第185話 名実94 (224~226 水野住職から聴取。そして久保山に会う)
「北海道から遠路はるばる、ようお見えになって! 大変やったでしょう?」
丸坊主だが、如何にも僧侶という印象の、柔和な表情の初老の男性が竹下の前に現れ、そう声を掛けてきた。
「そうでもないですよ。飛行機ですから。それはともかく、北海道警察の西田から連絡が行っているかと思いますが、北海道新報記者の竹下と申します。本日はよろしくお願いいたします」
挨拶がてら自己紹介し、靴を脱いで部屋へと上がった。
既に水野住職は、部屋着のグレーのスウェット上下に着替えていたようで、姿形については、頭と表情以外は僧侶という印象は受けなかったが、落ち着いた佇まいには、ベテランの僧侶という雰囲気は感じ取れた。
居間に案内され、改めて名刺を出して自己紹介し、座布団に座っていると、
「家内が外出してるもんですから、まともにお構いも出来ないのが申し訳ないが」
と言いつつ、お寺らしく、上品な茶碗に入った抹茶と茶菓子が用意され、早速竹下の「事情聴取」が開始された。
※※※※※※※
「既にこちらの用件については、ご存知かと思いますが、97年の10月……、今から丁度5年前になりますか、死刑執行された本橋についてお話を伺いたく思い、訪問させていただきましたので、よろしくお願いします」
「はいはい。
水野は冗談交じりにそう言ったが、実際戸惑いはあったに違いない。
「まずは、本橋についての、当時の印象をお聞かせ願いますか?」
正直なところ、この質問が、この「調査」で必要不可欠なのモノなのかどうかはわからなかったが、通り一遍等のことは聞いておくのは、刑事であれ新聞記者であれ、時間があれば話の入りとしては普通のことだった。
「最近、年齢のせいか、まだらボケが出始めましてな。どうも記憶が曖昧なところがあるもんやから、そこら辺は勘弁していただくとして……」
そう前置くと、
「初めて会ったのが、今から6年前の初夏だったと思いますわ。突然拘置所の方から、『本橋死刑囚が、仏教の教誨師との面会を希望している』という話を受けまして、そこで会いましてん。まあ事件については、こちらとしても色々見知っていたもんやから、宗教家としては失格なのかも知れまへんが、事前に色眼鏡のような部分が全く無かったとは良い切れまへんな。その点においては、自分の坊主としての修行が足らへんかったんでしょう」
そう続けた。更に住職は丸めた頭に手をやり、
「おまけに実際に会うてみると、いきなり『和尚の年齢は幾つや? 健康状態は良好か?』と言ったことを聞きよるもんですから、正直なところ、言葉は悪いが『けったいなやっちゃ』というのが初対面の印象でしたわ。……ただ、ヤクザであることは割り引いても、大それたことを仕出かした人物には、私からは全く見えへんかったのも事実です。そして、長く付き合う内に、何より、頭の回転が非常に速いという印象を受けましたわ。進むべき道を間違えなければ、それなりに大成したかもしれまへんな」
と語った。
この発言は、7年前の大阪府警で話を聞いた、マル暴担当の吉瀬課長の話と符号する部分があった。勿論、竹下や西田の印象とも合致していたのだから、万人の認める所と言い切っても良かった。
そして、重要だったのは、住職の年齢や健康状態を確認していたということだ。若い僧侶ならともかく、中年以上なら、竹下達が読み解いて大阪に聴取しに来るであろう、少なくとも2002年末前までは、健康体で生きていてもらう必要があったわけだから、本橋にとって大きなチェックポイントだったことは間違いない。
「死刑当日まで、本橋はご住職の勧めもあり、勉学に励んでいたという話が、本橋の手紙に書かれていましたが、事実でしょうか?」
竹下は、持参した、西田からファックスされた手紙を差し出して、軽く読ませてから説明を求めた。
「何でも、本橋から頼まれて、私が手紙を渡した久保山さんが、今になってそちらさんに送りつけたようで、何故今頃になったのか、忘れはったのか、こちらもようわかりまへんでしたが、これ見る限り、何か差し出し時期を指定されていたようですな……。中身は見ない方がよろしいと思っとったんでね……。それはさておき、本橋は、確かに熱心に勉強しよりましたわ。ただ、元々それなりに学力はあったようで、基礎レベルはやる必要がなく、結構レベルの高い参考書などを与えたように記憶しとります」
この発言から、水野住職は、久保山に手紙を渡すように頼まれたものの、少なくとも竹下達に宛てられた手紙の中身については、97年当時も確認していなかったことが確認された。そして、やはり一定以上の学力は、本橋は若い時分に既に身に付けていたのだろう。
「文面には、国語中心に勉強していた様に書かれていますが、和歌というか短歌やら漢文やらも勉強していたんでしょうか?」
竹下は核心を突く質問をした。
「確かに、本人は国語や英語の語学関係には、特に自信があったようやけど、この手紙の話とは違って、数学やら理科系も、普通にそこそこ興味もってやってた様に記憶しとります。国語については、確かに古典や漢文に力を入れとりましたな」
この水野の証言が事実ならば、本橋は「国語」の科目を強調するために、敢えて数学などがチンプンカンプンであるかのように記述したということになる。これもまた、竹下達への「ヒント」の意図が強くあったのだろう。
そして、数学絡みで文中にあった「小学校六年」というのは、「六高」を演出するための苦肉の策だったとも推測出来た。この点については嘘だったとも言えたが、目的は暗号をわかりやすくするためであり、騙す意図はなかったと思われた。更に、
「そう言えば、死刑が決まって、更に自供したというのに、刑法やら刑事訴訟法やらの専門書も持ってきてくれと要求されましたわ。『何か意味があるのか』と聞いた所、『死ぬまで人生勉強や』と。……まあ、一体何が目的やったんか、今もようわかりまへん」
と、住職は付け加えた。この発言から、時効がずれる
「死刑になる前に、直前の遺書の他に、本橋は手紙を用意していたようです。それについて、ご住職は、事前に本橋から聴いたことがありましたか?」
「それについては、よう聴いてまへんでしたわ。執行当日に
「なるほど。そして、事前に書いてあった封筒に記載してあった、久保山さんの勤務先に、ご自分で届けたわけですね」
「ええ、そういうことですわ。確か執行から1週間以内に届けさせてもらったはずです」
住職の話をそのまま推測する限り、死刑執行当日に書いたという西田と竹下への遺書以外に、当日他に書いた遺書として、おそらく久保山の分があったことになる。そうなると、久保山への具体的な指示は、それ以前に書かれていた手紙か、当日書かれたもののどちらか、もしかしたら両方にあったと見るべきだろう。もし住職の口から直接久保山に指示していたとすれば、「今頃になって届いた理由がわからない」という発言は、まず出てこないはずだからだ。
「なるほど、その点についてはわかりました。ところで、ご住職は、この手紙を久保山に渡すことを頼まれ、実際に渡していますが、その時に、一緒に託された手紙を誰かに出すように、その久保山に指示したんでしょうか?」
竹下が念の為確認すると、
「竹下さんのおっしゃる意味が、正直ようわかりまへんのですが、私はただ久保山さんに、それらの封筒を全部渡すように言われて、渡しただけですわ」
と、予想通り答えた。
「いえ、そこまで思い出していただければ十分です。で、その久保山という人物についてです。居所というか勤務先は、久保山宛ての手紙に書いてあったそうですが、具体的にはどこだったんでしょうか?」
「大阪はミナミ、あ、ミナミ言うても、北海道の方はご存知ないかな? (道)
水野住職はそう言うと、竹下を見てニヤリとした。そして、説明を続ける。
「正確な住所は覚えとりまへんが、そこそこ大きな自社ビル、『千田ビル』という名前やった記憶がありますから、電話帳やら、最近流行っとるインターネットとかで調べれば、おそらくすぐにわかるんやないですか? 私も電話帳で事前に調べて出かけたはずやったと記憶しとります」
住所をインターネットで調べろと、ベテラン住職から言われる辺りに「時代」を感じた竹下だったが、大阪ミナミの「千田金融」なる会社名も、何やら以前聞いたことがあるような気がして気になった。まあ、あくまで気になっただけで、おそらく聞いたことはなかったはずだが……。また、府警の情報にあった、「金融業に携わっている噂」は、少なくとも97年当時は、間違いなく真実だったと裏付けられた。
「そうでしたか。そこで久保山と会ったかと思いますが、どんな相手だったか記憶にありますか?」
「電話帳で会社の電話番号を調べて、事前に会う約束を取り付けておいたんやけど、まあ、本橋の知り合いということで、何かそういう筋の人物じゃないかと、これまた私の僧侶としての出来の問題か、色眼鏡で見とったわけですわ。これは反省せんとあかんのですが……。まあ、電話での言葉遣いも、少々荒っぽかったということもあったんで尚更でしたわ。で、実際に会ってみた限りは、如何にもヤクザという印象までは感じませんでしたなあ。ただ、言葉遣いはやはり少々荒っぽかったような……。会社では当時役職に就いていたようですわ」
これについては、本橋が手紙で記述していたように、久保山は最後は良心に負けたとは言え、ヒットマンをやろうとする程のヤクザだったのだから、この程度であれば、さすがに抱いておかしくない印象だったろう。
「そして、託された手紙を渡し、何か会話をして役目を果たしたということでしょうか?」
「まあ、必要以上の会話はほとんどしまへんでしたが、やはり本橋の最期については、色々と聞かれて、相手もそれを聞いて神妙な顔つきだったことは覚えとります」
「受け取った手紙について、久保山は何か言ってましたか?」
「記憶が確かなら、私が居る時には、手紙には一切目を通してなかったと思いますわ」
「そうですか……」
これ以上は何か出てきそうもないので、捜査には関係ないが、特に気になっていたことを尋ねてみた。
「本橋の最期は、私が伝え聞いている分には、こう言っては何でしょうが、立派だったと……」
西田から又聞きの形で聞いた「噂話」を前提に尋ねると、
「その通り! 私も仕事柄、死刑には、心ならずも何度か立ち会ってきたんですわ……。ただ、その中でも、あれ程堂々とあの世に旅立ったのは本橋だけでしたわ……。まあそれでも、僧侶として、私は死刑には当然賛成できまへん。それが教誨師としての最大の矛盾と言う所ですな……」
と答えた。水野住職は、この時ばかりは、柔和だった表情を引き締めたまま少し早口になった。
ただ、それはともかくとして、本橋の本心はともかく、少なくとも表向きは、「辞世の句」に書かれてあった様な、「心の乱れ」を感じさせない最期を迎えたということなのだろう。言うまでもなく、あの短歌自体の真の目的は、執行より前に書かれた、「暗号を読み解くためのヒント」が目的だったのだから、そうはおかしくはない。それを踏まえた上で、
「遺体は献体として扱うようにしたそうですが? こちらも事実でしょうか?」
と確認した。
「それも事実ですわ。それについては、執行前に私が既に書面として受け取っておりました。『俺には、常人のように墓に入る資格がない』と……。手続き上必要なので、ご遺族の方にも死後確認しましたが、まあ本人が言っていたように、絶縁状態ということで、『好きにせえ』と、にべもなく。自業自得とは言え、悲しいもんですわ……。人を赦すということは、なかなか難しいことですな……。仏門に入っている私も、教誨師という仕事を通じて、常に考えさせられるんですわ。まだまだ修行が足りないと痛感させられます……」
犯罪者と宗教家という、相反する立場で向き合う毎日は、竹下からは想像が付かない葛藤があるのだろうと、他人事とは言え、その困難さの極一部を思いやった。
※※※※※※※
その後も幾つか興味本位で質問し、軽く世間話をした後、取り敢えずは聴取を終えて、深水寺を竹下は後にした。宿泊先は決めないまま大阪へとやって来たので、今でも久保山が、千田金融とやらに勤務しているかどうかわからないが、携帯で検索して、ミナミのある難波地区のビジネスホテル「ジ・エンペラーオブミナミ」に宿を取ることにして、タクシーで向かった。
※※※※※※※
ホテルで一休みした竹下が、西田に本日の報告を入れると、西田からは労いの言葉を掛けられると共に、大島海路の北見共立病院銃撃事件での、殺人における共謀共同正犯について、(10月)7日にいよいよ起訴をする方向だと伝えられた。他の案件での逮捕・勾留を連続させようかと考えてはいたが、中川秘書への影響力が大きかったにせよ、坂本や板垣の銃撃や殺人への幇助まで、支配関係を問えるか疑問だったこともあり、取り敢えずは、共立病院事件の起訴のみで行くことになったようだ。
※※※※※※※
翌日の10月6日日曜。大阪は朝から急激に気温が上がり、ビジネスホテルを出た頃には25度近辺と、北海道ではこの時期ほとんど考えられない状況になっていた。汗をかきながら、竹下は住所を調べておいた、心斎橋筋にある千田金融に向かっていた。
昨日の夜の時点で、既に千田金融の電話は留守電になっており、アポを取ることは出来なかったが、日曜も営業していることは確認しており、朝イチで電話を掛けた。電話応対に出た女性職員の話では、久保山はまだ在籍しているというだけではなく、専務(千田金融本店の店長兼任)に就いている様だった。役職に就いていたという水野住職の話は事実だった。
そして、本橋も久保山が、死刑執行から5年後もそこに勤めているという確信があったのだろう。ひょっとすると、久保山の出所後の就職において、この千田金融への紹介が本橋からあったのかもしれない。兄貴分からの斡旋であれば、義理堅いと表記されていた久保山なら、そう簡単に辞めることもなかったろう。無論、それは現時点での憶測でしかなかったが……。
電話の時点では、事務所に来ていないということだったので、アポを取りたいと伝えたものの、「何時来るかわからない」ということで、上沼と名乗る、中年ぐらいの女性事務員から拒否されてしまった。仕方ないので、午前中から千田金融で待つことに決め、今向かっている最中だったのだ。
ホテルからは、そう距離もなかったので助かったが、住職の言う通り、6階建てのビルの名称が千田ビルとあったので、千田金融の自社ビルなのだろう。ただ、警察が久保山の現状をよく把握していないということは、久保山が今も勤務している千田金融は、少なくともヤクザの直接のシノギとしての街金ではないことは間違いなかった。
一方で、本橋が久保山に就職を斡旋したという、竹下の推理が正しいのであれば、言うまでもなく、ヤクザと顔見知り程度の関係は、以前はあったのも事実ではあるだろう。規模の大小はあれ、少なくとも街金の類が、発足当時からそれほど身綺麗な会社組織であることもまた稀である。
ビルに入ると、千田金融自体の事務所兼店舗は、4階にあると確認出来、エレベーターを利用して4階まで行って、店の自動ドアを通り抜けると、
早速若い小奇麗な女性が「いらっしゃいませ」と声を掛けてきた。
「いや、客じゃなくて、ここの久保山さんという方にお会いしたくて来たんですが」
そう言い終わる前に、別のところから、
「ちょっとあんた!」
と、電話と似たような声が、竹下の元へと届いた。声の方へ振り返ると、中年の太めの女性が駆け寄ってきた。
「久保山専務は、知り合いの方以外とは会いませんよ! アポは拒否しておいたはずやけど?」
偉い剣幕で、大阪のオバちゃんにまくしたてられた竹下は若干怯んだが、
「あなた、声からして、もしかして電話の上沼さんですか? いや、どうしてもお会いしたいんですよ。おそらく、竹下という名前を伝えていただければ、会っていただけるんじゃないかと思うんですが」
と反論した。久保山が手紙を差し出したとすれば、「西田」や「竹下」という名前でピンと来るのは当然のはずだ。
「いや、とにかく困りますから!」
竹下の問いに肯定はしなかったが、間違いなく電話で会話した上沼は、とにかく竹下の頼みを聞くつもりはなさそうだった。ここまで拒否する以上、おそらく久保山からの何らかの指示だろうと竹下は思えてきたが、簡単に引く訳にも行かず、しばらく揉めていると、奥のドアが開き、180近辺はあるだろうか、痩せ型の背の高い中年の男が不機嫌そうな顔で出て来た。
「朝からうっさいのう! 何かあったんか?」
如何にも機嫌が悪いという様を、隠すつもりもないようだった。
「久保山専務スンマセン! 専務に会いたいとさっきからしつこくて……」
揉めている2人に近付いてきた相手に、上沼は慌てたように謝った。
「申し訳ないが、今までお会いしたこともないお方のようで?」
多少ドスを聞かせつつ、妙に丁寧な尋ね方をしてきたが、竹下は平然としたまま、
「どうも初めまして。竹下という者ですが」
と名乗りつつ、名刺を取り出して渡した。久保山はそれを受け取ってしばらくシゲシゲと眺めていたが、
「北海道新報? 新聞の記者さんかいな?」
と言ったまま、しばらく立ちすくんで考え込んでいるようだった。
「本橋さんの手紙の件で、今日はお邪魔させていただいたんですが」
竹下が更に付け加えると、
「うん? ……おうおう! やっぱりあの竹下はんかいな! こっちは、てっきり北海道の
と、言い訳をした上で大袈裟に頭を下げた。そして上沼に下がるよう指示すると、
「じゃあ、こっちの部屋でお話させてもらいますわ。遠慮せんと、こっちへどうぞ」
と、竹下を出て来た部屋の方へと案内した。
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