第180話 名実89 (211~213 本橋の暗号文を読み解くカギについて、西田なりの考察)

 西田は、先程までとは違う感情が、その文面を見終えた瞬間に湧いていたのを強く感じていた。本橋が死刑に値すべき人物であることは、西田の目から見ても疑い様がなかったが、果たして、このような最期で良かったのかどうかは、また別の問題だからである。


 無論、死刑を数日前に告げることも、また残酷なのかもしれないが、この方式には割り切れないものを感じていた。特に、本人曰く、辞世の句の意味は、「当日の刑の執行を突然伝えられて、色々とヤケになった。しかし最終的には絞首刑を受けいれて、落ちる床を踏み抜く覚悟を決めたのだが、あの世が目の前にちらつくと、やはり、どうもその覚悟が揺らいでしまって、落ち着かない心境である」と言ったところのようで、やはり受け入れがたい部分は垣間見えた。


 それでも、ある意味救いなのは、省恥せいちという、おそらく本橋の雅号と共に、「檻折の歌」なる、これまたおそらく、歌人の「大岡 まこと(作者注・1931年、静岡で歌人の大岡博の息子として生まれ、東大在学中から詩人としての才覚を発揮。2017年4月に逝去するまで、日本を代表する詩人として世界でも知られた人物。日本ペンクラブの会長も歴任していたことがある。彼の代表作として、短歌や俳句、詩、漢詩、川柳など、あらゆる詩歌について、毎日1つ取り上げて解説したコラム、『折々のうた』が有名である)」の「折々のうた」をパロったと思われる文字が見えたことだろうか。本橋特有の人を食ったような態度が、その文字だけからも十分垣間見え、西田は複雑な心境の中でも、そこと、一番最後の行の部分だけは、思わず笑みがこぼれてしまったのだった。


 それにしても、わざわざ対訳を付けてくれた辺り、妙にサービス精神が旺盛だったが、この手の文化的なモノについては、素人を相手にしているという意識があったのかもしれない。とは言え、竹下ならある程度は理解したはずだろうが……。


 しかし、問題は最初の手紙についてである。2通目の手紙は、見たところマス目は意識されていなかったので、それ自体に何か隠されていることは、今のところは無さそうと考えられた。一方で、1通目には、やはり、以前竹下が読み解いたのと同じ系統の手法が用いられていると見るべきだろう。


 まして本橋は、西田達がそれを知っていることを、遠軽で取り調べられた際に追及されたことで認識していたはずだ。そうであるならば、手紙の裏に何か意味があることは、ほぼ間違いないだけでなく、それを西田や竹下に伝えようという、積極的意志もしくは意思(ストレートに伝えるつもりがなく、暗号を解かせるという煩わしさを課す意図があったとしても)も、そこには存在しているはずだろう。言うまでもなく、それが単にクイズ的な意味での、西田や竹下への、単なる挑戦の意味しかない可能性が全く無くはないとしてもだ。


 果たして、それが何なのかは、正直なところ現時点ではわからなかった。当然だが、上手く読み解いたとして、その隠された文の意味が、全く大したモノでない場合や、最悪、再び西田達を嘲笑うかのようなモノではないという保証もなかったので、もしそのような結末だったとすれば、更に苛立つだけかもしれない。


 しかし、だからと言って、この本橋の企みを無視する選択肢などあるはずもない。そもそも、わざわざ死刑後に届くようにした手紙に、そんな軽い意味しかないとは、西田には到底思えなかった。


 問題はどうやって読み解くかだ。西田の見立てでは、この最初の手紙を読み解くためのヒントは、2通目の手紙にあると考えた。95年に竹下が読み解いた時は、椎野との事前にやり取りした手紙にあった、「JAYWALK」の選択を示唆した内容が読み方のヒントになったが、今回はその手紙に該当しそうなのが、今のところ執行当日の遺書しか見当たらなかったからだ。ひょっとすると、今回独自のヒントは無く、あの時と同様に「斜め横断読み」が前提なのかもしれないが、パッと見、その方法では読み解けそうもなかった。


「2つ目の手紙がヒントだとすれば、この短歌ぐらいしかなさそうな……」

西田が呟いた通り、遺書にあった本橋の辞世の句は、確かに如何にも怪しい感じはした。しかし、辞世の句として、素人のパッと見だが、しっかりと成立しているようなので、まだヒントの為の一首(或いは実際に自省の句を兼ねている可能性もあるが)であるという確信は持てなかった。


やけの末 踏み抜かめども 黄泉の方 見れば翻意へ 波立つ心地


「もしこの歌が、1通目の読み方を示唆しているとすれば、『波立つ心地』が怪しいな……」

西田が特に目をつけたのは、短歌の最後の部分だった。

「波の上下の揺れ動きの様に、便箋から見て、横方向に波打つ、ジグザグの流れで読み替えるのかもしれん……」

そう思って、頭の行にある文字を片っ端から起点として、横方向に「∧∧∧∧」と「∧∨∧∨」もしくは「∨∧∨∧」の流れで読み込んでみたが、どれも全く意味が通じない。

「そもそも、その読み方が合ってるのかすらわからんし、合ってたとしても、一体どこから読みゃいいのかわからんのだから、これは埒が明かない……。これは、すぐに竹下に預けた方が、どう考えても早いだろうな。今のあいつに頼めるなら、何とか頼んだ方が良いんだろうが……」

と、苦虫を噛み潰したような表情を1人浮かべた。


 しかし、西田でも今すぐに出来ることはある。まずは1つ目の手紙にあった、久保山の存在確認と、当時の教誨師に、この手紙が本当に託されたかを確認することだと思い直した。そして、大阪府警に協力を求めるため、道警・刑事部・捜査共助課を頼ることとし、五条刑事部長に橋渡しを頼む為に報告した。


 西田から説明されても、事態をよく把握出来ていなかった五条ではあったが、渋々、西田の殴り書きした紙を使って、府警と大阪拘置所にファックスするように、捜査共助課に命じた。そして、封筒と手紙の筆跡鑑定も、道警本部に残っているだろう、95年の札幌での取り調べ時の、本橋の筆跡データを用いてすぐ出来るはずなので、指紋のチェックと共に鑑識課に依頼してもらった。しばらく手紙は戻って来ないことになるので、すぐにコピーを取っておく。


 取り敢えずやるべきことを済ませると、西田は竹下に連絡を入れたが、その時は携帯は切られていたか、圏外のようで出ることはなかった。

「取材中か、運転中か……」

西田としては、すぐにでも、竹下とこの手紙について話したかっただけに、かなり残念な結果だったが、相手の都合もある。仕方ないので、西田はもう一度2つの手紙のコピーと向き合うことにした。


 しかし、手紙の最後の行から読んでも、或いは横断する代わりに、行頭や行末から縦断するようなジグザグ読みも、どれも意味が通じるようなモノにはならず、すぐに行き詰った。札幌拘置支所の取り調べも既に終わっているはずで、吉村達も道警本部へと戻ってくる頃だから、何もやることがないとは言え、今更そっちへ引き返しても無意味だ。


 結局そのまま本部に留まると、それほど時間も置かずに吉村達が戻って来た。今日の取り調べの報告と、明日以降の確認をし終えると、吉村がやっと、

「例の手紙、今日来たんですか?」

と、コソコソと尋ねてきた。本来なら、すぐに西田に聞くことも出来たのだろうが、他の刑事も居たので遠慮したらしい。西田もまた、同じ理由で先に吉村に伝えなかったのだから、その判断が望ましいことはよくわかっていた。


「ちゃんと来たぞ。既に筆跡と指紋の鑑定に出したから、本物の手紙はここには既にないが、文面はちゃんとコピーを取っておいた」

そう伝えると、

「課長補佐から見て、本当に本橋が書いた奴なんですか?」

と訝しげに尋ねてきた。

「詳しくは、実際に見てもらった方が、話は早いと思うが、死刑になる前に書いておいたモノを、教誨師に頼んで知人に預け、そいつが5年後の今、送付おくって来たらしい。あくまで素人目だが、本橋の自筆っぽいと思う。取り敢えずは見てくれ!」

そう言うと、吉村にコピーを手渡して見せた。


 しばらくの間、吉村はコピーを見ていたが、読み終えると、

「如何にも、本橋の地が出てるような腹立つ内容ですわー! でもこれ、前の椎野とのやり取りの時と、どうも同じ手法使ってるとしか思えませんね。あの竹下さんも大場のアドバイスで初めて察したんでしたっけ……」

と言った。やはり、字の妙にキレイな横配列に目が行ったらしい。


「ああ、俺も間違いなくあれだと思う。問題はどうやって読むか、そして何が書かれているかなんだよな」

「タイミング的には、時効を意識してるのは間違いないにせよ、裏の意図があるとすれば、文面のように俺達を馬鹿にするモノとは別の方向なんでしょうか? でも、本橋は警察こっちをずっと上手くあしらってたわけで、そういうことがあり得るんでしょうか? 何だかんだ言って、アイツのことですから、とても信用は出来ないなあ」

吉村としては、本橋を信じられないという意識が強そうだったが、

「しかし、一応俺も大阪の取り調べにちょっとは絡んだのに、俺の存在は一切無視してるんじゃ、確かに『御二人』に比べて、相手する価値もなかったというのは事実でしょうけど、正直言って気分悪いなあ」

と、半ば愚痴をこぼし半ば嘆いた。そういう部分が、本橋への悪感情を強めていた部分は、明らかに否定出来ない様だった。


「いやいや、俺も申し訳程度には相手にされてるが、その手紙のストレートな文面が嘘でもないとすれば、やっぱり竹下がメインだからさ……。お前だけじゃないぞ、そういう意味で軽んじられてるのは」

西田もまた、吉村の気持ちがわからないでもなかったので、慰め半分本音半分で、そう宥めてみた。

「言われてみれば、手紙でも竹下さんについての言及が大半でしたね。なるほど、そういう扱いは、どうも自分だけじゃなかったってわけですか」

今度はケロッとして、西田の方を見ながら含み笑いをしてみせた。西田は思わず「この野郎!」といつものように小突きたくなったが、やられる前に、

「しかし、死刑になった後でも、手紙ってのは検閲されるんですか? 教誨師に持ち出してもらう分には、無いような気がするんですが? 単に俺達への挑戦状の意味なんですかね?」

と、吉村は続けた。


「それについては、俺には何とも言えないが、教誨師の持ち物であれ、何も調べずスルーということはなかろう。仮に拘置所側の検閲がなかったとしても、教誨師に見られたらアウトのようなことは、手紙に直接は書けないんじゃないか? 教誨師を仲間に引き入れていたとすれば、無論、話は別だが……。となると、やっぱり単純にクイズの様にしたいが為だけに。こういう形式にしたというわけではないんじゃないかな」

西田は、本橋の狙いを推測して見せたが、その直後に携帯が鳴った。ポケットから取り出してみると、竹下からだった。

「噂をすれば何とやらだな」

西田はそう言いながら出た。


「竹下ですけど、何かありましたか?」

そう切り出したが、すぐに思い出したように、

「あ、うっかりしてました。五十嵐さんの件ありがとうございました! 忙しいと思って、お礼の連絡をするのを遠慮してたんですが……」

と、肝心なことを忘れていたことについて、バツが悪そうに感謝の言葉を口にした。

「いやいや、五十嵐さんに借りを返しただけじゃなく、こっちも『永田町』と『霞ヶ関(警察庁所在地)』への腹いせに、利用させてもらったわけだから」

西田は竹下に、礼の必要はないと伝えようとしたが、

「そうは言っても、肝心の拉致問題の方も、詳細については、どこの新聞社しゃも夕刊に間に合わなかったわけで。あの一報をウチが夕刊で出せた意味は、単に大島の件をすっぱ抜いたと言うだけじゃなく、その日の他社との比較でも、実は結構大きかったんですよ。五十嵐さんも鼻高々ってところですが、ウチ全体としても意味が大きかったんです。紋別の支局でも『、よくぞやってくれた!』って支局内の雰囲気でした」

と言って、制された。

「そう言ってもらえるなら、こっちとしてもまあ良かった」

西田は、竹下からそこまで感謝してもらえるとは思っておらず、少々こそばゆい感覚を抱いていた。


「ところで、話を戻しますが、今日は何か?」

「おっと、そっちの話をしないとな……。驚くなよ! あの本橋から、先日遠軽署に、竹下と俺宛に手紙が届いたんだ」

「えっと。……あの、すいません? もう1回言ってもらえます?」

おそらく竹下はちゃんと聞き取れていたが、内容が信じられずに、わざわざ問い返したのだろう。

「だから、死刑になったあの本橋から遠軽署に、竹下と俺宛で、先日手紙が届いたんだと!」

西田は「死刑になった」という言葉を付けて、はっきりと言い直した。

「ちょっと待って下さいよ……。それは一体どういうことなんですか!?」

さすがの竹下と言えども、これだけ言っても、状況をすぐに理解することは出来ていない様だった。手紙が何故、本橋の死刑執行後数年経ってから、自分と竹下に、しかも遠軽署宛で届けられたか、本橋の「表向き」の手紙に書いてあったことをそのまま伝えて説明した。


「なるほど……。それで、当時我々が居た遠軽署に送られたわけですか……。しかし、目的は何なんですか?」

「文面を一読した限り、俺とお前に対する挑発のような内容だが、どうもこの文面の内容は、おそらく真実ではあるだろうが、それとは別の何かが隠されているように思えるんだ。竹下が、東西新聞の椎野と本橋の文面のやり取りに、別の意味が含まれていたのを見破ったことがあったろ? あの時と同じように、便箋には縦罫線しかないが、全体として、明らかにマス目が意識されてるような文字の配置になってる。つまり、横方向の位置もきちんと整ってるってことだ。明らかに『あれ』が意識されてると見て間違いないと思う。特に竹下に対しての挑戦のように思えるな、文面からしても」

「それは興味深いですね」

竹下もかなり乗り気になってきたような印象を、西田は携帯越しに感じていた。


「とにかく、お前に現物を見てもらいたいんで、ファックスか画像化してメールに添付するかで送付したいんだが」

西田の提案に、

「丁度今、デスクが(外に)出てるんで、(紋別の)支局の方に直でファックスしてもらっても問題ありません」

と言うと、すぐにファックス番号を伝えてきた。


 西田はコピーをファックスにセットして、手紙のコピーを送り続けると、

「これで終わりだ。ちゃんと見ればわかるとは思うが、最初の3枚は、死刑当日より前の段階で用意していたもの。最後の1枚は、死刑当日に遺書代わりに書いたものらしい。俺が見た限り、最後の遺書に当たるものの中に、おそらく読み解くヒントがあるはずだと思ってる。とくに『辞世の句』とやらが臭いんだよな……。『波立つ』とか言う部分が、その肝じゃないかと考えてるんだが……。ただ、それらを受けて、ジグザグにして読んでみようとしたが、最後の行からも、そして、敢えてそのまま縦の上下の方向から見もしてみたが、どれも全然文にならないんだよ。起点が合ってないのかも知れないが、そうなると全く見当が付かない。否、そもそもだが、その『波立つ』やら辞世の句そのものが、読み解くヒントかどうかも、こうなってみると確信が持てん。だから、最初からお前に預けた方が、時間の無駄にならないと思ってね」

と伝えた。


「なるほど……。短歌の部分ですか……。とにかく、1度全体を読んでから、また電話します。ちゃんと読みたいんで、20分から30分ほど待ってもらいます」

「ああ、頼むぞ」

西田はそう言うと、一度会話を切った。


「竹下さんに後は任せるしかないですね」

「まあな。頭の出来はアイツには敵わん」

西田は吉村にそう喋ると、頬杖をついて1人頷いた。



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