第152話 名実61 (142~143 捜査方針決定と五十嵐記者からの突然の連絡)

 8月6日、57年前に広島に原爆が落とされたこの日は、当日の広島のように北見は蒸し暑くなっていた。そして、黒い雨が降った広島同様、北見でも一時夕立のような雨が降っていた。


 午前中に西田の元へ、鑑識より、証文から伊坂の指紋が大量に検出されたと報告があった。やはり、証文は大吉のモノだったらしい。そうなると、何故、大吉は自分の証文と砂金1人分を丸ごと遺したまま死んだのか……。そして、どうして政光は、それをそのまま取っておいたのか……。


 気になることは確かだったが、今はそれを追及するために、時間を費やす時ではない。西田は、その思いを胸の奥に取り敢えずしまうことにした。言うまでもなく、真相は突き止めたいと考えてはいたが……。


 そして、昼過ぎには、今度は二課から良い知らせが入った。どうやら、昨年の伊坂組の決算が粉飾だった疑いが強いという。おそらく、来栖が西田に前日言っていたことは、この嫌疑を意味していたのだろう。その粉飾の目的は、主要取引銀行である、北央銀行からの融資を受けるためではないかと見ているようだった。


 というのも、伊坂組は伊坂家で、全て株式を保有する同族会社であり、ここ数年は経営の見通しが暗く配当も見送っていたので、不当な配当などで会社の財産を減らすという目的はあり得なかった。つまり、言い換えるならば、会社法絡みの違法配当や背任罪での立件は厳しいということでもあった。


 ただ、北央銀行が、経営が傾きつつあった伊坂組への大型融資を引き上げるという話が数年前からあり、伊坂組としては、何とかそれを避けるため粉飾決算に手を染めたという見立てだ。


 既に、取引していた北央銀行・北見支店側に確認を取ったところ、やはり昨年の決算次第では、低下していた売上高と近年の慢性的な赤字体質、将来的な土木・建設産業の縮小を見据え、融資の一部引き上げを考慮していたと明言された。その上で、伊坂組にもそれを通告していたと言う報告を得た。


 但し、支店長の話では、大島海路と縁の深い伊坂組から融資を引き上げるということは、実は一部の引き上げであっても、それほど簡単ではなかったようだ。実際にこの通告の後、おそらく社長の伊坂から泣きつかれた大島海路より、北央銀行中枢部に介入があったという。北央銀行は大島の影響が長年それなりにあるらしい。


 一方で、今回の一連の逮捕劇を受け、北央銀行側もさすがに、色々と大島周辺の影響を排除しなくてはならないと考え始めたとも告げられていた。


 粉飾以前は、白紙の領収書などで経費を水増しして、資金確保の動きをしていたが、銀行の融資を繋ぎとめるために、今度は、むしろ業績を無理やり上げる必要が生じたということになる。如何にも、バブル崩壊から、特に98年以降、不安定になりつつあった中堅ゼネコンの経営状態を示していたとも言えた。


 高松総理の前の民友党政権では、急死した久米総理が、消費税5%増税後の急激な不況に対応するため、公共事業にかなり公的資金を突っ込んでいた。しかし、北海道の不況は、それでもカバーし切れなかった。更に、後を受けた高松が、今度は構造改革路線と財政再建を打ち出したため、銀行側としても、中堅ゼネコンに多額の融資を続けることを不安視していたと見られる。


 二課としては、これを以って、伊坂を北央銀行に対する詐欺で立件する方針を固めたということだった。これにより、伊坂の現時点での勾留事由である「有印私文書偽造」容疑についての勾留延長請求が、彼が取り調べに素直に応じていることで、証拠隠滅や逃亡の恐れがないとされて認められなかったとしても、別件の詐欺による再逮捕で、更なる勾留は継続出来ることが確実になった。捜査本部としても、これはひとまず安心出来る材料にはなる。


 ところで、詐欺は親告罪ではないので、北央銀行側の告訴は必要とはしていなかったものの、伊坂に与えるダメージ効果を狙い、2課では北央銀行・北見支店に告訴を頼んでいた。


 このことは、北央銀行側が伊坂組と完全に「手を切る」ということを明確にしてもらう意図があり、警察側としては、伊坂組の経営危機から伊坂自身への揺さぶりの材料として使用したかった。しかし、北央銀行側からは、現時点で余り良い返事はもらえなかったのは、二課としては残念なことだったようだ。勿論、西田達にとっても残念なことに変わりはない。


 伊坂の逮捕もあって、銀行側としては、警察への協力並びに融資引き上げを再考せざるを得なくなったとしても、やはり、その部分は大島に気を使ったのではないかと二課では見ているようだった。


 いずれにせよ、これまでは、伊坂政光が留辺蘂・温根湯温泉の研修施設に東館達が潜伏していたことを知っていたという、当時の施設担当の杉村の証言を元にして、その施設で東館達の世話をしていた坂本と板垣への、伊坂による殺人幇助教唆での再逮捕を、捜査本部では最悪考えていた。


 だが、逮捕容疑としては、そこそこ無理筋の類でもあり、幾ら裁判所が警察の言いなり気味とは言え、多少不安があったこともあり、二課が新たな犯罪を見つけてきたのは大いに助かったわけだ。


 一方で、中川秘書と坂本、板垣は、未だ容疑を認めずにいた。中川の殺人容疑や板垣の自動車窃盗容疑(場合によっては殺人幇助へと切り替える)については、物証も出てきており、まず問題なかったが、坂本の自動車窃盗並びに坂本・板垣両名の殺人幇助については、未だ東館の証言頼みという側面が大きく、物証か最低でも自供が欲しいところではあった。また、建設会社銃撃での立件も、今のところは厳しい状態であった。


※※※※※※※


 8月7日、前日の30度超えが嘘のように、雨が降った上に最高気温が20度に満たないという、北見らしい気温変動の中、昼過ぎに西田達に再び朗報があった。


 伊坂組の留辺蘂の資材置き場の地面から、1センチ程埋まった土中に、1発の銃弾が発見されたというのだ。捜査員が、何日も血眼になって、地面を這いつくばって探しまわった甲斐があったというものだ。この日も降雨の中大変だったろう。おそらく坂本達が射撃練習で使用して回収しきれなかった分と見られた。


 早速鑑識に、建設会社銃撃事件で使用されたモノと共通のモノがあるか、そして線条痕が同じモノがあるか、チェックに回された。回収しきれなかった銃弾があると見込んで捜索させていたが、努力が実った形だ。


 この物証だけで、2人の犯行に直接結び付けることは無理があるが、東館の証言と併せると、何とかいけるとも言えた。これで、先々には、銃刀法絡みでの再逮捕が可能となったわけだ。


※※※※※※※※※※※※※※


 8月8日木曜。逮捕された4名は、一度担当検事の取り調べを受けていた。勾留期限が11日までで、しかも10日と11日が土日のため、金曜である翌9日午前までに、担当検事に勾留延長を請求してもらう必要があったからだ。


 捜査本部では、担当検事のアドバイスもあり、中川と坂本、板垣はそれぞれ殺人、殺人幇助でまず勾留延長請求して、伊坂においては、私文書偽造での勾留延長を前提としつつ、認められなかった場合に備え、詐欺での再逮捕を画策していた。


 場合によっては、坂本と板垣への殺人幇助教唆容疑も控えてはいたが、現状としては逮捕まで出来るか疑問の状態だ。そのため、まずは詐欺での立件を優先すべきなのは当然だった。


 既に起訴していた東館も、まだ拘置所へは移送されておらず、留置されたまま、板垣の自白とのすり合わせなど、検察官からの簡単な聴取は続いていた。ただ、東館は素直に自供していたので、取り調べにそれほど時間が割かれることもないようだった。


 さて、そんな中で忙しくしていた西田に、思わぬ人物から連絡が入ったのは、外が闇に覆われ始めた、午後7時過ぎのことだった。


※※※※※※※


「もしもし? あの、どうも初めまして。北海道新報の五十嵐というモノですが」

そう切り出されて、一瞬誰だかわからなかったが、「北海道新報」というフレーズで、竹下の大学のサークルの先輩であり、勤務先の先輩でもある五十嵐だとわかった。95年から間接的には絡んではいたが、直接会話するのは初めてだった。


「ちょ、ちょっと待って下さいね! 今外に出ますから」

西田は、捜査本部の部屋から出て、小走りで休憩室へと向かった。さすがに誰と会話してるかはわからないだろうが、こちらの喋る内容は、他の捜査員には聞かれたくはない。何しろ相手はマスコミだ。大体聞かれそうなことは思い当たっていた。都合の良いことに、休憩室には誰も居なかった。


「待たせてどうも! こちらこそ。直接話すのは初めてですが、三友金属鉱業の件始め、竹下通じてこれまでかなりお世話になりまして」

「ありがたいな、そいつは話が早い!」

西田の挨拶を聞くなり、相手の声が幾分高くなったのがわかった。感謝しているからと言って、相手の要求を飲むということではなかったのだが、やや勘違いされているように西田は不安を覚えた。


「こっちの番号、竹下に聞いたんですか?」

「お察しの通りで」

「何か事件の関係での取材ですか? それなら申し訳ないんですけど、現段階でそっちを喜ばせるような、話せるモノはないんですよねえ」


 西田としては、五十嵐が事件絡みで、何か探りを入れてきたのではないかと疑っていたので、先手のジャブを打っておいたわけだ。

「いや、警戒されるのは仕方ないけど、残念ながら、自分は今東京の社会部なんでね。大島が逮捕でもされない限りは、取材しても担当外ということで、今現在は書くことがないんですよ……。それに、そもそもそっちのウチの記者が色々取材してるでしょ?」

五十嵐も、警察が大島を最終ターゲットにしていることは理解していた。そもそも、そのことについては、今マスコミが騒いでいるより、はるか前の95年秋には、竹下を通じて五十嵐は大方把握していたのだから、言うまでもないことだったが……。


「言われてみりゃ、五十嵐さんは今東京でしたよね。そいつは失礼しました!」

西田も、この発言で相手へのガードが多少緩んだ。

「でも、そうだとすれば、尚更、一体何の用ですか? 直接掛けてこられるような、思い当たる節が無いんですがねえ」

「まあそうかもね……。どうも最近、捜査情報がマスコミ通じて出てこない。こういう時は、捜査が進んで慎重になってるか、捜査が行き詰まってるかのどっちかで、大抵は後者というわけですよねえ? 思い当たる節がないってのは、逆に言えば、正直思うように捜査が進んでないってことですよね?」

愚弄するような表現をしたが、それなりに当たっている以上仕方ない。その上で、五十嵐は話を続ける。


「だったら、ちょっと面白い情報が、こっちの知り合いから手に入ったんで、お伝えした方が良いかと思いましてね……。本来なら、警察から情報を取ることがあっても、こっちから流すような真似は、ブン屋で飯食ってる人間としては、到底やりたかないんですけどね……」

五十嵐は思わせぶりな言い方をした。西田はそれを察し、

「報酬は? 現時点で、捜査情報が欲しいということではないようですが」

とシンプルに尋ねた。すると、

「報酬ってのは、もしよければ、そちらさんが大島を逮捕してから、他じゃ知り得ない詳しい情報を、道報こっちに提供して貰えれば十分ですよ。言い換えれば、そんなことは、元々余り期待してるわけじゃないんでね。自分が担当出来る話かもわからないし……」

と、多少嫌味な返しをしてきた。どうもそういう意図は元々なかったので、痛くもない腹を探られて気分が悪かったようだ。


「そいつは失礼しました……。では何故?」

西田は形式的に謝ったが、未だ相手の真意を計りかねていた。

「そこは大した理由なんてないんでね……。そもそも北海道でブン屋やってて、利権屋の大島を気に入ってる奴なんて、まあ『取り巻き』でもなけりゃ、そうは居るわけないんだから。大方の同業は、出来ればさっさと逮捕してくれと思ってるぐらい。そういう意味で、不本意ながら、警察にわざわざ情報提供しようって気持ちになってるわけですよ。これまでも、竹下との関係で、そちらさんのために色々動いてきたけれど、竹下が絡んでない以上は、本来なら余り協力したくはないぐらいですから」


 この発言を聞くだけでも、高垣同様、余り警察に好意的な人物ではないことは確かなようだ。その辺については、喜多川専務が取り調べ中に倒れた際の、道報の報道介入の時にも、竹下を通じて何となく伝わって来てはいたのを、西田はこの時、ふと思い起こしていた。


「つまり、ほぼ純粋な意味でこちらに協力してくれると……。そういうことなんですか?」

「まあ平たく言えば。そういうことなんで、前置きが長くなったけど、そろそろ話して良いですかね?」

痺れを切らしたように、本筋に戻るように話の軌道修正を迫ってきた。

「あ、こいつはすみません。余計な勘ぐりで遠回りさせてしまって……。どうぞ情報をお教え願いたい」

敢えてやけに丁重に頼んでみた。

「まあ、どれくらいそちらさんにとって重要かどうかわからんけど、それなりに面白い情報だと思いますよ」

早く言いたそうな割には、回りくどい前置きをしてきたので、西田は「下手にでてやったのに」と心中で舌打ちしていた。


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