第112話 名実21 (46~47)

 東京支社に戻った五十嵐は、すぐに竹下に連絡した。まずは、久住に聞き出した内容を全て竹下に伝えた上で、

「今から貰ってきた資料送るから。詳しくはそっちで確認してくれ」

と伝えた。

「わかりました」

五十嵐は、竹下の返事を聞くと、ファックスで順に送信し始めた。まず、当時の事故の報告書だ。ジリジリと出てくる紙片を取って、熟読するという程でもなく何気なく眺める。全て送信されてからじっくり読むつもりだ。しかし、2枚目を流し見していた竹下の表情が変わった。そこには目を疑うような情報が書かれていた。


 思わず、ファックスを流している作業中の五十嵐に、すぐに確認の電話を掛ける。

「五十嵐さん! この行方不明になった人間の名前、これ間違いないんですよね!?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「それがどうしたって……」

ここまで言って次の言葉を飲み込んだ。五十嵐は、この名前の意味をわかっているはずがないのだ。何とも思わなくても仕方なかった。


「で、何だって?」

「いや、こっちの問題で、五十嵐さんには全く関係なかったことに気付きましたから、もういいです……。すみません。作業続行お願いします!」

「なんだお前は……。まあいいや。因みに、行方不明になった奴については、別の資料もあるからそれでも見ろよ。気になった理由は知らんけど」

五十嵐は、竹下の先程までの興奮の意味がわからず、拍子抜けしたままのような口ぶりだったが、竹下はその言葉を聞き、しばらく黙って待つことにした。そして、最後の人事部の資料をファックスから取り出して見て、

「こんな幸運が舞い込んでくるとは!」

と口走ると、1人で何度も頷き喜びを表した。


 行方不明になったという人物の名前は「桑野欣也」。そうある名前でもなければ、資料の生年月日から見ても、あの桑野欣也と同一人物と見て間違いなかった。昭和16年に、「免出重吉」が殺害されたあとのドタバタから、行方が掴めなかった桑野の足取りが、翌年の5月26日まで判明したのだった。


 資料によれば、昭和16年の11月に、鴻之舞金山に「鉱夫」として入ってきたが、後に、桑野が旧制中学を卒業していることが現場監督に知れられると、ダイナマイト技師見習いとして、契約し直したとあった。


 粗忽者の多い鉱山作業員、つまり鉱夫の中で、当時としては高学歴の人間であれば、坑道拡張のために使用する、危険なダイナマイトを扱う人間としては、貴重な存在になり得たのは想像に難くない。つまり、鉱夫から技師見習いへと格上げされて不思議はないわけだ。そして、もう1つ気になる記述があった。


『契約時、両手親指欠損あるも、業務に大きな支障なく、体格筋力平均以上故、人夫としてのこれまでの経験も考慮した上で、鉱夫として採用に至る』

なるほど、あの証文において、1人だけ親指ではなく、右手の人差し指で血判が押されていた理由は、桑野の両親指に「障害」があったからなのだと、竹下は深く理解した。


 技師として採用し直したのも、「鉱夫として影響はない」と記述されてはいたが、学歴だけでなくそういう考慮もあったかもしれないと、先程の「考察」に付け加えた。そして、高ぶる気持ちを抑えるため、敢えておもむろに携帯を取り出すと、竹下は再び五十嵐に電話を掛けた。


「何だ! 今度は!」

怒鳴り気味に出たが、再び竹下が興奮気味だったのを認識すると、

「さっきといい、一体何があったんだ……?」

と、むしろ薄気味悪く感じたのか、諭すような言い方になっていた。


「五十嵐さん、大変申し訳ないですが、もう一度、三友金属鉱業の方とコンタクト取ってもらえないですか?」

「おい! 送ったので確認出来ただろ?」

「いや、それは確認出来たんですが、新たな調査を依頼したいんですよ!」

「新たな!?」

五十嵐は、受話器の前で不満そうに大声を張り上げた。

「その通りです!」

「俺もこっちで仕事が山ほどあるんだが、いい加減にしてもらいたいもんだな!」

精一杯の抗議を受けたが、「勝負どころ」ということもあり、後輩はどこ吹く風で聞き流し、自分の要望だけ連ねる。


「あるかどうかはわかりませんが、ひょっとしたら、この桑野欣也という人物の、当時の雇用契約書みたいな何かが残っているんじゃないか、そう思うんですよ! 何しろここまでの資料が残っているとなると、そう不思議ではないように思うんです」

「それで……」

五十嵐は諦めたのか、投げやりに話を続けるように言った。

「その契約書に、もしかしたら拇印があるかもしれない。それを確認したいんです」

「ボイン? あ、契約書だから捺印の意味の拇印か……。それにしても意味がわからないぞ!?」

五十嵐には、未だにさっぱり話が見えてこないようだが、事件の詳細を知らなければ仕方ない。一方竹下としては、当時の一介の作業員の契約に、わざわざ印鑑を使用してはいなかったのではないかという「読み」があった。


「とにかく、桑野欣也が三友金属鉱業と契約した当時の契約書、これが欲しいんです!」

「話がさっぱり見えんな……。だが、お前がそこまで俺に頼むんだから、何か意味があるんだろう。まあいい! 特別に協力してやるわ! ただ、何時になるかわからんぞ! こっちも仕事の合間が限度だ。それにあっちとは、ちょっと険悪なムードになったからなあ……」

念頭には、先程の久住とのやりとりがあったが、それは逆に竹下にはわからない話だった。


「腹も立つが可愛い後輩のためだ! 相手とアポ取れたらまだ連絡するからな!」

「お願いします!」

竹下は見えない相手に頭を下げた。

「それはともかく、たまには俺のためにも働いてくれよな。頼られてばかりで割に合わんぞ……」

五十嵐は捨て台詞を残して、2人の会話は終わった。


「そうだ、すぐ西田さんに連絡しないと!」

竹下は、五十嵐の捨て台詞に反応する間もなく、西田に電話を掛けた。


 竹下から詳細な説明を聞いた西田は、当然驚きの声を上げた。

「まさか、桑野が機雷爆発事故の現場に居たとはな……。竹下がブンヤになってなかったら、この事実も出てこなかっただろ? まだ俺にも運があるのかもしれない」

「そうですね。自分で言うのも何ですが、何というか運命的なものを感じます」

竹下も感慨深そうに同意した。


「しかし、何だかんだ言っても、そこから戦後、小樽の佐田家に現れるまでの足取りは、未だにわからないんだな」

西田は、単純な喜びから一転、突然現実に返ったような発言をした。

「そこは現状は仕方ないですよ……。それより、ひょっとしたらですが、当時の桑野の指紋が採取出来るかもしれないです! 当時だと、鉱夫みたいなのは、鉱山側と契約する際に、印鑑より拇印の方が、会社としても防犯の観点から都合が良かったんじゃないかって考えてるんです。勿論、今ならただの偏見で問題になりそうな話ですけど……。とにかく契約書があれば、おそらくチェック出来るんじゃないかと踏んでます。もし契約書が人差し指以外だと、血判と照合する時に、これまた面倒になりますが、まあ親指がないなら、常識的には人差し指でしょうね」

竹下は、西田を宥めつつ、自分の読みを披露した。

「なるほど、契約書か……。何とかなりそうなのか?」

「今、五十嵐さんに頼んでます」


 即答に、さすが手回しがいいと西田は感心したが、契約書があって、それに拇印が押されているのならば、個人的にはむしろ大島の指紋と一致する方が、全体的な話としては都合が良いように西田には思えていた。何らかの理由で、血判の指紋だけが桑野自身のものでないとすれば、大島と契約書の桑野の拇印が一致する方が、以前考えていた大島=桑野が成立する余地が復活する可能性があるからだ。西田としても、まだそちらの説にも未練があった。


「それにしても、佐田実の兄貴の徹は、桑野に配慮したので、手紙には親指の欠損を書かなかったんだろうなあ。宮古の天井あまいの爺さんが、『もっと達筆だったかも』って思ったのは、直に会っていた頃はまだ、親指があったからかもしれん……。そんな状況が天井と一緒の頃にあったなら、しっかり憶えてるはずだもんなあ。だから、証文の署名も、親指欠損の影響で下手になったと言うわけか」

西田はしみじみと竹下に話し掛けたが、

「天井って誰ですか?」

と言われてしまった。よく考えて見れば、竹下が西田と吉村の岩手訪問を知るはずもなかった。


「ああスマン。最近、岩手に色々聞き込みに行ったんだが、天井ってのは、その時出会った、桑野の釜石二中時代の後輩だった爺さんのことだ。釜石二中の話は高垣さんから聞いてるだろ?」

「なるほど、わかりました。その人が天井って名前なんですね。それにしても岩手に行ったんですか?」

「そう。竹下と黒須が7年前に行った田老にも行ってきた。そこで……」

西田はそう口にしかけて思いとどまった。信頼出来る男だが、「アベ」の謎を今明かすのは、やはり止めたほうがいいと考えた。この情報は、現状警察の外に流すべきではないだろうと、敢えて言葉を飲み込んだのだ


「何か?」

「いや、防潮堤を目の当たりにして、高さと規模が凄いなと」

西田は警察を辞めた今でも、今回のように西田に協力してくれている竹下に内心詫びながらも、敢えて素知らぬふりを通した。勿論、竹下は間違いなく信頼出来る人物ではあったのだが、不必要なことは伝えるべきではないと、ギリギリで踏み止まったのだ。


「とにかく、契約書の件頼むぞ」

そう伝えると、

「ええ。何かわかったら連絡させてもらいます」

と返された。元部下とは言え、頼もしい言葉に西田には聞こえた。それ故、尚更黙っていることを申し訳ないと強く思うことになってもいた。


※※※※※※※


 6月3日月曜日。ワールドカップが開幕して国内は盛況を呈していた。翌日の4日には、日本代表の初戦であるベルギー戦が控えており、マスコミの煽りも最高潮目前という印象だった。しかし、竹下は、そんな世間の喧騒よりも、五十嵐からのファックスを待っていた。


 死亡者数の件で、短めの訂正記事を出した後に、既に「三友金属鉱業から、契約書が存在するという連絡を受けた」と五十嵐から報告があり、存在については疑う余地はなかった。そしてその契約書における桑野の「印」は、やはり竹下の思惑通り「拇印」だったという。しかも、親指の欠損のため、右手人差し指での拇印と、契約書の欄外に明記されていた。まさに証文と同じ条件だった。


 というわけで、竹下の元へ、三友金属鉱業から直接ファックスで送信してもらっても良かったが、やはり「現物確認」をしてもらうのが、まず先決と竹下は考え、五十嵐にはそのまま訪問するように頼んでいた。


 そして、もう1つの送信先を指定していた。北見方面本部の西田の元へだ。警察の鑑定で、桑野の証文の血判と拇印が一致すれば、湧別機雷事故の後で、現場に居た警官に同僚の死亡を伝達し消えた男は、間違いなく「証文上」の桑野欣也と一致することになるはずだ。


 但し、竹下は期待と同時に一抹の不安を抱いていた。契約書の右手人差し指の拇印が、どの程度鮮明かどうかだ。そしてファックスとなると、わずかだがぼやける可能性がある。まして、契約書の状態が悪い場合には、コピーをファックスすることになる。もしそうなると、更に鮮明さが落ちることになる。その場合に備え、いざという時には、スキャンして画像のデータごとメールに添付してもらう手段を考えてもらえないかと、事前に五十嵐に頼んでおいた。


 様々な要求に、五十嵐は不満を露骨にしていたが、「大掛かり」になってきたことから、何やら過去の事件について重要な局面にあることは、さすがにブンヤとしての経験から理解していたようだ。渋々ではあったが、それ以前よりは、素直に要求を受け入れてくれたように竹下には思えた。


※※※※※※※


 いよいよ午後2時、五十嵐から電話が来た。

「待たせたな! ついさっき原本を確認させてもらった。ただ、やはりお前が危惧していたように、紙がかなりボロボロで、拇印も『押しただけ』って感じだな。あくまで認め印代わりで、実印的な識別の意義はあんまり見出せない。どうする? スキャンしてもらうか?」

「そうですか……。じゃあそれで、三友さんの方に頼んでもらえますか? 勿論画質は一番いい奴で」

「画像の件はわかった。伝える」


 そう言うと、電話は切らないままだったので、携帯の向こうで担当者に何やら頼み込んでいる様子が伺えた。そして少しすると、

「スキャン完了したら、そっちに送信してもらう。ところで、お前の元上司のところへは?」

と確認してきた。

「いや、ファックスならともかく、スキャン画像ならこっちから更に再送信しても劣化しませんから。僕がそっちへは送っときます」

「それもそうだな。わかった。えー、じゃよろしくお願いします」

五十嵐は担当者にそう告げたようだ。そして、作業が完了すると、

「送信完了したみたい。確認してくれ。@sanyu material co.jp末尾のメールだ」

と言ってきた。

「わかりました」

竹下はそう言うと、既に立ち上げていたメールソフトの「送受信」ボタンをクリックした。すぐにメールが入っていたのを確認し、添付ソフトをウイルススキャンした上で開く。


「あ、確認出来ました! ありがとうございます! 三友金属鉱業さんにもよろしくお伝え下さい!」

マウスを持ったまま、右耳と右肩で携帯を挟んだまま五十嵐に伝えると、

「わかった。じゃあまた後で」

と言って電話は切られた。


 すぐに、竹下はスキャン画像を念入りに調べる。五十嵐の言う通り、画像の状態でもやや拇印は不鮮明な部分があった。やはりスキャンの選択は正しかったようだ。そして、確かに「両親指欠損につき、指印は右手人差し指にて」という、欄外にあった注意書きを確認した。更に鉱夫としての契約書がそのままダイナマイト技師としての契約書に転用されたのか、職種の部分に訂正印が押され、鉱夫から発破技師へと書き換えられていた。


 正直なところ、契約が別だったので、鉱夫と技師の分が、本来それぞれ1枚ずつあったとしてもおかしくなかったのだろうが、竹下はそこまで頭が回っていなかった。結果的には問題なかったが、完璧主義者の傾向がある竹下としては、それに気付かなかったことに、やや不満だった。


 ただ、いつまでも気にするようなこともないのですぐに頭を切り替え、画像を更にチェックする。採用理由欄には、報告書同様、「両手親指欠損も業務に支障なく、体格と筋力に優れるため採用」と言う、鉱夫としての採用理由の部分に、「職務態度良好。冷静沈着、知的水準も高いため、発破技師として再雇用する」と付け加えられていた。


「よし……、後は西田さん達に託すだけだ!」

竹下はそう呟くと、西田の携帯に連絡する。


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