第188話 名実97 (232~233 本橋からの時を越えた指示1)


 最後まで読み終えた瞬間、竹下は思っていたより直接的な本橋の言葉に驚き、手紙に視線をやったまま、思わず久保山に言葉を発していた。

「久保山さん、これって……。このタツカワってのは、あの葵の瀧川ですよね?」

「そりゃそやろ。それ以外考えられんわ!」

久保山はちょっと呆れた様な口ぶりだった。


 竹下自身、本橋が、佐田実殺害について、何か重要な情報を明かす可能性を高いと考えてはいた。だが、まさか葵一家トップであり、本橋が若い時分より世話になったはずの瀧川組長について、「罪を償わせる」と宣言してくるとは……。現実問題として、相当のインパクトがあったわけだ。佐田実の殺人に関して、大島以上に立証が難しいと考えていた瀧川について、ここまではっきりと言及してくるとなると、かなり具体的な事実か証拠が、更に控えている可能性が出て来た。


 西田や竹下宛の手紙には、表の文面とは真逆に捜査についてのヒントを与え、信用していた久保山には、頼み事と昔話を装い、その捜査に対する協力を依頼していた。本橋に一連の殺人を依頼したと思われる、瀧川への復讐心の強さと、「親を売った」と、死後ですら批判されることを恐れた、ヤクザとしての自己保身が相まって、ここまで面倒な手法を生み出させたのだろうか?


「久保山さん、これは、瀧川を裏切るってことですよね?」

そう言ったまま、面前の男を凝視した。

「ああ。ワシも坊さんからこれを受け取って、読み取った時、心底驚いたもんや……。兄貴は頭が相当キレる割に、時に粗暴な所もあったし、銃器チャカの密輸にも関わっとったから扱いも馴れとったし、薬物シャブの密輸にも関わるような、大きな悪さもしとったのは確かやけど、自らばらしなんぞやるようなタイプのヤクザじゃあなかった。ということは、何やら抜き差しならん理由わけがあったのは、直接事件に関係しなかったワシでも、兄貴が逮捕された時点でようわかっとった」

そう言った時の久保山は、当時を思い出したか苦渋の表情を浮かべた。


「兄貴が破門された……、というより実態は、自ら責任を取る形やったが、兄貴から組を抜けた理由わけが、子分の不始末やったと言うんは、破門の後で兄貴から直接聞いてたわけや。その後、兄貴が連続殺しで捕まってから、瀧川への何らかの『義理立て』が、それと関係してたんやないかということは、ある程度はワシでも予測出来とった。兄貴のその暗号は、明らかにそれを意味しとんのやろ。瀧川からの依頼があったことをな。そして、その件で、瀧川を告発する決意をしたっちゅうことやろ」

そこまで言うと、久保山はタバコを取り出して火を付けた。


「ただ、既に犯行中じっこうちゅうにも、兄貴とは何度も会っとったことに、今思うとなるんやが、その当時は、一切何も言っとらんかった兄貴が、わざわざ死刑になってから、こないなことを伝えてきたとなると、こいつは偉く重みがあることやと思ってな……。何かあったんやろなあ、獄中で事情や心境の変化が」

そう語ると、煙を強く吐き出し、もう一度くわえ直したものの、すぐに口から離して、話を再開する。


「それで、あんた方に出す方の手紙に、きっと何かヒントがあるに違いないと、差し出す前に、何とかおのれで読み解こうとしたんやが、これが全くわからん。少なくとも、『黒田はん』について何か聞いてくることは、こっちの手紙ではっきりしとったから、それを匂わせるような文が、おそらく隠れとることだけはわかったんやけどなあ……。ただ、余りにも文字がキレイに並んどったから、そこだけは度肝を抜かれた記憶があるわ。同輩同士のやり取りやったら、到底あり得んわ! 刑務官やら警察ポリに『何かある』とバレる可能性が高くなるからな。ただ、そこはさすがに兄貴やな。どうやっても読み取れんかったわ。しかし、あんたらはそれを読み解いたからこそ、タダノ、つまり黒田はんについて知ったんやろうけど」


 この久保山の一連の話は、竹下にとって非常に興味深い内容だった。まず、95年当時に話を聞いた、大阪府警のベテラン・マル暴刑事の話では、いわゆる横方向に読み解く手法を、「かなり重要な案件について、(組の)幹部の間でしか使わなかったような特殊な方法」と言っていたのだが、少なくとも、構成員時代にも幹部クラスではなかった久保山が、普通に理解していたことは間違いないという点だ。


 そして、「あからさまな横のキレイな配列」は、久保山からすれば「度肝を抜かれる」程あり得ないということだった。つまり「わかりやす過ぎて、隠れた意図を伝達するには危険」ということなのだろう。そのことで、竹下は椎野が本橋に送った「題名の選択」で、本橋が「CROSS」ではなく「JAYWALK」を選択した理由を初めて理解出来た気がした。


 椎野は「本職」ではなく、手法を聞いただけで実践したため、配列をわかりやすくし過ぎたのではないか。そして、本橋はそれを見て、単純に横に読み解く「CROSS」では、中身を外部に知られる危険性があると、斜め横断の「JAYWALK」を選択せざるを得なかった可能性が高いのではないか。


 そこで、本橋がバレにくい方を選択したのは、通常であれば、自白を強要するような文面が「外部」にバレるのを避けたという解釈になってくる。つまり、ストレートに考えれば、その時点では、瀧川に対する復讐心はなかったからということになる。


 しかし、97年の死刑から、5年の期間を待って復讐に乗り出すような本橋のことを考えると、敢えて「泳がせた」ということすら、僅かだが可能性はあった。95年の8月辺りから、面会に急にやってきた椎野は、同席している刑務官の手前、あからさまな協力要請はしていなかったとしても、死刑確定後、「今が自白のタイミング」と、いきなり暗号文で切り出していたのだから、全く何も事前に示唆すらしていなかったというのも、考えにくいからだ。


 すると、具体的ではないが、本橋レベルの頭脳なら、死刑判決が確定した後、何か協力させられる可能性があることを、死刑確定前に相手の出方から察知していた可能性は高い。


 勿論、それよりはるか前から、「こんな目に合わされた」原因になっている、瀧川相手に、復讐してやろうという考えがあったというのも、可能性としては低いが、全く無いとは言えないようにすら思えた。もしそうなってくると、椎野に「わかりづらい」方法を取らせたのは、全て最後にひっくり返す為の面従腹背の一手だったこともあり得なくはない。


 ただ、さすがの竹下も、そこまで考えていると複雑になり過ぎて、考えるのを一度止めた。本橋の頭脳を加味すると、余りに選択肢が広がりすぎるからだ。同時に今、何か特定の説を取捨する意味も無ければ、本橋の意図をそこまで読み解くメリットもない。それを今から、論理的に推測するだけの材料もないだろうという考えもあった。


 そうして竹下は、話を、「斜め横断」を本橋が選択した時点に戻して、そこからの推理に切り替えた。訳がわからなくなってきている事態に、そのまま嵌まり込むのを避けたいという思いも密かにあったが、それを恥じている場合でもない。


 本橋が、わかりづらい手法を椎野に取らせた判断も、結局は、竹下と遠軽署刑事の合力によってその暗号を読み解かれてしまった。ただ、本橋としては、そうであるならと逆にバレたことを利用したのだろう。つまり、西田や竹下に向けた手紙だけは、わかりやすくする為、横の配列を揃えていた、そういうことだったわけだ。


 一見ただ複雑で、人の頭をむやみに悩ませるようだが、実は懇切丁寧且つ論理的な読解を前提とした暗号文に、本橋が、竹下達にとってのわかりやすさと、知られたくない他の人間へのわかりづらさのはざまで苦心した跡を推測出来た。


 あの95年秋、西田や竹下を試すような不遜な態度に徹した理由も、警察を小馬鹿にするという意味以上に、道警がいぶからやって来た、刑事達の力量を試す意味があったのだとすれば、単に元来の性格によるものだけではなかったということになるが、実際はどうだったのだろうか。


 西田の話では、遠軽署での取り調べで、竹下が椎野からの暗号文を読み取ったことを本橋に突き付けた際、一瞬だが喜んだように見えたという。竹下は、目の前の本橋を追及するのに躍起になって、それには気付いていなかったが、それが本当ならば、「この手法はこいつらには使える」という手応え故の反応だった可能性があるということなのだろうか。


 そして、シャーロック・ホームズの作品になぞらえて、自分が工作のために自白させられたと、かなり遠回しに「自供」したのは、本橋の「余計な工作に自分の死を絡めて利用された挙句、余計に怪しまれることになった」という隠れた怒りの表明と当時見ていた。同時に、ヤクザとして本当のことを明かせないからこそ、よく考えないとわからないような、非常に回りくどい表現になったのだとも考えていた。


 しかし、こうなってみると、その怒りを「後」から表沙汰にするための、ある意味7年後の西田や竹下へ協力依頼を目的とした「手付金」だったのかもしれない。或いは、2人の捜査への士気や意欲を維持させる意味があったのかもしれない。考えれば考える程、死んだ本橋の才覚とその幻影に悩まされることに、竹下は内心腹立たしさすら覚えていた。


 加えて、久保山への手紙の暗号から見えた、「真意」について考える限り、西田が言っていたように、手紙の宛先である西田と竹下の少なくともどちらかが、タダノについて聞いてこない限りは、久保山は答えるつもりはなかったということになりそうだ。


 久保山の口の堅さについては、自らが指示されて起こした殺人未遂の件で実証済みであり、本橋から久保山に向けた手紙でも言及されていた。おそらく、どんな刑事が別件で引っ張って取り調べたところで、西田の読み通り、何も出て来なかったに違いない。


 そして竹下は、幾つか気になる点を久保山に確認することにした。


「聞いたところでは、このような手紙を用いた暗号の手法は、組の幹部のような人達しか使わないとあったんですが、大変失礼ながら、久保山さんは幹部までは行っていなかったと聞いています。それでも知っていたというのは?」

「あんたも、まあ丁寧な言葉で、大胆に失礼なことを聞きよる」

そういうと久保山はニヤリとしたが、

「正確に言えば、幹部になるような頭のヤクザ以外では、そうそう使えんってのがホンマの所やね。ただ単に、横に読むのは難しくはないが、ヒントを読み解く勘が必要やからね。ワシも、本橋の兄貴なんかから丁寧に教えてもろたから、多くのパターンを読み取れるようになったんやけど、己で手紙自体を作れとなったら、そりゃエライ厳しいわ。そのまま通じる文章を書いて、更に横方向にも文章つくらなアカンわけやから」

と答えた。そして、

「本橋の兄貴は、学のないワシら相手に、色々と常識クイズみたいなことをやって、答えられないと『ホンマに自分らはアホやな!』と笑い飛ばすところもあったんやが、その内実、きちんとそういう連中を、最後まで面倒を見る侠気おとこぎに溢れてもいたわけや。破門されなかったら、近い内に自分の組持てたはずやのに、こんな結末になってしもうて……」

と語ると、やや辛そうに顔を伏せた。


「破門される直前には、『新しく立ち上げる組の名前まで考えとる』と言いはってな……。そんで出て来た言葉が『カンポウ組』や。兄貴が好きな……、というより、処世訓として大切にしとった言葉らしい。組を立ち上げる際には、自分で組の看板に名前を書き入れる為、書の腕を上げようと、わざわざ書道教室に通っていたそうや。その時に腕試しに書いた色紙を、捕まる前に『破門になったし要らんわ』とワシに譲ってくれた。そして、それがあそこに飾ってあるわ」

そう言うと、久保山は元ヤクザらしく、室内にある神棚を指差した。


 そこには、確かに「管鮑之交かんぽうのまじわり」という言葉が、達筆とまでは行かないが、味の有る力強い字で書かれた色紙があった。


「なるほど。幼い頃からの深い友情を表す『管鮑の交わり』の『管鮑』でしたか」

その言葉を聞くと、

「ほう。あんたもさすがに学があるな……。ワシがちょうどその話を聞いたのが、出所してから兄貴のツテで勤め始めた千田金融うちでようやく落ち着いて、一緒に飲んどる時やったわ。『中国の古い言葉や。聞いたことないやろ?』と言われて、『全く聞いたこともないですわ』と正直に言うたら、突然、割り箸の袋に字を書いて説教されてな……。そん時に意味や成り立ちを初めて知った。『ヤクザの世界だけやのうて、人間にとって重要なのは、つまるところ義理や友情なんや』と……。まあ、それはエエとして、だが、あの字を見てもわかるように、アワビちゅう字が入ったヤクザの組名は、どう考えても、さすがにあり得んやろ?」

と、竹下に問い掛けた。竹下としては、頷くでもなく否定するわけでもなく、苦笑いで応じたが、

「で、『兄貴、これは、ヤクザの組名やのうて、寿司屋や魚屋みたいで、エライカッコ悪いですわ』とそのまま言うたら、『そんなことは俺もようわかっとる! 百も承知や! それでも俺はこれがエエんや!』とむくれとった」

と、ふくれっ面を再現しながら喋った。そして、

「せやけど、しばらく考え込んでから、何やら、それよりは、ワシ向きのエエ名前を思い付いたらしく、管鮑と書かれた横に、新たに書き加えてワシに見せたんや。ただ、どんな字や名前やったか、そん時酒をしこたま食らってたもんやから、肝心の部分の記憶が飛んどる……。今から15年以上前のことやし……。ああいう風に色紙にしてくれとったら良かったんやけど……。まあでも、かなりヤクザの組名っぽい名前にはなっとったから、『これなら、管鮑より結構カッコええし、エエんやないですか? 精鋭の極道連中が集まった組みたいで、一目置かれまっせ!』っちゅう感じで、感想を言ったわけや。そしたら、『これやから、ヤクザは学や品が無いと言われるんや! ガキっぽくて、大人のセンスが微塵も感じられん名前や、これは』と言いつつ、ワシが喜んどるのを見て、表情は満更でも無さそうやった。それにしても残念なことに、なんちゅう名前で字やったか……。感想は良く憶えとるんやけど、それ自体が全く思い出せんわ。年のせいか、元々の頭の悪さのせいか……。よくあるやろ? 顔が思い浮かぶのに、肝心の名前が出てこんって奴が。あれと同じや! 今にして思えば、あの袋取っとけば良かったわ……。今から言うてもしゃあないけど」

と、記憶が手繰り寄せられないことを悔しそうに言いつつ、当時の思い出を長々と語った。無論、使命を持ってこの場にいる竹下にとっては、実にどうでも良いことではあったが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る