第116話 名実25 (55~56)

 この時西田は、奥田の妻が居ないことを妙に思っていた。今まで訪問した際には、常に妻が居り、不在の理由がピンと来なかった。ただ、7年前と同じ居間に通された時に、位牌を目にして、ようやく事情を把握した。

「奥さん?」

そう一言だけ、目配せしながら言うと、

「ああ、2年前ね。あっさりだった……。心筋梗塞で。幸い、長患ながわずらいではなかったから、それが救いと言えば救いだな」

と、さばさばと返してきた。


「そうでしたか……。じゃあちょっと線香あげさせていただいても良いですか?」

西田としてはそう言うより他なかった。

「勿論だ。婆さんも、西田さんが久しぶりに来たから喜んでくれるんじゃねえかな。あげてやってくれや」

笑顔でそう言ったので、西田は線香を上げた。吉村は全く面識がないということもあり、遠慮していたが、奥田が「嫌でないなら」と促したので、西田の後に続いた。


 その間に、お茶を入れにキッチンに行っていた奥田は、戻ってくると2人に羊羹とお茶を出した。

「ああ、お構いなくと言うべきでした」

西田は謝ったが、

「まあちょっとの時間だから、そう気にしないでくれや。西田さん方も、時間取れないことはわかってるし。さっさと食って飲んで!」

と、昔と同じ調子で喋った。そして2人が手を付けるのを眺めながら、

「ところで、コンビニ強盗の件だけど、朝のニュースじゃ置戸から北に向かったって話だったべ? 訓子府側に抜けたのかい?」

と尋ねてきた。


「それは、今のところはっきりわからないんですが、(国道)242号を北上して、留辺蘂か訓子府もしくは北見方向へと向かったようですね。正直、ここら辺は(道道)50号からも少し入った所にありますから、何か見られているということは、ありませんよね?」

一応、捜査らしきものを、形式上しておく西田。


「未明だったら、もう寝てるからなあ。ただ、パトカーが夜中走っていったような記憶は、寝ぼけながらも微かにあったかな?」

「身も蓋もない話になっちゃいますけど、訓子府に犯人が居る可能性もありますから、一応聴き込み目的の訪問ですけど、奥田さんの所では、それやっても意味ないと半分わかってましたからね」

苦笑した西田に、

「まあいいべや! こんなことでもなければ、西田さんに再会することもなかったべ? ある意味神様の思し召しかもしれん」

と、相変わらずの「奥田節」だったが、西田はその流れで奥田の近況を聞いてみたくなった。


「7年ぶりですが、この間どうでしたか?。自分もホントは色々話したいことがありますけど」

こう切り出した西田に、奥田はしばらく間を置いてから、

「そうだなあ。2年前に婆さんが死んでからは、それまでとは考え方が変わってきたな」

と、思わぬことを言い出した。


「考え方ですか? やはり死生観みたいなものに対する変化ですかね?」

「それも関係してくるのかもしれんが、やはり『残された時間をどう使うか』みたいなもんかなあ。まだ、あんた方には理解できないとは思うが、若い連中に伝えて残しておきたいことがあるって話だ。今は町内や近隣の小中生相手に、語り部としてボランティアで活動してるんだわ」

そう言うと、奥田は一口で羊羹を頬張った。


「伝えておきたいこと?」

「ああそうだ。俺が若い頃の話……。戦争に行った時のこと、そして、それこそ西田さん達も知ってる、国鉄時代に知ったタコ部屋労働の話だ。これはあくまで自分が経験したことじゃあないけどな」

「奥田さんも戦争に行かれてたんですね。ま、年齢的には不思議ないか……」

西田はそう言うと、座卓の陰でチラッと時計を確認した。


「そうだ。俺が行ったのは沖縄だった。丁度、昭和18年に召集されてな……。詳しく言ってもわからんだろうが、第24師団の歩兵第32連隊という部隊に入って、満州から沖縄の地上戦に参加することになったんだわ……。部隊には、多くの俺と同郷の兵士が居てな。道産子ばっかりよ……。まだみんな若くて下っ端だったが、アメリカ軍が上陸してからは、そりゃもう生き地獄だった……。あの辛苦は、味わったもんじゃなきゃわからんべな……」


※※※※※※※


 1945年の3月26日から始まり、4月1日の米軍上陸から、本格的な地上戦が開始された沖縄戦では、日本人延べ18万超が亡くなり、そのうち、沖縄県人の軍人・軍属が2万8千人、一般県民が9万4千人亡くなっており、多くの犠牲者を出したことは余りにも有名である。


 しかしながら、その沖縄県に次ぐ犠牲者を出したのが、実は北海道であることを知る者は少ない。1万超の軍人が、遠く離れた南の地で命を落とした。軍人としての死者は、北海道出身者が最も多かった。北の果てから南の果てに派遣され、散っていったのである。


 その中でも、特に旭川の第89連隊は、多くの道内出身者で占められていたのと同時に、ほとんどが戦死するという過酷な状況下にあった。また32連隊を始め、22連隊などの、沖縄戦で主力となった第24師団系の歩兵連隊にも、北海道出身の召集兵士が多く、道民の戦死者が増えた要因となっている。


 また多くのアイヌ青年も、先祖所縁の地から遥か離れた異郷で犠牲となったことも、歴史の闇に人知れず埋もれたままである。


※※※※※※※


「沖縄戦に参加されてたんですか……。自分も詳しく知るわけじゃないですが、確かに過酷だったと聞いてます。そういうご苦労をされていたとは露知らず……」

西田はそう言うしかなかったが、明るい奥田にそういう陰がつきまとっていたとは、刑事である西田にも、全く感じ取れていなかった。逆に言えばその明るさは陰故の反動なのか。


「俺みたいな個人には、もうどうにも出来ない時代の問題とは言え、ああいう思いは若いモンには味わってもらいたくないんだわ。そのために、死ぬ前に伝えておかなくてはならないことは、ちゃんとやっておこうと思ってな……」

「歴史の証人の言葉は、きっと伝わると思いますよ、子ども達にも」

西田はそう語りかけた後、横の吉村の表情を窺うと、吉村もやけに真剣な面持ちだった。


「ところで、西田さんはいつこっち戻ってきたんだ?」

いきなり話を転換した奥田だったが、あまり辛気臭くしたくなかったのだろう。

「3月の末に転勤で。あれだけ世話になったんだから、奥田さんには、ご挨拶に伺えば良かったんでしょうが、なかなか機会がなくて、その点は申し訳なかったです」

「いやなんもなんも! こっちのことなんてどうでもいいんだよ」

気にしないという素振りを、手を振って表した奥田に、思い切って西田は、

「実は、今回私とこの吉村が北見に配属されたのは、北村の『仇討ち』のためでして」

と告白した。何故こんなことを言う気になったかは、自身でもよく説明出来ないところがあったが、奥田の言葉の端々に、西田は、何やら使命感や責任感を感じたので、触発されて、自分も「覚悟」を示しておきたかったのかもしれない。


「仇討ち?」

「ええ。道警本部の方から、北村の事件についての再捜査の機会を与えられまして、自分もそれに乗ったということです。ついでに言えば、当時北村と共に奥田さんに色々聞いていた事件についても、同時に捜査しています」

話を聞いていた吉村は、「おいおいそこまで言うか」と言うような表情を浮かべていたが、黙ったままだった。


「そうかい……。北村さんの事件の捜査のために、北見に戻って来たってわけかい。いやいや、あの時は遠軽だったか……。それはともかく、俺からも、是非成功を祈らせてもらうよ」

「ありがとうございます。僅かではありますが、一歩一歩、検挙に近づいていると信じています」

西田はそう言うと、まるまる残していた羊羹を口にして、茶で流し込んだ。


 そして時計を確認すると、丁度15分程度経った辺りだった。

「それじゃ、他の捜査員のことも考えると、あんまり長居も出来ませんので」

そう伝えて、吉村と共に立ち上がると、玄関へと進んだ。


 そして玄関の戸の前で、礼を述べた2人に、

「必ず捕まえてくれ! あの若さで殉職した北村さんのためにもな!」

と、老人は西田の肩を叩いて激励した。西田には、それが若くして散っていった、奥田の戦友への思いと重なっているのではないかと思いながら、

「わかりました。いい報告が出来るように頑張ります」

と心からの笑顔で応えた。


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