第184話 名実93 (221~223 竹下、西田の要求に応じ関西へ)

 一方、久保山と手紙で呼ばれていたのは、手紙内での説明や検出された指紋から、「久保山 わたる」という、1955年生まれの元・葵一家系の一刀いっとう組構成員であることが確定していた。1978年に、当時葵一家と対立していた湯浅組の若頭が、西宮市内を1人で歩いていた所を襲い、脚を銃撃して動きを封じた後、止めを刺す為、至近距離から撃とうと近付いたものの、ためらったまま逃亡して、後に芦屋署に出頭したというものだった。


 当然、警察は葵一家の関与を疑ったが、久保山はその点について一切黙秘したまま裁判に臨み、最初の狙撃の段階での殺意は認められたものの、その直後、殺意を翻意した点を考慮され、殺人未遂・懲役6年と、この手の暴力団の犯罪としては、割と短めの判決受け、検察、弁護側が控訴せず確定。特に素行不良もないものの、ほぼ満期で、1984年に出所したというものだった。手紙にあった、『2002年の時点で18年前出所』という点も一致していた。


 久保山自体は、葵一家から離脱することについて、公判中も収監中も一切宣言していなかったことも、獄中で素行不良がなかった割に、満期出所になったことに影響したとされるが、結局のところ、出所後は2度と葵一家に戻ることもなく、今に至っているようだ。その後も、葵一家との、少なくとも直接的な関係は完全に切れたままらしい。そういう点もあり、現在の状況については、警察はほぼ把握していない様だったが、どうも、金融業に従事しているらしいとのことだった。


 最後に、竹下が解読した暗号から発覚したタダノだが、如何なる漢字でも、本橋の周辺にタダノと言う苗字の組関係者は、昔から見当たらなかったと報告されていた。


 取り敢えず、この調査結果から、タダノについての謎は依然あるものの、本橋は手紙の表面上の文面において、特に嘘は書いていないことは推測出来た。更に深水寺はかなり大きな寺らしく、検索するとウェブサイトまであった。早速確認してみると、住職として水野の名前が出ており、現在でも、確実にそこに勤めていることは間違いなかった。


「タダノは、少なくともヤクザ関係者ではないのか……?。まさか名字の類とは別モノとか……」

西田は、「そう簡単ではなかったか」と言う思いを隠せなかったが、同時に「ひょっとして、竹下の解読が間違っているのか?」という疑念も、ちょっとは浮かばないではなかった。


 と言うのも、多少読み方の変換が強引な部分もあったからだ。ただ、その強引さを含めても、かなり筋の通った読み取りであると思われ、ほぼ間違いなく大丈夫だろうという相反する思いもあり、自分でもそのブレが情けなくなった。ここで西田は、そのブレを振り払うように、ある覚悟を決めて竹下に連絡を入れた。


「どうです? 府警からの報告ありました?」

開口一番、竹下はそう尋ねてきた。

「一応教誨師と久保山については確認が取れたが、肝心のタダノについては、少なくとも、本橋のヤクザ関連の周辺人物には見当たらないとさ」

「あちゃあ。そうですか……。それは残念……」

明らかに落胆しているのがわかったが、

「むしろ、真意を伝える為の暗号に潜ませておくような人物が、本橋の周辺人物且つ暴力団関係者からすぐに割り出される方が、安易な考え方と言えるんじゃないか?」

と、慰める意味もあったが、実際にそう思われる側面も含めて伝えた。


「そういう部分はあるかもとは思いますが、どちらにせよ、そう簡単じゃなかったですね……」

少しは気を取り直したようにも聞こえたが、あまり納得はしていないことに変わりはない様だった。

「とは言っても、タダノという、人名だかなんだかわからんが、それと2つのキーワードが明示されたんだから、久保山辺りが、それついて何か知っている可能性は高いと思うんだがなあ」

西田がその点に言及すると、

「それは確かにそうです」

と、やっと明るい声で応答した。そんな状況の変化もあり、西田は次の展開に移ることにした。


「それでだ、竹下。……こんなことを頼めた義理じゃないのはわかってるんだが……」

西田はそう言った後、やはりちょっと迷ってしばらく言い淀んだ。だが意を決したように、

「お前にこの手紙についての捜査、否、調査を任せたいんと思ってるんだが」

と思い切って相談してみた。

「え? 俺がですか?? 今、刑事辞めて、記者やってるんですよ!?」

思いもしなかったことを頼まれて、明らかに竹下は困惑したのか、どう考えても西田が理解わかり切っていることを確認してきた。


「そうだ、竹下に是非頼みたいんだ! 俺は今、大島に関わっていて、到底抜け出せる状態じゃないんだよ。そもそもこの程度の確証で、遠軽(署)みたいな身軽なところならともかく、警察本体が積極的に動けないのは、お前もわかるだろ?」

「だったら吉村単独でもいいじゃないですか? それなりに頼りになるようになってきてるみたいですし」

おそらく、今の吉村の立場では、勝手に正当な捜査活動から「抜け出す」ことが許されるはずもないことは、竹下もわかってはいたのだろうが、自分はそれ以上にあり得ないという立場からの発言だった。


「確かに、吉村も以前より頼りにはなってきてるが、あいつも抜ける訳にはいかないし、やっぱりこの件ついて言えば、誰よりも圧倒的に竹下が精通しているのも間違いないんだ。お前の頭脳が必要だ」

更に西田は、直接的に、頼み込んでいる最大の理由を伝えた。

「そう言ってもらえるのはありがたいんですが……。今、刑事じゃないですからね、わかってると思いますけど」

そう言った時の竹下は、明らかに聞き分けのない子供相手に、説教しているような言い方になっていた。しかし西田は諦めない。


「いいか竹下! あの本橋が、俺とお前を名指しでこの手紙を送ってきたんだ。断言は出来ないが、少なくともどちらかが、……否、特にお前が本橋の真意を把握して、真相を暴いて欲しいと思っていたんじゃないか? だとすれば、他の誰かに任せたとしても、残された連中がその本橋の遺志を継いで、俺ら以外には何も明かしてくれない可能性だってあるんだぞ! 特に、そのタダノについて知るためには、おそらくは久保山に何か聞かなくちゃならないのは間違いないが、久保山の経歴を見る限り、仮に(警察)権力を無駄に使って、別件でしょっ引いたところで、口を割るような人間じゃないことは、既に府警からの報告でもわかってる。本橋の手紙通り、何もうたわず(自白せず)に刑期を全うするような人間だからな……。本橋もそういう口の堅い、信頼出来る人間だからこそ、手紙を託そうとしたんだろう。そうだとすれば、……だからこそ、竹下か俺が、おそらくお前の方だろうが、この手紙を読み解いて、久保山やタダノに会うことが、真相を暴く為の重要な条件になってるんじゃないかと俺は考えてるんだ。どういう手段によったかはよくわからんが、本橋が久保山に、死刑から5年後に、俺達へ手紙を出すように指示したということは、同様に、本橋の指示によって、久保山が知ってる話を打ち明けるべき相手が、俺達に限定されている可能性も十分にあると思ってる。勿論、タダノについてもそうだ。つまり、俺達次第で、何か重要なことが、明らかになるかならないかが決まるんじゃないか?」

知らず知らずのうちに、元部下への説得に熱が入っていたが、本橋がタダノを通じて伝えたい真相とやらは、今の西田にとっては、何としてでも掴みたい藁なのだから、仕方ないことだった。


「うーん……」

それなりに響いたか、竹下の心中にも迷いが生じていた感はあった。ただ、

「西田さんの気持ちは理解出来ますが、やっぱり今、俺は警察の人間じゃなくて道報の人間なんです。ウチの支局は決して大きくはないし、派手な情報が飛び交う所でもないですが、最低限の人員でやっている以上、そうそう休みを自分の都合で取れるわけじゃないんで……。せいぜい2日が限度。関西への行き帰りも含めると、どう考えても、どう上手く行っても4日は見ないと無理ですからねえ……。今デスクが居ないんで、確認は出来ませんが……」

と言った切り、無言になった。


 西田も竹下の立場をわからないわけではないので、その無言にしばらく付き合うしかなかった。竹下はその間も、静かに「うーん」と唸るような声と、呼吸音を出すだけだった。おそらく思案し迷っているのだろう。どう考えても、竹下の本意を考えるならば、参加出来るなら記者の立場であっても捜査に参加したいに決まっている。こういう苦悩をさせているという自覚は、当然元上司としてもあった。


 しかし、突然竹下は明るい声で喋り始める。

「西田さん! 『情けは人のためならず』ってのは、実に良い言葉ですね!」

この言葉を聞いても、すぐには竹下の言いたいことが把握出来ず、

「意味がわからんのだが?」

と問い返した。これに対し、

「この前の大島のスクープのことですよ! 西田さんの情報提供でウチが出せた奴!」

と、まるで子どものように溌剌はつらつとした声を上げた。

「何だ大島の逮捕の話かよ……」

西田としては、正直拍子抜けした感があったが、

「それです。実は、うちのデスクは熊田ってんですが、昔、五十嵐さんと旭川支社で一緒に仕事してたことがあるんです。勿論、この前のスクープについても、よくやったと褒めてましたから、五十嵐さんから、あれが西田さん達のサポートによるモンだと言ってもらえれば、何とかなるかもしれない!」

との発言を聞くと、

「なるほど! それで『情けは人のためならず』ってわけだ!」

と遠慮がちながら叫んだ。そして、確かに新しい展望が開けたかもしれないと、自然に笑みが出た。


 ただ、西田が五十嵐に対してスクープをさせたのは、これまでの五十嵐への恩返しという側面も、全く無かったわけではないが、基本的には好き勝手に捜査を利用した政権側へのちょっとした仕返し(地方紙の道報が夕刊一面にしたぐらいでは、高松政権が大島の逮捕による民友党への批判を軽減しようとして、逮捕日を北朝鮮訪問に合わさせたことへの悪影響度合いは、全国レベルではほぼ無かったと言って良い)が目的であって、むしろ五十嵐を利用した部分の方が実際には大きかった。正直なところ、そんなことを言われても、会話の最初に竹下から礼を言われた時同様、気恥ずかしい気持ちの方が大きかった。


 おそらくだが、竹下なら、そのことを全くわかっていなかったはずはないだろう。そこは、一々言及するよりは、西田の耳に心地よい良い言葉を選んだ竹下の社交辞令程度で受け取っておくというのが、竹下同様大人の態度だと、西田は言葉を敢えて飲み込んだ。


「じゃあ早速、五十嵐さんにデスクを説得するように頼み込んでみますよ! 一刻も無駄に出来ませんからね」

そう言うと、竹下は電話を一方的に切ったが、西田としてもその方が、今の気分を考えるとありがたかった。


 更に、10分もしないうちに折り返しの電話が来て、五十嵐は快諾してくれたと竹下は報告してきた。そして今現在、デスクに五十嵐が直接、説得の電話を掛けているらしい。

「絶対大丈夫だと思います。ただ問題は、どれだけ休みが取れるかですね。出来れば1週間は欲しいと、五十嵐さんに頼み込んでおきましたが……」

「4日前後取れれば、何とかなるんじゃないか? 面倒な『事前手続き』こそあったが、本橋は最終的に、俺らに何か伝えようとしていたのは間違いないと見ていいはずだ。そうだとすれば、上手く行けば、サッサと済ませられる様な状況にしている気もするんだよ。だから、竹下としては慌ただしいかもしれないが、聞く相手側の都合に問題が無ければ、4日あれば大丈夫な気がするんだよ。どうだ? 考えが甘いか?」

「所詮は予断ですから、必要日数は断言は出来ないですけど、意見の方向性は、実は自分もほぼ同じです。一方で、紋別からだと行き帰りが掛かりますんで、出来れば5、6日欲しいんですけどねえ」

慎重な物言いの竹下らしい発言だったが、いきなり重要な捜査を、部外者である記者の立場にありながら、急遽任せられるのだから、気楽に考えろというのも無理な話だ。


 結局、デスクの熊田は、五十嵐の説得に案外簡単に応じ、10月5日から11日までの、6泊7日間の休暇を竹下に与えることとした。ただ、場合によっては、捜査に影響しない話は、これらの調査で得たことを記事にすることも、ひょっとしたらありるという、かなり譲歩してくれた条件を付けてきた。勿論それは西田の回答待ちだったが、西田も独断とは言え即断し、竹下は翌々日から関西へと飛び立つことが決定した。


※※※※※※※


 10月5日土曜日。竹下はオホーツク紋別空港から札幌・丘珠おかだま空港へと向かう機上の人となっていた(作者注・オホーツク紋別空港と丘珠空港を結ぶ路線は2007年に廃止され、現在は羽田路線のみ)。前年の2001年春までは、新千歳行きの便が就航していたのだが、利用客の少なさから丘珠便のみとなり、新千歳での国内便乗り換えという、航空アクセスの良さは格段に低下していた。


 竹下は、丘珠空港から最寄りの札幌市営地下鉄・東豊線の栄町駅までバスで行き、さっぽろ駅(地下鉄さっぽろ駅は、JR札幌駅と接続しているが、別の交通機関として区別するため、ひらがな表記)からJRの快速「エアポート」に乗り換えて新千歳へと向かった。そして、そこから伊丹空港行きの便に搭乗して、大阪市内に着いたのは、夕方だった。


 既に、札幌の西田がアポを取り付けていた深水寺は、伊丹からのリムジンバスの終着地である大阪駅付近から、タクシーですぐの場所にあった。関西地方にある寺としては、そう極端に古いというわけではなかろうが、タクシー運転手との会話で知った限り、江戸時代初期に開基されたというのだから、古刹こさつの類であることは間違いないだろう。


 門前でタクシーを降り、既に表門は閉まっていたので、横の管理事務所の方に回って声を掛けると、管理人が取り次いでくれ、境内の奥の方丈ほうじょうと呼ばれる住職の家に行くように指示された。その指示に従い境内に入ると、かなり古そうな仏閣が目に付いたが、しばらく歩くと、境内の外れに、寺と比較してこじんまりとした住宅数軒に行き当たり、それらが方丈と(禅宗の場合には方丈とも呼ぶが、一般的には庫裏くりと呼ぶ)と僧房そうぼうと呼ばれる僧侶の住まいであることはすぐわかった。


 一応その中で、最も立派な住宅の玄関に目をやると、やはり表札に「水野」とあった。すぐにインターホンを押す。応答に年配男性の声がして、名乗るとそれ程間を置かずに玄関の戸が開いた。

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