第117話 名実26 (57~58)


 結局、西田達の「奮闘」は直接報われることはなかったが、コンビニ強盗事件は、翌7日には急転直下で解決した。亡くなった喜多川専務が引っかかった、あの留辺蘂・北見境界付近のNシステムに、通過しそうな時間帯に通過した車と、色などから絞り込んだナンバーから、北見市内の持ち主に直接刑事が当たったところ、いきなり暴れだした若い男が、結局のところ犯人だった。


 年齢は22歳。あっという間の自供によれば、高卒後もなかなか職に就けず、半ば自暴自棄になった末の、遊び金目的の短絡的犯行だったという。


 北海道もご多分に漏れず、否、むしろ他の地域以上に、97年11月の北海道殖産銀行(作者注・モデル北海道拓殖銀行の実名は使いません)の破綻から不況に陥っており、年代的にも就職氷河期とモロに被った若者のようだった。


 バブル崩壊の余波で破綻した殖産銀行は、一応都銀の1つであったにもかかわらず、第二地銀である北網銀行に、北海道の営業分が譲渡されていた。通常では考えられない、ガリバーが小人に吸収されるという処理方法は、特に北海道で衝撃が走ったものの、その後数年経っても、破綻の影響は道内経済をジワジワと侵食し続けていたのだ。


 明らかに格下の北網ほくもう銀行が譲渡先になった背景には、北海道でナンバー2の銀行であった地方銀行・北央銀行(作者注・モデルは北海道銀行)と殖産銀行の経営陣同士が対立構造にあったため、合併しても上手く行かない可能性(殖産銀行破綻前に、北央銀行との合併話が浮かんでは消えていた)を、監督官庁である当時の大蔵省が苦慮した結果だった。


 北網銀行は元々、北網相互銀行が母体で、1993年に第二地銀・北網銀行と改名して普通銀行になっていた。元々の創業者一族が元来「お堅い」経営をしていたことと、その後は、日銀OBによる経営体制を敷いていたこともあり、バブルに踊らされることがほぼなく、その崩壊でも影響を受けなかったことがあった。


 つまり、経営状態が健全であったことが、銀行の規模は遥かに大きいが、不良債権まみれの殖産銀行の受け入れ先として大きな決定要因になったわけだ。


 北網銀行は、名前の通り、元々北見・網走地区を中心に経営されていた銀行だったが、昭和50年代から積極的に道内全域に展開し、1988年には、本店を北見から札幌に移転していた(作者注・北網銀行のモデルは、勿論北洋銀行ではありますが、この小説の背景は、北洋銀行とはほとんど無関係ですので。合っているとすれば、日銀OBが長年経営のトップに居て、バブルに踊らされずに割と健全経営だったと言うぐらいですから、くれぐれも誤解なきようお願い致します)。


 いずれにせよ、他の事件に煩わされることなく、自分の事件に集中出来る態勢に戻ったことは、西田達にとっても、喜ぶべき結果だったことは言うまでもない。


※※※※※※※


 6月8日、日韓W杯一色の朝のニュースを、出勤前の自宅で見ながら、西田は竹下から、遠軽署が何か、機雷爆発事故の資料を持っていないか、確認しておいて欲しいと頼まれていたことを思い出していた。

 

 これから察庁の捜査状況次第で、忙しくなることもあり得たので、処理できることは早目に処理しておいた方がいいという結論に達するまで、そう時間は掛からなかった。そして、通常ならば電話で用件を依頼するということで足りたのだが、もう1つやるべきことが頭に浮かんでいた。仙崎太志郎や免出重吉、高村哲夫の3名の遺体が埋まっていた件の、当時の捜査資料が、遠軽署に置かれたままになっていることを思い起こしていたのだ。


 この件と佐田徹の手紙が無くては、佐田実殺害事件は、本橋の自白すら出てこなかった(捜査の急な進展により、大島側が、本橋に事件に終止符を打つように要請した可能性が高いため)確率が高いため、そのままうやむやになった可能性が非常に強かった。


 一方、以前は北見方面本部には来ていなかった、他の遠軽署管理の捜査資料のほとんどは、西田が北見方面本部で専従捜査に当たることが決まった際、既に北見方面本部に運ばれていた。


「どうせなら、そっちの資料を取りに行くついでに、機雷事故の資料がないかも、直接確認してみるか……」

西田はそう決意した。


※※※※※※※


「それにしても、ここ数日異常過ぎですよね? まるで真夏ですよ、これ。いや真夏以上だなこれは……」

遠軽署へ向かう道中、吉村が片手でネクタイを緩めながら、留辺蘂に入った辺りで西田に愚痴った。


 出発する前から、2人とも背広は脱いで、後部座席に置いていた。車の車外気温を温度計で確認すると、午前中だというのに、既に30度を超えていた。6月の上旬でこの気温は、幾ら盆地とは言え珍しいことは確かだ(作者注・02年6月8日の北見の気温は、午後1時に32.9度を計測しており、おそらく最高気温は、33度は行っていたのではないでしょうか。遠軽も同様のようでした。因みに、翌日の6月9日は、21.7度前後が最高気温と推測され、しかも真夜中の3時に計測されたものです。昼間の最高気温は正午の16.5度という、まさに、この地方特有の極端な気温経過となっておりました)。


「ホント、訓子府で地取りしてた時から、ここ数日おかしいよな……」

西田も、暑苦しさをそのまま体現したかのような表情のままで頷いた。

「クーラー付けますか?」

「そうだな。風もあんまりないから窓閉めてちょっと付けるか……。基本的に匂いが好きになれんけど、これじゃあしゃあない」

西田は、車の冷房の匂いが気になるタイプだったが、さすがに諦め気味に、吉村の提案を受け入れると、吉村がエアコンの作動ボタンを押した。すぐに涼しい空気が。音を立てて車内を満たし始めた。


「ひゃー、気持ちいい!」

吉村は子供のように喜んだが、暑苦しい中運転していたら、精神衛生上も良くないので、一々文句を言うことは避けた。


 国道242号を進み、留辺蘂と生田原の町境の金華峠を超え、生田原を通過して遠軽署へと着くと、既に正午を過ぎていた。途中で見た、国道沿いの気温計は33度を越しており、車の車外温度も37度ぐらいになっていた。さすがに、アスファルトの真上はフライパンのようになっているわけだ。この季節でこの気温となると、子供や老人なら身体が適応できず、熱中症にでもなりかねないほどだった。


「うわ……、降りたくねえなあ」

吉村が、露骨に嫌そうな表情になる。エンジンを止めた車内から、署の駐車場のアスファルトに、陽炎が立っているのを見てため息を吐きながら、2人は車外へと出たが、ムッとした熱気にすぐに取り囲まれて、不快感はマックスになった。


 急いで署の建物へと入る。さすがにこの時期とは言え、この気温なら冷房は入っているだろうとは思っていたが、やはり署内は冷えていた。


「はあ……。天国だよここは……。課長補佐、ちょっと水分補給していいですか?」

吉村はそう言うと、西田が許可を出す前から、休憩所の自動販売機へと一目散に駆け寄った。西田もゆっくりとではあったが、その後を追った。


 10分程、そこで身体を休め水分補給すると、かなり生き返ったようになり、すぐに慣れ親しんだ刑事課室へと階段を上がった。


「どうも、朝電話した北見方面(本部)の西田ですが」

ドアを開けるなりそう挨拶すると、課長の机がある場所に座っていた、ロマンスグレーとでも言うべき、白髪頭のオヤジっぽい人間が立ち上がった。


「待ってましたよ。いやあ暑い中大変だったでしょう? 課長の桝井ますいです」

西田が北見方面本部から、資料の調達に出向くことを伝えておいた、遠軽署・刑事課長の桝井その人だった。電話での声は割と若々しかったが、姿形を目の前にする限りは、50代の前半か中盤ぐらいの年齢だろうか。


「桝井課長さんですか? お世話になります。こちらは部下の吉村です」

通り一辺倒の挨拶を交わすと、さっそく頼んでいた用件を切り出した。


「どうぞこちらへ」

そう言うと、応接セットに通された。見る限り、西田が遠軽を去った97年春当時と変わらないままだった。少し古ぼけた合成皮革のソファーに、2人は静かに腰を下ろした。


「ところで、いきなりで何ですが、例のモノ用意してくださいました?」

ソファの硬さを軽く手で押して確認しながら、西田は尋ねた。すると、若干バツが悪そうに、

「今日の朝に連絡いただいたということで、警務課にも依頼して、機雷事故の方の昔の資料を探してもらったんですが、現時点では見つからずという状況でして……。これでどうですか? 今年、事故発生60周年だったんで、慰霊式典でウチがコレ作りましてね……。事故の流れとか、そういうものも記載されているんで、かなり代用出来るかと。もともと古い資料を使って作ったそうで、内容は同じだと思うんですよ」

と、西田に伝えると、ちょっとした冊子を机の上に置いた。


 冊子の表紙には、機雷事故の慰霊碑の写真が写り、題名は「湧別機雷事故60年の歩み」なるものが記されていた。


 西田はそれを受け取ると、パラパラとめくりながら中を見た。機雷発見の経緯から発生当時の様子、事故後の状況などが細かく記されていた。ただ、竹下が書いた記事を見ていれば、大体が重複するような内容で、西田から見ても、新味に欠ける部分が多かった。一方で、さすがに60年前の事とは言え、「身内」がある意味原因になった事故だけに、道報の記事程は、辛辣な批判は載っていなかった。


「ええ、これでいいんじゃないですかね。ただ、もし古い資料があるならそっちが見たいと思うので、暇があったら、また探しておいてもらうように、警務課にお伝えいただけますか?」

西田としては、社交辞令で満足したようなことを言いつつも、竹下は当時の生の資料が欲しかったに違いないと忖度そんたくし、敢えて面倒なことを再度頼んだ。桝井は若干嫌な顔をしたように見えたが、年下とは言え、方面本部の課長補佐は、所轄の課長と同等かそれ以上であることを考慮したか、

「わかりました。そう伝えておきます」

と、妙にしおらしく答えた。


「後は、3名の遺体発見の資料ですが……」

桝井はそう言うと、部下にダンボールを持ってこさせた。西田達が7年前に、元々の入っていた箱から綺麗なダンボールに入れ替え、「重要」とマジックで書き加えたままだった。机に部下がトンと複数のダンボールを置く。吉村がそれを見ながら、

「こちらはすぐ見つかったんですか?」

と尋ねた。

「ええ。こちらは西田課長補佐や吉村主任が、ウチに居た時に、大事にしてたおかげで、すぐに見つかる場所にありましたよ」

「ああ、そうでしたか。自らの行いに助けられましたかね」

桝井の言葉に、西田は思わず笑顔になった。それにしても、桝井は西田が遠軽に居たことを知っているらしい。


「桝井さんは、どうしてウチらが遠軽のOBだとご存知で?」

一応は理由を確認してみたくなって、そう西田が問う。

「そりゃもう、あれだけの事件ですから、他の所轄に勤務していた我々も、噂で色々聞いてますし、当時の捜査資料なんかも、まだウチにあった頃に気になって見てたんですよ。西田課長補佐が、病院銃撃事件の件で、専従のために、今回北見方面に配属になったなんてのも、色々噂になってますからね。まあ、色々と表に出せない話があるらしいとも聞いてますが、とは言え、何となくは伝わってくるもんですよ」

桝井はそう言うとニヤリとした。

「ああ、そうでしたか」

西田は気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「遠軽署が開設されて以来の一番の大事件ですから、後から赴任した我々も当然興味がある。ただ、本橋が関わった佐田実殺害の件は、既に解決済みなんで、ウチらが捜査に直接関わることは、何があっても無さそうなのが残念です。他の関連したと思われる事件(米田青年殺害事件)も、被疑者死亡じゃどうしようもない。ただ、本橋の殺人と、病院銃撃事件について、何か関係があると当時から睨んでたようですね?」


 桝井の一言に、西田は反射的に軽く姿勢を正した。一応、正式な佐田実殺害事件と北見共立病院銃撃殺害事件の捜査報告書には、大島海路がその両方を結びつける存在だということは、やはりマズイということで明記していなかった。だが、北見共立病院銃撃事件の報告書において、松島道議の関係上、佐田実殺害事件と病院銃撃事件の間に、何らかの関係性が疑われるとは、最終的に記述していた記憶があった。


「まあそうですね」

ボヤかして回答した西田に、

「ということは、万が一ですが、もしそちらの捜査で何か再浮上した場合、またウチの方としても捜査協力するということはあり得るんですかね?」

と、鋭い眼光で西田に視線を向けてきた。先程までの西田の桝井評は、よくいる叩き上げのオヤジ刑事風というモノだったが、今は多少は格上げされていた。


「まあ何とも言い難いところはありますが、そうなってもおかしくはないでしょう。もしそうなったら、当然協力いただくことになりますね」

そう喋った西田だったが、確かに捜査状況次第では、佐田実の殺害事件においては、第一義的に遠軽署の管轄になる可能性があるわけだから、良好な関係を築いておいて損はないわけだ。更に、付け加える。


「我々も遠軽刑事課のOBですから、その人達とまた仕事が出来れば、これは喜ばしいことですよ」

「そうですね。ウチもデカイ事件を扱ってみたい若手なんか居ますから、そうなればそうなったで、語弊はあるが楽しみですよ。平和な日々も悪くはないが、ここだけの話、大きな声じゃ言えないが、たまにはどでかいヤマに当たってみたいってのも、刑事の性でね。職業病みたいなもんですな。ははははは」

桝井の高笑いを見ながら、沢井とは違う刑事課長の姿ではあったが、これはこれで、部下からすれば取っ付き易いタイプなのかもしれないなと西田は感じた。


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