第186話 名実95 (227~229 久保山から新たな事実を告げられる1)

 案内された部屋はかなり広く、専務や店長と言うだけあって、この事務所のトップの役割のように感じられた。コーヒーか紅茶どちらが良いか尋ね、竹下が紅茶を希望すると、先程とは違う女性職員にそれを持ってくるように指示した。


「いやあ、それにしても、本橋の兄貴……。ああ、本来なら、ワシの親父である吉田の弟分やから、叔父貴おじきと呼ぶべきなんやろうけど、兄貴からは『叔父貴じゃムズムズするから兄貴でエエ』と言われてたもんやから、兄貴呼ばわり出来たんや。そんで兄貴の手紙じゃ、来るのは道警の刑事デカやと書かれていたもんやから、こんな扱いになってもうて、重ね重ね申し訳ない」

女性職員が「注文の品」を持ってくる間に、改めて竹下にそう言って謝罪した。事実、久保山は西田や竹下に、頼まれた手紙を送っているのだから、2人が道警の刑事である(あった)ことは知っていたはずだ。


 しかし、2人宛に送られて来た、2つの手紙の表向きの文面からは、2人共、もしくは片方が、実際に久保山を訪ねて来るだろうことは、直接的にはわからないはずだ(勿論、あの文面だけでも、捜査の為にやって来ないとは言い切れないだろうが)。そうなると別な形で、2人がやって来ることが、本橋から久保山に教えられていたと考えるべきだろう。おそらくそれも、水野住職が渡した、久保山宛の方の手紙に記されていたに違いない。


「いや、こちらこそ申し訳ないです。確かに、刑事が新聞記者に転職なんてのは、そうそうある話じゃないですし、事情を説明しなかったこちらにも問題がありますから」

「そう言ってもらえると、こっちも気分が軽くなるわ」

竹下の言葉に、久保山は少し表情を緩めた。しかし、すぐに刺すような視線を竹下に向けつつ、

「しかし、もう1人の、確か西田とかいう奴も、まさか刑事辞めたんか?」

と確認してきた。


「ああ……。当時私の上司だった西田の方が今、ちょっと事件の捜査で手が離せないのと、私が当時、本橋さん相手に色々取り調べたという縁もあって、敢えて、今は刑事じゃない自分にお鉢が回ってきただけでして。西田の考えでは、事情を聴きに行くのが刑事であるかは、おそらく大して重要じゃないという考えでした。おそらくあなたは、相手が刑事だろうが素人だろうが、無理矢理に口を割らせることが出来るような人間じゃない、そういうことが理由のようです。そして、むしろ手紙が送られた人間の方が、何か教えてくれる可能性が高いと……」

竹下がそう事情説明すると、

「ちょっと事情が掴み切れんところがあるんやが、大方的確な分析やね。とにかく『元』刑事でかっちゅうことで、その点については、ようわかりましたわ」

と、今度は無愛想に喋った。


 その直後、竹下に紅茶、久保山にコーヒーが運ばれてきて、2人は微妙な雰囲気を誤魔化すように、視線も合わせずそれぞれのカップに手を付けて、チビチビと飲み始めた。


 しかし、一向に相手が話始める気配もなかったので、竹下が、

「失礼ですが、久保山さんは、ここではもう長い?」

と遠回しに、いつから千田金融に勤め始めたかの探りを入れてみた。

「豚箱出てから、数ヶ月目からやから、もう18年目になるかな……。最初は取り立てから始まって、まあ性根据えて頑張って、今やこういう立場ですわ」

そのように、自分が務所帰りだということも隠さずに答えた。勿論、竹下がそういうことを把握しているだろうことは、本人が本橋から2人宛の手紙を見ているか見ていないかは関係なく、警察側の調査が入っているだろうことを前提にすれば、そう不思議ではないはずだった。それに、西田達に送った手紙の中身を確認していないことなどあり得ないだろう。


 また、本橋が破門された後、久保山が「義理立てして、助けてくれた」とあったので、その義理とは、ヤクザを辞めた久保山に、本橋が職を紹介したことではないかと思い、

「ひょっとして、この仕事も本橋さんからの紹介で?」

と尋ねてみた。すると突如機嫌が悪くなったように、

「せや。ただ、色々こっちに聞いてくるんは構わんのやけど、それは本題について始末してからでエエんやないか? そないなことの為に、あんたがここに来たわけやないと思っとるんで、こっちは! 兄貴の手紙を読んだあんたが、そこから何か読み取って、それについて聞く為に、あんたらへの手紙を読み取ってだか、教誨師の坊さんにここを聞いてだかはわからんが、ここにやって来た。だったら、その話を早いとこしてもらわんと、時間が経つばかりで埒が明かんやろ!」

そう強い口調で返して来た。色々と聞かれることに気分を害したというより、本橋の手紙を見た人間が、その真意を読み取れたかどうか、それ次第で、久保山自身のこの先の対応を変えるのに、それについて全く触れないままでいることに苛立ちを感じたのだろう。


 竹下は紅茶のカップを皿に戻すと、意を決したかのように、

「ではご希望通り。タダノさんという方、ご存知ですよね?」

と単刀直入に切り込んだ。この言葉を聞いた久保山は、急転直下、満足そうに頷くと、

「お、やはりわかっとったか!」

と笑った。予想通り、久保山はタダノについて知っているらしい。そして、竹下がきちんと、本橋の意図を理解してやって来たことに安心したようだ。


「タダノさんとはお知り合いで?」

「直に会ったことは、十数度程あったかないかぐらいやね。ほとんどが兄貴が捕まる前。兄貴が死んだ後は、確実に2度だけ……。初対面は兄貴と『黒田はん』が飲んどったところに、ワシが兄貴に呼ばれてって感じやったな。そんで、最後は兄貴が死刑になって坊さんが来てから……。知り合いではあるんやけど、よう知っとるという程の仲じゃあないわ」

「うん? 本名はタダノさんじゃない?」

竹下は話の内容から違和感を覚えた。


「ああ、スマンのう。タダノってのは、兄貴だけが黒田はんを呼ぶ時に使とった渾名あだなや! まあ、渾名言うても、常にそう呼んでたわけやないがな」

久保山の口から、予想もしない事実が告げられた。

「あ、そうなんですか! それにしてもまた何で?」

「昔、一度聞いたことがあったんやけど、『面倒や!』と、詳しい話は説明してもらえへんかった。兄貴はしつこくすると、たまにガチギレすることがあったもんやから、触らぬ神に何たらっちゅう奴や」

久保山は、自分の頭にゲンコツを当てる仕草をしながら、痛そうな演技をしてそう答えた。


「それについては理解しました。というか仕方ないですね……。じゃあ、ロッコウとヒナコという言葉については?」

続けて質問すると、素っ頓狂な表情を浮かべ、

「ロッコウ……にヒナコやと?」

久保山は、そう言ったまま、首を捻ってしばらく色々と考えたようだった。そして、

「申し訳ないんやが、それについては、ワシは聞いたこともなければ、意味もようわからへんのや。兄貴が手紙で、どんなことをあんたらに指示しとるか、あんたらに出した手紙を読み解けなかったもんやから、ようわからんのやが、こっちは、黒田はんと面識がある以外のことは、ようわからんから、どうにも答え様があらへんのや! 勘弁してもらう他ないわ。とにかく、こうなった以上は、取り敢えず黒田さんの所へ連れて行って、直接会ってもらうより他ないやろな……」

とだけ答えた。


 どうも、タダノ(黒田)について、こちらが言及してくるだろうということ以外は、考えていなかったらしい。本橋の久保山への指示には、竹下達がタダノについて聞いてくることを窺わせる記述はあっても、「ロッコウ」と「ヒナコ」について聞いてくることは、おそらく無かったのだろう。そうなると、やはり直接黒田に会って確認してみるしかないだろう。そもそも、「真相はタダノに聞け」とまで書いてあるのだから、久保山がどう言おうが、こちらとしては会わざるを得ない。


「そうですか。残念ですが仕方ないですね……。それで黒田さんに会わせていただけるのは、大変ありがたいんですが、さっきおっしゃった通り、本題を今、始末したわけですから、本題以外のこっちの質問も、聞いていただきたいと思うんですよ、よろしいですね?」

竹下は、この流れに乗ってしまうと、そのまま自分の質問を、久保山にスルーされそうだったので、少しだが強気に出てみた。


「あんたもごっついひつこいわあ。まあ好きにせえ! 答えられるもんは、答えさせてもらうよって」

久保山はヤレヤレという空気を隠すこともなかったが、幸い拒絶することはなく、聴く耳は持っていた。


「じゃあ、遠慮なくいかせてもらいます。住職があなたに手紙を渡した際、本橋さんから、あなたに指示を与える手紙か何かがあったと思うんですが?」

「ほう。そこまで調べてきよったか」

妙に感心すると、やおら立ち上がり、自分の机の前まで行くと、机の引き出しに鍵を突っ込んだか、ガチャガチャ音をさせて、中から何やら取りだした。そして、戻って来て、竹下の前のテーブルに、無造作にそれを置くと、

「これや。2通分あるわ」

と、ぶっきらぼうに言って、封筒から、2つにそれぞれまとめられた便箋を取り出した。


「読ませてもらってもよろしいですか?」

竹下がお伺いを立てると、

「いちいち言わんと、はよ読みなはれ! こっちが、兄貴が先に書いておいた奴や。こっちのもう1通は、死刑の直前に書かれた様やね」

と、それぞれを指して説明した。

「じゃあ遠慮なく」

そう言うと竹下は、先に書かれていたという方の便箋を手に取った。


※※※※※※※

(横行37文字を1行で表示出来るモニタ環境必要)


拝啓


 久保山久しぶりやな。と言っても、お前に二度と会えんと思うと、残念

なことやけどな。さて、いきなりであれやが、昨年の夏やったか、お前から

の手紙が届いた後、「以後、一切連絡は要らない」と返事しただけで、大変

悪かったな。実際の所、気使ってもろたとしても、正直意味が無いんで、

心苦しいだけってのもあったんや。高津にも同じ様なことがあったもんやから

あいつにもお前から謝っといてくれ。川西に住んどるはずやから、無理やり

頼んで迷惑掛けて悪いんやが、そんなには時間も掛からんはずや。直接会って

お前から説明してもらえれば、許してもらえるんやないかと思っとる。

 さて、この手紙を教誨師の先生に持って行ってもろたのは他でもない。お前

に別の大事な頼み事があったからや。見たとは思うが、一緒に渡された封筒に

俺を以前に取り調べたデカ宛ての手紙を2つ確認しているはずや。住所がわか

らへんのやが、北海道の確かえんがるっちゅう署の刑事でかの西田と竹下って

奴への手紙や。これだけやと、俺がすぐ出せばええのかもしれんが、訳あって

俺の起こした事件で、時効がちゃんと成立してから出したい手紙なんや。確実

に、死刑はそれより前に執行されるとわかりきっとるもんやから、お前に是非

とも頼まざるを得ないんや。俺があの世から自分で出せたらええんやけどな。

 それと、えんがる署の住所も、調べることが出来ひんから、そこもよろしく

頼むわ。後、時間があれば、えんがるって地名の漢字も調べておいてくれや。

ひらがなやと恥ずかしいからな。色々盛りだくさん頼んで申し訳ないんやが

俺への香典代わりと考えてもろたら、理解してもらえるもんやと思っとるが

甘いやろか?お前なら、やってくれるやろ?

 業務連絡については以上で終わりってことで、後は昔話でもと思っとる。

お前と初めて会ったんは、吉田の兄貴が寿司屋にお前を連れて来て、そこで

直接紹介された時やと思うがどや?一見、優男風やったが、兄貴から色々話を

聞くには、かなり血気盛んで、見た目の印象からは想像が付かないということ

やった。まあその意味は、お前があのデカイ事件を起こしたことで明らかに

なったな。もう明らかに時効やから誰かに知られても問題ないってことで、今

書いちまうが、当時、若頭やった香川の兄貴が黒幕やったと聞いとる。吉田の

兄貴も悩んだようやけど、あの仕事は誰でも頼めるようなもんやないからな。

死刑にはならんとしてもや、出所してからも常にタマを狙われることになる。

ウチの中での扱いは高まるかも知れんが、内心常にビクつきながら生きること

を余儀なくされるわけや。無鉄砲か、キチガイか、或いは忠義に厚いかのどれ

かに該当せな無理や。無論、それじゃ足らんわ。重要なのは口の堅さや。これ

が一番大事やな。口が堅い上に、それらの要素を持った奴はそうおらん。お前

は無鉄砲で忠義に厚い上に口が堅かったらこそ、候補に上がったわけや。兄貴

の指示に従い、文句も言わんと、従順だったことが災いしたって落ちやね。

 しかもお前の真面目さは、その相手のタマを取れなかったことに、そのまま

出たわけや。無鉄砲と言っても、簡単に人を殺れることとはまた別モンなのは

今だからこそ言えるが、俺もようわかった。だが、俺はお前よりも不真面目な

人間やったからこそ、残念ながらこういう最期になってしまったんやな……。

 そして、満期で出所した後で、かつての居場所だった葵に戻ることを諦めて

いたな。その表向きの理由の一つは、既遂に出来んと、重傷を負わせる程度の

未遂に終わったことやったな。一言も言い訳せんかったが、失敗して兄貴の顔

を潰し、合わせる顔がなかったと考えても不思議はないわ。ただお前も知って

の通り、そんなことはなかった。出て来る間際、俺は兄貴の指示で、お前は俺の

子分に鞍替えするはずやった。そうなるとは、実は俺も想定外の沙汰やったが。

ところが、葵の幹部連中も、その案を端からダメとは一言も言わんかったわ。

下手打った上にパクられたもんの、マズイことは一切うたわなかったことの

評価が思ったより高かったわけや。  (作者注・「うたう」=自白する)

 だが、お前は出所後、身を隠すため消えた上、俺がやっと探し出してそれを

伝えても、「大変ありがたいが、迷惑掛けたことは言い訳できん」と拒否

しおった。おそらくだが、お前に言われたことは、お前の本心ではあったと

今でも思っとる。しかしそれ以上に、ためらった理由は、お前が少なくとも

極道としては、将来的に不安を感じたことがあったか、殺そうとしたことその

ものへの悔いがあったかのどっちかやと、俺は当時考えたわけや。

 その上で考えを変えさせるには、俺にもそれなりの説得力が必要なはず

やった。しかし残念ながら、俺にもそこの部分に自信はなかったんやな正直。

そうなればや、俺は引き止めることをためらうようになってしもうた。

 結局、カタギになるのを認める方向へ俺が調整して、息を潜めて暮らす

必要がないよう、裏であっちの組とも手打ちすることで、組に戻る話について

それ以降は組も手を引くことにしたんや。

 誤算は、酒井がそれをお前の耳に入れていたことやな。逆に言えば、俺の

破門の時、わざわざ世話を申し出て、頼りになってくれたのも、それが理由に

なったんやろ?それにしても俺の方が無職になるとは、当時微塵も考えとらん

かったんやが、もし俺がしっかりと世話せず、適当に扱っとったらと思うと、

ちゃんとしといてホンマに助かったわ。

 おまけにその後、俺の方が人を殺めたことで死刑になるんやから、人生なんて

もんは、全く読めんわ。そないなことだけは、俺はないと信じとったからな。

こうなった理由を、今更とやかく言うのはよすが、お前ならそれなりに察して

くれるんやないかと思っとる。ヤクザに生きる限りは、所詮真っ当な死に方は

出来んという覚悟こそ、一応はあったもんの、いざ葬式すら出してもらえんと

なると、偉そうに言うてても辛いもんよ、情けない話やけど現実はな……。

 それでも、結果の全てが己のせいやろと言われたら、何も言い返せないわけ

やから、正直諦めとるんやが、せめて知り合いのお前には、弱音ぐらい吐いても

罰は当たらんやろ。さすがの神様も、苦しませるのには限度があるはずや……。

 おっと、このまま愚痴で終わると、無頼を気取った極道・本橋幸夫の名折れや

ちいと裏切ったんは、お前の持っとる武士の情けで許してや。次に会うとすれば

おそらくは地獄やろうが、そんなもんは、覚悟の上や!ほな地獄でな!


                               敬具


※※※※※※※

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