第175話 名実84 (197~199 大島逮捕と留置場へ連行)

「逮捕するにしても、色々用意をしてからにしてもらえるかな? 30分ぐらいは待ってもらいたいものだが」

大島の言葉尻以上に刺々しい発言に、有田は、

「飛行機の都合もありますが、30分程度なら問題ありませんから、どうぞご自由に」

と時計を見ながら言った。現在、11時40分ちょっと前だ。12時過ぎには病院を後にしても、予定している便には、問題なく間に合う算段だ。その時秘書が、

「先生に手錠は不要です、当然わかってますね?」

と念を押すというより、強制気味の言葉を吐いた。

「一応、そういうことを指示されていますので、ご心配なく」

丁重に有田が回答したことに、秘書は取り敢えずは満足したようだった。


「我々も付いて行っても良いのかな?」

一番偉い立場と見受けられた秘書が尋ねてきたが、

「同行と言う意味では、残念ながら無理ですね。勝手に札幌まで付いて来ることは拒否出来ませんが」

と言って、有田はさすがに呆れたような口調だったが、表向きは丁寧な言葉遣いに、相変わらず終始していた。


 用意を終えた大島は、刑事達は勿論、秘書や諸積にも付き添われ、職員用の通路やエレベーターを使って、他の人目に付かないように病室から地下駐車場へと出た。この時、吉村はタイミングを見計らって、メールで「もうすぐ出発」とだけ打って、五十嵐への最後の連絡を果たした。賽は投げられたのだから、後は彼らに任せるしかない。


 秘書は、大島がミニバンに乗せられて、両脇をそれぞれ吉村と日下に挟まれているのを見ながら、

「後で札幌に参りますので」

とボスに喋り掛けた。

「うむ。あっちに塚田弁護士を派遣してくれるように頼むぞ! 何も心配することはない」

大島は、落ち着いて指示した。


 北見の中川秘書の弁護に、辞退した松田に代わり新たに就いている林田という弁護士の所属事務所が、塚田弁護士事務所という名前だったように吉村は記憶しており、大島が口にしたのは、おそらくそこの代表者の名前だろうと思った。


「じゃあそろそろ出ますんで」

吉村が事務的に告げると、静かにドアを締めた。秘書は頭を下げたまま、一行が出発するのを見送った。下僕と言っても大袈裟ではない忠実な振る舞いに、吉村は何となく複雑な思いを抱いた。一方で横の大島は腕を組んだまま、目を閉じていた。ここまで落ち着いているのならば、「わざわざ病院に駆け込まず、自宅で堂々と待っていればいいのに」とも思ったが、まあ、逃げられるなら逃げておくというのも、残念ながら正しい選択ではあることは間違いない。所詮大物議員と言えども人間だ。追い込まれてから足掻かないだけ、多少はマシと言えたのかもしれない。


 車が動き出すと、吉村は横の大島に、

「窓を開けて新鮮な空気を入れましょうか?」

とお伺いを立てた。勿論、そこには狙いがあったが、大島は黙って頷いた。


 先導しているのは、有田と星野がそれぞれ乗った黒塗りのクラウンで、大島を載せたエスティマがそれに続き、地下駐車場の職員用裏口から、暗がりを抜けるように表に出た。出口の正面にカメラマンが居るという話だったが、後部座席の吉村からは確認出来なかった。しかし、クラウンが先に道路をゆっくりと右折し、エスティマが出口の先頭に立った瞬間、一瞬、二度、目の前が光ったのは判った。四谷署の運転手役が、

「あら? バレてんじゃねえか?」

と口走りながら、舌打ちしたのを吉村は聞いた。日下も、

「あら?」

とだけ言うと、吉村をチラ見したが、吉村は日下に顔を向けることもせず白々しく、

「さすがマスコミだな。勘付くのも早い」

とだけ小さく言った。


 大島は特に反応しなかったが、目を閉じていたこともあって気付かなかったか。あのフラッシュは、間違いなく五十嵐が手配したカメラマンの仕業だろう。歩道の茂みのような所から、目立たないように狙っていたのだろうか。


 吉村は、四谷署の運転役の捜査員が、どちらにハンドルを切るかは、事前にはわからなかったが、進行方向左側に座っていたので、どちらに曲がるにしても、開けた窓は歩道側であることはわかっていた。一応後部座席は、スモークガラスでまともに見えないはずだが、歩道側であれば、カメラマンから大島の顔が撮れると踏んで、顔が見れる程度に、事前に窓を開けていたわけだ。そして運転士は当然クラウン同様右折した。


「さて、問題はここからだ。ちゃんと撮ってくれよ」

心の中で呟くとほぼ同時に、今度は一瞬のまばゆい光と共に、確かにカメラマンらしき姿が過ぎ去っていった。この時はさすがに、大島も日下もそれに気付いたようで、特に日下は、しばらくリアウインドウから、遠ざかるカメラマンを追うように見ていた。その後向き直り、今度は吉村の様子を黙ったまま窺った。さすがにあの窓を開けたのが、どうも意図的だったと理解したらしい。しかし、取り立てて何か言うこともなく、再び進行方向を真っ直ぐに見やった。どうせ後で何か言ってくるんじゃないかと吉村は思ったが、今は西田の作戦が成功したことを、ただ純粋に喜んでいた。大島は、フラッシュが焚かれた瞬間に、目を開けて軽く横を見やったていたが、その後は何も言わず、再び目を閉じたままだった。


※※※※※※※


 車は1時間もしないうちに、羽田の空港職員用の出入り口に横付けされ、護衛の警官に囲まれながら、職員用の通路から出発待ちの貴賓席に入った。テレビは北朝鮮の特番が映されていて、大島もソファに座りながらそれをじっと眺めていた。さすがに気になるらしい。昼食が終わってから、午後の会談は2時過ぎから行われるようだ。この時点で、どんな成果があったかは明らかにされていなかった。


「これは余り芳しくないな……」

独り言のように大島が感想を述べたが、吉村にはその意味がわからなかった。ただ、もし喜ばしい成果があったら、事前に漏れ伝わるはずだという、長年の政治家経験から出た発言だったことに、後から気付くことになる。そして、ほぼ同じ時刻に、五十嵐からのメールを受け取った。「無事撮影完了。感謝」。文面はそれだけだったが、今の吉村にはそれで十分でもあった。


※※※※※※※


 その頃西田達は、大島を無事羽田まで護送したことを確認して、琴似留置場へと向かう準備を始めていた。西田達もテレビを見ていたが、拉致関連がどうなるか、やや余裕が出来たせいか気になり始めていた。五条が、

「うまく行ってんのか?」

と西田に確認するも、

「いや、特に何がどうという情報は入ってないみたいで」

とだけ伝えた。

「丁度、大島がこっちに着くぐらいか? 詳細がわかるのは。でも、そんなことに注目してる状況じゃないな……」

五条は、自分に言い聞かせるように言いながら携帯を取り出し、おそらく琴似留置場の職員と連絡し始めた。


 いよいよ、大島を迎え撃つ段階が、刻一刻と近づいて来ているのを西田は感じながらも、大島をどうやれば、佐田実の殺害に関わったと自白させられるのか、今日は取り調べはない予定ではあったが、それが現実の難関として、目の前に近づいて来ているということも認識していた。とは言え、自白抜きでも立証出来る可能性が十分にある、共立病院銃撃殺人の立件をまず考えるべきだと思い直し、立ち上がって背筋を伸ばした。


※※※※※※※


 大島を連れた吉村達道警組4名に察庁の星野は、無事に2時過ぎの羽田発の便に乗り、新千歳には3時半過ぎに到着した。大島が乗っていることに気付く乗客もいたが、手錠等もしているわけでもなく、周りを囲んでいた吉村達は秘書に見えたか、特別、逮捕連行を想定してザワつく感じもなかった。


 とは言え、大島が入院していることや、犯罪加担疑惑が出ていることは、割と世間に知られているはずなので、中には勘付いている人も居たかもしれない。他の乗客が完全に降りるまで待ってから、他の客がいる到着ゲートを通らず、職員用通路から抜けて、待っていた道警のワンボックスカーに乗り込んだ。先導する車には、道警の前橋参事官が乗っており、そちらに星野も同乗した。


 その頃、西田はJR琴似駅裏にある、琴似留置場に既に着いていたが、近くのコンビニまで行き、道報の夕刊を手にした。そして、大島らしき老人が、吉村と日下らしき捜査員に挟まれて写っている一面の写真を確認し、もう1枚は吉村の横顔の向こうに、大島の横顔が完全に確認出来た。


「吉村の奴、わざわざ窓開けたか。露骨過ぎるな」

西田は苦笑いしたが、ここまで来れば、ヤッたもん勝ちという思いもあった。紙面上、時間的には既に逮捕された後で、政権側の思惑通り、北朝鮮問題で逮捕の事実が埋没したこと自体も覆されず、北海道新報だけが一面。リークした人間は絞られるが、大問題になるほどでもない。安村の暴走同様、相手にも脛に傷がある以上は、黙認されるだろうと確信していた。


 新聞はそのままコンビニのゴミ箱に捨て、留置場へと戻る。すると今「一行」は、道央道の北広島付近を走行しているという連絡が入ったと黛から伝えられた。もう後30分もしない内に大島と対峙することになるだろう。ここで緊張感が急激に高まって来たのを西田は感じていた。不思議なことに、この7年の捜査の集大成に近づいていたにもかかわらず、どうも今日これまでは、緊張感と共に日常感も割と感じていた。久しぶりに家から出勤したことがその原因かとも思っていたが、それが根本的なものとは思えなかった。しかし今こうして考えてみると、一種の防御反応というか、入れ込み過ぎを、西田が無意識に抑制していたのかもしれない。そしてそのタガが今外れたと……。


 それからしばらくすると、西田達が待っている部屋に五条がドカドカと入ってきて、

「おい! 大島の逮捕が道報の一面に載ってるぞ! 誰かリークしたな!? 今既に、外にマスコミが少数だが来てるようだ。これ見たんだろう!」

と大声を上げた。しかし、その様子は怒りというより、「してやられたな」という感想を持っているだけのように見えた。

「あらら、俺達が疑われるのかな?」

馬場捜査一課長は、「如何にもやっかいなことになったな」という口調だったが、真剣に困惑している風には見えない。この期に及んで大きな問題になるという認識は、道警の「上」も持っていないのだと、西田もわかってはいたが、正直少々ホッとした。


 その時、大島一行が新川インターチェンジを降りたと連絡が入った。あと5分程度でこちらに来るだろう。同時に、テレビを見ていた轟主任が、

「あ、拉致被害者に生存者が居たのは確実みたいですね。官房長官が言ったみたい」

と口にした。

「そりゃさすがに居なかったら、北朝鮮も高松招いて交渉なんてしないだろ」

大峰係長が、当たり前のことを言うなとばかりに呆れたが、それから1時間も経たない内に、日本側としては、そう簡単に受け入れられない結果になるとは露程も思っていなかったはずだ。


 その直後、今度は、大島が逮捕されたという「遅め」のニュース速報がテロップで流れた。今度は轟が、「遅いわ!」と一喝したが、こちらがバラさなかったのだから仕方ない。道報の五十嵐も自分の社以外には、約束通り完全に黙っていてくれたこともあった。そして西田はそれを聞き終わると、玄関の方へと一人先走って向かっていた。


 まもなく、他の捜査員も玄関前に出て、大島が到着するのを待っていた。留置場の入口の門付近には警官が立ち、護送車が入ってくるのを、マスコミから邪魔させないようにしていた。そしてそれからすぐに、黒塗りの先導者とダークブルーの護送車が連なって入場してきて、フラッシュが連続で焚かれ西田の眼の中で爆ぜた。


「さて、お迎えするとしようか」

そう言うと、玄関から外に五条が出て、西田達も続いた。まず、黒塗りの車から前橋と星野が降りてきて、格上ポジションの五条に会釈すると、五条同様、護送して来たワンボックスカーのドアの前に立った。頃合いを見計らったかのように、護送車のドアがスーッと開いて、中から吉村がまず表れ、その直後大島の姿が視界に入った。


「どうも遠方からご足労いただきまして。道警本部刑事部長の五条と申します」

車に乗ったままの大島に対する五条の挨拶に、

「白々しいね君も」

と険しい目付きで言いながら、吉村が病院で見たように、思ったよりスッと立ち上がって車から降りようとした。それを見て吉村が慌てて手を取ろうとすると、軽くはたいて、「余計な世話はいらん」とばかりに車から自分で降りた。足腰はやはりしっかりしているようだ。護送車越しに外のマスコミの喧騒を確認してから、今度は留置場側の周囲を見回して、

「落ち着かないから、早く案内してくれ。北朝鮮との交渉結果も知りたいからテレビも見せてもらいたい」

と命令口調で言う。とても殺人容疑で逮捕連行されてきた者の態度ではないが、政治家として、やはり国交正常化交渉は気になっているようだ。


「じゃあ、取り敢えず待合室に入っていただきましょう」

五条はそう言うと、大島を引率して玄関の中へと入っていった。本来であれば、すぐさま着替えさせて、身体チェックしてから留置場にぶち込むところだ。しかし相手が相手だけに、丁重且つ慎重に取り扱うことは事前に言われていたが、西田としてはやはり腹立たしい思いはあった。


 西田は吉村や日下に軽く目配せして、「お疲れ」のサインを送った後、大島の後ろからゾロゾロと西田達も付いて行くが、吉村同様、年齢から考えるより背が高い人物だと感じていた。西田も刑事としては身長は高くはないので、それよりも高いかもしれない。


 一方護送班は、受け渡しを確認した後、馬場から休憩しろと指示を受けて、大島を囲む隊列からは離脱した。吉村は西田からは何も伝えられていなかったが、道報の夕刊を読んでいる職員の紙面を確認して、自分の作戦が成功したことを把握した。それを見ていた日下が、

「お前と課長補佐の仕業か……」

と、後ろから覗きこむようにしながら耳元で囁いたが、特に責め立てるような口ぶりでもなかった。吉村はそれを肯定も否定もしなかったが、その時点で認めたも同然だった。


 大島を待合室のソファに座らせたが、他の留置場の職員やこの事件とは関係ない捜査員も、特別驚く様子はなかった。既に大島がここに連行されてくることは、知らされていたからだ。そして、彼らと共にテレビを皆で見ていると、午後5時過ぎにテロップで速報が入った。「外務省より生存4名、6人死亡の情報」の文字に、一様にどよめきが起きた。


「あらら、生存者が思ったより随分少ないなこりゃ……」

よく知らないベテランの捜査員らしき人物の言葉が、その場に居た全員の思いを代弁していた。いつの間にか、休憩を終えた吉村達も西田の背後に居て、

「これは国民納得させられるんですかねえ……。反って反感高めるだけだったような」

と漏らしたが、その認識は間違っては居なかったろう。


「人気だけは高い高松政権としても、このまま話を進めるのは、相当厳しいかもしれん。北朝鮮はまともに信用すると偉い目に合う」

大島は低い声で感想を述べた。北朝鮮との国交正常化に関しては、民友党、特に政権の中枢にあった旧箱崎派などの主流派は、「宥和政策」を取っていたが、いずれも失敗していたことを踏まえた発言だったのだろう。その発言の重みを周囲の人間は感じていた。そしてすぐに、

「状況はわかったから、もうテレビは見ないで構わん。早く休みたいから、さっさとブタ箱に放り込んでくれ! こう見えてもちゃんと病人なんだぞ!」

と五条に伝えた。


「じゃあ申し訳ないですが、着替えていただいて……。その前に身体検査を受けていただきますがよろしいですね?」

と、五条が丁重に確認すると、

「ああ、わかっとる。しかも、尻の穴まで見られるそうじゃないか?」

と言い出した。

「それについては、今は下着着用のまま、両足を交互に上げてもらうという方法になっていますので」

と答えると、

「ほう! 日本の刑事司法手続きも、随分とまともになったんだな」

と、強がりかもしれないが、声に出して笑ってみせた。ただ、徴兵検査を経験している世代なら、実際問題大したことはないのかもしれない。あくまで今の地位や待遇に慣れきっていない前提ではあるが……。


「では、ご案内します」

そう伝えた五条に連れられて、大島は出て行った。今日はもう取り調べはしないことになっていたので、西田にとってはあくまで「顔見世」程度ではあったが、既に心は明日に向けてはやっていた。


 一方、北朝鮮関連の特番では、拉致被害者の家族が無念の思いを語っていた。生存していると伝えられた家族も、死亡が伝えられた家族のことを思うと、そうは喜べない状態だったのは間違いない。「時間」という壁の大きさは、佐田実の事件だけでなく、ここにも表れていたのは間違いなかろう。


 その後、各局のニュース番組は、北朝鮮関連に加え、更に大島の殺人容疑逮捕も加わり、相当に混沌とした状態だったが、西田は一段落着いたことで、五十嵐に連絡を入れた。五十嵐からは直接電話での返答はなかったが、その後、吉村と同様、西田に感謝のメールが来た。さすがに相手も色々と忙しいのだろう、メールで済ませたかったようだ。もしかしたら、むしろ警察こっちの状況を慮ったのかもしれないが……。しかし、明日からは今度は西田がその忙しい番だ。午後8時には、五条から明日に備えて自宅へ戻る許可を得て、西田も吉村も留置場を後にした。


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