第126話 名実35 (75~76)

「俺達は、どうもとんでもない思い違いをしていたのかもしれんな……」

視線の先には、ただ壁があるだけの宙の一点を見つめたままで、そう呟いた西田に、横で黙って様子を見ていた吉村は、近付き難い雰囲気を感じたか、

「ど、どうしたんですか?」

と、恐る恐るといった感じで尋ねた。


「よく考えてみろよ! さっきの報告書の結果が全てなんだ! 科学を信じるんだよ科学を! 人間の証言や思い込みより科学だ科学!」

「いや、科学は信じてますけど……」

西田の突然高くなったテンションに、付いていけないのは明らかな吉村には構わず、息も付かずに説明し始める。

「今まで、当時の証言や報告から、爆破事故で死んだのは、小野寺だと俺達は思ってた。……と言うよりは、そう思い込んでいた。でも死んだのが実は桑野だったとしたらどうだ?」

「は?」

「まだわからんのか!? 小野寺達3名の鴻之舞金山の職員が死んだと、生き残った警官に証言したのは、桑野欣也1人でしかないんだぞ。しかも爆発事故で、遺体はバラバラ、現場は警察にも死傷者が出て大混乱中だ。勿論、証言したのが桑野本人だったかなんて確認は、今と違って、IDカードでチェックしたりなんていちいちしてないのは間違いない。鴻之舞から来た発破技師集団の1人として、事前に警官に見られていた程度の認識で、おそらくは足りたってことだ。それぞれ自己紹介なんてのも、お互い全員にはしてないだろうしな。そして、後からやってきた鴻之舞の他の職員も、いちいち警察みたいに写真見せて、「こいつが証言したか」なんて確認なんかしてるような状況でもないだろう。それに鴻之舞に戻ってからは、桑野の身の回りの品が消えてたそうだから、桑野が最初から意図的に消えるつもりだったとして、その後の詳しい調査もしてなかったはずだ。つまり、証言したのが、桑野本人かどうかなんて、まともに確認なんて出来る、且つ確認した状況にない!」


 西田の昂ぶりの理由をやっと理解できた吉村も、それに引き摺られるかのように興奮した。

「言われてみれば、死んだのが小野寺だと言うのは、あくまで居なくなった桑野の証言が前提でした! そこで死んだのが実は桑野であり、証言して逃亡したのが小野寺だとすれば、DNAの件はそれで説明が付きますね! つまり、事故前の証文の血判の桑野のDNAと、爆破に巻き込まれ、バラバラになった桑野の血痕のDNAが一致した。その形見として血まみれの端布を持って逃げた小野寺……。あっ!」

吉村が重大なことに気付いたのを受けて、西田がすかさず話を継いだ。


「そうだ! その形見の端布を持って行った小野寺自身が、桑野欣也に成り済まし、更にのちの田所靖、つまり大島海路である可能性が高い! 今までは、逃げた桑野、死んだ小野寺、形見を何故か受け継いでいた、二人とは女系の親族の可能性があったという大島の、合計3名が必要だった物語が、今回の鑑定結果からの推理で、小野寺と桑野という2人の従兄弟の関係で足りることになる。そして、大島こと小野寺が行き着いた東京で、奴が多田桜に渡しただろう端布が今こっちにある!」

「しかし、話の筋は綺麗に通りますが、問題はそのストーリーを証明出来るか……」


 ちょっと弱気な言い方をした吉村を、西田は表向きは叱りつける。

「馬鹿たれ! 東京行って、俺達は何を得て来たんだ! 小野寺の契約書の拇印があるだろうが! 大島の指紋は既に7年前の温根湯の捜査で、こっちに左右全部データとして保管してあるんだから!」

恐る恐る上司の顔を窺うと、その強い言葉に反して満面の笑顔だった。もはや確信しているのだと吉村は思った。その後、早速2人は鑑識に、小野寺の契約書の画像データを送付し、鑑定を依頼した。出来るだけ早くという注文を付けて……。


※※※※※※※


 夕方前に鑑識から一致の連絡が入った直後、2人は鑑識係の部屋に雪崩れ込むように入り、この鑑定を担当した重田という職員の話を聞いた。多少契約書の右親指の拇印に粗さはあるものの、9点が確実に一致し、残り3点も一致としていいレベルだと示された。そして、話を聞き終わるとすぐに廊下に出て、西田は竹下に連絡を取ろうとした。


 捜査情報を外部に出すのは、ご法度だとは当然わかっていたが、協力してくれた竹下に対するお礼の意味での結果報告だという「言い訳」が西田の脳裏をよぎった。


 しかし、西田自身、本当は違うとよくわかっていた。話が綺麗につながってきた喜びを、戦友として、この事件と関わってきた竹下とも、共有しておきたいという気持ちが、何とも抑えられなくなっていたということを認めざるを得なかったのだ。


 幸い竹下はすぐに電話に出た。ここで留守電だと気勢を削がれるところだったが、昂ぶった気持ちのまま、ここまでの新たな判明事実を説明した。しかし竹下は、当初、西田同様興奮して喜んでいたものの、話が進むにつれ、頭の中で色々と整理していたのか、最後には、いつもの竹下の冷静な口調にほぼ戻っていた。


「3名居る必要があった状況が、桑野と大島の2名で全て話が回るというのは、話を組み立てる際に大きな障壁を取り除けたことは間違いないと思います。そして、戦前の桑野と戦後の桑野の間に、多少なりとも、人格的或いは人物像に乖離が見られたことは、これが理由だったとハッキリ見えてきます。松島孝太郎の、殺害される直前の証言テープの信憑性も、指紋の不一致で一時期下がっていましたが、大島の実人物が、桑野欣也に成り済ました従兄弟だったとすれば、筋が通ることになって、また復活したと言えるでしょう。ただ、それでもやっぱり、大問題が解決してないんですよね……」

「一体何だよそれは!」

西田は苛立ち紛れに質す。


「このことがわかっても、大島を挙げるための材料には、直接結びつかない以上、捜査目的上は、大きな難題がまだ解決していないのは間違いないでしょう」

そう西田に考えを伝えた竹下だったが、西田が再び文句を言う前にすぐに話を続ける。

「それに、やはり大島が佐田の殺害に関与するにあたって、佐田の脅迫が伊坂にある以前からの、伊坂に対する弱みのままでは、動機として強調出来ない様な気がする点は、やはり維持されたままです。確かに、戸籍からはわかりようがない情報を伊坂が握っていたのは、大島の、特に伊坂に対する弱みとして、大島が桑野欣也だったと仮定した場合以上に機能しますが、でも伊坂も大島から、既にそれらの条件で利益を得ていたというのは、前も言った通りですからね。ある意味その条件で、イーブンの関係だったとも言えなくはない。そこに殺人関与を加えさせる程の価値が、大島にとってあったのかどうか。勿論、正体がバレたくないと思ったら、価値はあるんでしょうけど」

竹下は、そこまで言って、西田の顔をチラリと見たが、また何事もなかったかの様に、口を開き始めた。


「そして、話の筋を考える際にも、問題がありますね。あ、ただその前に、1つ明確にしとかないとならないことがあります。以前まであった、『何故逃げたのか』については、今回のことで、ほぼ答えが出たことは確かだと思いますよ。その点は、間違いなく良かったと思います」

「その答えってのは?」

西田が問いかけると、

「しっかりしてくださいよ! 小野寺がわざわざ死んだ桑野に成り済ましたわけです。当然、事故の一報を受けて、鴻之舞から応援の職員が派遣されてくるわけでしょう? それは大島こと小野寺道利も、当然理解していたはずですし、実際、彼らは現場へとやって来たわけです。つまり、その場にとどまって、桑野に成り済ましたことが、その職員達にバレたら意味がないじゃないですか!」

と返してきた。


 なるほど、確かに桑野であると、警察に嘘を付いて証言したことが無駄になってしまう。桑野と自称した以上は、当然鴻之舞に戻るつもりなどなかったことも推測出来るわけで、そうなると、その場から逃亡するのが論理的な帰結と言えよう。

「ああ、確かにそうなるな」

西田も十分に納得出来た。


「それを踏まえた上で、今回の発見で、話の筋において、大きな疑問が新たに生まれたんじゃないですか? 大島こと小野寺が、桑野に成り済ますことになった理由についてです。何らかの理由で、鴻之舞に戻るつもりがなかったというだけなら、桑野に成り済ます理由にはなりません。また、思い付きでするような行動にも思えませんし、何かきちんとした理由があったとしか思えないんですよ……。でも、今のところ、その理由については、想像だに出来ないですね、自分には……。こうして考えると、結局のところ、まだ話自体も完全にすっきりしたわけじゃないですよ。何度も言いますが、逃亡した主体が、桑野から小野寺に変化したとしても、今度は、桑野に成り済ました理由が問われるようになってくる。勿論、話は以前よりかなり見えてきましたが、見えてきたが故に、別の問題もまた大きくなったかもしれないですね」

そこまで淀みなく言うと、竹下は西田の反応を待つかのように押し黙った。


「ったく相変わらずだなあ、お前は……」

そう西田は舌打ちしたが、思い付いたように反論する。

「桑野に成り済ましたのは、それこそ、桑野が持っていたはずの砂金の証文を使って、砂金をいただくためじゃないか?」


 それを聞いて、竹下は喋り始めた。

「なるほど。確かに、大島こと小野寺が、戦後に伊坂と共に小樽の佐田家に現れて、桑野欣也に成り済まし、砂金の在り処を佐田家の父母から聞き出して、全部横取りしたというのは、ほぼ事実と見て良さそうですから、そういう考えの方向性はあるかもしれません。確か、佐田徹の遺した手紙では、桑野欣也は特徴的な風貌でもなかったようですし、背が高くて、教養がある程度でしたっけ……。小野寺は一応従兄弟ですからね。似ているとまでは言えないかもしれないが、大した特徴のない桑野だと言い張っても、証文を持っていれば、父母としては、指紋までチェックしようがないので、そのまま信用してもおかしくはないでしょう。大島自身、学歴もそれなりにあるわけですから、教養面でも大きな問題はない」

西田は、そこまでの竹下の返答を聞いて一瞬ぬか喜びした。しかし、

「ただ、北条正人の弟である正治が、兄から砂金を相続する話があったように、従兄弟の桑野本人が実際に死んでるわけですから、鴻之舞まで呼び寄せた小野寺に、そういう話がなかったとは言い切れないでしょう。それだけじゃなく、津波で桑野家と小野寺家の一族がほとんど死んでいるだろうことを考えても、大島こと小野寺道利が、それをある種、正当な形で相続することは、証文があれば、どう考えても普通に可能じゃないですかね? 繰り返しますが、そもそも、小野寺が桑野と共に働くことになったのは、桑野の紹介だというんですから、急な死別とは言え、証文も盗んだような形で受け継いだわけではなく、ある程度話は付いていたでしょう。そうなると、わざわざバレるリスクを負ってまで本人に成り済ますのは、正直意味がわからない」

と続けられると、返す言葉もなかった。


 そして竹下は、

「そもそも、生前の桑野本人を知っている人間が、証文の作成時点で3名居るんです。佐田徹、伊坂大吉、北条正人の3名です。そして、長兄の佐田譲が、小樽の実家の父母から戦後聞いた話が事実だとすれば、今回判明したことも含めて、戦後伊坂は、本来の桑野欣也でないことを知っていながら、小野寺と協力して彼が桑野であると偽り、砂金の在り処を父母から聞き出したことになるんでしょう。伊坂が一度単独で佐田家を訪れた際に、徹の手紙での指示通り、父母から在り処を教えることを拒否されたので、桑野本人じゃなくても、小野寺に頼りたくなったのかもしれませんが、一体どうやって2人は落ち合ったのかとか、色々わからない点も多い。そして、どうもこの点が、その後の大島海路と伊坂との関係性にも絡んできそうですね……。これも新たに出てきた謎と言えるかもしれません」

と付け加えた。


 この点については、

「うむ。確かにそれはそうだな……。そして、松島孝太郎がテープの中で証言していた、『証文に、田所靖になる前の、俺と一緒に遺産を横取りした時の、奴の古い名前が書かれている』と、佐田実も交えた殺害前日の会食の後で、伊坂から言われたという発言の意味も、今となってはよく理解できる。何しろ、桑野欣也は、小野寺道利である大島海路の本名ではなく、あくまで成り済ました名前であるから、『古い名前』という回りくどい言い方の方が『本名』表現より適切だからな……」

と、西田も頷いた。


 しかし、話の流れでそういうことに言及しただけで、竹下は、本来はそういうことを言いたかったのではなかったらしく、

「それはともかく、結果的に見れば、佐田徹も北条正人も、後に戦死はしていますが、桑野が死んで、小野寺がそれに成り済ました時点では、まだ二人共死んだという話はないわけです。当然ながら小野寺も、桑野を実際に知っているはずの、証文に記載された連中が、全員死んでいると誤認する理由もないでしょう。結果論的には、伊坂とは何か利害関係があって、桑野欣也に成り済ますことを認められたとしても、特に仙崎から遺産管理を任されていた、責任感のありそうな佐田徹には、本物の桑野を知っている以上は、そんな成り済ましは通用しなかったはずです。勿論、そのことを小野寺がどこまで認識していたかはともかく、それぐらいなら、正直に従兄弟が死んで自分が相続したという方が、余程真っ当に砂金を得ることが出来るはずですよ。なにせ機雷事故については、大々的ではないが、報道自体は一応道内ではされたわけですから、桑野がそれに巻き込まれたと、正直に言えば良いはずです。ですから、昭和17(1942)年の機雷事故発生時点では、小野寺が桑野に成り済ますメリットは、砂金を得るためという面においては、正直言って無いはずなんです。さっきも言った通り、バレて、むしろ怪しまれて、最終的に砂金を受け取ることが出来たとしても、過程で面倒なことになるリスクが大き過ぎますよ。しかし成り済ました。どうもここが引っ掛かるんです。他に理由があったと考えるべきでしょう」

と、再び疑問を呈した。


 この意見を聞いて、西田は再び冷水をかけられたように熱が下がっていくのを感じたが、言っていることはもっともだった。確かに、仙崎の砂金相続においては、爆発事故直後に、死んだ桑野に成り済ますメリットは、無いと言っても良いはずだ。


 そして、今回の発見で、松島のテープの証言の信憑性が上がったとしても、それを理由にして、大島を検挙するのは、未だ到底無理な状態であったし、謎を1つ解決した一方で、更なる謎も出てきた。大きな前進ではあるが、小さな後退もまたあったと見るべきなのかもしれない。西田としては、新たな、そして大きな進展があったにもかかわらず、何故か暗澹たる気持ちへと変化しつつあった。


 だが、その時、竹下は意外な心境を吐露し始めた。

「西田さんの、さっきの『相変わらず』が、一体どういう意味かはわかりませんが、冷たいだの浮かれないだのという意味だとすれば、それは違いますよ! 正直に言えば、今の自分は別に冷静なんかじゃないんですよ。単に悔しいんですよ。それを隠すために装ってるだけなんです!」

「悔しい?」

「だってそうでしょ? この興味深い話を、捜査陣の一員としてではなく、結局は第三者として、蚊帳かやの外で聞いてるしかないんですから! 本当に悔しいんです。言うまでもなく、それが自分の選択した道だとしても……」

控えめではあったが、それでも感情を露わにした竹下の言葉を、西田は驚きを持って受け止めた。ただ、そう言われてみれば、そういう気持ちに竹下がならない訳がなかった。言葉の表向きだけを取り出して、そう判断した自分を西田は恥じた。


「スマン……。でも俺は、お前が完全な第三者とは思っていないからこそ、こうして電話したんだ。それだけはわかってくれ」

絞りだすように告げた台詞に、

「ええ、ちょっと感情的になり過ぎました。ただ、もぐら叩きのように、新たな謎も出て来たことは確かだと思います。大きな一歩であることも、また確かですが……」

と、またいつものトーンに戻って竹下も謝った。


「それじゃ、取り敢えずそういうことだから……」

西田は、何となく気不味いまま、会話を終えようとしたが、

「いや、わざわざ連絡してもらっておきながら、本当にスイマセン」

という言葉を聞き、改めて、西田なりの本音を伝えることにした。

「このことだけは、正直な話、竹下にまず伝えたかったんだ。それで、余り考えもまとまらないままだったけど、つい嬉しくてな……」

西田の率直な言葉に、

「ええ。わかってます……。ですが、自分が本当に待ちわびているのは、大島検挙の連絡です! 是非お願いしますよ!」

と、照れたように、おそらく詫びの意味を込めて念を押してきた。ただ、照れ隠しか、話題を突然切り替え、

「あ、これはどうでもいいんですが、増川議員が東京地検に収賄で逮捕されるみたいですね」

と、声のトーンを変えていきなり告げてきた。

「え?」

西田が驚いて室内のテレビに目をやると、まだ何も報じられていなかった。

「本当だろうな?」

疑ったような言い方に、

「報道関係には予告済みですから。まあ速報入るまで、そう時間は掛からないでしょう」

と自信満々に言う。

「そうか。それにしても増川がやられるとはな……」

「まあ高松劇場って奴でしょうね。同じ党内でも、目立つ敵は潰しておく。そういうことでしょう。あ、ちょっと仕事入るんで、スイマセンこの辺で」

増川絡みだろうか、竹下はそう言うなり、いきなり電話を切った。


「なんだ、あいつも忙しないな……」

一方的に、話題を変えられた上に、会話の幕を一方的に下ろされた西田も、椅子の背もたれにもたれて、新たな展開と北海道選出の、大島同様民友党の増川の逮捕という事態に考えを巡らそうとした、まさにその時、

「増川達三を、収賄で東京地検がしょっぴいたみたいです!」

と、遠賀が西田に叫んだ。


 指差したテレビ画面には、道内の夕方のニュースが、特別番組に切り替わって映っていた。大島同様、道内選出議員としては力のある増川(作者注・「修正」明暗9で登場済み)が逮捕されるというのは、竹下の指摘通り、まさに民友党の内部力学が変わってきた証左なのだろうか。元々評判の良い議員ではなかったが、まさか逮捕劇にまで至るとは、数年前までなら想像も付かない事態だった(作者注・2002年のこの日、鈴木宗男議員が収賄で逮捕されました)。


その後、西田と吉村は、小藪刑事部長と三谷一課長に、この件を報告した。2人は当然驚き、褒めてくれたものの、事件背景や指紋不一致の謎が明確になったことは確かだとしても、検挙に直接結び付く情報ではないだけに、西田と吉村にこの件については黙っておくように命じた。


 事実、大島海路こと田所靖の正体が、桑野欣也であれ小野寺道利であれ、大島海路自体を逮捕出来なければ意味はないのだ。大島の事件関与を明らかにする証拠や情報が欲しいことに変わりはない。


 2人の刑事は、改めて次の捜査への思いを新たにしていた。


※※※※※※※


 新たな光と闇が見えて、間も置かない6月21日昼過ぎ、立て続けに思いがけないビッグニュースが飛び込んできた。察庁組対の須藤からだった。

「たった今、仙台から吉報が届いた! 落ち着いて聞いてくださいよ!」

「吉報?」

「そう吉報! まさかまさかの展開! 東館と例の毛髪の毛根から採取したDNAが一致したって仙台中央署から連絡が!」

「ちょっと待って! 東館って、アリバイ的にはともかく、組抜けしたりと、他の状況面では、一番あり得ないはずのマル被(疑者)だったはずじゃ?」

西田は驚きを隠せなかった。


「そうなんだが、その見立ては、どうも間違いだったらしいとしか言いようがないですわ」

「勿論それはわかるけれども、東館が銃撃のメンバーに選ばれた流れがさっぱりわからないな、こうなってくると」

西田は、そう言うと、明らかに吉報でありながらも、首を捻らざるを得なかった。


「いやいや、逆に言えば、相手方はそれが狙いだったのかもしれないわけで」

須藤は、カムフラージュ説を疑っているようだ。

「だとしても、『昇進』どころか組抜けてるわけでしょ? 外に出られたらそれこそ危険じゃないか?」

「うーん……。まあ、組抜けが条件でってのも、完全にあり得なくはないでしょ? これだけの案件に関わらせている以上、『外』に出すのは危険とは言え、自分自身も捕まるから、そうそう口外はしないだろうし……」

西田のみならず、須藤も答えにやや窮した時点で、DNAが一致したという点以外は腑に落ちていないのがありありだったが、今更それにこだわっていても仕方ない。

「ところでそうなると、ウチから仙台中央に捜査員派遣するって話になるんだろうか?」

西田は、銃撃事件のホシがかなりの確率で上がったという割に、高揚感が余りなかった。科学的には100パーであっても、この段階では、車に乗ったことがある程度の確証にしかならないという、半信半疑の思いがどこかにあったのかもしれない。ただ、総合的に見れば、どう考えても、銃撃事件に関与していることは疑う余地はないはずだった。


「一応、仙台中央署から、そちらに連絡するようには言ってあります。詳細は当人同士で詰めてくださいよ。自分からは先に連絡して、橋渡しのようなつもりでしかないわけで」

ここまで来ると、須藤も西田の反応に梯子を外されたか、やや文句を言いたげだった。ただ、西田としては、須藤に申し訳がないというより、問題点がまず目についていた。昨日の末広の鑑定結果のように、すぐに納得出来るような話を、2人の間で構築出来れば良かったのだが、今回はそれもなかった。


 取り敢えず、須藤からの報告を受け、緊急会議を開き、チームの捜査員全体にありのままを連絡した。佐田実殺害と大島海路に関しては、吉村以外、捜査チームにも伏せたままのことが多いが、銃撃事件そのものについては、まさにチームとして追っているだけに当然のことだった。


 遠賀係長からは、

「詳細は連絡が来てからでしょうが、捜査員派遣するのはほぼ確定してますから、今から決めておいた方がいいかもしれませんね」

と提言されたので、

「確かに。じゃあ今回は日下くさか主任とまゆずみに行ってきてもらおうか」

と言うと、2人は信じられないという顔をした。


「いいんですか? 課長補佐と吉村主任じゃなくて?」

なるほど、これまで出張は全て西田と吉村で行っていた。と言っても、大半が佐田実殺害絡みの件だったせいだが、部下から見ると、ひょっとすると「信頼されていない」と感じていたのかもしれない。西田はここに来て、部下への思いが至らなかったことを反省した。

「ああ、勿論だ。よろしく頼む」

心なしか、遠賀の表情も緩んでいたように西田は感じた。多少思う所があったのかもしれない

「わかりました。気持ちの用意はしておきます!」

ハキハキと日下が答えるのを聞くと、

「あっちとの打ち合わせから、2人に任せる。勿論、俺が出る必要があれば遠慮なく言ってくれ!」

と、西田は笑顔で伝えた。


 会議が終わると、廊下に出た西田を吉村が追ってきた。

「あいつらの不満は、これまで一切感じませんでしたが、ちょっとスタンドプレーになってましたかね……」

そう話し掛けられた西田も、

「そうだな……。ただ、鏡の殺害について話を聞きに行った以外は、俺達以外に任せられなかっただろ? 仕方なかったと思う。その上で気遣いが足りなかったのは確かだ」

と応じた。

「でもこれからは、佐田の方の事件でも動きがあるかもしれない。何しろ、7年前の捜査の問題点は、今のDNAの照合技術でかなり解消されてましたから、後は挙げられるだけの証拠があるかないかの問題です。銃撃事件の方は、既にチーム全体として動いてますが、一方で佐田の事件の方は、あいつらもある程度は知ってるとしても、詳細を伝えないといけないタイミングがどこか、色々考えちゃいますね」


 吉村の発言はもっともだった。佐田の事件を追っていることは、北見方面本部の上層部は勿論、部下もある程度知っているのは確かだが、特に部下達は、明確には事件の全体像を知っているわけではないはずだ。しかし、どうも佐田の事件についても動き出しそうな雰囲気が出てきた以上、協力してもらう必要が出てくる可能性はあった。捜査が進んできた故の新たな悩みと言えた。


 一方で、佐田実殺害については、当事者のほとんどが死んでいるという実情からすれば、捜査し易い順番を考えて、病院銃撃事件から大島と周辺を先に挙げて、そこから佐田の事件まで遡るというのが、これまで通り、現実的な道筋であることも間違いない。


 そう考えると、やはり銃撃事件にまず全力を注ぎ、佐田の件の詳細を他の仲間に伝えるのはその後というのも、決しておかしな選択ではなかったわけだ。

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