第181話 名実90 (214~215 竹下暗号を読み解く1)
20分を過ぎ、約束の30分になろうかとする頃、竹下から再び電話が掛かって来た。
「お待たせしました。時間がもったいないので、早速ですが本題に入ります。西田さんの考え通り、見たところどうも遺書の方が、常識的に考えて、ヒントになってるんじゃないかとは思います」
事実として時間を惜しむ必要はあったにせよ、本当にそのまま本題に入ったので、西田は面食らったが、水を差しても仕方ないので、そのまま黙認した」
「ここで重要なのは、本橋がこの手紙を、久保山という男に最終的に託して、更にわざわざ死後5年経ってから、しかも何の延長もない前提の時効経過後に、丁度届くようにしていたということでしょう。本人は、如何にもわかっていなかったような感じで書いてますが、どうもわざとらしいと思います。そして、ほぼ間違いなく、あからさまに、椎野とのやりとりで使った、横方向に読むテクニックをそのまま踏襲してきた……。それが罠じゃないと断定は出来ないにせよです。とにかくそこら辺に、こちらを試すようなやり方をしつつも、こちらに何か感じ取って欲しい様子が見えるのと、こちらが文中から何か読み解けることを前提に、送って来ている感じがするのは、ほぼ間違いないでしょう」
竹下はそう言うと、西田の反応を待っていたのかしばらく喋るのを止めたが、西田が何も言わないので、話を再開する。
「一方で、西田さんの読み通り、ヒントが隠されていそうな遺書の中では、辞世の句がどうも、具体的な意味でのヒントになっているような印象があります。ただ、読み方を指示していそうな『波立つ心地』を前提として、ジグザグ読みにしても、普通に1行目から読むと、どこから読んでも意味が通じません。勿論、横関係なく、そのまま縦方向にジグザグ読みしても、更に縦方向でも、上から順にだけじゃなく、下から読んでも全く通じない。加えて、ジグザグに読むとしても、波の繰り返しのパターンとして、山の連続(∧∧∧∧)の様な形なのか、それとも、山の後で更に深くなる谷(∧∨∧∨)の様な形なのか、それとも谷の後で山になる(∨∧∨∧)様な形なのかがよくわからない。勿論、既にそちらについても、全て考慮してやって見ましたが……。まあそこら辺の不確かさには、『苦労してもらおう』という意図も、本橋にはあったのかもしれませんが……」
この話から、竹下でもかなり苦労した様子が窺えた。その上で、
「とにかく、最終的に本橋が何を伝えたいのかは、現時点で断定するのは難しいとは思いますが、この最初の手紙の文面とは、おそらく違う方向性のことじゃないかと思うんですよね。隠された意味まで、再び挑発的なことを伝えるのに、こんだけ手の込んだことをする様なタイプには思えないんですよ、本橋は。かなり嫌な性格こそしていますけど」
と指摘し、この点の判断については、西田と似たようなことを竹下も考えている様だった。
「つまり、本橋は俺達……、否、おそらくお前が、読み解けるギリギリのラインを狙ってきてるってことか?」
「まあ自分限定だったら、西田さんの名前は、宛先には使わないと思いますけど」
西田の言い直しに、わざわざ気を使った形の竹下だったが、そんなことは、西田にとってはもはや意味がなく、重要なのは読み解けるかどうかであった。
「そんなことはどうでも良いんだ。とにかく、そうなんだな?」
西田は念を押した。
「まあ、7年前の本橋の我々に対する態度を見ても、常に試すような態度でありながら、どこかで真意を絡めて来てるようなところがありましたから、今回もそんな感じじゃないかと思います。同時に、その時よりは『わからせたい』という意図を感じます。だから何とか行けるんじゃないかなとは……」
西田の推理に、竹下は肯定的だった。
「ところで、今忙しくないのか。一方的に頼んじゃったけど?」
ここで初めて、相手の状況について
「暇ではないですが、取材は取り敢えず今日はないんで、記事ならすぐに書けますからね」
と、かなり余裕を持った口ぶりだったので、西田はホッとした。
「じゃあ、暗号の読解頼んでも大丈夫だな?」
「正直な話、むしろかなり興味があります。あの本橋が、死後わざわざ送りつけてきた挑戦状ですから、むしろ率先して受けて立ちたい気はありますよ!」
西田からすれば、非常にありがたく頼もしい元・部下の回答に、
「そいつは助かる!
と素直に伝えた。
「その期待に是非とも応えたいところです。精一杯努力させてもらいますよ! ただ
竹下はここで初めて弱気を見せた。
「それは仕方ないよ。ただ、ホント頼むぞ! 確信はないが、ひょっとすると本橋は、どデカイお土産を置いていってくれたのかもしれんしな。そうなりゃ冥土の『逆土産』って奴だ。もしそうなら、捜査で大きな切り札になってくれるかもしれないんだから」
西田は期待を込めて鼓舞した。
「もし、西田さんの考える通りなら、自分も7年前にやり残した宿題を、今になって終わらせることが出来るんですが……」
竹下がそう言ったまま、2人の間で突然会話が途切れた。勿論西田も、捜査に賭ける思いを強く残したままで職を辞した、竹下の複雑な胸中は十分理解しているつもりだ。
「……とにかく、(解くのを)待ってるからな」
やっとの思いで一言発すると、竹下も、
「ええ。……じゃあ、やれるだけ頑張らせていただきます!」
と西田に宣言した。
※※※※※※※※※※※※※※
その後、西田と吉村はそのまま帰宅した。夕食を取り、ニュースを見て、大島関連で特に大した話もないことを確認した。それから、そろそろ風呂に入って寝ようかと思っていた頃、不意に携帯が音を立てた。相手を確認すると竹下だった。
「竹下か?」
「やりました!」
短いやり取りだったが、お互い言いたいことは十分に伝わったので、
「おい! まさかもう解けたのか!?」
と、西田は思わず感嘆の声を上げた。その声に、テレビを見ていた妻の美香が、思わず西田の方を見たが、すぐに画面の方に視線を戻した。仕事のことだとわかったので、詮索するようなことは止めた方が良いと、瞬時に無関心を装ったのだろう。
「はい! やりました! それで早速結果ですけど、どうも本橋は、時効間際の佐田の事件に関しての重要な情報を、こっちに伝えたかったみたいです!」
弾んだ声から、かなり期待出来る言葉がほとばしった。
「ホントか!? そいつは、今から説明してもらうのが楽しみだな! しかし、こんなにすぐに解かれるようじゃ、本橋も完敗ってわけだ!」
深夜ながら西田もテンションが上がり、声が自然と大きくなった。マンションで時間帯も時間帯だけに、美香は顔をしかめて西田の方へ再び振り返った。それを確認した西田は、携帯を持っていない方の片手を顔の前で立て、『悪い』というジェスチャーをして謝った。
「確かに、この短時間で読み解いたという意味では、一見しただけなら、自分の勝ちというか、挑戦を受けて、それを跳ね返したような気もしてました。……でもね、読み解いてから、更に色々考えてみると、結局本橋の手の平の上で、上手く転がされていただけだったというのが結論ですね、悔しいけど……。まあ、相手がある程度読み解けるようにしてくれてたことも、事前に推測はしてたんですが、それにしても……。まあ、一応読み解けたんで満足はしてますが、完全な意味で読み解けたわけではなかったのが、唯一の心残りです」
解読して喜んでいる割に、竹下から『謎』の心情を吐露をされて、西田は困惑しないこともなかったが、とにかく今はどんなことが書かれてあったか、竹下に説明してもらうことが先決だ。
「ちょっと待ってろ! 今、手紙のコピーを見るから」
そう言うと、西田は自分のカバンから持ち帰ったコピーを取り出した。
「いいぞ! 説明してくれ」
ゴーサインをもらった竹下は説明を始める。
「まず、念の為、
「そうか、表向きの段階でも、専門家から見てほぼ問題無しか」
西田は説明を聞いて、本橋が本気で辞世の句を作り込んできたと感じていた。
「それを踏まえて、最初の見解通り、辞世の句がヒントになるとした上で考えてみました。特に『波立つ』が読み方のヒントになっているという前提で、一体何処から読むのか考えてました。椎野の時には、出版されることもない告白本のタイトルに
竹下は、そう喋りながら、結果的にはその程度のことでも、当時かなり時間を食ったことを思い出していた。西田は西田で、あの時の竹下の苦労を思い返していた。
「で、今回については、どこから読むかと言うこともそうですが、短歌をヒントとして、波立っている様に読むとすればどうなるかです。さっきの電話でも言いましたが、波をただの山の連続(∧∧∧∧)で捉えるか、波頭の山の間に谷のように深い部分(∧∨∧∨ もしくは ∨∧∨∧)を入れるか、真に伝えたい文が、どう流れているのかもよくわからないままでした。場合によっては、普通に縦方向でジグザグの流れも、無くは無いと考えられますから、そちらも考えないといけない。基本的には、ヤクザ社会で使われる暗号の慣例みたいのが、縦書きの偽の文を、横断する方向で読ませるものだとしても、今回は、前回の『CROSS』や『JAYWALK』のような言葉は、本文中には見当たりませんでした。他に横断要素を指し示すヒントは無さそうだったことも、そういう可能性を否定出来ない理由でした。ただ、そうだとしても、やはり最も可能性があるのは横に読み込んで行く方式だと思い、まずはそれを優先することにしました。更に、読み方だけでなく、どこから読み始めるかという起点のヒントも、おそらくは遺書の方にあるだろうと、最初から決め打ちして見ましたが、やはり、これについても短歌にあるように思えてきたわけです」
説明する以上は仕方ないにせよ、さっきの会話でした話も繰り返した上、大変回りくどい言い方だったが、結論から言えば、どこから読むかも読み方のヒントも短歌にあって、読み方については、『波立つ』の解釈次第で、どうも幾つか考えられたということを、竹下は言いたかったのだろう。
「それで、まずは読みの起点が何処かという点ですが、最初に、短歌にあった『やけの末』の『末』という言葉が先に気になりまして。この末が、本文を読んだ時に『本末転倒』の『末』に
これだけ聞いているだけでも、西田もまた頭が痛くなってくる程だった。
「そんなことを考えている内、その『末』の他に、もう一方の起点か終点を意味する言葉が、短歌の中にあるはずでは? そんな当たり前の発想がやっと浮かんできました。通常なら、手紙の縦1行目のどれかからスタートするはずなんですが、どうもそれでは読めそうもないというのは、西田さんもわかっていたはずですし、自分も試行錯誤して『無い』という確信があったんで……。そんなこんなで、どうしたらいいか考えているうちに、『やけ』という言葉が急に気になりだしたんです!」
確かに竹下の言う通り、「やけ」という字には、わざわざ本橋は注釈のような形で、漢字で書けなかった言い訳をしていた。
「ここでよく考えてみてください! 暗号文が潜んでいると思われる、最初の長い手紙は、本橋は死刑になる前に、既に用意していたわけです。ということは、その時点で、暗号の『読み方』は、既に考えられて書かれていたことは間違いない。当たり前ですけど、最初の手紙に、何か真意が潜んでいるという『仮説』が合っていればの話であって、それ自体が間違っていたら、これはどうもなりませんでしたけどね」
竹下は、一寸おどけたような口調になっていた。
「なるほど! 確かに読み方が決まっていたとして、そのヒントが短歌にあるのだとすれば、それも死刑当日より前に、既に出来上がっていたと見て良いな。ところが、どうも2つ目の遺書には、短歌は当日思い付いたような記述があるな」
「そこですよ、まさに! 当日作ったから漢字がわからなくて、『やけの部分』がひらがなになって、本橋曰く『会心の歌が出来た割に、その分だけ締りが悪くなった』と綴られています。そもそも、遺書には「玉に瑕」なんて、普通に『傷』にしてしまいそうな部分も、ちゃんと漢字で書けているわけですから、それと比較して妙に白々しいところがあります。自分もワープロじゃ変換出来ますが、自筆で『瑕』を書けと言われると、ちょっと無理っぽいんで」
竹下の指摘は、特に時系列を考えると、西田達の推理を前提としている限りは、大きな矛盾が出て来るのは間違いなかった。もし、この記述がおかしくないとすれば、この短歌は、読み方のヒントでも何でもない可能性が出て来ることになるが、どうもそうは思えなかった。西田もここまでの竹下の説明をよく理解出来ていた。
「そうなると、この『やけ』をひらがなで敢えて書いたことに、特に意味があるように思えてきて、本橋が本来書くべきだった漢字の『やけ』とは、一体どんな字なのか、急に気になってきました。とは言え、こう言っておきながら、実は自分も、やけが漢字でどう書くのかさっぱりわからなかったんですよ、恥ずかしながら。そこで、家にあった辞書で引いてみたんです」
「そしたらどうだった?」
西田は待ち切れないとばかりに先を急がせた。
「やけに該当する漢字は、自暴自棄の『自棄』だそうです。一見、無理やりの当て字っぽいですが、普通に辞書に載ってましたんで、そういうわけではないようですね」
「なるほど。確かに自暴自棄は『やけ』だな。うん、ピッタリだ」
妙に西田は納得していたが、竹下は余りそれには反応せず、核心を突く話をし始めた。
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