第76話 明暗55 (236~237)
「今朝の新聞から今までの話、自分の体験……。これ考えると、また東西新聞がやらかしたってことでいいのか?」
「また」を強調してメガネを外すと、ケースからメガネ拭きを出して、しきりにレンズを拭いた。
「まあそういうことですね」
竹下はその様子を見ながら、棒読みで返答した。ただ、高垣が東西新聞を辞めた経緯も少し聞いていたので、その思いはある程度理解していた。それを聞き終えると、メガネを再びかけ、刑事4名を睨むように見据え、思わぬことを言い始めた。
「俺に何か出来ることはないか? 例えば、この記事の出るまでの流れを調べてもいいんだぞ! ただ、そのためには、これまでの捜査の情報の概要が欲しい! 相手が何を狙っているのか、それを知った上で調べないと掴めないものがあるんだ。それが条件だ」
「?」一同は目を剥いて高垣をマジマジと見つめた。。
「いや、だから協力出来るならしたいと言ってるんだが? 勿論情報を外にバラすことはしない。誓約書も実際出してるだろ?」
4人の煮え切らない態度に不快感を隠さなかった高垣だったが、
「失礼な言い方になるのを承知で言いますが、高垣さんは完全に部外者ですよ! 協力の申し出はありがたいんですが、捜査情報を他にも色々流すとなると厳しすぎます。捜査協力は今回の面通しで十分していただきました」
と黒須に言われると、
「こっちは好きでもない警察に協力してやってんのに、その言い草はないな」
と今度は突き放すように反論した。その直後から小会議室はピリピリしたムードが張り詰めた。刑事側としては、何とも対応しようがなかったので、黙っているしかなかった。だが竹下が最初にそのムードを破った。
「係長、どうでしょう? ここまで来たら、高垣さんにも協力してもらったら?」
それを聞いた西田は、口をあんぐりと開けた後、
「おい竹下! これまでの捜査でも、組織に抗って、多少際どいことはやってきたのは事実だが、警察内部の問題で済ませられる次元だったと思う。だが、かなりの捜査情報を与える前提となるとな……」
と、憂慮を示した。
「でも、五十嵐さんにこっちの情報バラして、捜査情報得たのも確かですよ。五十嵐さんは最終的に記事にしましたが、高垣さんも最低限出すべき時が来るまでは出さないと言ってくれてます」
竹下は一応は道理の通った異議を唱えた。確かに五十嵐の時と論理的にはそう変わらない。しかし、真の問題は、五十嵐の際には、情報の与え方の主導は警察側にあったが、今回はそうとは言い切れなかった。高垣側の仕掛けに乗るわけだから当然だ。
そして今回は、相手の捜査妨害のレベルが格段に上がっているということがあった。本気度合いが違う。高垣に協力を依頼するということは、ある意味全面戦争になりかねないという点だった。これは、状況が大きく変化したことを意味しているのは間違いない。黒須、吉村も心配そうに状況を窺っていた。
「そうは言ってもだ、あれはこっちが与えてもなんとかなる次元での情報提供で、しかも『周辺』を探らせるだけだったが、今回は本丸を調べることになるんだぞ? 危険性が段違いだ」
西田はそう言うしかなかった。
「係長! しかし、これまでの事件で何人の人間の死が無駄にされることになるか……。自分なら高垣さんを利用してでも、何とかしたいという気持ちがあります」
それを横から聞いていた高垣は、
「その通り! 真実の追求のためには、俺のことはどんどん利用してもらいたい。例えそれが警察という権力側を利することになってもな! それこそがジャーナリストの本分だ」
と笑顔で煽った。
「高垣さん、あんた一体何故そこまで……」
西田は怪しむと言うより、単純に高垣のこれまでやってきたことと比較して、その強い動機を理解出来ないでいた。その点は、高垣と直接辞めた経緯について聞いていた竹下も、イマイチ釈然とはしていなかった。
「高垣さん、協力の申し出を受けるのに賛同しておいてなんですが、実は僕も単に協力してくれるというだけでなく、そこまでしてくれると言う理由については、東京で聞いた理由だけからはちょっと違和感を感じてるんですが……」
そう正直に語りかけた。
「そうだな。確かに一文の得にもならんことで、警察含めた権力叩きしてきた俺にこうまで言われたら、怪しまれるのも仕方ないか……。まあ、もし事件が解決すれば記事に出来るというメリットは当然あることは、あんたらもわかるとは思うけど」
そう言うと、
「じゃあこっちが先に腹を割る必要がありそうだ。ちょっと個人的な話で長くなるが聞いてもらえるか?」
と4人に許しを求めた。
「竹下さんは知ってると思うが、つい先日まで、俺は例の沖縄の米兵少女暴行事件の取材で沖縄に行ってた。それ絡みでよく出てくる、『日米地位協定』ってのは、あんたらも今回のニュースで聞いたことあるよな?」
そう振られた西田達だったが、確かに米軍の犯罪者を、日本側は米軍の許可なしに捜査できない等という法律で、問題視されていたのは知っていた。
「ええ、聞いてます。沖縄県警もかなり苛立ってるようでした」
そう答えた西田に、
「中身も大体知ってるだろうが、言わば現代の『治外法権』みたいなもんだ。明治政府が陸奥宗光の交渉で撤廃させた奴だが、日本も日米安保条約の発効により、事実上の治外法権が戦後しばらく経ってから再び生まれたわけだ。沖縄は、本土復帰前までは、それ以前の問題として、植民地の二級市民扱いで、米軍の犯罪に悩まされてきたが、復帰後もそのせいで、しばしば問題になってた。そこに今回の事件だぞ! そりゃ怒りも爆発するだろ。でもな、本土でもそれが大きな問題になったことがあった。これもあんたらの世代なら普通に知ってるだろうが、1977年の横浜での米軍機墜落事故だ」
高垣はそう言うと、悔しそうに拳を握った。
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一般的名称としての、「横浜米軍機墜落事故」とは、1977年9月27日、横浜の住宅街に、アメリカ海兵隊の偵察機がエンジン火災を起こして墜落。周辺の住宅で火災が発生し、計3名の住民が死亡した事件である。尚墜落前に、パイロットは脱出し生還した。
しかしながら、そのことで、機体のコントロールは早期に失われており、住宅地における危険回避という意味ではかなりずさんな対応であった。ただ、問題の本質はその後の米軍と日本側の対応の方だったかもしれない。日米地位協定もあり、事故の責任やエンジン火災の原因究明などが米軍主導により行われ、且つ米軍側による究明はきちんと日本側に説明されなかったという問題である。また刑事責任も一切問われなかった。
特に、事故で犠牲となった母子のエピソードが日本人にとっても怒りを覚えさせるもので、また同情を禁じ得ないものだったこともあり、未だに長く語られることとなっている。
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「その取材で、当時社会部に居た若手のペーペー記者の俺は、先輩達と精力的に日米地位協定問題について記事にしようと奮闘したんだが、東西新聞は日米安保維持を至上命題とする政権与党の民友党とベッタリだから、たまたま連日で発生した、『ダッカ事件』が、この問題の矮小化に使われ、記事の大事な部分の大半がもみ消された。勿論、他社は墜落事故の件もしっかり報道してたが、こっちは上手く問題の本質をはぐらかすような記事で、日米地位協定の悪辣さを扱うことを避けることに成功したわけだ。頭に来たね! 新聞ってのが、全ての社会問題を必ず扱えるもんだと思ってブンヤになった程、当時ですら俺も青くはなかったが、これほどの問題を扱わない新聞に公器としての意味があるのかと!」
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「ダッカ事件」=「ダッカ日航機ハイジャック事件」とは、1977年9月28日(つまり横浜米軍機墜落事故の翌日)、フランスのド・ゴール空港発羽田行き(途中数カ所の国際空港に寄る航路だった)の日航機が、経由地のムンバイ空港離陸直後に、5名の日本赤軍によりハイジャックされた事件である。
その後、バングラデシュの「ダッカ国際空港」に緊急着陸し、犯人グループは身代金と日本で勾留・服役中の9名の解放を求めた。これに対し、当時の福田赳夫政権は、「人命は地球より重い」発言でも知られる、いわゆる「超法規的措置」と呼ばれる措置をとり、服役・勾留中のテロリストを解放した。
これについては、当時からかなりの批判があったのも確かだが、実は、当時は日本だけでなく、諸外国でもテロリストの要求を受け入れて、身柄拘束中のテロリストの解放をすることがあり、必ずしも日本だけが「テロに屈した」というわけではなかったことは明確にしておかなくてはなるまい。
しかしながら、この直後(1977年10月13日)に起きた、「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」では、ハイジャック後に行き着いたソマリアで、当時の西ドイツ政府が特殊部隊を派遣。イギリスの特殊部隊と共にテロリストを射殺・制圧し、乗員乗客全員を解放(その突入前の時点で既に機長は射殺されていた)したことで、流れが完全に変わったとされる。
ダッカ事件はその直前だっただけに、日本の対応がピックアップされやすいものの、時系列的に見れば、日本政府の対応だけが、国際的に見て「異質」だったわけではないのである。当然、法治国家としての自殺行為であることは全く別の問題ではあるが。
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昨日のことのように怒りを露わにする高垣だったが、その次に思わぬことを言い出した。
「だが、そんな日米地位協定であっても、必ずしもアメリカだけが一方的な悪者というわけじゃないんだな。失礼かもしれないが、日本の刑事訴訟手続きは、非情に前近代的な代物で、アメリカ側がそういう点において、『日本の司法には任せられない』という思いを抱くのも、全く理解できないわけじゃない。あんた方警察の非人道的なやり口もまた、問題の本質の1つだと俺は思ってる。今日記事になった件でも出た、夏場の別件逮捕の後、取り調べ中に意識不明になった話だって、警察がまともに対応してたら、避けられた話だろ? おまけに事件の解明にも支障をきたすんじゃ、なんのための取り調べだかわからん!」
火の粉が自分達自身にも降りかかってきた4名だが、困惑する3名をよそに、竹下はその意見に深く頷いていた。勿論、これまでの流れを考えれば、竹下にはそういう態度を示す資格があったのは、西田から見ても確かだ。それを尻目に憤慨する高垣の話はまだ続いた。
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