第129話 名実38 (81~83 テープ証言の謎と沖縄戦)
※※※※※※※(作者注・以降、以前録音テープに入っていた内容の抜粋使用 話の始めは北村の会話から)
「そうですか……。わかりました……。ちょっと 上申書の中身でこれも気になったんですが、佐田は話し合いでの去り際に、『この件はまだ、あなたが取った分の遺産を貰うべき人物が居て、その内の1人が見つかった。自分との話し合いはこれで終わりだが、その人物とは別に話をつけてもらう』と発言したとありますね。これについてはどうだったんですか?」
「どう だった って 言われても 何を 喋れば 良いん だべか?」
「具体的には、伊坂が、佐田のその話聞いてから、どういう反応をしたかとか、何か言ったかとか、そういうことですね」
「そう いう ことか……。それなら 伊坂は 佐田が 帰った後で 『見つけ られる わけ ない だろう』と笑ってたな」
「ところで、遺産を貰うべき人物で、『見つかった1人』ってのは、具体的に名前とか そういうのは、佐田の口から出てました?」
「名前 というか、何か 具体的に 言っていた はず だが そこは 思いだせない。 ただ、伊坂は、『少なくとも、名前すら わからない 奴 を どうして 探し 出せるんだ』と ブツブツ文句を 言って いた こ と だけは 思い出す……」
「うん? ちょっとわからないなあ……。松島さんは、名前こそ具体的には思い出せないが、佐田の口から具体的に『何かの言葉』が出たのは聞いてたんですよね? それについて、伊坂は『名前すらよくわからない』と言ってたんですか?」
「ああ そうだ。 それについて 聞かれても なぜ伊坂が そう言ったか の理由 は わから ない」
「そうですか……。よくわからないな……。まいった……。まあいいや……。重要な次の話に移らせてもらいます」
※※※※※※※
「佐田実が突き止めていたらしい、おそらく免出重吉の息子ってのは一体誰だったんだろうな……」
西田は7年前の疑問を思い起こしていた。
札幌の探偵事務所でも、「免出の遺児がわかった」という佐田実の言動は一貫していた。おそらく、そこに嘘は無かったのではないか? 北見での松島を交えた会食では、伊坂にいきなり遺児の名前を言った所で、到底通じるはずもないので、「免出の遺児」という、証文に記載された語句のまま発言したのかもしれない。
松島も、具体的にそのような語句までは明確に記憶していなかったので、「具体的な名前ではないが、具体的に何かを言った」と言うような、非常に曖昧且つ難解な表現の言葉になったのだろうか? 言うまでもなく、それはあくまで西田の推測に過ぎないにせよだ。ちょっとの間考えてみたが、そもそも結論が出るはずもなく、諦めて再生を再開した。
※※※※※※※
「えーっと、ここは本当に大事なんですが、伊坂は、『大島も昔自分に協力して悪事に手を染めたことがある。そして、もっと大きな秘密も俺に握られている。だから、あいつは俺とは一蓮托生の関係だ』と、佐田が出て行った後、確かに松島さんに言ったんですね、書いている通り?」
「ああ、 間違い ない。 確かに そう 言った。 だから こそ、 『大島 は 俺に 協力 せざるを 得ない』とも言った」
「上申書には 書いて ないが、佐田から 契約書 と 引き換え に 証文の ような もの を 伊坂 は 譲り 受けた んだが それも 佐田が 出て行った 後で 俺に 見せた」
「ああ、経営資金を融通する代わりに、佐田から受け取ったやつですね、結果的には偽の証文だったようだけど……」
「そうだ。 その 証文 を 俺 に見せた……。ああ これを 聞いとか ないとな……。 大島海路 と言う 名前は あくまで 選挙上 の 通名 なのは 知ってるべ?」
「ええ、何かそんなことは、チラホラと聞いたことはあります」
「だから、本名は 田所 靖で これは ちょっと 大島を 知っている 人間 にとって は 普通に 知る所 だ」
「そして、伊坂は その証文を 見せながら、 思いも しないことを 俺に 言ったんだ。 『この中に、 田所 靖に なる前の、俺と 一緒に 遺産を 横取り した 時の 奴の 元の 名前 が 書かれて いる』とな……。 その時に 『協力して 手を 染めた 悪事』の 意味も わかった」
※※※※※※※
この部分については、先日西田が、後に大島となった小野寺道利が、従兄弟である桑野欣也に成り済ましていたことに気付いて、竹下に電話で報告した際に、西田自身が軽く言及していた箇所だ。
つまり、「古い名前」と表現し、「本名」と言わなかったのは、大島の本名であり実体が、桑野欣也ではなく、あくまで小野寺道利である以上、桑野欣也に成り済ましていた時の名前は、古い名前としか言いようがないというわけだ。また、「大きな秘密」とは、まさに大島の実体が、桑野欣也どころか、それに成り済ました小野寺だったということだろうと推測出来た。
ここで西田は、7年前の温根湯温泉での、大島からの指紋採取の後、黒須もここに、妙にこだわっていたことを思い出していた。
録音されていた、松島の『田所 靖に なる前の、俺と 一緒に 遺産を 横取り した 時の 奴の 古い 名前 が 書かれて いる』という証言に対し、それには引っかかる部分があると主張していた点だ。
当時の黒須の考えだと、「古い名前=(証文上の)桑野欣也」と、わざわざ伊坂大吉が言及したということは、桑野と大島海路が、戸籍変遷の流れに反して、指紋(実体)上は別人だったという前提においては、本来であれば、大島海路の実人物(今から見ると、それは小野寺だったとわかるが)が、桑野の戸籍を乗っ取って初めて成立すると言うのが自然で、東京への分籍(戸籍を乗っ取るなら、この時期=昭和22年10月以降からとなる)以前であるだろう、砂金の掘り出し(横取り)時に、それが成立していたとするのは、どう考えても無理があるというものだった。
また、砂金を掘り出す時点では、桑野欣也だと自称する意味もないとも考えていた。
そうなると、この松島の録音による証言通り、伊坂大吉が、佐田実も交えた87年の会食直後に、松島に喋っていたとなると、腑に落ちない点があると黒須は主張していたのだ。
この伊坂の発言とその黒須の意見に対しては、西田達は、
「こんなまどろっこしい表現を、伊坂が松島に本当にしたかどうかは疑問だ。単に松島の記憶違いかもしれない」
と
しかし、今となっては、機雷爆発事故から時間を置かずに、既に大島こと小野寺道利は、事実上、桑野欣也になり変わっていたとみるべきであるから、仙崎老人の遺産を、戦後、生田原の山中から持ちだした時点では当然、「田所靖」名より「古い名前」である「桑野欣也」として、既に大島は存在していたと、当時から言えたはずだ。
「時間を置かずになり変わっていた」と言える理由は、小野寺道利の事故での死亡通知が、故郷の岩手県・綾里村役場へと、勤務していた鴻之舞金山から届けられた時点で、小野寺道利は世間から法的・公的に存在を完全に抹消された存在だったのと同時に、生き残った小野寺自身が、桑野欣也だと称してそのまま逃亡した以上、小野寺は従兄弟の桑野欣也に、自動的に戸籍上も移ることが出来ていたと言えるからだ。
当時は、写真付きの証明書など使用しておらず、そして、小野寺による、自身が桑野欣也であるとの偽りの主張を「否定」されないように、鴻之舞の同僚が来る前に現場から立ち去ったわけだ。
また、桑野の持ち物が、事故当時、おそらく桑野によって粗方持ち出されていたことも、小野寺の成り済ましに影響している可能性があった。
現場に桑野の持ち物が持ち込まれていた場合、何らかの身分証明書のようなものが混じっていれば、小野寺がそれから必要なものを取り出して、現場から逃げていた可能性がある。小樽の佐田家で、おそらく小野寺が提示した桑野の証文も、おそらく同じパターンで持ち出されたのだろう。証文も持ち物に中に混じっていたと見るべきだ。
そして昔なら、桑野の身分証明書の類を使っても、写真もなければ十分本人として通用しただろう。故に、伊坂が松島に会食後に語ったことは、実際その面倒な表現通りの真実だったと言える可能性が高かった。黒須の7年前の疑問が、結果的に見れば核心を突いていたということになる。
ただ、あの時点で大島が、湧別機雷事故の現場で、死んだ桑野と入れ替わっていたと言うことまで導き出すのは到底不可能であった。黒須もあくまで、表現上の問題点を指摘するにとどまっていたわけで、今更責められてもどうしようもない。
一方で、伊坂大吉は、本来の桑野自身とも生田原の山中で一緒に働いて、よく桑野を知っていたはずだから、小野寺が桑野に成り済ましていることを、小樽の佐田家に共に現れた時点では、当然知っていたことは間違いない。
その上で、小樽に偽桑野として現れた小野寺と行動を共にしたのだろう。伊坂自身が、それ以前に、佐田3兄弟の両親に、次兄・佐田徹の遺書の指示通り、砂金の在処を教えることを拒否されていたわけで、小野寺が偽桑野であったことを知っていたとしても、彼を利用する必然性もあった。
だが、小野寺の新たに直面した問題は、そこから発生したと思われた。彼としては、少なくとも伊坂に桑野への成り済ましを知られた以上は、出来るだけ公的な書類、つまり戸籍上において、桑野欣也としての痕跡を出来るだけ消して、更に「別人」になっておく必要があっただろう。
そこで上京した上、戸籍を次々と細工し、名前を最終的に田所靖として、桑野欣也名義をよく調べない限りは、事実上跡形もなく消去することに成功した。
しかし、海東匠の後釜を狙って北海道に戻ったことで、事前に危惧していた伊坂からの脅迫の類を受けたと見るべきだ。
因みに、小樽で小野寺が桑野として受け入れられた理由としては、従兄弟とは言え、若い時分に2人がどこまで似ていたかは不明なので、証文所持と言うこと以外ははっきりとはわからない。
ただ、佐田徹が両親に対して残した手紙に、「桑野の顔はそれほど印象的な面は無い」と書かれた上、身長が高いということ以外は、知性的であるという内面以外の大した特徴は、書かれていなかったことが大きいだろうと西田は推測した。一応、大島自身も、今の姿から考えると、年齢の割には身長はかなり高かったはずだ。
まして、徹の手紙に指示があったとは言え、しなくても良いと書かれていた以上は、当時の素人の老夫妻が、証文と本人の指紋など照合するはずもない。証文を持っていただけでも十分桑野であると認めさせられたはずだ。
そして大島海路こと小野寺も、旧制中学に受かり、戦後、名門私大の鳴鳳大学に合格する程度の知性はあったのだから、桑野ほどの知力はなくても、それなりにインテリを演じられたはずだった
唯一問題があるとすれば、伊坂大吉が、一度佐田家に単独で現れた際に、徹の手紙に書かれていた、「伊坂単独で来ても在処は教えるな」の指示に従った両親に追い返された後、桑野に成り済ました大島とどう落ち合ったかだ。この点については、先日の竹下との会話でも、竹下自身が疑問点として語っていたことだ。
生田原から桑野、伊坂、北条の3名が逃げ出した後、桑野が最終的に鴻之舞に居たことは、過程の情報はともかくとして掴めてはいたが、伊坂については、その後小樽に現れるまでどういう足取りをしていたかは全くわかっていない。
桑野と伊坂は、逃げ出した後も一定の連絡を取り合っていて、一緒に鴻之舞金山で勤務していた小野寺も、その情報を得ていたのだろうか? しかし、北条正人が弟・正治に宛てた手紙からは、どうも連絡を取り合っていた節は見えてこなかった。
それに、伊坂と連絡を取り合っていたのなら、その時点で小樽に一緒に現れても良かったように思うが、伊坂は既に他の仲間を出し抜こうとしていたのだろうか?
しかし、桑野の人格破綻と見られた行動の数々が、桑野の死後に「後を継いだ」小野寺のせいだとわかった今となっては、間違いなく高い知性と人格を兼ね備えていた桑野が、生田原から逃げ出した後、同列の遺産相続人である北条を差し置いて伊坂とだけ連絡を取っていたというのは、西田から見て考えにくかった。唯一ありえるとすれば、北条だけ連絡先がわからなくなったということだが……。
西田は、それらの疑問点を、取り敢えず整理してメモをとると、その先を聴き始めた。基本的には、その後の内容の多くは、既に判明していたことなので、問題なく聞き過ごしていた。しかし、次の部分で急に引っかかるモノがあった。
※※※※※※※
「しかし、伊坂は、 他にも 気に なる ことを その時 言って た ぞ。『大島 の 奴 は』 えっと 桑野 だったか ? 『その 名前 の おかげで 俺が体験 した ような 地獄 からは 確実に 逃れられた』と……」
「えっと……、よくわからないんですが、それはどういう意味なんですか?」
「俺に も わから なかった から、 聞いて みたんだ。そう したら……」
「そうしたら?」
「『あんた は、 俺と 同年代 の癖に わか らないのか? 察しが 悪いな』と言って、何か 言おうと していた が、 丁度 その時 割烹 『風鈴』 の 女将が 挨拶 に来て な。 2人共、よく 使う 上客 だったから 当然のこと だったが……。そのまま、 女将と 談笑した 挙句、 伊坂は 用事がある と先に帰った よ。それに ついては それきり だ……」
「それじゃわからないですね……。まあ、それ自体は、おそらく大したことじゃないでしょうから…… 気にしても仕方ないですね」
※※※※※※※
以前聴いていても、他の発言箇所の衝撃で、特に注意を向けることもなかったが、事実関係がかなり判明した今改めて聞くと、この部分が気になってきたわけだ。
一体、伊坂にとって体験した地獄とは何だったのか? そして、小野寺が桑野の名前のおかげ、つまり、おそらくは桑野に成り済ませたことが、その地獄とやらから逃れられた理由になったとは、一体何を意味しているかだ。
しかし、今ここで考えても急に結論が出るはずもないので、西田は自分への宿題として、改めてメモし、後からじっくり考えてみようとした。そして更に再生を進める。もうあの忌まわしいラストの部分であった。
※※※※※※※
「おい、全員殺ったか?」
「大丈夫……。問題ない、お陀仏だ」
「紙とそいつが持ってたメモ帳は俺が回収したから。さっさとアレ回収しとけ!」
「どこだっけ?」
「コンセントの所だってよ、早くしろ!」
「あ、あったあった! 早く一緒にアベ!」
「……」
「あ……、また余計な癖が……。早く行くぞ!」
※※※※※※※
確かに、今聴いてみても、録音状態の悪さと相まって、2人の声はかなり似て聞こえていた。鏡の声紋を分析出来るデータでもあればなんとか照合して、どちらが鏡かわかり、おそらく東館のモノであろう、アベ発言との矛盾を指摘できたかもしれないが、無かった以上は後の祭りだ。
そもそも、仮に分析できたとしても、アベがまさか「岩手の方言」だと気付けたかどうかは、今から考えても疑問だった。何かの暗号かコードネームのような仮名だったと考えかねなかったと見るのが妥当だろう。
東館が北見に移送された後は、奴の音声とこのテープの音声の声紋分析をきっちりやるつもりなのは言うまでもない。そこで一致すれば、当時、東館が現場に居たことは確定出来、殺害関与もほぼ音声で証明出来るだろう。証拠としては十分だ。
しかし、言うまでもなく、西田はその後の誰の指示で銃撃がなされたかを立証したいのであって、それは入口に過ぎない。そこだけ立証出来た所で、本当の意味での解決には成り得ないのである。その後は、録音を吉村にも聞き直すように命じ、しばらく窓の外を見ながら西田は思索に耽った。
※※※※※※※
この日も、仙台では何もわからないまま、北見では夕食時間に突入した。チーム全員が昨日と同じように食べ、戻って来て、仙台からの最終報告を待っている間、西田は、北見へ東館を連行した後の流れを色々とシミュレーションしながらも、部下やそれ以外の他の捜査員と共にテレビをなんとなく見ていた。
日下からは、この日は午後11時前ぐらいまで粘るという話を聞いていたので、最終報告が来るまで、まだ2時間弱程あった。
午後9時ちょっと前に、この日夜勤だった、捜査一課強行犯係第2班で、捜査一課全員の中で最も若い武隈という若手刑事が「テレビのチャンネルをNHKに合わせて良いですか?」と、他の捜査員と西田達に確認してきたので、残っている中では一番階級が上の西田に最終判断が委ねられた。
西田としても別になんとなく暇つぶしに見ているだけだったので、
「他の連中が特に気にしないなら、俺はどうでもいいから、武隈の好きにすりゃいい」
と言い放つと、
「じゃあ遠慮無く変えさせていただきます」
と言って、チャンネルを始まったばかりの民放のドラマから変えた。どうも特集番組らしい。しばらくぼんやり見ていると、本日6月23日は、戦時中の沖縄地上戦が終わった日ということで、当時のフィルムもふんだんに使用した沖縄戦の特集のようだった。
「『ベア』はこんなもん見たいのか? さすが北大卒の高学歴は違うな!」
と、他の先輩同僚刑事に、嫌味ではなく純粋に冷やかされていた。確かに武隈は一番若くはあったが、北見方面本部の一般捜査員の中では、最も学歴が高い刑事でもあった。
以前聞いた限りでは、函館出身で北大文学部卒の武隈は、北海道の地方公務員上級試験を受けたが落ち、元々柔道部だったこともあり、警察官への道に鞍替えしたということだった。竹下と色々と重なる部分があったが、学歴だけなら文系レベル的に道内2番手の私立・翔洋大学よりは、北大の方が上ではあった。
ただ、武隈にも知性は感じるものの、竹下程キレるというイメージではなく、割と朴訥とした好青年というイメージの男だった。因みに蛇足だが、竹下は数学が出来ないせいで北大を諦めたが、実家に金があれば、東京の名門私立も考えていたらしい。
話を戻すと、武隈は身長は185センチ以上はあって、体重も90キロ近くあるので、威圧感は抜群で、北大卒とは言われないと、まずそれをイメージ出来ないタイプでもあった。字こそ違うがまさに「熊」の様で、苗字と容姿が元になり、所属している班のメンバーからのアダ名がベアになっていた。
西田も、
「武隈は北大の文学部だったって聞いてるが、歴史関係でも専攻してたの?」
と確認すると、
「近現代史専攻してました!」
と、やけに嬉しそうに答えた。西田が興味を持ってくれたと感じたのだろう。
「歴史好きなのか?」
と更に聞くと、
「はい! 父も母も歴史大好きで、妹も翔洋大学の大学院でアイヌ文化や歴史を研究してます!」
と、聞いてもいないことまで答えたので、西田は苦笑しながら、
「一家全員揃って歴史が好きなんだな。それがこんな刑事みたいな泥臭い職業じゃ、到底やってられんだろ?」
と言うと、急に真顔になった。そして、
「そんなことはありません! 私の母は婦人警官でしたので!」
と力みながら告白してきた。冗談がストレートに通じないタイプではあるが、なるほど、そういう背景も大きかったのかと西田は思いながら、武隈にもうテレビに集中して良いと指示した。
西田も、暇つぶしに、そのまま番組を何の気なしに見続けていた。しかし、日米双方の軍人や沖縄の民間人の多くが体験したであろう、凄惨な当時の記録映像をずっと見ていると、別の二課の刑事が、
「戦争行きたくないから、この当時は、徴兵検査で醤油飲んで顔色悪くしたとか言う奴もいたらしいが、そりゃ必死になるわ」
と大きな声で話し出し、それに西田も同感だった。
しかし、西田がそんな気持ちを抱きながら画面を見ている内に、ふと、訓子府の奥田老人の沖縄戦体験の話が脳裏に蘇った。
「こういうのを、あの人は現実に目の前で見てきたんだな……」
「沖縄戦の経験は地獄」と言い切った、奥田の言葉の意味を改めて深く思い直したその時、突然「地獄」というキーワードと、北村の録音テープの中で松島が証言していた、伊坂大吉の発言での「地獄」が西田の中で融合し始めた。
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