第146話 名実55 (129~130)


「どう考えるんだ、この事態を!」

まるで被疑者のように、2人に詰問された西田だったが、

「しかし、こんな不自然な穴が空いているという時点で、単なる数の記憶違いという可能性は十分あり得ると思います」

と、苦しいながらも弁解した。

「しかしなあ……。2つが3つだというぐらいなら、まだ良いし、色具合も大した違いはないかもしれんが、その上に、高さまで印象と違うとなると……、うーん」

三谷は首を捻った。

「そこは、供述でも1mということですが、これだと、もうちょっと下のような感じもしますね……」

西田も困惑気味だった。


 画像の横には、コンセントが写り込んでいたが、通常のコンセントの位置を考えると、確かに事前の供述の1mの高さはないように思えた。これは、黛が戻ってきた後に直接確認する必要もあった。


「取り敢えず、黛から話を聞いて、その上でどうするか決めないとダメだな。東館の起訴まで時間がない。今日中に、ガサ入れと逮捕について決めた上で、明日には令状請求するぐらいじゃないと」

小藪はそう言うと、深い溜息を吐いた。


 2時間後に戻ってきた黛に話を聞くと、やはり、高さは1mは無かったということだった。これを受けて事態は更に混迷した。小藪は、最終的な決定を、最高責任者である安村・北見方面本部長と討議した上で決めることを判断し、安村も交えて首脳会議が開かれることになった。


※※※※※※※


「状況については、お話を聞いてよくわかりました。それで、皆さんとしては、どういう方向で結論を出したいと考えているんでしょうか?」

安村は説明を受けた上で、そう静かに切り出した。


 まず刑事部長である小藪が反応した。

「7年という歳月を考慮しても、ひょっとすると、リフォームが行われた可能性があり、3つの穴も銃痕とは無関係に、後から出来たモノである恐れも否定できません。そうなると、ガサ入れで何も事件と結びつくモノが発見出来ず、室内についての東館の秘密の暴露全体の信憑性が、結果的に落ちてしまう可能性もあります。その場合、立証をより強固にするためのガサ入れが、むしろ相手側にとっては、関与否定するための補強に、逆に利用されかねません。勿論、相手が一般人なら、さほど影響はないかもしれませんが、大島レベルの有力者相手となると、東館の証言が、アテにならないという印象付けを、法廷でされる危険性があります。正直、日本の司法なんてのは、被告の力次第で幾らでも動きますからね……」

この発言は、刑事裁判が、検察や警察に普段は相当有利になっているという裏を、暗に含んだ自虐だと、西田は聞きながら思っていた。


「ですから、事件全体の立証に、マイナス面を与えるという事態は避ける必要があるかもしれません。関係人物の逮捕自体は、これ抜きでも、他の東館の証言から、何とか出来るとは思います。しかし実際のところ、中川秘書を起訴する際には、物的根拠のかなりの部分を、銃痕とそれから検出されるはずの銃弾の成分の物証に頼ることになるでしょう。それがない場合には、起訴出来た場合でも、公判で色々と突っ込まれる要素になってしまうこともまた事実です。何しろ相手が大島絡みですからねえ……。銃痕の立証をしたいのはやまやまですが、それがなかった場合には逆効果になる。結果的に、立件そのものに疑義を抱かせるような結果になるとマズイですから、状況が不確かな現時点では、ガサ入れは勿論のこと、中川の逮捕の方も、正直言って先送りすべきじゃないでしょうか?」

そこまで踏み込んで述べると、小藪は安村がどういう反応を示すか、様子を窺った。


黙って聞いていた安村は、

「つまり、刑事部長が言いたいことは、現状では、ガサ入れも中川の逮捕も共に避けるべきということなんでしょうか?」

と確認すると、

「まあ、そういうことでしょうか……。相手が相手だけに」

と、言いにくそうに返した。


「そうですか……。わかりました。三谷捜査一課長の意見は?」

「率直に申しまして、刑事部長と同意見です」

振られた三谷も同じ答えを出した。

「じゃあ、手越管理官はどうですか?」

眉間にシワを寄せたまま手越に振る。

「東館と鏡が、殺人に関わったことまでの立証は完璧に出来ますが、その事前練習を大島の事務所で実際に行っていたということを立証出来れば、その後の中川秘書の病院銃撃事件関与の立件展開は、そりゃ、かなり楽なのは事実だと思います。また、東館の証言の信用度が格段に高くなりますから、裁判において他の証言への心証も良くなるでしょう。ただ、問題はガサ入れで、事前の銃撃練習を立証出来なかった場合です。他にも3名絡みで、幾つか秘密の暴露と見られる証言が出てはいますが、それらは、事件とモロに直接リンクするモノはないですね現状は。潜伏先で射撃訓練を行ったという証言と、それを科学的に立証出来るか否かで、180度とは言いませんが違いは出てくるはずです。更に、立証出来なければ、東館の証言の信用度も落ちてしまいます。正直、相手が大島絡みでなければ、他の証言だけでも、十分に起訴から有罪まで持ち込めるレベルであるとは思いますが、何があるかわかりません。万が一ということも……」

手越は、先の2人の発言をより具体的に説明してみせ、そこまで言うと、最後は口を濁した。


「それで結論は?」

じっと睨みつけるようして、安村は発言を促したが、

「ガサ入れが空振りに終わった時に、相手の無罪主張に程度問題とは言え、説得力が増してしまうことは、確かに逆効果ですね。現状では、中川達について、まだ逮捕もガサ入れも避けた方が無難かもしれません」

と、前二者と、当然同じ意見になった。そして、今度はいよいよ西田の番になった。


「では、最後に西田課長補佐の意見を伺いましょうか……」

そう言われた西田は、意を決して発言を始めた。

「お三方の仰るとおり、確かに、ガサ入れが空振りに終わった場合のリスクについては、十分に考えておく必要があるかと思います。しかし、弾痕の分析はどう考えても必要なのも、皆さんの意見でも共通の認識です。あの連続殺人犯の本橋が、佐田実殺害を自供した時、実行犯として起訴出来、裁判上も有罪となる決め手となった1つの要因として、佐田の肋骨に銃弾の痕跡が残っていたことがありました。今回も銃痕から、実際の銃撃に使用した弾と同じ外装成分が検出出来れば、銃撃事件の実行犯が、大島海路の事務所の4階に居たことが、確実に証明出来ると言えるはずです」

西田は、7年前の捜査を引用して、ガサ入れの必要性をまず説いた。


「同時に、管理官の発言通り、東館の証言の信憑性を高めることは勿論、東館達が大島の事務所に潜伏していた時点で、銃撃事件を起こす意図を持っていたと立証するのに役立つはずです。中川秘書が、事件の計画を知った上で3人を潜伏させ、事前の行動練習をさせ、逃亡を手助けしたと東館が証言していますが、それを裏付ける確定的な要素にもなります。そもそも、大島の事務所に、無関係の人間……、というよりヤクザが長期間滞在していたという事自体、番頭格で地元を長年仕切っている中川の承認があったことは自明ですし、そこに、彼らが滞在時から、既に事件関与することを目論んでいたことが証明出来れば、中川の事件関与立証も確実なわけです。そして大島の懐刀の中川のやることは、つまり大島の意図を汲んだ結果とも言えますから、最終的に、当時東京に居た大島まで挙げる際には、有力とまではいかないまでも、大島の事件関与のそれなりの根拠にはなるでしょう」

ここまで言うと、その場に居た皆の表情を探った。


 安村以外は「そんなことはわかってる」と白けた表情のように思えたが、それでも自分の主張はしなくてはならない。7年後の今、改めて「折れる」訳にはいかない。西田としては、このまま言いくるめられて、7年前の冬と同じ轍を踏むわけにはいかなかった。


「最後に、ある意味最も重要な要素は、東館の起訴の日付は、ご存知のようにもう延ばせないということです。勾留延長の最終日には、言うまでも無く起訴しなくてはならない。それと同時に、3名が殺害された病院銃撃事件の実行犯を起訴すれば、影響を考えても、今度は確実に、報道機関にもその事実を伝えなくてはならないということです。逮捕した時点では、なんとか隠しておくことが出来ましたが、起訴では、さすがに誤魔化せない。そうなってしまえば、警察の手が迫っていることを、中川や伊坂や坂本、板垣に公に告知するようなもんです。その結果として、証拠も隠滅されるかもしれないし、先に何らかの手を打たれる可能性があります。それは絶対に避けなくてはなりません! どう考えても、一か八かになるとしても、東館の起訴の前に、事務所にガサ入れすることは外せないと思います。4名まとめて逮捕しておかなければ、繰り返しますが、証拠の隠滅等も避けられないでしょう。そもそもですよ、事務所のガサ入れや逮捕を先送りしたところで、東館の記憶がよみがえるわけでもないですから……。あの穴が銃痕なのか違うのかは、どうせ何時まで経っても、内偵程度じゃはっきりとわかるわけがないんです! やるしかないんです!」

西田としては、佐田実の殺害事件の時効も意識せざるを得ないわけで、それも含め、この期に及んで悠長なことは言っていられない。最後の方の言葉には、無意識にかなり力が入っていた。


 だが、言い終わるや否や、小藪が口を挟んだ。

「言いたいことはよくわかる。事実上の捜査責任を、西田が負っていることもわかってる。しかしだ! この状況では、明らかに危険性のあるギャンブルなんだぞ!? それをわかった上で言ってるんだよな? 俺も西田と同じように、出来るなら逮捕もガサ入れもすべきだと思っている。しかしそれでも尚、それに見合うだけの確実性があるかどうか、そこが今一番の問題なんだ!」

聞いている三谷も手越も、それに頷いていた。


「そりゃ相手が相手だけに、皆さんの考えは痛い程理解できますが、相手が相手だからこそ、ぐうの音も出せないレベルで、中川の事件への関与と故意性を立証する必要があるんじゃないですかね? ホントいつまで待ちゃいいんですか? それに、少なくとも、佐田実殺害事件の時効に関しては、通常のままなら9月の末で時効です。勿論、本橋を共犯として、その起訴から判決確定までの2ヶ月以上(作者注・共犯関係にあった者が起訴されて判決が確定するまでの間、別の共犯者の時効も停止されます。この共犯者については、事前に判明している必要はありません)あって、それに加え、大島の方は、その他の外遊合わせて10日程度の渡航歴がありますから、3ヶ月程度時効が延長されるので、年末までは大丈夫でしょう。ただ、何も出来なければ、このままでは年末には、佐田実殺害の件について、時効の15年になってしまいます! どっちにせよ、佐田の件については、病院銃撃殺人の後の捜査になるわけですから、銃撃事件の方を早目に始末しておかないと!」


 西田は、上司3名相手に分が悪いと思いながらも、やはりこの事件に懸ける思い入れが違うので、簡単に引き下がるわけにはいかない。あの7年前の12月に、遠軽署からの捜査応援の撤退命令を告げた大友刑事部長に対し、もっと抵抗しておくべきだったという後悔が強くあった。


「お話にならんな……」

小藪は苛ついたように、西田から視線を横に逸らした。

「安村本部長はどうお考えなんですか? 場合によっては、上(層部)の責任にもなりかねないわけですから、勿論反対でしょう?」

手越管理官が、安村に意見を求めると、椅子に深く腰掛けて意見を聞いていたが、身を乗り出して、

「それじゃあ、私なりの意見を言わせていただきます」

と4名を確認するように順に眺めた。


 そして、

「この事件の実質的な総責任者は、7年前に事件を捜査したこともあり、西田課長補佐であることは、皆さんも否定されないでしょう。であるとするならば、その人間がすぐにでも逮捕とガサ入れをしたいというなら、私はその意見を尊重したいと考えます」

と滑らかに、そして簡潔に意見を述べた。


「安村本部長本気で言ってるんでしょうね?」

三谷が目を剥いて安村に問い質す。

「当然本気ですよ。それが私の結論です」

落ち着き払って返した。


 しばらくの間、方面本部長室には、何とも言えない緊張感あふれる雰囲気に満ちたが、小藪は咳払いをした後、

「安村本部長。確かにガサ入れで失敗しても、中川秘書の起訴は可能かもしれませんが、『将来』を考えれば、何らかのマイナス面が出ることは考えないといけないはずですよね?」

と言った。


 表現上はボカした形だったが、要は「アンタも俺達も、出世の査定に響くから、リスクを負わせるのは勘弁してくれ」という意味だったろう。しかし、その言葉に安村は、

「大変申し訳無いですが、我々は、国民の平穏な社会生活を保障するために存在しているのであって、組織やその構成員としてのリスクを負う負わないを基準に捜査するのではないはずです。それが、事件解決に役立つか否かで判断する必要があるはずでしょう? まして、単なる一市民相手の捜査では、むしろ不必要な逮捕やガサ入れを乱発している現状があるわけですよ。無論、そういうことが良い悪いは別にして、相手によって、態度を変えるようなことが許されるはずはないわけです。曲がりなりにも法の下の平等という大原則が、我々には課されているわけですから!」

と、実務を行っている人間からすれば、理想論や偽善と言われても仕方ないレベルの正論で反撃した。


 言葉の字面だけ取るならば、いつもの丁寧な口調ではあったが、この時の安村の1つ1つの言葉の「圧」は、いつものそれとは、全く違う威厳のあるものだった。否、圧は言葉だけでなく、全身から出ていたようにすら、近くに居た西田には感じられたと言っても過言ではなかった。

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