第145話 名実54 (127~128 大島の事務所に潜入捜査)
結局、ギリギリまで内偵の可能性を探ることにした捜査陣は、とにかく大島事務所の周辺地域で、警察とは無関係な人間を装い情報収集を始めた。昔から事務所の人間が出入りしているような、馴染みの店などをピックアップし、それとなく事務所内部の様子を探るやり方だ。
その過程で、中川秘書や事務所4階の情報が、何か手に入るかもしれないという、願望に近い捜査だった。しかし、当然近付けば近付く程、怪しげな動きとして警戒される恐れも出て来る。最近付近に越してきた人物や、出張に来た営業マンを装い、喫茶店や商店などを、1人ずつバラバラに、しかも1人が1箇所のみの聞き込みという前提での捜査だった。
更に、1日に何人もが似たような話を聞けば、周辺で噂になりかねないので、1日あたり2から3店舗が限度という厳しい聞き込みだった。当たり前だが、効率は非常に悪いので、残された日数を考えるとかなり無理がある手法ではあったが、確実な情報がないとガサ入れしないと、上司の小藪部長が言っている以上は仕方ない。
一方、東館は、その後も細かい当時の状況について思い出せる範囲で供述していた。東館の犯行を裏付けることには、全く問題ないレベルで、西田としても、それよりもどうやって大島の事務所の中を探るかに集中していた。
※※※※※※※
7月26日、部下の黛が、大島の事務所から道路を挟んで斜め向かいの喫茶店で面白い情報を仕入れてきた。決して大島の事務所そのものの情報ではなかったが、7月中旬から8月末に、事務所の周辺地域でガスの点検が実施・予定されているというのだ。そのせいで、喫茶店は、8月頭にランチの時間、臨時休業するという張り紙が貼ってあったらしい。
そして、
当然、大島の事務所もその区域に含まれ、これからの点検の対象区域だという。この情報を得た西田達は、すぐに香川の父と東館に、それぞれ4階の部屋にガスコンロなどの調理器具の設備があったか聞くと、7年前も1年前もそれぞれ確認していたという。これを受けて、捜査首脳は当然の結論を出した。点検日を前倒ししてもらい、ガスの点検員に紛れて、捜査員を事務所内部に「偵察」に送り込むということだ。
但し、未だに問題はあった。まず、北見ガスがそれを許すかどうかだ。何しろ、急に点検予定を前倒しするという荒業を前提にしていたからだ。そして、仮に許可されたとして、捜査対象が大島海路の事務所だと知られることは、さすがに北見ガスへのプレッシャーになり得るので、上手く伏せる必要もあった。つまり、大島の事務所だけ前倒しということは避けたいということだ。少なくとも、ある程度の件数をまとめて点検ということにもしたかった。このため、西田は1つの方策を提示した。
「北見ガスの方へは、『周辺地域に指名手配犯が潜伏しているという、不確かな密告があり、点検員を装って地域をローラーで調査させてもらいたい』ということで行けるんじゃないか?」
「なるほど! ただ、それ自体は妙案だろうが、問題は大島の事務所だな……。さすがに大島の事務所に、そんなもんは居ないだろうということは、あっちも考えるだろうから、そこは部分的に拒否されたりすることも、十分にあり得る」
三谷は、部下の意見に同意しながらも、若干の問題点を口にした。
「そこはどうなんでしょうか? いちいち大島の事務所だけ外れてもらうなんてこと、言いますかね? 区域をまとめてやる方が、北見ガスとしても都合が良いでしょ? 無いと思いますよ」
上司相手だけに、日下はそれを一蹴とまでは行かないが、やんわりと否定する意見を述べた。
「むしろ、大島の事務所の裏にある、幾つかのアパート辺りが潜伏先になってる可能性を提示した上で、大島の事務所の上から先に偵察した上で、そこを調査させてもらうみたいな『方便』を使えばいいんじゃないですかね? そうすりゃ三谷課長の心配も杞憂で済むんじゃないでしょうか?」
情報を持ってきた黛が、なかなか理にかなった相手への説得を提示してみせた。
「うむ。確かに上の階へ刑事が一緒に行く理由にもなるしな。検査方法についてはよくはわからないが、万が一下の階で足りるような場合でも、上のガスコンロを検査しに行くという『言い訳』を、大島事務所側にホンモノのガス会社の点検員が誤魔化して伝えてくれる理由にもなりそうだ。よし! これで行こう!」
小藪刑事部長も心底納得し、警察からの要請ということで、北見ガスへ話を通した。
さすがにこれだけの理由があれば、点検の前倒しから捜査員が点検員として同行することまで、相手も拒むことはなかった。そして、潜入する捜査員には、今回の手柄もあり、黛が抜擢されることとなった。
※※※※※※※
7月28日日曜日。真田により、ほぼ間違いなく、伊坂が領収書を偽造しているという結果報告があった。伊坂組の長年の取引相手であり、金額部分が白紙の領収書を渡していたという情報があった「サンマル重機」で、昨年まで経理を担当して、1年前に結婚で「寿退社」した女性に、真田が接触を図っていたのだ。
3年程前、土木用重機の整備費分について、伊坂組の経理から問い合わせがあったため、その女性が取引金額を連絡したところ、伊坂組の経理責任者と揉めた挙句、最終的に双方の社長案件になって、そのまま無かったことになったという。
双方共に「下」まで白紙領収書の件を根回ししなかったことが、そのようなトラブルに発展した理由のようだった。これで、伊坂については逮捕容疑が「有印私文書偽造」で決まった。後は他の3名と同時に逮捕するだけだ。
※※※※※※※
7月30日火曜日。気温も夏としてはそれほど上がらず、どんよりとした天気だった。警察の言い分を最大限に聞いてくれた北見ガスにより、点検予定日の前倒しが認められ、実行される日でもあった。
捜査本部は、黛の内偵に賭けていたこともあり、張り詰めた空気に支配されていた。既に、黛は北見ガスの方へ行っていた。午後からの大島事務所への潜入の際には、この前年辺りから普及し始めた、携帯電話に付属したデジカメ、通称「写メール」を利用して、弾痕があれば撮影してくる予定になっていた。
既にシャッター音を消す細工は済ませてある。同行する点検員は、当然黛の素性を知って入るが、大島事務所で「何かやった」ということを知られることは、現時点では避けるべきという判断で、まともなカメラの持ち込みも止め、シャッター音も消すことにしたのだ。ただ、画像の解像度が落ちるので、その点は多少心配だった。
常に適宜連絡を取りながら、黛は点検を重ねていたが、いよいよ大島の事務所に、本来の点検員2名と共に点検に入ることになった。実際のところ、点検は普通に全てのガス設備・機器を点検することになっていたようで、特に画策してまで4階の集会場に入る必要はなく、自然な形で4階に入り込んだ。
また、特に事務所の人間が、点検作業に付いて回るということもなかったようだ。4階も普通に点検することになっていたので、事前に「周辺のアパートの偵察」をするという虚偽の潜入捜査目的は、軽く空振りに終わったものの、やはり「設定」を無視するわけにも行かず、黛は窓を開けそのような「素振り」を見せながら、壁に目線を鋭くやった。
東館から事前に聴取していた方向の壁をチラチラと見ていると、壁の色は微妙に日焼けしており、少なくとも、ある程度の年数はリフォームの類はしてないと確信した。同時に、支援者による集会などにも使用される部屋なので、壁に「騒音」を吸収するための加工穴が、東館の証言通り無数にあった。ただ、事前に捜査本部で調べた情報では、実はこの「穴加工」は、防音の目的以上に、音が室内に反響しすぎることを防ぐための効果の方が大きいらしい。
それはともかく、その穴に惑わされないように注意しながら見ていると、確かに何か穴らしきものが3つ開いているのが確認出来た。
「これか? 3つあるぞ、おい……」
黛は一瞬躊躇したが、そこで迷ってる時間はない。すぐに写メールをバレないように撮り、捜査本部に送信した。他にも無いか、東館が自供しなかった側の壁まである程度チェックしたが、それらしい穴も発見出来なかったこともあり、点検作業を終えた職員と共に部屋を出た。そして、事務所を出た黛は、同行している2人に断った上で、やや離れた位置から捜査本部に連絡を入れた。
「写真どうでしたか?」
「ああ。確認出来たが、壁に防音用に元から空いてるらしい穴を除いて、よく見ればこれ3つ? ないか?」
吉村も状況を把握しており、その点を黛に尋ねた。
「みたいです……。ただ、それ以外に該当するようなモノは一切ありませんでした」
黛はそのまま答えるしかなかった。
「そうか……。わかった。東館に確認させないとダメか」
吉村もそれしか言うことは出来ず、黛はそのまま事前の設定通り、近くのアパート群の点検に同行するため、ガス会社職員の2人の元へと急いだ。
※※※※※※※
「やっぱり、これしかなかったという話です」
吉村の報告を受けた小藪は目を剥いて、
「間違いないんだな?」
と念を押した。
「残念ながら……」
西田もそう答えたが、
「無かったというよりは断然マシだが、増えてるというのもまた困った話だな……」
とかなり渋い顔だ。
「取り敢えず吉村の言う通り、東館に画像見せて、悩むのはそれからにしましょうか」
遠賀がベテランらしくその場をとりなすと、
「まあそりゃそうだな」
と小藪も納得し、すぐに聴取することを指示した。
※※※※※※※
30分後から始まった東館への確認聴取だが、画像を見た東館はすぐに首を捻った。
「確かに白っぽい点は同じだけど、こんな真っ白い壁の色だったかなあ。あと高さはもっと高かったような気がしたんだよなあ。おまけに3つの穴かよ」
と自信が全くないような口ぶりだった。
「おい! ちゃんと確認しろよ! おまえの供述に掛かってるんだから頼むよ……」
日下は煮え切らない態度に怒るというより、まるで懇願するようだった。
「そう言われても困るんだよ……。7年って奴は、思ったより長かったかもしれん」
そうブツブツと独り言のように言う。
裏で見ていた西田も、最後の頼みの綱だけに、祈るような思いだったが、いつまで経っても東館は自信を持って、当時の銃痕だと断定することはなかったようだ。自供内容と違い、銃痕2つが3つになっていた時点で、かなり嫌な予感はしていたが、他にも東館の記憶と一致しない点があるとなると、単なる記憶違いというだけでなく、かなり深刻なことになりかねない。一緒に居た小藪も三谷も、明らかに落ち着かない様子で、
「西田、ちょっと」
と手招きした。
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