを、心底願っていたこともまた事実だった。


「それは仕方ないというか、覚悟してますが、府警あっちの方には、西田さんからもよろしく言っておいてください。色々我儘わがまま言ってスミマセン」

竹下は丁重に頼んだ。

「その件についてはわかった。ただ、お前が謝る必要はないぞ! こっちの方が、よっぽど迷惑掛けてるんだからな! 今回も竹下抜きでは、こんな成果は間違いなく得られなかったはずだ。これは単なる事実だから……」

西田は、恐縮する竹下にそう伝えたが、言葉にした通り、竹下の存在抜きに、今回の重大な証拠物件の回収はあり得なかったろう。そもそもが、本橋から遅れて届いた暗号文の解読すら、おそらく出来なかった公算が高い。


「そう言ってもらえると、こっちもホントに助かります」

「あのな、お前にそんなことを言われると、まさに俺の方が困るんだよ! 96年の春、お前が辞めることになったのは、口にこそしてないが、どう考えても警察そしきのやり方に、大いに不満があったからなんだろ? 圧力に屈して思うように捜査が出来なかったからな、最終的に……。新聞記者になりたかったってのは、理由として二の次だったとしか思えん。あの時は、それはそれで仕方ないと思いつつ、俺は俺で、そんな思いをさせたことに対して、上司として強く思う所があったんだ……。おそらく、沢井(課長)さんもそうだったと思う。だから、俺に、お前から礼を言われる資格も筋合いも無いんだよ。あの時の借りを、今になって少しは返せたかどうか……。その程度のもんだ」

西田は、竹下の言葉に対して、敢えて熱い気持ちをぶつけたくなっていた。


「それは違いますよ、西田さん! 結局、自分が逃げたんですよ! なかから変えることを諦めてね……。丁度、新聞記者への転職のタイミングが合ったから、それを口実に逃げ出しただけなんです。でも、捜査が中途半端になった無念は、前に言ったように、一方でずっと抱えていましたよ、やっぱりね……。それが今回の大阪の捜査……。捜査権限もないのに捜査ってのもアレですけど、それで、少なくとも、今の記者としての自分に出来ることは、ほぼ全部やれたかなという気持ちで、昔の後悔もかなり解消出来たと満足してます。そういう意味で、心の底から、西田さんに『大阪に行ってくれ』と要請されたことが、ありがたかったと思ってるんですよ、今回は」


 竹下の言ったことは、西田の謝罪に対する、形ばかりの社交辞令だけでは決して無く、と言うよりは、ほぼ本音だったのだろう。それは西田にも十分伝わっていた。そして、西田自身もまた、その言葉に救われたのは必然だった。


 これにより、捜査が終結した訳でもなく、まだ残っていることも多い。しかし、少なくとも、竹下が今出来る限りのことを、全てやらせてあげられたことは、西田にとっても十分に、95年の心残りを解消出来るだけの成果だった。お互いに、あの95年の不完全な、心に引っかかったままの捜査が、ひとまずは一区切り迎えた瞬間でもあった。


 思わずホロリとして、次に言うべき言葉に迷った西田だったが、

「とにかく、その件はわかったから……。府警の方にも伝えておくよ。そもそもだ。警察が新聞記者に指示して捜査させたなんてことは、どっちにしろ、表沙汰に出来るはずがないんだよ! よく考えたら、竹下が記者ルートで独自に調べ上げて、警察に持ち込んだってことの方が、こっちとしても都合がいいわな」

と言って笑った。

「確かに、言われてみれば、そりゃマズイですよね」

竹下もそれを聞いて苦笑いしていたが、2人にとって、本橋の仕組んだ時限式の暴露が、7年の捜査の隙間を埋めるだけでなく、お互いの環境の変化を、一瞬だけ巻き戻すことに成功していたことに、何となく気付いていたのかもしれない。


「とにかく、府警側からの連絡が来ないと話にならんが、おそらく、このままだと深夜になりそうな感じだから、竹下に、明日以降の行動について指示出来るのも、かなり遅くなるだろうと思う。場合によっては、明日の朝になるかもしれんぞ」

西田の発言は、決して脅しではなく、大阪府警にとっては、西田達以上の青天の霹靂だけに、かなり混乱することが想定出来た故のものだった。


「自分の方は、何時でも結構ですが、午前1時過ぎたら、連絡は朝にしといてください。眠気のある状態で聞くと、重要なことを忘れそうですから。7時前には起きてると思います」

竹下はそうリクエストしたが、

「さすがに日付変わったら、明日の朝にした方が良いだろうな」

と、西田もそれが最適な選択だと支持した。


 会話を終えると、今日の疲れを取るため、竹下はシャワーではなく湯船に浸かり、ゆったりとしながら、今日1日のことを思い返していた。たった1日だったが、竹下の人生の中でも、非常に濃い1日だったことは間違いない。


 そして今、本橋が天国か地獄のどちらに居るかはともかく、今日の竹下の「仕事」を、彼ならどう評価するだろうかと、ふと考えても居た。自分の考えていた様に行動したと満足するのか、余計なことまで仕出かしたと怒り狂っているのか、はたまた苦笑いしているのか、それとも竹下が何か気付かなかったことがあると、喜んでいるのか、残念がっているのか……。


 ただ、その出来に対する本橋の感想がどうであれ、本橋が抱いているだろう感情について、確実に1つは推測出来ていた。それは、「人でなしの自分にも、まともな知人が居るんだぞ」と、竹下に対して、少々自慢げな本橋の姿でもあった。


 確かに、黒田も久保山も、癖はかなり強い人物だが、本橋にとってかけがえの無い、良い仲間だったことは間違いないはずだ。その仲間への本橋の思いも、イタコ代わりとして、自分が何か伝えられたのなら、仮にそれが不完全であったとしても、或いは、本橋に良い様に使い走りにされたとしても、本橋との「勝負」を度外視したところで、竹下は清々しい思いに駆られていた。


※※※※※※※


 結局、西田の懸念は当たり、府警から連絡が来たのは、既に日付が変わった、10月7日の午前1時過ぎだった。府警からは感謝が伝えられたが、最初に瀧川を取り調べる必要があるのは、時効の関係で道警側(つまり佐田実の殺害事件が、最も時効に近い)にあるという点については、やはり問題となっているようだった。


 瀧川を逮捕した後、道警側にまず瀧川を引き渡すのか、大阪で留置したまま、道警に出張ってもらって取り調べさせるのかは、道警と府警との協議が必要となる訳だ。


 これについては、西田に決定権があるはずもなく、上層部に任せるより他にない。それよりも、問題は、証拠物件が表に出てきた過程をどうするかだ。電話の相手である、大阪府警捜査一課長の室野に、竹下の提案を話すと、大阪府警側は、府警の捜査員が、証拠を確保したという流れの方が、竹下にも迷惑を掛けずに済むだろうと提案して来た。


 ただ、こうなると、証拠の確保という「手柄」は、一般人である竹下どころか、大阪府警側に勝手に設定されることとなり、竹下に譲るならともかく、西田としては、内心「横取りされる」という不満は持っていた。


 しかし、そうだとしても、竹下をわざわざ面倒なことに巻き込むぐらいなら、最も重要な、大島海路と瀧川の佐田実殺害についての関与が明らかになった以上、「頭と尾っぽはくれてやれ」という思いも抱く様になり、渋々であるが了承した。問題は、竹下が納得出来るかどうかだが、今回の竹下の話を聞いた限り、黒田と久保山のことを考えて、やはり納得するはずだと確信してもいた。


 夜が明けてから、7時ジャストに竹下に連絡して、証拠についての沙汰を知らせると、やはり特に不平を漏らすこともなく、思っていた以上にすぐに容認した。やはり、一番重要なことは、本橋の遺志に沿うことだと認識している様だった。ただ、最終的にそれで良しとするかは、府警側の提案する入手経路の作り話次第と、西田に伝えてきた。


 その上で、昼前に、大阪府警の刑事部に証拠物件を持ち込み、精査してもらうことを西田は竹下に指示した。そして、今回の件を担当してくれることになった、捜査一課長・室野の連絡先を教えた。府警に出向く際、先に連絡しておくべき相手だった。


※※※※※※※


 午前10時半に、竹下が室野に直接連絡すると、やはり12時前には、府警庁舎に証拠物を持って来てくれと依頼されたので、竹下はタクシーを拾って、大阪府警へと向かった。


 庁舎1階の受付近くのロビーで、課長自ら出迎えてくれているというので、辺りを見回すと、どうも見たことのある顔の男が視界に入ってきた。そしてその瞬間、室野が95年当時、大阪府警の捜査一課の係長として、共に本橋の取り調べを行った相手だと竹下は気付いた。


 一方の室野も、竹下を視認した直後、驚いた表情を見せて、徐々に近付いてきた。そして、

「あの、道警の方から、新聞記者の竹下さんという方が来ると連絡を受けていたんですが……。ですよね?」

と訝しげに尋ねてきた。おそらく、当時刑事だった竹下が、新聞記者として現れたという点を、どう理解して良いか計りかねていたのだろう。


「7年前はお世話になりました」

そう竹下が切り出したので、

「ああ! やっぱりそうですよね!? で、本当に記者に?」

と、改めて確認してきた。

「いやあ、そりゃ驚いたでしょう。実際、道警の方は、あの翌年の春に退職して、新聞記者に転職したんですよ。今回は、西田が札幌を離れられなかったのと、事件について詳しいのが、今は部外者の私ということで、特別と言うか、隠密にこっちに派遣されましてね……。で、何やかんやで本橋が遺した、瀧川や大島海路の関与した証拠を入手することに成功したんですよ」

「なるほど! その『何やかんや』はともかく、新聞記者がどうして道警の捜査に関わってるか、理解不能だったんですが、元道警の竹下さんだったとなると、その点は納得出来ましたよ。あ、ちょっと待って下さいよ! ということは、さっき自分が会話してた、道警の西田課長補佐ってのは、あの時の西田さん?」

さすがに、「もっと早く気付いてもいいんじゃないか?」と思いつつ、

「勿論そうですよ。とは言え西田の方も、室野課長が、あの時の室野係長だったとは気付いてなかったと思いますけどね」

竹下はそう言うと笑ってみせた。


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