第130話 名実39 (84~86 大島海路こと小野寺そして田所が桑野に成り済ました理由)

「ちょっと待てよ……。伊坂の言った『地獄』というのは、召集された時の従軍経験のことじゃないだろうか? 年齢的にも一致するよな……。そう言えば、大島は東京で戦争には行かなかったと言っていたらしいな……」

ここまで考えると、西田は何か見えてくるものがあった。それは脳内で徐々に輪郭をはっきりとさせて来た。


「あの発言の意味はそういうことだったか! 読めたっ! そうか、そういうことだったか! それにしても、気付いてしまえばこんなに単純なことをわからなかったとは、俺の馬鹿野郎め!」

西田は1人で快哉を叫ぶと同時に、酷く悔いた。


 当然、周りの部下や他の刑事達も、突然気が触れたかのような西田の言動に視線を集中した。しかし、西田はそんなことはお構いなしに吉村を大声で呼ぶと、殴り書きしたメモを手渡した。


「吉村! スマンが、明日朝イチでこの2つを至急調べて欲しい! 俺は東館受け入れの準備があるから無理なんだ! 大変だろうが1人でやってもらいたい!」

それを受けた吉村は、明らかに困惑して、

「明日って……。俺は準備しなくていいんですか? 課長補佐の指示なら従いますけど、大丈夫なんでしょうね、こんなことやってて?」

と、かなり不安を露わにしたが、先程まで叫んでいた西田に、静かに耳打ちされて長々と説明されると、

「なるほど! 調べてみないと確定は出来ませんけど、かなり筋は通ります! こっちの方は俺がやっときますから安心してください!」

と破顔一笑した。


 吉村以外の部下達や他の同僚刑事達はその様子を見ていても、状況をほとんど飲み込めては居なかったが、特に部下達については、「自分達には説明がないところを見ると、佐田実の方の捜査絡みなのだろう」と何となく理解はしていたようだった。


 一方、沖縄戦の番組が終わってから20分程で、仙台の日下から来た報告では、やはり東館の方は、その日もどうでもいいこと以外は何も答えず、黙秘をしたままだったようだ。結局仙台では何も新しい事実は明らかになることもなく、北見へと移送されることになった。


 取り敢えず、西田はその日の業務が全て終わったので帰ろうとしたが、立ち去る前に武隈に一言礼を伝えた。武隈は、一体何に対して礼を言われたのかわからず恐縮していたが、「まあいいからさ」と西田は適当に誤魔化しながら部屋を出た。西田の読み通りなら、武隈のチャンネル替えは、偶然とは言えまさに新たな推理にとって大きなヒントになっていたのだから、礼ぐらい言ってもバチは当たるまい。


※※※※※※※


 6月24日月曜日。西田は、朝から東館が移送されてくるので、その準備に追われていた。北見署に再び捜査本部ちょうばが立ち上がり、勾留する側の受け入れ態勢も整いつつあった。


 捜査本部の事件主任官は、直接的な担当課長補佐である西田ではなく、通常通り捜査一課長の三谷が務めることとなったが、事実上、事件副主任官である西田が捜査上の指揮を行うこととなっていた。


 尚、北見署に来る前に、東館は釧路地検北見支部に直接寄って送検され、検察官が釧路地裁北見支部に勾留請求する手はずだ。


 東館と日下ら捜査員4名は、仙台空港を早朝に発つ便で、新千歳に午前9時半には着いたと連絡があった。そこから、道警本部が手配してくれた警察車両で高速に乗り、旭川を経由して北見へという手はずだった。


※※※※※※※


 一方、吉村は西田の指示で、北海道庁の保健福祉部・福祉援護課に、ある調査を依頼していた。正確に言えば、西田は道庁に聞けとだけしか指示していなかったので、部や課までは、吉村が自分で電話を掛けて調べた上で調査を依頼していた。

 

 目的は、伊坂大吉と田所靖、つまり大島海路の軍隊の所属歴を調べるためだ。実際に召集されたとすれば、どこの部隊に居たのか。丸1日程掛かると言われたが、捜査のためだと言うと、2時間程度で調べあげてくれた。元々大して掛からないものをオーバーに見積もっていたのだろうと、感謝しつつ疑ってもいた。


 結果としては、伊坂は昭和19年8月より、帝国陸軍第24師団・第89連隊に所属していたことがわかった。一方の田所の戸籍上は、本人が東京で言っていたように、やはり軍歴はなかった。ただ、戸籍をかなりいじられていることを伝えると、場合によっては抜けているかもしれないとも言われた。


 もう1つ、吉村が指示されていた調査は、当時の徴兵検査で不合格とされた基準だった。それを調べたいと同じ担当者に伝えると、それは現時点での担当とは関係ないので、道立文書館で聞いてくれたらなんとかなるかもしれないと言われた。古い資料などを保管している部署で、道庁の総務部が担当しているという。


 そこから更に色々と、電話ではあったが、道庁の内部をほうぼう回されて、やっとのことで道立文書館の担当者に繋がり、当時の徴兵検査の基準を調べてもらった。そして、北見方面本部に資料がファックスで送信されてきた。


※※※※※※※


 徴兵検査とは、多くの人が知っての通り、戦前の日本において、満20歳(1943年より満19歳)になった男性が全員受けるべき、兵役に就けるかどうかの適性を測る検査であった。


 身長や体重などのような一般的な検査の他、病歴のチェックは勿論、性器や肛門などの検査など、今となってはかなり屈辱的な検査もあった。ただ、結核や性病などの罹患者は、部隊内部で蔓延(性病については、いわゆる慰安所を介して)すると、軍隊そのものの戦闘力に直結する問題だけに、軍隊としてもかなり注意しなくてはならなかったという点も考慮する必要がある。

 

 一般的には、4月から7月までの間に全国で行われた。身体が頑丈で健康であると同時に、体格も標準的(身長が高過ぎると逆に忌避されたため)という、最もランクの高い「甲種」合格者については、翌年の1月から、現役兵として入営(ほぼ入隊と同義)することとなっていた。但し、平時においてはそれほど兵数が必要ないので、戦前において甲種合格の全員が常に入営していたわけではない。


 「乙種」合格者は、健康だが体格がやや小さいなど、一応は現役兵となれる素養のある若者に対してのランク付けであった。こちらは甲種の現役兵では足りない場合に補充されるという扱いだった。因みに大戦末期はともかくとして、それまでは、補充される場合でも、志願するかクジに当たらない限りは兵役に就く必要もなかった。


 「丙種」合格者においては、体格も健康状態も劣るが、一応は男性国民皆兵の名の下に兵役に就くこともあり得たという立場の合格者であり、現実的には、本来はほぼ兵役に就く可能性はない立場だったが、戦況が悪化した大戦末期においては、この丙種合格者でも戦地へ送り出されることとなった。


 一方、「丁種」とは、今で言うところの障害者であり、兵役免除されるランクのことである。


 また、「戊種ぼしゅ」というランクもあったが、これはその時点で検査不的確(例えば病中や病後間もないなど)で、翌年に再検査する立場の被検査者へのランク付けである。


※※※※※※※


 吉村は、特に西田の指示にあった、「両手の親指の欠損が徴兵不合格の対象となるか」を気にしていたが、送付されてきた資料には、基本的には指の欠損については、戦況悪化までは丁種扱いだったものの、戦況悪化後においては、軍役に支障がない限り、丙種扱いで合格を受けた場合があったと記載されていた。


 これを見て、瞬時に「まずい」と思ったが、その後の、「右手の親指と人差し指のどちらかが欠損していた場合、拳銃を撃てないため、これは確実に丁種として兵役免除される」という記載を見て、安心して北見署の捜査本部から戻ってきた西田に報告した。どうも、拳銃は利き手に関係なく右手で撃つものだったらしい。


※※※※※※※


「やはり兵役免除か……。これで、大島海路こと小野寺が、機雷事故を利用して桑野に成り済ました目的がはっきりしたな。戦地へ行きたくなかったに違いない」

西田は自分で言いながらも大きく頷いた。


「課長補佐の推理は、間違いなく当たってると思います! しかし、桑野の手の障害が、小野寺にとっての大きな利点めりっとだったというのは、今から考えるとそう難しくないんですが、なかなか結びつきづらいところでした。さすがですね」

「特に桑野が生き残って逃亡したことを、当然の事実として考えてしまっていたからな……。その思い込みから、科学のメスと、そして武隈の偶然の介在が抜け出させてくれた」

「まだ天は見放してないってことですよ!」

吉村は自らも鼓舞するように強く言った。


「徴兵検査の年齢時点で、指が欠損していたかはまだはっきりしないが、いずれにせよ、証文を見る限りは、少なくとも機雷事故の前年には、既に両手の親指が欠損していたのは間違いない。仮に徴兵検査に合格していたとしても、怪我以降は召集を受けることはなかっただろうからな。昭和16年は1941年か……。桑野は証文作成時に26歳ということになるか。機雷の爆発事故当時が27歳……、小野寺が23歳だな、まだ誕生日迎えてないわけだから」

西田は2人の資料も見ながら、独り言のように喋っていた。


「しかし、大島海路こと小野寺は、よく凄惨な事故現場で、そんなことを瞬時に思いつきましたね。何しろ、従兄弟が非業の死を遂げているんですよ……。今の大島の冷血ぶりを思わせますよ」

吉村は、大島が桑野の「徴兵免除」資格を利用して、成り済ましを企てたことを吐き捨てるような言葉で批判した。だが西田は敢えて異論を唱えた。


「確かに、やけに冷淡に思えるかもしれないが、そう思うようになった理由は、ある程度想像出来るんだよ。東京に2人で行った時、北条正人の弟の正治から見せてもらった、兄から届いた手紙あっただろ?」

そう言うと、席から立ち上がった西田は、捜査資料の一部が入ったキャビネットからダンボールを取り出した。そして、その中から東京からファックスで送った、正人から正治宛の手紙のコピーの入ったファイルを取り出し、吉村に見せた。


「ここ見てみろ」

西田が指差した部分には、

『あと、もし、オレのかわりにお前が金を受け取ることになって、桑野に会うことがあれば、先を見通すことが出来るので色々聞いてみることだ。桑野は、いっしょに働いていた時、戦争がひどくなって、俺達のような者でも戦地にかり出されるようになると、言って、その通りになってしまった』

と記載されてあった。


「そうか……。桑野は語学が堪能だったし、おそらく海外の事情についても、少なくとも旧制二高に居た当時は把握してたでしょうし、まあ政治思想的にも、戦争が無益な結末を迎えると予期していておかしくはないんでしたっけ……」

そう気付いた吉村に、

「しかも、相手は自分の従兄弟だ。一緒に鴻之舞で働いていた時分、それなりに、日本の行く末の危うさを口酸っぱく伝えていておかしくはない。それが強く念頭にあれば、瞬時に桑野の死を利用しようと言う発想は、それほど冷酷な人間ではなくてもあり得るだろう。しかも、一応形見は持って逃げたのだから、ある程度の悲しみの感情は持ち合わせていたと思うがな」

と、自説をとうとうと並べた。


端布はぎれもありましたっけ……。そう言われてみると、ちょっと俺の読みは、大島を悪人に仕立てすぎだったかも……」

吉村は、少々バツが悪そうだった。

「そこまで反省する必要はないぞ。あいつが悪人であることに変わりはない。ただ、その当時の大島がどこまで悪人だったかは、今となってはわからん部分が大きいんじゃないか? そういうことだ」

西田はそう言いながら、ファイルに手紙のコピーを仕舞うと、

「しかし、竹下とも話していた、『現場からの逃亡は偶発的だった』という説は、桑野の荷物の持ち出しから見て、俺は『ない』と考えていたが、結果的に見れば、事故での桑野の死は、間違いなく偶発的だったのだから、アイツの意見は合ってたと見るべきか……。竹下自身も、桑野の荷物が部屋から無くなっていた関係で、その考えに自信は到底持てなかったようではあるけどな」

と、残念そうに言った。


「大島にとっては、桑野になることで、桑野の持っていた兵役に就かなくて良いという特権メリットを活かすことが重要だった。しかし、後から桑野や小野寺を知っている鴻之舞の職場の人達がやって来たらすぐにバレてしまう。だから出来るだけ早い段階で、湧別の現場から逃走することが肝心だった。そして桑野の持ち物も、何故か運良く持ちだされていたので、小野寺は証文なんかと一緒に持って消えたと……。まあ確かに出来過ぎではあるんですが、事故は偶然起きただけでしょうから、竹下さんの考えでいいんでしょうねえ。ちょっと割り切れないところもありますが」


 吉村はそうは言ったが、桑野が自分の所持品を、当時宿舎から全て持ちだしていたのは、単なる偶然ではなく、ある簡単な理由からだった。しかし、そのことには西田は勿論、竹下も考えが至っていなかったのは、指紋の件同様、単純なことほど案外盲点になるからだと、後で気付くことになる。


「取り敢えずは、まとめるとそういうことだな。これでもっともネックになっていた、大島と証文の桑野の指紋の不一致は、全て問題無く話の筋が通るようになった。そして、大島が伊坂にずっと協力していた理由も、指紋から大島と本来の桑野が別人という結果になってしまい、一時期、訳が判らなくなったが、今となっては、既に桑野となっていた大島こと小野寺が、伊坂と共に砂金を横取りしたことに加え、伊坂に大島海路の正体が、戸籍上の本物の桑野ですらなく、従兄弟の小野寺だったということが知られていたという、2つのことがあったと推測出来る様になった。少なくとも、戸籍をたどれば行き着く桑野欣也だったことよりは、守る必要のある大きな秘密だろう。まあ、それでも、竹下の言う通り、それ以前の公共事業などの利益提供していた時と同じ条件のまま、更に佐田実の殺害まで依頼出来るかという疑問はなくはないが……。それはともかく、後は大島をどうやって挙げる……、あ、伊坂の従軍経験の方の調査は?」

西田は、自分の頼んでいた2件の調査のウチ、もう1件があったことをやっと思い出した。彼にとっては、桑野の兵役免除の方が重要な内容だったので、従軍経験よりそっちを優先して注目していたのだ。


「そっちも調べてます。えっと、昭和19年8月より第24師団89連隊に所属して居たようですね。一方の大島にはおそらく軍歴はなかったようです。この点も兵役免除の恩恵を受けたことと一致してますね」

それを聞いた西田は、思ったより喜ばなかった。

「お前、その24師団? 89連隊とやらがどういう戦歴の部隊か調べた?」

「あ? いやそこまでは……」

頭を掻く部下に、

「俺の指示が悪かったのは確かだが、そこまで調べて欲しかったな……。伊坂が言った『地獄』のキーがそこにもあるように思うから。ただ、今からでも十分に間に合うだろ? まだ昼だ」

と再び指示した。

「なるほど。わかりました。今からやります。しかし、どこに聞けばいいですかね? ちょっと見当が……」

困惑している吉村に、

「話を聞いた道庁の担当に、そういう部隊の、例えば戦友会のようなものが無いか確認してみりゃいいんじゃないか? かなり情報を持っているとは思う」

とアドバイスを与えた。


 しかし、砂金を横取りしたということと、小野寺道利が本当の大島海路の正体であることは、大島海路が伊坂に便宜を図っていたことにとってはともかく、竹下が推理していた様に、佐田実殺害に加担した根本的な理由でないことを、改めて2人は後から知ることになる。


※※※※※※※


 再び調査に乗り出した吉村を横目に、西田は時計を確認した。既に新千歳に着いてから連絡があって、更に今しがた、旭川で高速道路を降りたと連絡があったばかりだから、ここから3時間以上は見ておく必要があった。


「大体午後4時前に着いて、そこで特別に待機している検察官が東館をチェックして、おそらく今夜中には、勾留請求が釧路地裁北見支部になされ、明日午前中には支部での勾留質問があるだろう。そこから夕方までには勾留が認められるはずだ。そこから本格的に取り調べることが出来ると……」

西田の頭の中には既にタイムスケジュールが出来上がっていた。


 大島海路の正体もわかり、後はどう東館を攻略するか。大島までたどり着くためには、最低でも銃撃事件で大島が如何に関わっていたか証明する必要がある。先は見えてきたが、これからは難所を通り抜けられるかどうか、そこに全て掛かって来ていた。そして再び捜査本部のある北見署の建物へと戻った。


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