第111話 名実20 (44~45)

 しかし、その喜びは、案の定すぐにぬか喜びに変わった。

「東京なんか行かせる余裕はないぞ。まして予算的にもだ!」

熊田は竹下からの報告を受けて、すぐにこう言い放った。しかし、これは普通に考えれば、上司の横暴でもなんでもなく、当然の発言だったと言えた。実際のところ、現状を考えれば、訂正とは言え、それほど社会問題になることもない程度のものに、弱小地方支局では余り人員・予算を割くわけにはいかないだろう。


「となると、どうなりますか?」

「一応確認はしないとならないから、東京支社の誰かに行ってもらうことになるんじゃないか? 最終的には、本社側さっぽろの判断になるだろう」

「東京支社の誰かに頼むなら、是非知り合いに頼みたいんですが、無理ですかね?」

「知り合い?」

熊田は訝しげに部下を見つめたが、

「あ、五十嵐のことか?」

と、ハッとしたように確認してきた。熊田も五十嵐の同僚として旭川支社で若い頃一緒だったことがあったと、竹下は以前聞いていた。熊田の方が五十嵐より2つ上である。


「ええ、五十嵐先輩が、丁度今、東京の社会部に居ますから、どうせなら頼みたいです。こっちの要望も細かく伝えられますし」

「そうだな……。わかった。本社に状況を報告する時に、一応こちらの要望として伝えておくことにしよう」

「よろしくお願いします」

熊田がすんなりと自分の要望を聞き入れてくれたので、悪い流れとは言え、少し救われた気分だった。


※※※※※※※


 翌5月28日午後、本社の決定で、紋別支局の要望が受け入れられ、五十嵐が三友金属鉱業での確認取材に赴くことになった。竹下は電話で、五十嵐に聞いてもらいたいことを連絡していた。


「しかし、久しぶりにおまえの使いっ走りをやらされる羽目になったな」

早速の先制パンチをお見舞いされたが、本気で愚痴っている様子ではなさそうだ。

「7年前の時は、色々世話になりました」

「まあいいけどな。でも大島は結局逃げ延びて、お前らに約束された、大スクープは出来なかったのが残念だ」

「それは……、そうかもしれませんが、まだ大逆転劇はあるかもしれないですよ」

「いや、もうそういうのはいいから! 期待してないから!」

笑いながら後輩の言葉を遮る。


「まあ、それはいいんですけどね、先輩がそう言うなら。で、こっちからのお願いなんですが、行方不明になった人物の名前は勿論、当時の事故の状況がわかれば、聞いてきてください。できれば資料のコピーも」

「はいはい……。それが、行方不明になってる人間が、事故後生きていたことの裏付けとなるわけね。でも、本社から送られてきた事前情報の資料確認させてもらったけど、それだったら、当時の、それこそお前が居た遠軽署の方が、案外爆発事故についての資料持ってるんじゃない? 当事者だったわけだし」


 五十嵐の疑問は、事実かなり当てはまっていた。出来るならば、それもチェックしておくべきだろうが、今となっては、竹下は既に警察の「部外者」である以上、そう簡単に行かないのは仕方がない。


「そりゃ先輩の言う通りですが、俺はもう警察官じゃないですし、仮に警察に留まっていたとしても、遠軽の署員ならともかく、そう簡単に所轄外の資料を要請するのも簡単じゃないんで」

「まあな。わかったよ。とにかくやるべきことはやってくるからさ」

五十嵐はそう言うと、既に三友金属鉱業本社とアポを30日に取ったことを告げ、会話を終えた。


※※※※※※※


 5月29日、北見方面本部の西田は、須藤から経過報告を受けた。まだ調査が完了したわけではないが、葵一家の関東の主要組織の中で、岩手近辺出身というキーワードで2、3名程ピックアップ出来たという。葵一家組織全体を岩手出身だけでピックアップすれば、当然もっと多くなるようだが、鏡との共犯をキーポイントにすると、ある程度、鏡の所属していた紫雲会と近い組織の可能性が高いことを考慮した上での「選出」とのことだった。もうちょっと調査した段階で、氏名を報告してくれるという。


 因みに、専門家に確認した限り、やはり「アベ」という方言は、岩手のほぼ全域及び宮城の一部で使われる方言だったと西田は伝えられていた。


 吉村にすら一言も伝えてはいなかったが、西田は、この方向での捜査が上手く行かなければ、おそらくもう、銃撃事件の「生存している」犯人を挙げることは無理ではないかという、ある種の背水の陣にも似た覚悟を持っていた。偶然にも降って湧いた手掛かりではあるが、同時に最後の希望にもなっていたわけだ。

「何とか見つかってくれ」

祈る、いやすがる思いで、受話器を置いた。


※※※※※※※


 5月30日午後、東京は新橋駅近くの汐留の高層ビルの中にある、三友金属鉱業本社を五十嵐は訪問していた。


 渉外課の久住くすみという主任が、五十嵐の応対に当たった。久住は、五十嵐が想定していたより多くの資料を持ってきていた。


「お尋ねいただいた件ですが、何とか、当時の報告書が資料室の方に残ってまして……。これですね。鉱山内ではなかったとは言え、派遣した当従業員が、事故で亡くなったということで、わざわざ作成していたようです。ただ、ちょっと戦時中ということで、紙質が悪いのか酸化が進んでいて、読む際にかなり注意が必要なんですが……」

そう申し訳無さそうに言われたが、

「コピーは大丈夫ですかね?」

と、五十嵐は無愛想に確認した。

「まあ注意しながらなら……」

「そうですか。それなら問題無いですね。じゃあ、むしろコピーを取って頂いてから、それを見た方がいいかもしれない」

「わかりました。では、これについては……」

そう言うと、久住は近くに居た女性事務員に、コピーを取るように命じた。


※※※※※※※


「それでは、報告書とは別に、こちらの方を。行方不明になった人物ですが」

そう言うと、五十嵐の前に1枚の紙を置いた。

「これは何ですか?」

五十嵐は覗きこむようにしながら尋ねた。


「当時の鴻之舞の人事部が持っていた資料になります。これは既にコピーを取ったものになります」

「なるほど。じゃあちょっと拝見してから、何かあれば質問させていただきます」

それほど記載量のあるものではなかったので、五十嵐はすぐに読み終えた。

「わかりました。この人物が、後で見せていただく報告書に出てくる、行方不明の人物だということでよろしいですね?」

「はい、そうなります」


 女性事務員がコピーを取ってくるまでの間、久住と五十嵐は世間話をしていたが、話は自然と翌日の31日に開幕する、日韓W杯についての話題になっていた。日本での初開催のサッカーW杯ということで、国内はかなりの盛り上がりを呈していた。


「ベスト16はどうですかね?」

「さすがに、開催国でグループリーグ突破出来ないのはないですよ」

そんな会話で時間を潰していると、ようやく、女性事務員が原本とコピー2部分を持って現れた。枚数的には大したことがないが、傷まないように作業する必要があったので、多少時間がかかったらしい。


「じゃあ、早速報告書の方を拝見させていただいて」

五十嵐は精読し始めた。ただ、肝心の内容は、基本的に竹下が近藤から聞いたものと同じだった。それを踏まえた上で、久住に確認した。

「行方不明になった後、警察に届け出はしなかったんですね?」

「これを見る限りは、無かったということでいいんじゃないでしょうか。何しろ警察の方に、亡くなった同僚についての証言をしてから消えてるわけですから。つまり、自発的に消えたと、当時も見たんでしょう。それに、この中にも書いてありますが、蒸発した人物の『持ち物』自体が、宿舎の部屋には、ほとんど残されていなかったとなると、事故関係無く、出て行くつもりがあったと推測したのは、至極最もな話じゃないでしょうか?」

久住の解説は筋が通っていた。

「うん……、そうですね。しかし、そうなると、何故出て行ったんですかねえ……。当時の鉱夫などの待遇は、色々あったと聞くことが多いのが現実ですが……。報告書においても、待遇や勤務態度については問題はなかったとありますが。特に勤務態度は実直だったようですね」

「勤務態度については、そのようだったと書かれていますから、実際そうなんでしょう。見習いから技師になるのも時間の問題だったと記されています。まあ、頭は良かった人物のようですから、その点も確かでしょうね。そして、見習いとは言え、ダイナマイト技師系の待遇が悪かったということは絶対ないはずです。それに、鴻之舞は戦時中に一時閉山する前までは、ドル箱の金鉱山ですから、一般鉱夫含め全体的に、この手の業種の中じゃ、当時としても待遇は良かった方だと確信しています」

その発言部分に、大企業である三友金属鉱業社員としてのプライドが垣間見えた。

「つまり、その後蒸発した理由については、『良くわからない』というのが、この報告書の結論であると、そのまま受け取っていいですね?」

「それで結構です。そもそも、今回の取材は、行方不明の人物がいたかどうかの照会のはずですから、その理由については、重要なことではないんじゃないでしょうか?」

 

 久住の発言は、確かにその通りだった。五十嵐にとってみれば、行方不明の人物が実際に存在して、それが特定出来れば良いわけだ。訂正する根拠ありということで、「訂正文」自体は、竹下達が書くわけだから、それ以上の追及は必要がなかった。しかし、新聞記者の悪い癖で、必要以上のことを聞き出そうとしていたのだ。


 緩やかな抗議ではあったが、核心を突く反論だっただけに、なごやかだった雰囲気は、静かではあったが一変しており、五十嵐はそれ以上の聞き取りを諦めざるを得なかった。

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