第153話 名実62 (144~145 鳴尾の奇妙な体験談)

「今、ウチの東京の報道部で一緒にやってる、社会担当記者の鳴尾って、自分より4つ下の後輩が居るんですがね……。そいつはね、入ってまだ数年の駆け出しだった、87年春から1年、ウチの北見支社にたまたま勤務してたって話なんですよ。前任者が体調崩して退社したんで、本来の赴任地である旭川支社から急遽赴任したんです。この業界じゃ、記者が身体壊すなんてのはよくある話でね……。ところで、話の前に念の為、是非とも確認させてもらいたいんですが、例の本橋の佐田実殺害事件、あれ、87年9月26日の犯行だったって、道報ウチの縮刷版でも確認してみたけど、それで合ってますよね? 確か秋だったところまでは記憶にあったんで、一応確認してみたら、記事ではその通りで安堵したんです。それで、西田さんの電話番号聞く前に、一応竹下にも確認したんですが、こちらも『それでいい』と。因みに竹下に、『西田さんに直接話せ』ってアドバイスされて、それで今掛けてるんですよ」

五十嵐は、竹下には電話番号だけではなく、「判断」も仰いでいたようだった。

「あ……、そうだったんですか。事件発生日については、それで間違いないですね」

前振りは長いものの、思わぬ展開に、西田は何か掴めるかもしれないと、事前よりも期待を高めた。


「鳴尾は当時、特別、政治担当でも無けりゃサツ回りでもなく、単なる地域情報担当みたいな役回りの代打だったそうです。まあ北見で政治担当なんて役回りは、そもそも無いですが……。ただ、北見は、都市まちとしてはそれ程の規模でかさじゃないし、周辺地域も含めたところで、大して大きい社会でもないでしょ? それで、地元選出・国会議員の番頭格の秘書ぐらい、地域担当の記者なら、短期間の代打要員でもある程度顔見知りになるし、話ぐらいはしたことがあるわけですよ。その上で、捕まった中川のことを、87年当時は、北見の大島の事務所を取り仕切ってる、単なる実力者って感じで見てたそうです。若手記者の鳴尾にも愛想が良くて、先日の逮捕のニュースを聞いて、『まさか、殺人まで手伝うような奴だとは、今から考えても信じられない』とね」

「国会議員の秘書が、殺人の手助けしてるってのは、警察ですら寝耳に水でしたから、そりゃ当時は仕方ないですね」

西田も五十嵐の話に同調した


 実際のところ捜査は、東館の証言がなければ、大島本人の関与はともかく、中川秘書の介在方向にまでは及ばなかったはずだ。確かに、北見不在の大島に代わって何か関与するということは、後からは考えられないことはない。しかし、実行犯である本橋に具体的に指示を与えていた伊坂大吉が、伊坂組の部下を佐田の殺害に協力させていたせいで、大島の直接の「部下」まで動いていた可能性は、頭からすっぽり抜け落ちていたわけだ。


「それでね、今回の病院銃撃事件での逮捕報道を受けて、鳴尾が相当びっくりしたって話の続きなんですが……。そんなわけで、自分と先日飲みに行った際に、やはり中川や事件の話になった。俺としては竹下との関係で、一般的な記者よりは、本橋絡みの捜査での、最前線の多少ヤバイ話は、既に漏れ聞こえてきましたから……。あ、勿論竹下あいつが完全なリークをしたことはないですけど」

竹下から捜査情報が漏れたと勘違いされると、竹下の信用問題になると思ったか、五十嵐は弁解したが、西田としても、竹下が捜査情報を得るため一定のリークをしていたのは了承済みであり、別に気にするところではなかったので、

「いや、必要最低限の『報酬』として、五十嵐さんに情報提供したのは、こっちもちゃんと知ってますので」

と断りを入れた。


「それならいいんですけど。それでですね……。中川の話から、当然大島海路の話になったわけですよ。そこから更に、あの本橋達による、佐田実の87年9月末の殺人に、裏で大島が絡んでると見て、実は95年当時、警察が捜査してたって話を鳴尾にしてやったわけです。勿論、そこまで鳴尾は知りませんでしたよ。で、今回の病院銃撃事件逮捕についても、中川の後ろには、おそらく大島が居るんじゃないかって話もしましたよ。これは俺じゃなくても、そう読んでる奴は結構居るでしょうけど」


 西田達が絡むようになった95年以前の87年当時も、少なくとも伊坂周辺には、警察は捜査しようとしたのだが、本格捜査に移行する前に大島に邪魔されていたことは、五十嵐は知らないようだし、竹下も伝えてはいなかったはずだ。


 また、本橋の一連の事件が報じられた後も、この87年の捜査への妨害については、西田が知る限りは、一般には表沙汰にはならなかったはずだ。さすがに大島の影響力がまだ強かったせいでもある。ただ、当時北見に居たはずの鳴尾という記者が、職業柄、リアルタイムで全くその手の情報を得ていなかったかどうかは、西田から見て少々疑問ではあった。


「なるほど。それでその鳴尾とか言う記者さんが、北見で仕事していた時のことで何か思い出したと言うことなのかな?」

取り敢えず、疑問点こそあったが、西田は話を先に進めようとした。

「竹下もそうだが、さすが刑事デカってところですな! その通り!」

五十嵐は少しハイになったか、或いは西田への単なる社交辞令か、調子の良い言い方をした。そして話を続ける。

「その話をしているうちに、鳴尾はふと昔の記憶が蘇ったらしいんです。ただ、その場では確信が持てなかったので黙っていたって話で。そして、帰宅後に記憶をたどると何やら思い当たることがあった。そして先日、自分にその面白い話をしてくれたんです」

「ほう。そいつは興味深い!」

西田は、より関心が高まったことを素直に表した。

「北見に居た87年の9月末に、鳴尾が道報の旭川支社に、当初半年の予定だった赴任が伸びるということを言われたんで、それを上司と相談する為、急遽出張することになったらしいんですよ。そして午後から、北見駅から旭川まで札幌行きの特急に乗ろうと、網走から来るのを、北見駅のホームで待っていた時のことです。偶然ホームで、知った顔の男……、つまり中川秘書が、見知らぬ男と何か話しているのを見かけたらしいんです。それで、ちょっと挨拶しておこうと近づいて行ったと言う話で……。相手はサングラス掛けた中年らしき、良く知らない人物だが、まあ一見して普通のサラリーマン風情ではないとわかったらしい。因みに、人相はサングラスのせいでわからなかったそうです。で、かなり近寄ってみても、何やら真剣にヒソヒソと話していたままで、声を掛けづらかったそうです。当然話の内容も、聞くつもりがなかったばかりでなく、ホームで待っていた他の列車のアイドリング音でよく聞こえなかったようでして」

ここまでの話で、西田は何か鼓動が速くなるのを感じていた。かなり大きな話が来そうな予感をヒシヒシと感じていたのだ。


「それで、傍で話し終わるのを待っていたら、気付いたと言うか、特に中川が鳴尾の姿にかなり驚いて、その時のリアクションで腕が、サングラスの男が持ってた缶コーヒーに当たったらしいんですよ。で、飛び散ったコーヒーが鳴尾のスーツや持っていた切符に掛かって汚れたってね。中川も当然謝って、持っていたハンカチでそれらを拭いてくれたって話です。ただ、その一部始終を見ていたサングラスの男が、ボストンバッグの中に手を突っ込んで何やらゴソゴソして、取り出した綺麗な状態の1万円札を中川に差し出し『これをこの人のクリーニング代にしてもらってくれ』と言って手渡そうとした。すると中川秘書がこれまた驚いて、『それぐらいなら自分が払う』と差し出された札を戻そうとしたが、今度は男はそれを押しのけて、今度は直接、鳴尾に無理やり押し付けたって話です。さすがにクリーニング代にしては、相当高額なんで、『気にしないでくれ』と、鳴尾自身もその男に伝えたものの、『男が一度差し出したもんを、わざわざ引っ込めさせる方が余程失礼だ』みたいな話をして、結局無理やりみたいな感じで受け取らされたそうです。で、その後礼を言ってから、やってきた特急のグリーン車に男は乗り込み、鳴尾はただの指定席で旭川まで行ったそうです。中川は特急には乗らず、そのまま見送りもろくにせずに、ホームから立ち去ったということです。因みに男がどこで下りたかまでは確認出来なかったようですが」


 五十嵐の話、というより鳴尾の話を聞きながら、ここまで聞くより先に西田は、五十嵐がそのサングラスの男が本橋であると言いたいのではないかと推測していた。五十嵐により、鳴尾が過去の事件の話を聞いて、表沙汰になった中川秘書の裏の顔と、推測された大島の関係性に加え、本橋の当時の犯行と鳴尾が体験したことの時期的な符合点に、鳴尾本人が何か感じることがあったのだろう。時期的な特定が、ここまでの話だとまだ不確かではあるが、もし日時的にピッタリと合っているならば、中川が佐田実殺しにも何か関わっていた可能性を、かなり示唆していてもおかしくない証言だ。


 それにしても、サングラスの男がもし本橋だとすれば、冷徹冷酷な人殺しでありながら、万札を差し出すという、そういうヤクザ的な男の美学のようなものを重んじる辺り、如何にもという感じがした。


「そのサングラスの男は、ひょっとして本橋なんですか!?」

西田はちょっと早口で、いきなり核心に触れてみた。

「鳴尾がそういう話をしたってことは、そういう意図があるんだろうと思って、その時に確認してみたわけです。しかし残念ながら、今になって考えてもわからんかったそうです。『それが確信出来るぐらいなら、そもそも本橋が連続殺人で世間を賑わした頃に気付いてますよ』って言われまして、なるほどと……。あくまで何となく気になったって理由で話したそうです」

そう言うと、五十嵐は軽く咳をした。西田は、その話に落胆していた。話としては悪くはないが、本人自体に確信が無いというのだから、どうにも動き様がない。


「でも自分から聞いた、大島が佐田の殺害に絡んでいたって話も含めて、もしかしたらそうだったのかもしれないと段々思い始めていたようでもありました。ただ、今でもまだ彼の中では、半分ネタ的な話に過ぎないような感じです。でもやっぱり時期的には、自分はあり得なくはないなと思いましてね」

五十嵐はそう語ってはいたが、西田からすれば、話の展開と反し、妙にかなり自信があるような口ぶりにも聞こえていた。


「なるほど……。ちょっと聞いてもいいですか? その記者さんは、当時北見に居たのなら、大島辺りが圧力掛けて、伊坂大吉と会っていた佐田実の行方不明事件を揉み消したって話は聞いてなかった? サツ回りじゃなくても、そういう話は少しは漏れてくるモンだと思うけど」

西田は念の為に、既に浮かんでいた疑問点を確認してみた。

「俺も初めて聞きますよそれは。勿論、彼もそんなことを知ってたら、当然俺に言うでしょ? おそらくですが、警察そっちも、当時はその情報漏れがないように、徹底管理してたんじゃないですかね? さすがにマスコミに嗅ぎつけられると、抑えきれない場合もありますから。当時のウチの北見支社の報道部が、どれだけ大島とナアナアの関係だったかは、自分も知る由もないんで断定は避けますが……。でも事件の質が質だけにねえ……。さすがに知ってたら、ジャーナリズム賭けてバラす記者も居たと思いますけど」

暗にそう信じたいという願望が含まれているのではないかと、西田は軽くだが疑っていた。


「後もう1ついいですか? 鳴尾記者や道報の一般記者の間には、共立病院銃撃事件で、実は大島が事件そのものに絡んでるみたいな話は当然として、本橋の佐田の件にも大島が……」

そう言いかけて、西田は、はたと気が付いた。警察側が、少なくとも95年当時、そして現在、割としっかり情報管理をしていたのを、西田も自分で直接捜査に関わっていて、肌でよく感じていたからだ。病院銃撃事件では、中川が逮捕されたからこそ、大島関与の推測が一般的にも成り立つが、他のことについては、知っていたとしても、竹下と言うソース元をもった、五十嵐などのような極一部の人間だけだったろう。


「今、言うのを躊躇した感じだと、西田さんもわかったんでしょ? そりゃ警察がその時もきっちりガードしてたんだからねえ。そりゃ、圧力についてどころか、関与疑惑についても普通に知ってろってのは、かなり無茶な話ですよ。それにね、鳴尾は95年から96年に掛けて、それこそミイラ取りのなんとやらじゃないが、彼自身が体壊して休職してたんで、そもそもそういう話には疎かったはずですわ」

追い打ちを掛けるように、五十嵐は警察の当時の情報管理手法を軽く批判めかして説明した。


「それらの疑問点についてはわかりました。話はそれで終わりなんですね?」

西田としては、都合が悪くなったこともあったが、話がそれ以上展開しなさそうだと、そのまま会話を終えようとした。悪く言えば、「期待させやがって」と言いたい気持ちもあった。


「いや、話はまだ続くんでね。むしろここからが面白い」

思わぬ展開に西田は思わず「おっ」と声を漏らした。

「そうなると、そこからどういうことに?」

「実はね、鳴尾は切符とか古銭とか切手とか、その手のコレクションに興味が、ガキの頃からかなりあるそうです。それで、貰った諭吉の万札を、乗り込んだ特急の座席でふと見てみたら、エーエーケンって奴だったそうなんです」

「エーエーケン? 何ですかそれは?」

聞いたこともない言葉に西田は思わず聞き返した。


「自分も知らなかったんで、偉そうに言いたくはないんですが」

そう前置きした後、わざと咳込んだように聞こえた。

「失礼。お札に番号みたいのが小さく印字されてるでしょ? あれの頭と末尾にアルファベットのAがそれぞれ付いているのは、何でも、新しい種類の札を最初に刷る際の初期ロットのモンで貴重らしいんです。ケンってのは回数券の券で、要は日本銀行券、札のことです。ちょっと財布の中に札、出来れば万札あったら確認してみてくださいよ! こっちも彼に現物で説明されたからわかりやすかったんだけど……。札の諭吉側の右下の方に、なんか記号や数字が羅列されてるはずですから」

「ちょっと待って下さい! 今見てみるんで!」

そう言われて、西田は自分の財布から福沢諭吉の1万円札を取り出し確認した。確かに右下の方にアルファベットと数字の組み合わせの番号が印字されている。


「これですか……。確かにこんなのがありましたね。普段意識しないけど。頭とお尻は確かにアルファベットが付いてる」

「そう。そのアルファベットの部分が両方Aだと珍しいってことです。因みに余談ですけど、頭にAが2つ並んでいて、末尾がAの場合には価値はないらしいです。なんでも、一周したとかなんとかで、かなりの枚数が出回った後のパターンだとか」

正直何を言っているかよくわからなかったが、AA券という札の存在を知り、それが珍しいということはわかった。

「とにかく、貴重だってことはわかりました」

西田はここに至っても、まだ事態をよく飲み込めていなかった。


「つまり、貰った福沢の万札が、彼にとっては1万円として使うよりも保管しておくことに遥かに価値があったわけです。何でも当時の福沢の万札は、まあ言ってもわからないでしょうけど、今印刷されているモノとも違うらしいんで(作者注・印刷インクの色や、大蔵省が財務省になったことなど、微妙にマイナーチェンジがこれまでされており、今印刷されているものは、同じ福沢でもデザインが初期とは違っています。特に裏面は完全に違います。詳しいことはD号券 E号券などで検索ください)、今でも大事に取っているそうです」

「はあ、そうなんですか……」

五十嵐の「情報」が、「話はそれにとどまらない」と言われた割に、何も関係なさそうな「続き」に終始したことに、西田は再び落胆していた。


 だが、

「本題はある意味ここからなんですが、酒飲みながらその話をした、更に後日談が重要なんですよ」

と五十嵐は口を開いた。

「鳴尾は当然記者なんで、職業柄日々起きたことについて、詳細に日記を付ける癖があったんです。まあ記者は結構そういう訓練というか、癖を持ってる人は多くて、ズボラな自分でも若い時は、先輩記者からそういう癖を付けておくと良いという話は聞いたことがありました。後から、何か問題になるようなことに関わっていた場合や聞いていた場合でも、すぐ日記を元にして記事に出来ますからね」

「ほう……」

色々考えながら聞いていることもあり、生返事で返す。

「で、さっきのように自分と再び話して、奴はますます気になったんで、帰宅してから一念発起。雑然とした押入れをや探しして、やっと出て来た87年の日記を漁ってみると、どうもその『出張の日』は、9月26日と明記されていた。勿論、その日あったことがそこに書かれていて、奴の記憶通りだったそうです。そして日記には、収集癖のある彼らしく、その昭和62年9月26日に北見を午後に出発したオホーツク4号の、改札を通った痕(作者注・いわゆる鋏痕。今では全く見なくなりましたが。参照http://homepage1.nifty.com/tabi-mo/kyoukon_punch.htm)のある指定席券が挟んであって、それにはしっかりコーヒーらしき汚れが付いていて、ちょっとシワになっていたそうです(作者注・今はわかりませんが、昔は「記念にする」などの申し出をすると、駅員が切符に無効印を押してくれ、改札で回収されないで済むことが多かったです。国鉄時代もJR時代も何度も実体験済みです)」


 ここで西田は、事前に五十嵐が良い情報があると言っていたことの意味を深く理解していた。西田も捜査中は詳細な捜査メモを日記のようにして付けていたが、取材に長けた新聞記者が書いていた日記となると、かなり信憑性が高い。


 更に鳴尾の証言の裏付けとなる、実際に該当日に列車に乗った切符という物証もあるこの話は、本橋の佐田実殺害に関する供述と照らしあわせても、大変興味深い内容だからだ。


「ちょっ、ちょっと5分ぐらいこのまま電話切らないでもらえますか? 人が来たんで」

そう言うと、西田は携帯を保留にした。しかしそれは嘘であり、誰も休憩室には居ないままだった。あくまで、頭の中をしっかり整理しておきたいと思った故の言動だった。

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