第176話 名実85 (200~202 大島の取り調べ開始)

 9月18日水曜。西田達は、早朝から道警本部の刑事部にある会議室に集合していた。留置場に直行ではなく、一度本部に集合したのは、現地で会議をするような広い部屋がなかったからだ。


 今回については、道警本部はあくまでサポートに徹し、北見方面本部を中心とした、北見組による取り調べとなる予定だ。やはり西田や吉村などを筆頭に、詳細に一連の事情を把握している捜査員でなくては、大島相手に取り調べが上手く行かないだろうということが理由としてあった。西田も当然参加するが、あくまで勝負所での参加に徹し、基本的に、吉村や日下を中心に取り調べを行わせるつもりだった。


 一方で、相手が大物与党国会議員ということもあり、察庁から派遣されてきた星野や道警の上層部も、取り調べには密接に関わっていくことが確認されていた。特にお目付け役として派遣されてきた星野は、「中央」からの影響を道警、そして北見方面本部に直接与えるための存在だと、西田は注意していた。今のところ、特に何か注文を付けて来てはいなかったものの、場合によっては、捜査を邪魔されかねない存在だと危険視していたのだ。


 簡単に会議を終え、琴似へ全員で向かうまで時間があったので、西田は妻に作ってもらったおにぎりを頬張った。時計を見ると、午前7時を回った直後だった。伏見地区にある家をタクシーで出たのが午前5時。昨夜は無意識に緊張感からか目が冴え、ほとんど眠れていなかったが、かと言って、今も眠気が襲ってくるというよりは、明らかに昂ぶっている状況が続いていた。


 妻の由香には、特に何もリクエストはしていなかったが、出掛けに渡されたおにぎりが、西田の好きな「鮭」のおにぎりではなく、「おかか」味のおにぎりだったのは、妻も今日から始まる取り調べの意味をわかっていたのだろう。


 以前、「勝負所じゃ握り飯も『勝つ』武士の意味で鰹節に限る」とダジャレを交えて由香に話したのは、確か遥か昔の結婚以前のことだったはずだ。それ以降、仕事での勝負所はこれまで何度かあったものの、その時におにぎりを握ってもらうような機会がなかったため、西田もすっかり忘れていたが、由香はその話をしっかり憶えていてくれたらしい。何となく嬉しい気持ちを抱きつつ、やや硬く握られたおにぎりを味わった。


 道警本部から琴似へと向かう車中、珍しくずっと黙っていた横の吉村が、西田に小声で話し掛けてきた。

「自分達で大丈夫なんでしょうか?」

「何が?」

意味が判らず西田が静かに聞くと、

「いや取り調べですよ、大島の」

と言い出した。さすがに、今頃そんなことを言い出すようでは先が思いやられる。

「もうすぐ取り調べだってのに、そんな調子じゃ困るぞ! そりゃいつも通りってわけにもいかないけどさ」


 この吉村の弱気は、先ほどの会議で、星野や五条から注意を受けたことを踏まえたものだったのだろう。つまり、通常のような被疑者に対する言動よりは、きちんと丁寧にしろとのお達しがあったということだ。車内だったのでトーンは落としたままではあったが、正直どやしつけてやりたいぐらいの気持ちだった。


「自分がやれるかってこともありますけど、この7年を思うと、課長補佐がやった方が納得出来るというか」

「自分で言うのも何だが、この時点で俺が取り調べを中心にやってるようじゃダメだろ、立場的に」

要は、課長補佐の立場の人間が、取調官として、今回主体的に出しゃばるわけにはいかないということだった。自身としては、正直、大島と直接向き合って、ずっと取り調べしたい願望はあったが、出来るとしても、あくまでかなり追い詰められた状況か重要な状況になってからだ。


「日下と一緒に、やれることをやるのみですかね……」

竹下がそう口にした時、マスコミが入り口を囲んでいる琴似留置場が見えてきた。大物議員の殺人容疑での逮捕という、前代未聞のニュースを伝えるため、今日からは本格的にマスコミが動き出しているようだ。


 それを見たか、黙って前の助手席に乗っていた日下が、突然西田や吉村の座っている後部座席の方に振り返り、

「とにかく、後はやるだけだろ。課長補佐に心配掛けないようにしないと!」

と吉村に発破をかけた。


※※※※※※※


 午前8時丁度、いよいよ大島の逮捕後初の取り調べが始まった。と言っても時間的に1時間が限度だったが。そして「逮捕後初」と言っても、明日昼前には勾留請求する必要があるので、明日以降の取り調べは、勾留後の札幌拘置支所に持ち越されることになるだろう。


 取調室では、吉村と日下、そして書記役として黛が、大島がやって来るのを待っていた。取調官としては、オール北見方面組が基本的に務めるわけだ。言うまでもなく、必然的に一番槍も担当することになる。


 裏のマジックミラー越しに3人を見ている西田及び、察庁の星野、五条を始めとする道警上層部だったが、意外にも、吉村達より殺気立っているような雰囲気を醸し出していた。彼らにとっては、自分の進退が、場合によっては掛かって来るという危機感があったのかもしれない。かく言う西田も、貧乏揺すりを知らず知らずしており、イラつきを隠せなかった。


 予定より5分程遅れて室内に現れた、大島海路こと田所靖は、上下スウェットにサンダル履きと、年齢を考えるとかなり違和感のある格好で、年齢面だけでなく、普段大島が家で着用しているだろう服装と比較しても、相当違うだろうと思われるモノだった。おそらく、持ってきた衣服は、留置場で着用するには不適当として許可されず、留置場側が提供したのだろう。


 これで身長が低ければ、更に風体がおかしなことになったのかもしれないが、年齢の割に背丈があるので、その点は問題が無かったと言うより、スタイルとしては割とはまっていたのかもしれない。


 ただ、そんなラフな格好であっても、大物議員の風格は余りあるほどにじみ出ており、取調室に入ってきた段階で、空気が急激に張り詰めたのを感じた。連行してきた留置担当の警察官と大島が、吉村と日下に正対すると、吉村が、

「座ってください」

と指示し、警察官は大島が着席したのを確認後、取調室を出て行った。


「昨日はどうもお疲れ様でした。昨晩寝て疲れは取れましたか?」

日下のお伺いに、

「まあまあだ。体調は決して良くはないが、問題ないという話を大学病院側がしているのだからそうなんだろう。但し気分はすこぶる悪いことは指摘しておく」

と嫌味を一言発したが、実際身体は軽度の脳梗塞という割には健康そうだった。血色も悪く無い。

「本日も、こちらの医療機関でチェックさせてもらうと思いますから、安心ください」

日下は目も見ずにそう伝えると、

「じゃあ色々聞かせていただきますので、よろしくお願いします」

と続けて、軽目に会釈した。


「ご存知かと思いますが、被疑者には黙秘権がありますので、答えたくないことには答えなくて構いません」

典型的な事務処理の口調で日下が説明すると、大島は黙ってそれを聞いていたが、

「そうは言っても、君らの嫌疑には、自ら否定しておくべきだな」

と、自分に語り掛けるように言いながら腕を組んだ。


「これ以降は、本名の田所さんと呼んで構いませんね?」

「当然それで構わない」

吉村の丁寧な確認にも、ゆっくりとだがはっきりと回答し、取り調べ側の2人は何やら目配せし、いよいよ本題へと切り込んだ。


「早速ですが田所さん。今回の逮捕の原因となった、北見共立病院での7年前の銃撃事件、当然ご存知ですね?」

「ああ、勿論知っておる。私が良く知っていて弟分とも言えた、松島が殺られたからな。だが、私は無関係だ。当時東京に居ったわけだし」

待ってましたと言わんばかりに、日下の問いにすっと大島は答えた。


「犠牲者は、松島孝太郎さんだけじゃないですね……。看護婦の百瀬さん、そして北村という刑事も巻き添えで亡くなっています。合計3名もの貴重な生命が奪われた……。ある人間の保身とエゴで」

吉村にしては、珍しく勿体を付けた言い方だったが、西田の思いも同じだった。


「そうか……、刑事も殉職していたっけな。あれは大変気の毒だったな。しかし、それと私の無実は別問題だ。私にはそんなことを言われる覚えはないし、当然逮捕されることもないわけだから、いわば不当逮捕という奴だな」

うそぶいた。


「不当逮捕かどうかはさておきですね。銃撃事件の実行犯であった、当時暴力団の構成員だった2名……、鏡と東館という人間ですが、そのうちの1人が、あなたの北見の事務所を隠れ家にして、犯行のあった平成7(1995)年11月11日まで滞在し、更にその後も潜伏していたという、証言並びに、事務所捜索での裏付けが既に取れてるんです。それには、あなたの道内での番頭格の秘書である、中川が関わっていることも、これまた立証されているわけです。と言うより、中川秘書は、そのような間接的関与だけでなく、実行時にも相当深く関わっている。ほぼ実行犯と言い切って良いと考えています」

日下は、相手の反論との間を置かず、とうとうと事件の概略を大島に呈示し始めた。


「そんなことを言われても、北見や網走でのことは、基本的に中川に任せっぱなしだからね。それぐらい信用していたのに、こういうことになった点については、私の監督不行届と言われても、それは甘んじて受け入れるにせよ、殺人の汚名を着せられるのはどうかと思うぞ」

少々威圧的な言い方だが、あくまで落ち着いた態度の範疇に留めては居た。


「あなたと秘書の関係を前提にすれば、どんなに『権力』が移譲されているとは言え、あなたの事務所を好き勝手に、ヤクザのヒットマンに貸し出せる程、中川秘書が自由だったとは思えないんですよ。これは警察の見立てとしてだけではなく、中川秘書やあなたの事務所について知っている、あらゆる人間がそう証言しています」

「そんなことを言われても、それが事実なのだから仕方ないんだよ君達! 私はずっと東京に居て、中川とそういう話は一切していない。君達が証明すべきは、私が実際に、中川に対してそういう指示を出したことそのものじゃないかね?」

おそらく、この部分については、バレていない自信があるのか、大島は警察側の挙証責任を強調していた。


「じゃあ、別の切り口からお尋ねしましょう。実行犯の2人は、東京の暴力団組員でした。しかも2人共、葵一家系の、それぞれ別の組の人間でした。当然のことながら、上部組織である葵一家による、何らかの指示があったものと考えています。しかし、ずっと道内で勤務している中川秘書と、葵一家との接点が全く見えてこないんですよ。そういう連中が、いきなり北見くんだりまでやってきて、あなたの事務所に長期間潜伏していた。どうも中川さんの単独判断、単独行動にしては、腑に落ちない点が多過ぎる」

今度は吉村が大島に探りを入れた。

「それは中川に聞いてもらえないかな、私に聞かずに」

大島は相変わらず冷静な受け答えで簡潔に返した。


「さすがだな、大島海路……」

五条がマジックミラー越しにポツリと呟いたが、その場に居た誰もがそういう印象を抱いただろう。ただ、日下と吉村も、決して相手のペースに呑まれているようには見えなかった。上司である西田は、その点にはいたく満足していたと言えた。


※※※※※※※


 結局その調子のまま、簡易的な取り調べを終え休憩に入った。1時間後には、大島を札幌地検の担当検事に送致する予定だ。取り調べで難儀した吉村も日下も、慰労を兼ねて、職員用の食堂で西田から、早目の昼食としてかつ丼を馳走になっていた。


「まあ、あんなもんだろ。相手も大狸だ。取り調べで簡単に落とせるわけがないわけだから」

2人がガッツク様子を見ながら、西田はもっともらしいことを言った。

「黙秘権戦術かと思いましたけど、結構喋ってきたんで、その点は予想外でした、正直」

早速食べ終え、西田から早食いの異名を欲しいままにしているだけのことがある吉村が、爪楊枝を手にしながら言うと、

「中川に相当の信頼を置いてるなあれは。ヤクザの組長と子分の信頼関係だあれは」

と、日下も「あれは」を2度繰り返して苦虫を噛み潰したような顔をした。


「病院銃撃事件について言えば、今回の上からの逮捕命令と言い、こっちに有利な風が吹いてきてるから、起訴どころか公判維持まで何とかなりそうだが、問題は佐田実の件だ」

「北朝鮮絡みで、情報操作のための逮捕命令の件はともかく、銃撃事件における明確な指示系統の証明なしで大丈夫ですかね? ヤクザ関係の事件だと、裁判官も相当こっちに甘いことは甘いですが……」

西田の言葉に日下が疑問を呈した。しかし、この場に竹下でもいれば、独立を謳いながら、政治と癒着している検察や裁判所まで、批判を繰り広げたかもしれないと、西田はふと思いつつ、

「利用出来るもんは利用しないと、この件は挙げられない」

と言って、大して美味くもない味噌ラーメンをズルズルと音を立てて啜った。


※※※※※※※


 夕方には、札幌地裁で勾留請求が認められ、東京の大島の顧問弁護士から依頼された、札幌の塚田弁護士が準抗告の申し立てで抵抗したが、夜には棄却されて勾留開始が決定した。そのまま、市内東区の苗穂地区にある、札幌拘置支所へと移送され、併設されている札幌刑務所内の医療センターで、念のため医療チェックが行われた後、収監された。脳梗塞については、現状は問題ないとされたが、老齢もあり、1日当たりの取り調べは4時間以内と厳命されたのは、多少捜査員にとっては誤算だったかもしれない。

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