第93話 名実2 (3~4)


 そんな袋小路の一連の事件捜査が、突如動き始めたのは、01年の3月末だった。

 東京の八王子の山中から、林道のがけ崩れ復旧工事の作業中にたまたま見つかった、身元不明男性の腐乱死体の毛髪の毛根から、当然DNAが採取された。そしてそのデータが、北見共立病院銃撃事件の犯人が逃亡に使った盗難車両から見つかった、複数の毛髪の毛根から採取されたDNAデータと一部一致したのだった。銃撃事件唯一の犯人に直接結びつく物証が、DNA検査の進化、警察データベースの進化という偶然と絡んで、生き返った形になった。因みに、倉野からなされた、西田が再捜査に関わる提案に影響した新たな動きとは、このことである。



 その身元不明の男は、「かがみ 拓哉」という名前の、葵一家門下の東京を中心とした勢力である、「紫雲会」の構成員だった。95年当時、35歳の舎弟格だったが、その後、本部長に出世してから殺害されるまで、幹部であること以外は特に目立ったヤクザではなかったらしい。


 鏡自身の殺害事件の捜査とは別に、周辺を警「視」庁のマル暴と共に北見方面本部の刑事が洗ったが、どうも95年の10月末辺りから11月中旬辺りまで、東京では見かけなかったという話があり、その間北海道へ潜伏して、松島襲撃の期を窺っていた可能性は突き止めていた。


 一方で、残念だが、葵一家のドンである「龍川 皇介」含め、葵一家本体や当時の紫雲会のトップであった元会長「久米 たかし」の指示系統には辿りつくことは全く出来なかった。こちらは紫雲会の構成員を、別件逮捕などを徹底して駆使して吊るし上げたが、結局誰も口を割らなかった。


 ただ、捜査にあたった刑事の話では、この手の話は、組長から直接実行犯に伝える話で、中間の構成員が知らなくても当然だろうとのこと。当然、組長レベルが簡単に口を割るはずもなく、こうなることは自明だったかもしれない。また、鏡の自宅などをガサ入れしたが、事件に関係したような証拠物件は一切発見出来ていなかった。


 尚、警視庁のその後の捜査の結果、鏡が殺害された経緯が判明していた。愛人のホステスに暴力を日常的に振るっていたことを、ホステスが彼女に横恋慕していたクラブのボーイに相談。そのまま共謀の末、99年12月に睡眠薬を盛って絞殺し現場に埋めたという、殺し屋にしては間抜けな最期だったらしい。


 しかし、重要なことはそんなことではなく、当然の話だが、北見共立病院銃撃事件の犯人の1人が鏡だったと確定したということだった。そしてそれは、その鏡の共犯が「アベ」だということに直結する点でもあった。片方が「鏡」姓である以上、「早く一緒に! アベ!」と鏡が呼んだ相手が必然的にアベ姓になる。


 ただ、北村の録音テープでの、鏡と見られる声を鏡の親族や知人にも聞かせたが、「似ていないような気がするが、否定するほど似ていないかと言われると……」という煮え切らない回答がほとんどだった。テープが北村のコートの内ポケットに入っていたこともあり、音声がそこまで鮮明ではなかったことが、このような結果を生んだ要因ではあったようだが、同時に鏡自身の声もそれほど特徴的ではなかったことも影響したようだ。


 実際、アベと呼びかけられた方、つまりアベの声と、アベと呼びかけた鏡の声は、当時西田が聞いていても、大して差がわからなかった(そのことは当時はほとんど気にしなかったが)程だったのだから。つまり、2人の声自体に大した特徴もなかったということだった。


 ただ、そこから先が本当の問題だった。警「視」庁組対にも、協力してもらった北見方面本部の捜査でも、鏡の周辺に「アベ」なる人物の影が見えなかったのだ。正確に言えば居ないこともなかったが、行きつけのラーメン屋の店主「安部」では、どうしようもなかった。また確実に、北見で銃撃事件があった日の前後に、その店主にはアリバイがあり、どちらにしてもマル被(被疑者)にすらなり得ない人物だった。


 尚、鏡が所属していた紫雲会は、葵一家の2次団体ではあるが、葵一家に上納金を貢ぐ「シノギ力」の高さの割に、それほど組織の中で発言力のある立場ではなく、事件当時の会長(組長)である「久米 崇」、現会長である「真壁 憲男」共に、葵一家そのものの中では、若頭、若頭補佐ですらない。葵一家組長「龍川 皇介」の「舎弟」筋扱いの組織だ。


 その「距離」が、むしろ事件捜査を難しくすることに有効と見て、実行犯を出す組織として葵一家中枢から選ばれたのかもしれないと、捜査の行き詰まりを受けて、出張でばってきた警「察」庁の組織犯罪対策部から北見の捜査陣へアドバイスがあった。


 しかし、アベ姓で該当人物が挙げられなかったことから、同じく捜査を撹乱させる目的で、共犯も紫雲会と「遠い」組織から選ばれた可能性も考慮し、察庁(警察庁)組織犯罪対策部も全面的に協力態勢を敷いて調べた。だが7年前と同じように、アベ姓で該当しそうな葵一家系列の全国組織構成員がなかなか炙り出せず、事件は再び難航したまま2002年を迎えていたのだ。


※※※※※※※


 その状態を打開するために、昨年末、倉野が職権で、西田を北見方面本部所属にて専従捜査に当たらせることを強行に主張したらしい。より正確に言えば、銃撃事件を利用して、佐田実殺害事件をまずなんとかしておきたいという意図もあった。時効前なら、表向き本橋や伊坂、喜多川、篠田による犯行だと解決済みの事件であっても、大島の関与を明らかにするチャンスがあるからだ。


 しかし、そのリミットとしては当然時効の壁が存在した。今年の9月26日で、事件発生からの本来の時効15年になる。だが、時効はそのままで決まるわけではない。それにプラスして、本橋の起訴から判決確定までの期間と、共犯関係にあると見ている、大島海路が海外に渡航していた期間を合わせる必要が法的にあるからだ。


 そうなると、この年の年末までに、大島を起訴しておく必要があった。逆に言えば、考えようによっては、年末までに起訴すれば良いという、更なる猶予が出来たということでもある。


 ただ、不幸なことに、大島は15年前には党・政府の要職から高齢を理由に外れていた上、海外の水が合わないということもあり、近年はほとんど外遊・渡航をしておらず、延べの時効算定除外期間は2週間もなかった。


 また、大島と本橋の間で何らかの仲介役を果たしたと思われた、葵一家のドンである瀧川皇介については、日本一の暴力団組織の幹部中の幹部であり、大物マフィアという扱いで渡航拒否を受け続けており、海外には行きたくてもいけない状況であった。これは本橋ですら、有力幹部になった後は、破門後も含め渡航拒否レベルだったわけだから、当然のことでもある。一昔前はそれ程うるさくはなかったようだったが、近年は日本自体も海外も、暴力団関係者は厳しい目で見られていた。


 いずれにせよ、こちらも本橋の公判分以外の時効期間の延長は、ほとんど無いと見られていたわけだ。そもそも瀧川等、関わった可能性のある葵一家の幹部を挙げることは、妨害などを除いた純粋な捜査上の問題の枠内に限定すれば、ある意味大島を挙げるより難しいと考えられていた。鏡の件でもそうだったように、ヤクザの指示系統を解明するのは、相当厳しいのが現実だからだ。


 西田も、瀧川始め紫雲会含めた葵一家系列の幹部ヤクザについては、佐田実殺害、共立病院銃撃事件共に検挙は計算していなかった。事実上の白旗宣言だったかもしれない。


 それらの状況を総合的に考えると、表向きの優先度合いと違い、捜査的には若干見えてきていた北見共立病院銃撃殺害事件よりも、時効が迫って解決が困難に近い佐田実殺害事件の方が上かもしれないと、倉野は西田に匂わせていた。当然、西田もその時間的な優先度合いは考慮していた。


 ただ、それを優先しても、佐田の殺害事件の全貌をはっきりさせるためには、関係者がほとんど鬼籍に入ってしまった以上、病院銃撃事件から、その目的であろう佐田実殺害の真相隠蔽を以って事実関係を明らかにするプロセス以外、西田は現状思い付いていなかった。そうなると、結局は7年前の事件を先に何とかせざるを得ないという、振り出しに戻ってしまうわけだ。


 また、既に北見方面本部が、鏡の関与発覚により、捜査本部とまではいかないが、少数の北見署員と共に専従部門を小規模ながら復活させていた。そのため、わざわざ強力な専従体制確立のための捜査員を異動により更に配置する必要があるか、「本社」上層内部でも議論があったようだ。それを踏まえて尚、倉野が退職する際の「置き土産」として、西田の転勤が認められた経緯があった。当然、西田の了解を得た上での「強行」だった。


 ただ、西田はその提案を積極的に受け入れると同時に、「相棒」の異動も要求していた。美幌署で刑事・生活課の強行犯係主任をしていた、遠軽署時代の部下の吉村の抜擢を求めたのだった。皆順調に出世する中、吉村はあくまで若干だが、出遅れ気味で燻っていたこともあったが、彼の強運、直感力、そして部下として頼りないながらも、気兼ねせずに仕事が出来る点を重視し、共に捜査に当たることを希望したのだ。


 無論、吉村が既に室蘭署勤務時代からの「彼女」と結婚し子供をもうけ、美幌町と隣り合う北見で居を構えていたことや、一連の事件に精通していたことも、「非常に都合の良い」こととして西田の要求に影響していた。


 倉野は、この西田の要求を一も二もなく受け入れた。そして01年末には、年明け3月に、北見方面本部捜査一課において、事実上、「北見共立病院銃撃事件」の専従捜査の直接責任者、役職としては課長補佐として、特別に赴くことが決まっていた。


 尚、役職は現在の課長から課長補佐に降格した形になるが、所轄より上位組織の「方面本部付」であるため、スライドもしくは若干の「栄転」というのが正しい認識である。


 ※※※※※※※


 次々に年賀状をチェックしていると、今昔の上司、部下、同僚などからの便りに混じり、沢井以外の遠軽署時代の部下からも届いていた。


 小村は今、旭川東署の捜査二課で係長をしているはずだ。元々卒が無いタイプで、それなりに上手くやっているだろう。


 澤田は、刑事畑からは撤退し、小樽署で警務課の係長をしているようだ。遠軽署時代も割と書面処理が得意だった記憶があり、本来向いている方に路線変更したのは、決して悪くないと西田は思っていた。


 黒須は、札幌中央署の捜査一課の主任をしているらしい。遠軽署の後に赴任した根室署で、赴任前に発生していた殺人事件の解決に尽力したことが評価され、所轄としては華形の札幌中央署勤務に栄転したようだ。


 また、澤田と黒須とは地理的な近接性もあって、西田は2ヶ月に1度程度は、すすきので一緒に飲んでいる。


 最も若かった大場は、今は帯広署の捜査二課にいる。隣町の芽室町に居る沢井とは、未だに付き合いも深く、次々と保険を契約させられていると、年賀状で冗談交じりに嘆いていたが、実際のところ、元の部下は良いカモだろうと西田もそれを見ながらニヤニヤした。


 さて、渦中の吉村だが、前述の通り今は美幌署に居るが、遠軽署の後は、苫小牧署の刑事課に居た。そして、遠軽署以前に勤務していた、室蘭署時代に付き合い始めた彼女と、近くで勤務出来たことで再び気持ちが強くなり結婚していた。


 西田が千歳署時代に、苫小牧が隣の市だったこともあり、結婚について何かと西田は吉村から相談を受けていたが、それ以降も深い付き合いは続いていた。


 ただ、美幌署への転勤後は、西田に「上司と折り合いが悪い」とばかり愚痴っていた。吉村からその不満を聞いていたことも、今回の北見方面本部赴任において、西田が吉村を抜擢したという理由のごく一部にはなっていたわけだ。当然だが、吉村は西田のその話に飛びついたことは言うまでもなかった。


 今回の年賀状でも、「3月からが楽しみです」という文面と共に、幼い娘と妻と共にVサインで写っている彼の写真が印刷されていた。楽しみなのは構わないが、実際、動き出したとは言え、再び暗礁に乗り上げている搜査を考えると、楽観的過ぎると西田は少し眉をひそめていた。

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